せみの声
9月も半ば過ぎだというのに、朝っぱらからミンミンゼミが鳴いていた。ちょっと涼しくなったかと思ったら、またまた真夏へ逆戻りかってところである。思えば来週から10月になるんだけれども、果たして秋らしい日はいつになったら訪れるのだろうか……。
それはそうと、今日は礼拝の司会だった。今朝読んだ聖書の箇所は、詩篇66篇。
「あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。」(12節)
という箇所に線がひいてあった。いつ線をひいたのか、さすがに憶えていない。おそらくペンの色からして、学生時代のことだと思うのだけれども、こうして改めて読んでみると、あぁ、なるほど、と思える。どれほど険しい道を私たちが歩くことになろうとも、その先には豊かな地が待っているということであろうか。たとえ日頃の苦労がいかほどであろうとも、それを乗り越えれば、「明るい未来」と言ってしまうと、ちょっと安っぽい感じがするが、要するにそれまでの苦労が報われるような、何かしら良いものがあるということであろう。
肝心なことは、途中で諦めてはならないということである。「火の中を通り、水の中を通」ってからでないと「豊かな所」へ到達しないということだ。人の一生、苦楽共にあるのである。楽ばかりを選んで、苦を味わうことがなければ、何が本当の楽であるか、人は知ることがないだろう。
それはそうと、今日は礼拝の司会だった。今朝読んだ聖書の箇所は、詩篇66篇。
「あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。」(12節)
という箇所に線がひいてあった。いつ線をひいたのか、さすがに憶えていない。おそらくペンの色からして、学生時代のことだと思うのだけれども、こうして改めて読んでみると、あぁ、なるほど、と思える。どれほど険しい道を私たちが歩くことになろうとも、その先には豊かな地が待っているということであろうか。たとえ日頃の苦労がいかほどであろうとも、それを乗り越えれば、「明るい未来」と言ってしまうと、ちょっと安っぽい感じがするが、要するにそれまでの苦労が報われるような、何かしら良いものがあるということであろう。
肝心なことは、途中で諦めてはならないということである。「火の中を通り、水の中を通」ってからでないと「豊かな所」へ到達しないということだ。人の一生、苦楽共にあるのである。楽ばかりを選んで、苦を味わうことがなければ、何が本当の楽であるか、人は知ることがないだろう。