あるキリスト者のつぶやき… -147ページ目

もうすぐで日曜も終わりか

エッセイを本家のサイト にアップした。さて、もう少しで日曜日も終わり。月曜になってしまう。そしてまた土曜日まで世間の荒波にもみくちゃにされてしまうんだろうなぁ。が、そんなことを考えても気が晴れるわけでもなし。あまり考えないようにしよう。


今日は日曜、朝から教会に。家を出るのがすこし遅れ、プチ夫婦喧嘩…というか、私の方が一方的に不機嫌になっただけ。今考える愚かしいことだった。礼拝の後、教会の隣のレストラン「カウベル」で実家の両親に昼飯をごちそうしてもらうと、すっかり良い気分になって、嫌な気分もどこへやら。めでたし、めでたし。両親が帰るのを見送ったので、さて我が家も帰宅かと思ったら、子供が「ブランコ乗りたい」と言い出すので、結局奥様に子供を公園に連れて行ってもらうことにして、私はドラムの練習をすることに。さて、礼拝堂で牧師さんにドラムを教えてもらいつつ練習していたら、2階でやっていた勉強会の邪魔をしてしまったらしく、結局スティックで自分の足をペチペチ叩くことにした。遠慮して叩くけど、やはり痛い。痛い思いをして得られるものがないとくやしいので、真剣になってやったわ。でも、ドラムってギターとは違って、自分の体さえあればどこでも練習できていいなぁ、と思う。この分では、ギターよりも先にドラムを使えるようになりそうだ。でも、どっちでも楽器は好きだからいいのさ。それに、これで賛美のお手伝いができるようになればなにより!

結局家に帰って来たのは4時ちょっと過ぎ。一休みして、今日は床屋に行ってきた。最近、髪型をどうするかしばらく考えていたけど、ひとまず現状維持ということで「坊主」と「モヒカン」の間にしておく。本当は100%ピュアなモヒカンに憧れるけど、それやると会社で肩身の狭い思いをするかもしれないので、ちょっとやめておく。あぁ、でもまた髪の毛を伸ばして「ちょんまげ」にしたいとも思うんだな。でも、あれはあれで手入れが面倒だったりする。しかし、髪の毛を切って頭が冷えたせいか、今は頭がちょっと痛い。というわけで、今日はこれくらいにして休もう。


そうえいばブックを使おうと思うんだけど、同じ記事で複数のブックに投稿ってできないんだね。似たようなトピックのブックに参加してしまったので、どちらに投稿するか悩んでしまう、もう少し考えよう。

覚悟を決める

今夜読んだ箇所は、使徒の働き21章。
アガボという名の預言者がパウロの着ていた服の帯をとり、自分の両手両足を縛って、「この帯の持ち主はエルサレムでユダヤ人にこうやって縛られるてしまう!」と宣言したものだから、それを聞いた信仰者たちが慌ててしまい、パウロにエルサレムに行かないでくれと嘆願するのだった。思えば最初はキリスト教徒たちを迫害することに情熱を燃やしており、使徒たちから恐怖の対象とされていたパウロが、今では彼らから愛され尊敬されるようになってしまったのだから、不思議なもんだ。


そんな彼らにパウロはこう答えている。「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」


よほどの信念を持っていない限り、こう答えることはできないのではないだろうか。エルサレムに行けば必ずやトラブルに巻き込まれるのが分かっていれば、普通の人なら行かないだろう。誰だって自分の身の安全が大事であろう。私だったら「分かりました。それならエルサレムに行くのはやめましょう」と答えるに違いない。きっと「事前に神様が知らせてくれて守って下さったに違いない」と考えてしまうことだろう。


しかし、パウロはキリストの福音のためなら、たとえ自らの命が犠牲になろうともエルサレムに行こうというのである。これが宣教者の持つべき覚悟なのであろう。神が自分にとって常に最善を考えておられるということを、心の底から信じ切っていないとこのような覚悟は持てないのではないだろうか。そう考えると、まだまだ私の信仰は未熟なものであると思う。

体力不足だよ…

今日は暖かく天気も良かったので、家族揃って八景島シーパラダイスまで歩いて行くことに。歩けない距離でもないけど、単なる散歩にしてはかなりの距離ですわい。11時に家をでて、目的地についたのは2時。もちろん、途中で寄り道をしながら歩いたわけで、実際に歩くのに要した時間はその半分くらいかな。八景島の方は工場地帯で幹線道路もあるんだけど、ちゃんと公園やら緑地帯を確保しているので、クルマが通って排気ガスをもろに浴びるようなコースはほとんど歩かずにすんだから、身重の妻のためにも子供のためにも良かったなって思う。これについては、横浜市と金沢区は立派な仕事をしていると本当に思う。


八景島への道の途中で、体力を鍛えるというか調べるための大人向けの運動器具?遊具?の置いてある公園があったのだけれど、いや、なんというか…改めて自分の体力のなさを感じた。まず、懸垂ができない。平衡感覚もぱぁ。柔軟性にも欠けまくり。これはまずい。とてもじゃないけだ33歳とは思えない。八景島まで歩くことを苦にしないだけの持久力だけはあったけど、それ以外は絶望的である。なんとかしないといけないなぁ、と思わされたのでした。

理想の生き方かな

今日は使徒の働き20章。昨日はヨハネの福音。おとといは使徒の働き19章。だけど、聖書日記をつけるだけの体力も気力も残っていなかったのでパス。で、気付いたら土曜日なんだけど、さすがに木曜に読んだ19章のことを今更書くのも何なので…


というわけで、20章の感想を記します。20章で印象に残ることは二つありますね。一つは3階から転落して死んで、パウロによって息を取り戻したという事件。もう一つは20章の後半でパウロが言った「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」という言葉。


