あるキリスト者のつぶやき… -36ページ目

せみの声

9月も半ば過ぎだというのに、朝っぱらからミンミンゼミが鳴いていた。ちょっと涼しくなったかと思ったら、またまた真夏へ逆戻りかってところである。思えば来週から10月になるんだけれども、果たして秋らしい日はいつになったら訪れるのだろうか……。

それはそうと、今日は礼拝の司会だった。今朝読んだ聖書の箇所は、詩篇66篇。

「あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。」(12節)

という箇所に線がひいてあった。いつ線をひいたのか、さすがに憶えていない。おそらくペンの色からして、学生時代のことだと思うのだけれども、こうして改めて読んでみると、あぁ、なるほど、と思える。どれほど険しい道を私たちが歩くことになろうとも、その先には豊かな地が待っているということであろうか。たとえ日頃の苦労がいかほどであろうとも、それを乗り越えれば、「明るい未来」と言ってしまうと、ちょっと安っぽい感じがするが、要するにそれまでの苦労が報われるような、何かしら良いものがあるということであろう。

肝心なことは、途中で諦めてはならないということである。「火の中を通り、水の中を通」ってからでないと「豊かな所」へ到達しないということだ。人の一生、苦楽共にあるのである。楽ばかりを選んで、苦を味わうことがなければ、何が本当の楽であるか、人は知ることがないだろう。

こそあど

「こそあど」と言えば小学校の時にならった「こそあど言葉」である。これ、あれ、それ、どれ、のことだ。私の語彙も少ないかも知れないが、私以上に少ないのが私の妻である。妻の話を聞いていると、文章の半分くらいがこの「こそあど言葉」で構成されているようで、聞いていて何を言っているのかさっぱり分からなくなることがある。おまけに、日本語特有のクセなのかもしれないが、主語が抜けている事が多い。ちょっと抜けるくらいであれば、前後の内容から判断することができるが、冒頭一番、主語なくして話が始まることがあるので、これもまた聞く側としては何を言っているのか、とんと見当がつかない。

さて、昨日から私の課題になっているのが、どのようにして語彙を増やすか、ということである。やはり言葉を覚えるには、新しい言葉と出会った時には、その言葉を記録して、実際に使ってみることだろう。

そういえば、以前も似たようなことをしたなぁ。感謝することを一日一つ挙げてみようとしたことがある。ある程度続いたけれど、いつの間にやら自然消滅してしまったようだ。

何も毎日続ける必要はないだろうけど、感謝なことや新しい言葉を記録するということは、私にとってはよい「学習」になるのかもしれない。もっとも、そのようなことを言い出したら、それ以外にも、その日にひらめいたことを書き残しておくというのも重要だろうけどね。毎日こうやってブログに記事を投稿しているのだから、何かしら記録する場所はあるということだ。毎日ぼんやりと過ごすか、周囲の状況に目や耳を向けるかどうかの違いであろうか。無駄に日々を過ごしたくはないものである。

英語と日本語

英語と日本語、幸い私はどっちも人並み程度には使いこなすことができる、と自分では思っている。けど、ホントはどうなのかは怪しいところだ。

日本に帰ってきてからずいぶんと経つし、外人の友人知人はおろか、知り合いすら身近にいないので、英語で意思疎通を図る機会がまるでないから、英語について私がどれほど人に私の考えを理解させることができるかどうか、ちょっと分からない。だからといって、日本の達人かというと、これもまたちょっと自信がない。

さすがにこの歳になると、英語や国語の試験を受けるというわけにもいくまい。もちろん、なんちゃら検定っていうのはあるけれども、わざわざ金を払ってまで試験を受けようとも思えない。それにTOEIC940の私がもういちどTOEICを受けようものなら、おそらく過去の自分を上回ることもできないだろうから、わざわざ下がった点数を見るのも愚かしいものだ。

それはそうと、今でも英語が便利だと思うことが多々ある。英語は日本語と比べて、簡単というか、私個人の印象であるが、思っていること、考えていることを簡単に表現し易いのではないかと思う。

そんなわけで、今でも時たま一人で物事を考えるときには英語で考える事がある。日本語だと言葉を選ばないといけないのだが、英語だとそれほど言葉を選ばずに考えることができるのだ。これはこれで、滞ることなく思いなり考えなりを展開していくことができて便利なのである。ところが、これの一番の問題は、いざそれを日本語で表現しようとすると、はて、何と言ったらよいものだろうかと悩んでしまうのだ。言葉が見つからない。表現方法が見つからない。そんなことをあれこれ考えているうちに、自分が何を考えていたのかを忘れてしまうと言うか、思いが薄まってしまうのだ。なんだか勿体ない気分である。損してるようでならない。

が、ふと思った。これは英語が便利なんじゃなくて、私の日本語の語彙が少ないだけなのではないかと。どうしたら、日本語の語彙を増やすことができるのだろうか。もちろん、本は多く読んでいるが、それだけでいいんだろうか。などと思ってしまった。

どんぐり

「どんぐりの背比べ」と言うと、何やら互いに似たような大きさの―いや、「大きさ」ではなく「小ささの」と言うほうがむしろ正確かもしれないが―どんぐりが頑張ってちょっとでも他のどんぐりよりも大きくなろうとしているような、どことなく微笑ましい情景を想像してしまう。小さいながらも頑張ろうとしているんだなぁ、という雰囲気がある。どこか肯定的な前向きな考え方ではないか。さほど違いはない者同士が、ちょっとでも周囲より秀でようとするのは、どこか停滞気味、安易に妥協してしまいがちの今の世の中からすれば、見習うべき姿勢なのかもしれない。

さて、似た者同士が比べあうという意味では「目糞鼻糞を笑う」という言葉もある。どんぐりの背比べのように微笑ましい情景ではない。互いに比べあっても、第三者からみたらどちらも糞というシチュエーションは、傍から見たら、馬鹿げた茶番でしかないということだ。

ところで、民主党の代表選、先日まではずいぶん騒がれていたものの、結果で出た後は嵐の前の静けさならぬ、嵐の後の静けさのようだ。もっとも、静けさとは言っても、風情もへったくれもあったもんじゃないが。さて代表選の結果はすでに誰もがご存知のように、菅首相の続投と相成った。これもまら大多数が思うところだろうが、菅首相が小沢より優れていたというわけではなく、小沢よりマシだったから選ばれた、というようなものである。まさしく、目糞vs鼻糞みたいなもんであろう。

政治経済の分野については素人の私なので、あまりえらそうなことは言えないが、この結果で唯一評価できることと言えば、あくまでも私の個人的な視点からであるが、日本の総理大臣が変わらなかったことだろうか。この期に及んで、またもや総理大臣が変わったとなれば、それこそ他の国々から今まで以上に相手にされなくなってしまう。さて、これからどうなることやら……。

疲れる時

徹夜で作業をしている時よりも、徹夜明けで帰ってきてからの方が疲労感が厳しい。

やはり仕事中は気が張っているからだろうか……。

気が抜けると、もうダメだぁー。