あるキリスト者のつぶやき… -2ページ目

リスク管理

リスク管理、似たような言葉に、安全管理、危機管理というものがある。いかにして発生しうる問題を事前に回避するか、また発生した場合にはどのように対処するかという手段や方法を考えて実践することである。いわゆる自己防衛というものだ。業務上のことから日常生活に関することまで、あらゆる場面において有益なことである。もちろん、仕事が絡んでくると面倒になることはあるが、やるとやらないでは、やはりやったほうが良い。

さて先週、熊本で女児が殺害されるという事件があった。マスコミは「痛ましい事件」などと報道していた。犯人は20歳の大学生とか。

まぁ、犯人のことはどうでもいい。

しかし第三者の視点からこの事件を見てみると、この事件は起こるべくして起こったのではないかと思う。つまり防ごうと思えば、いくらでも防ぐことができたのではないか。ニュース等で流される街頭インタビューを見ていると「自分にも似たような年の子供がいるから……」という感じで、被害者家族に対する同情だの類似した事件への心配だのばかりが目立っているようだが、どうも納得できない。何かが間違っているように思えてならない。誰も彼もが被害者ヅラをしているようで、むしろ腹立たしくさえ思えてくる。

冷静に考えてみよう。
  1. 平日の夜の7時半に
  2. 3歳の子供が
  3. スーパーで
  4. 親から離れて
  5. ひとりでトイレにいく
果たしてこれが正常な家庭の姿なのだろうか?私はそうは思えない。
  1. 事情があるなら仕方ないが、休前日でもないのになぜ子供を連れた家族がこんな時間に外出してるのか
  2. しかも3歳である。本来であれば、風呂入って寝る準備をしているはずではないか
  3. まぁ、これはしかたないとして
  4. 幼児から目を離すことに親は違和感を感じないのか。感じなければ自覚が足りない
  5. 外部の目の届かないところにひとりでいさせることに親は何とも思わないのか。やはり自覚が足りない
育児放棄とまではいかないけど、最近小さな子供を公共の場所で「放し飼い」にしている親の姿を見掛ける。はっきり言うが、あれには違和感を感じてしまう。子供の安全の第一の責任は親にあるのではないだろうか。親の管理さえ行き届いていれば、交通事故とか親も一緒に被害を受けてしまうような状況でもない限り、子供の安全は確保されるはずではないだろうか。

確かに今回の事件における犯人は20歳の大学生に間違いはない。が、そのような事件の起きる状況を作り出した親も、親としての責務をおろそかにしていたのではないか。直接手を下したわけではないが、罪の重さは等しいか、もしくは「犯人」以上であろ。そのような親が事件後に声明文を出して「悲しんでいる」とか言う姿は、私から見れば同情するどころか、反省しやがれ、と言ってやりたいところである。

雨のち雪、のち雨

昨日はちょっとばかり暖かだった。ようやく春らしくなるのかと思いきや、今日は雪が降っていたではないか!朝、家を出た時は冷たい雨だったのだが、横浜駅に着いた頃には白い小さな塊になっており、南町田に着いた頃には、すでに地面に積もり始めていた。周りを見回したら、ここは雪国なのかと一瞬であったが、我が目を疑ったほどだ。などと言ってしまうと、本場の雪国の人から馬鹿にされてしまうかもしれないが。

何でも予報だと今夜もまた雪のようである。しかし明日日中は晴れて気温も10度を超すらしい。

思えば、何ともはっきりしない陽気が続いている。寒いのは苦手じゃないが、ぼちぼち飽きてきた。何より外出する時にあれこれ着なきゃいけないのがどうにも面倒くさく思えてしようがない。ずっと屋外にいるならまだしも、そういうわけでもない。出掛ける度に脱いだり着たりを繰り返すのである。果して人間とはなんと面倒な手間の掛かる生き物なのだろうか。いっそのこと熊のように冬眠しちゃえばどうだろうか……と言うのは極端かもしれないが。

身軽に過ごせる気候が待ち遠しい。が、そんな快適な陽気なんてあっと言う間に過ぎて、また暑い季節がやってくるのだろう。四季を恨むべきか、感謝すべきか……悩ましい。

テレビ

DVDが壊れてからというもの、映画を見るにはテレビしかない。見たい映画があるからDVDを借りて都合の良いときに見よう、などという自由が効かないので困ってしまう。

ということで、今夜は9時からCATVの映画専門チャンネルで「キングアーサー」をやるので、ブログをちまちま書いている余裕はない。映画が終わってから書くのもありかと思うのだが、まぁ、休みの日の夜くらはもうちょっとゆっくり過してもいいだろう。

まぁ、有料チャンネルがなくても、そこそこ新しい映画を見ることができるのはありがたい。もっとも新しい映画が良いのかどうかというと、そういうわけでもないのだが。

映画館へ

今日は久しぶりに映画館へ行ってきた。本当に久しぶりだ。たしか前回は、去年の正月休みに「アバター」を見に行った時だったと思う。その後は、映画館から足が遠のいていた。それにしてもなんで映画館って、あんなに高いのだろうか。アメリカだったら、それこそ5ドルもしないで見れたのに。まぁ、日本の映画館の設備の充実具合を考えると、多少高くても納得はできる。新しくできた映画館ほど、劇場内にほどよく傾斜がつけられており、前列に座る人たちの後頭部が視界にはいることもない。

で、何を見に行ったかというと……「映画ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 ~はばたけ 天使たち~」である。娘たちが行きたいというものだから、ね。なんと今回でドラえもんの映画は31作目とか!すごい長生きである!