さて、ある時パウロがメッセージを語っていると、ある青年がついつい眠りこけてしまった。パウロが長いこと話しすぎたいうから、この青年も頑張ってはいたのだろうけど、とうとう睡魔に負けてしまったらしい。何というか、この青年の気持ちが私はよく分かる。というのも、私も牧師さんがメッセージを語っているときについつい居眠りをしてしまうからだ。申し訳なく思うのだが、何といっても毎日が忙しく疲れがたまってしまうため、そのうえ日曜の朝に真面目に起きて礼拝に行くと、ぼちぼち体力の限界になってしまうのだ。ましてや、礼拝堂の室温が眠気を誘うのにちょうど良い具合で、また先生の声が穏やかなので、これだけの条件が重なって眠くならない方がすごいと思う。気付いたら終わりの祈りが始まっていたりする…。先生、スマン。神様、ごめんなさい。さて、私は落ちても、椅子から落ちるだけなので平気だが、この青年は窓際に腰掛けていたがゆえに、1階の床に真っ逆さまであったのだ。慌てて人が彼を抱き起こすと、すでにこときれていたという。ところがパウロが彼を抱くと、彼は生き返ったという。そして人々はそれを見て安心したという。特に、ここから深い意味だのモラルを感じ取れるってわけじゃないけど、ただ単純に「すごい」と思っただけである。


全然それとは脈絡のない話だけど、後半でパウロが言った言葉も印象深い。クリスチャンとして理想の生き方…というか、人生の終わりの方でこのように言えることは、うらやましい限りである。後悔のないように生きていきたい。

ヨハネの福音から

そして、金曜の夜中は例によって例のごとく、週報向けのエッセイを書くのです。

とりあえず下書きはできたので、これから見直し。何時に寝れることやら。


羊のたとえ話をした後のある日のこと、イエスが神殿の中を歩いているとき、ユダヤ人が何人かイエスのところへやってきて、こう聞いた。「あなたは本当に救い主であるキリストなのですか?もしそうであるなら、はっきりとそうおっしゃって下さい。」


おそらく彼らはイエスの話や人々が噂することを耳にしていたのだろう。しかし、どこかでイエスを信じるだけの自信がなかったのかもしれない。本当にこの人物が自分たちが待ち望んでいた救い主であるのかわからなかったのであろう。彼らは十分な知識があったには違いないが、知識だけでは確証が得られなかったのであろう。それならば、本人の口から直接そのことばを聞こうとしたのだろう。


しかし、そのような彼らにイエスは簡単な答えを与えなかった。「今までさんざん話して聞かせたではありませんか。それでも、信じなかったのはあなた方なのです。私が父なる神の御名によっておこなってきた奇跡をあなたも見聞きしたではありませんか。これ以上、何を語ればよいのですか。」


思えば、記されているだけでも、イエスは多くの奇跡を行ってきた。水を葡萄酒に変えたこともあれば、五千人もの群衆を五切れのパンと二匹の魚で、その空腹を満たしたこともあった。水の上を歩いて渡りもすれば、寝たきりの人や盲目の人を癒しもした。今の時代、これだけの奇跡を起こす人がいれば、すぐにメディアに取り上げられ、世界の知るところとなるであろう。もっとも、世界に奇跡が伝えられたところで、人々が信じるかと言えばそうでもあるまい。なぜ信じないかといえば、それは私たちの理解することの範囲を超えているからではないだろうか。人というのは、その知識で縛られるとも言えよう。ましてや、科学が進歩した現在に生きる私たちには、なおさら奇跡というのは理解することができないのではないだろう。生まれつき目の見えない人が、泥を塗られただけで目が見えるようになった、などと聞かされても「そんなことあるわけないじゃないか。目から入った光が信号となって脳に届くというのに、泥を塗っただけで切れた神経がつながるわけがない。」単純に奇跡がおこって、それが奇跡だ!と感じることのできる人は、よほど信心深い人であろう。そして、ここで書かれているユダヤ人たちも、イエスという名のガリラヤのような片田舎出身の大工の倅が神の遣わされた救い主だとは、それこそ彼らの理解の範囲を超えていたのだろう。


イエスのことを信じ切ることのできない彼らに、イエスは最後にこう言った。「私と父なる神とはひとつなのです。」


結局、イエスは彼らに自分の正体を明かしたのである。ところが、彼らがその場でひざまずき、イエスの前に平伏して礼拝するかと思いきや、石を投げつけようとしたのである。以前にも書いたように、彼らにとっての石打とは子供の石の投げ合いではなく、相手が生き埋めになるほどに投げつけると言うことで、すなわち相手を殺す意図がなければやることはないのだ。「あなたが本当に神の子、救い主なのか教えて下さい」と下手に出てきて、それに答えたら、いきなり手のひらを返した態度にでるのだから、たまったものではない。
さすがにイエスもこれには怒ったのだろう。黙ってその場を立ち去らずに、彼らにこう聞いたのである。「今まであれほどの奇跡を行ってきたのに…一体何が気に入らないというので、私を石打にしようとするのか?」
「違う。貴様のやってきたことで石打ちにしようとしているんじゃない。貴様がただの人間でありながら、自らを神としたからだ!」


「私が、父の御名によって奇跡を行っていないのであれば、私を信じないでも構わない。しかし、もしそれらのことが父の御名によるものであれば、それらの奇跡を信じなさい。これらの奇跡は、あなた方が私が誰であるかを知ることができるようにと、行われているのです。」


イエスは、そう彼らに行った後、ヨルダン川を越えてヨハネが活動していた地方にしばらく滞在していた。そして、その地方ではヨハネがかつて語ったことばの故に、イエスを信じる者が多く出たのである。