覚悟を決める
今夜読んだ箇所は、使徒の働き21章。
アガボという名の預言者がパウロの着ていた服の帯をとり、自分の両手両足を縛って、「この帯の持ち主はエルサレムでユダヤ人にこうやって縛られるてしまう!」と宣言したものだから、それを聞いた信仰者たちが慌ててしまい、パウロにエルサレムに行かないでくれと嘆願するのだった。思えば最初はキリスト教徒たちを迫害することに情熱を燃やしており、使徒たちから恐怖の対象とされていたパウロが、今では彼らから愛され尊敬されるようになってしまったのだから、不思議なもんだ。
そんな彼らにパウロはこう答えている。「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」
よほどの信念を持っていない限り、こう答えることはできないのではないだろうか。エルサレムに行けば必ずやトラブルに巻き込まれるのが分かっていれば、普通の人なら行かないだろう。誰だって自分の身の安全が大事であろう。私だったら「分かりました。それならエルサレムに行くのはやめましょう」と答えるに違いない。きっと「事前に神様が知らせてくれて守って下さったに違いない」と考えてしまうことだろう。
しかし、パウロはキリストの福音のためなら、たとえ自らの命が犠牲になろうともエルサレムに行こうというのである。これが宣教者の持つべき覚悟なのであろう。神が自分にとって常に最善を考えておられるということを、心の底から信じ切っていないとこのような覚悟は持てないのではないだろうか。そう考えると、まだまだ私の信仰は未熟なものであると思う。