思えば私がドラえもんの映画を子どもの頃見に行ったときから30年近くも経つのだろうか。子供の私が見に行って、今は私が子供を連れて見に行く。なんとも妙な感じである。声優も変わったし、作画の雰囲気も微妙に変わった気がするが、それでもドラえもんはドラえもんである。作者がすでに没したにもかかわらず作品だけが生き残っているのは、サザエさんとドラえもんくらいのものではないだろうか。

なんというか……歴史を感じてしまうのである。

その一方でドラえもんが「誕生」した22世紀にちょっとずつ近づいているという現実もある。さてさて、ドラえもんの今後は如何に!?

偽計業務妨害?

例のカンニング事件の犯人が逮捕されたそうな。なんでも犯人の正体は東北地方の19歳の予備校生だったそうな。私の予想やら、世間の予想に反して、意外なことに単独犯だったそうな。何やらもっと大がかりな組織がらみのものかと、少々期待さえしていたのだが、どうってことのない結末にちょっと拍子抜けしてしまう。

しかし試験官にばれずにスマートフォンでもないごくごく普通の携帯だけで、長文を打つとは、妙な才能の持ち主である。とてもじゃないが、私には真似ができない。画面やキーを見たり、机の上に出したりしようものなら、すぐにばれてしまうだろうから、おそらくブラインドタッチなのだろう。いやぁ、それにもびっくりである。まさしく才能の無駄遣いである。試験中に試験問題を流出させるのではなく、もっと別の時に、別の内容で有益なことに使えよって感じだ。

しかしカンニングごときで逮捕とは少々大げさな……と考えてしまいがちであるが、この予備校生の罪状は「カンニング」ではない。「カンニング」はモラル違反ではあるが、犯罪ではない。予備校生が逮捕された原因となった容疑は、大学の業務を妨害したことによる「偽計業務妨害」といことらしい。

ところが、こうなってくると、どうも微妙な感じがしてくる。なんかちょっと方向性が違ってきているような。

何も予備校生の肩を持つわけではないが、果たして業務の妨害に当たるのであろうか。もちろん、まだ裁判で有罪となったわけではないので、あくまでも容疑の段階なのであるが、ちょっとこれは行き過ぎなようにも思える。予備校生の不正行為に対する罰則は試験での不合格で十分こと足りるのではないか。どうにも、他の受験生に対する「見せしめ」に近いような気がしなくもない。

大学の業務が妨害されたと言うけれど、そもそも不正がないことを確認することは大学入試に絡む業務なのではないだろうか。大学で他の授業が実施できないほどに業務が妨げられたのだろうか。もう一度すべての受験生に対して、再試験を課すなどの作業が発生したのだろうか。いや、そんなことはなさそうである。採点結果の見直し、回答の見直しくらいは通常業務の範囲内で収まるのではないだろうか。現実の社会では、作業のやり直しが発生するなんて、珍しいものではない。仮に自分にその原因がなかったとしても、業務が自分の担当範囲内であれば黙って対処するのが普通ではないだろうか。

なんでも試験の答案を見直しているときに、「ヤフー知恵袋」に記載された内容と類似の回答が複数見つかったと騒いだ大学もあったようだが、簡単な短い日本語を英語に訳すだけではないか。冷静に考えたら類似している方が普通だろう。私から見たら、そんなに色々な回答がでてくるようだったら、大半の受験生は「不合格」になってしまう。むしろ、類似しない方が異常である。大学にいるのはきっとアタマの良い人たちだろうに、一体何を考えてるのか、馬鹿の私にはとてもじゃないが理解できない。

どうにも今回の事件に対する各大学の反応を見てると、素人の私の目には、やや調子に乗りすぎているように見えなくもない。やはりああいう特殊な組織の常識というのは、社会の常識とは異なるのだろうか。

まぁ、問題の予備校生を罰するのであれば、大学側もその被害を公にすべきであろう。何が重要なのか。不正が行われたことなのか、業務が妨害されたことなのか。前者は犯罪ではないが、後者は犯罪である。両者を同一視すべきではない。それが公平性というものであろう。

もっとも心情的に言うのであれば、この予備校生は二度と大学の門をくぐれないようにすべきだと思う。もっとも不正入学をした他のすべての学生に対しても同じことが言えるが。