こそあど
「こそあど」と言えば小学校の時にならった「こそあど言葉」である。これ、あれ、それ、どれ、のことだ。私の語彙も少ないかも知れないが、私以上に少ないのが私の妻である。妻の話を聞いていると、文章の半分くらいがこの「こそあど言葉」で構成されているようで、聞いていて何を言っているのかさっぱり分からなくなることがある。おまけに、日本語特有のクセなのかもしれないが、主語が抜けている事が多い。ちょっと抜けるくらいであれば、前後の内容から判断することができるが、冒頭一番、主語なくして話が始まることがあるので、これもまた聞く側としては何を言っているのか、とんと見当がつかない。
さて、昨日から私の課題になっているのが、どのようにして語彙を増やすか、ということである。やはり言葉を覚えるには、新しい言葉と出会った時には、その言葉を記録して、実際に使ってみることだろう。
そういえば、以前も似たようなことをしたなぁ。感謝することを一日一つ挙げてみようとしたことがある。ある程度続いたけれど、いつの間にやら自然消滅してしまったようだ。
何も毎日続ける必要はないだろうけど、感謝なことや新しい言葉を記録するということは、私にとってはよい「学習」になるのかもしれない。もっとも、そのようなことを言い出したら、それ以外にも、その日にひらめいたことを書き残しておくというのも重要だろうけどね。毎日こうやってブログに記事を投稿しているのだから、何かしら記録する場所はあるということだ。毎日ぼんやりと過ごすか、周囲の状況に目や耳を向けるかどうかの違いであろうか。無駄に日々を過ごしたくはないものである。
さて、昨日から私の課題になっているのが、どのようにして語彙を増やすか、ということである。やはり言葉を覚えるには、新しい言葉と出会った時には、その言葉を記録して、実際に使ってみることだろう。
そういえば、以前も似たようなことをしたなぁ。感謝することを一日一つ挙げてみようとしたことがある。ある程度続いたけれど、いつの間にやら自然消滅してしまったようだ。
何も毎日続ける必要はないだろうけど、感謝なことや新しい言葉を記録するということは、私にとってはよい「学習」になるのかもしれない。もっとも、そのようなことを言い出したら、それ以外にも、その日にひらめいたことを書き残しておくというのも重要だろうけどね。毎日こうやってブログに記事を投稿しているのだから、何かしら記録する場所はあるということだ。毎日ぼんやりと過ごすか、周囲の状況に目や耳を向けるかどうかの違いであろうか。無駄に日々を過ごしたくはないものである。