知恵のある言葉 | あるキリスト者のつぶやき…

知恵のある言葉

昨晩はISIのスタッフが来日しているということで、同窓会的なものが行われたのでちょっと顔を出してきた。ISIとは、米国コロラド州に本部を置く宣教団体である。主に米国にやってくる留学生に対して宣教活動を行っている。さて、今後は日本にやってくる留学生に対して宣教活動をしていこうというのが新しいビジョンであるらしく、そのために勉強会を日本で行ったということだ。もっともキリスト教的土台がある米国で伝道するのと、キリスト教的土台のまったくない日本において伝道するのとでは、かなり違いがあるかもしれないが、しかしどうなるかは分からない。

個人的には何らかの手伝いなりサポートなりできたら良いなぁとは思うのであるが、いかんせんアメリカにいた頃と、日本での今の生活ではとてもじゃないけど違いがありすぎて、そんな余裕はどこにもない。

まぁ、それはそうとして、昨晩は懐かしい友人と久しぶりに再会する機会が持ててよかった。感謝なことである。ちょっとばかり若かりし頃の気分に戻ってしまった……ような気がしなくもない。しかし久しぶりに会うと、信仰者として私の先輩にあたる方々の言葉には、今まで気付かなかった「知恵」というか何かそのようなものを見出すことができるのだ。それは大きなことではない。大きなものであれば、私でも気付くであろう。むしろそれは小さなことである。小さいことであるがゆえに、今まで気付かずに過ごしてきたのかもしれない。

忘れないようにここに書き留めておこう。「キリストを知ること(信じること)は大きな特権でもあるが、同時に大きな責任を伴う。」

そのようなことは漠然とは分かっていたが、改めて人から明確な言葉で言われると、なるほどと思わざるを得ない。