英語と日本語 | あるキリスト者のつぶやき…

英語と日本語

英語と日本語、幸い私はどっちも人並み程度には使いこなすことができる、と自分では思っている。けど、ホントはどうなのかは怪しいところだ。

日本に帰ってきてからずいぶんと経つし、外人の友人知人はおろか、知り合いすら身近にいないので、英語で意思疎通を図る機会がまるでないから、英語について私がどれほど人に私の考えを理解させることができるかどうか、ちょっと分からない。だからといって、日本の達人かというと、これもまたちょっと自信がない。

さすがにこの歳になると、英語や国語の試験を受けるというわけにもいくまい。もちろん、なんちゃら検定っていうのはあるけれども、わざわざ金を払ってまで試験を受けようとも思えない。それにTOEIC940の私がもういちどTOEICを受けようものなら、おそらく過去の自分を上回ることもできないだろうから、わざわざ下がった点数を見るのも愚かしいものだ。

それはそうと、今でも英語が便利だと思うことが多々ある。英語は日本語と比べて、簡単というか、私個人の印象であるが、思っていること、考えていることを簡単に表現し易いのではないかと思う。

そんなわけで、今でも時たま一人で物事を考えるときには英語で考える事がある。日本語だと言葉を選ばないといけないのだが、英語だとそれほど言葉を選ばずに考えることができるのだ。これはこれで、滞ることなく思いなり考えなりを展開していくことができて便利なのである。ところが、これの一番の問題は、いざそれを日本語で表現しようとすると、はて、何と言ったらよいものだろうかと悩んでしまうのだ。言葉が見つからない。表現方法が見つからない。そんなことをあれこれ考えているうちに、自分が何を考えていたのかを忘れてしまうと言うか、思いが薄まってしまうのだ。なんだか勿体ない気分である。損してるようでならない。

が、ふと思った。これは英語が便利なんじゃなくて、私の日本語の語彙が少ないだけなのではないかと。どうしたら、日本語の語彙を増やすことができるのだろうか。もちろん、本は多く読んでいるが、それだけでいいんだろうか。などと思ってしまった。