紙の新聞 | あるキリスト者のつぶやき…

紙の新聞

最近、iPadやらiPhoneをはじめとして、その他諸々のスマートフォンやらKindleやらが登場してきた。それが直接影響しているのかどうか、正確なところは分からないが、紙媒体、主に新聞の売れ行きがいまひとつらしい。そんなわけもあってか、「紙があって、よかった。」という広告を、すべての新聞が記載したらしい。らしい、というのは、私は直接その広告を見ていないからだ。そんなことがあったよ、というニュースをネットで読んだ口である。もうその時点で、紙媒体としての新聞が、あまり役に立ってないようなことを暗示しているのではないか。

紙媒体としての新聞が必要かどうか。というのも最近聞かれることである。私個人だけの意見を言うならば、はっきり言って紙の新聞はいらない。毎月の購読料を払って、読み終わったら無駄に場所をとって、おまけに情報源としてはちょっと古い。おまけ新聞というと、なにやら信用できそうな気がするけど、基本的に出版元の主観を多かれ少なかれ含んでいて、公平とは言い切れない。

なんてことを考えると、情報源としての新聞というのは、さほど訳に立つものでもない。いや、新聞に記載されている内容について言うならば、時に有益なことも書かれていよう。しかし、その情報を見るために、何も新聞を買う必要はない。新聞に記載されている内容であれば、それこそ新聞社のWebサイトに行けば、自由に読むことができる。

だから、紙媒体としての新聞は不要って言えば、不要かもしれない。現に私も新聞を取ってはいるものの、実際に新聞を読むのはiPhoneである。紙の新聞はちらっとしか読まない。じっくり読むのはiPhoneの産経新聞である。

んじゃ、解約してもいいんじゃないか……とも思うのであるが、紙媒体の新聞にもそれなりの利点がある。様々な手段で情報を入手することのできる大人の私にとっては、情報源としてのありがたみはないかもしれないが、多くの情報源として持たない我が家の子供たちにとっては、新聞が広い社会への入り口なのである。新聞が我が家にある限り、子供たちは世界のことを大雑把ではあるけれども、自由に知ることができるのだ。

と言っても、まだ漢字がロクに読めないし、目下のところ読む箇所と言えば、コボちゃんとポケモンの熟語くらいであるが。