理想の生き方かな | あるキリスト者のつぶやき…

理想の生き方かな

今日は使徒の働き20章。昨日はヨハネの福音。おとといは使徒の働き19章。だけど、聖書日記をつけるだけの体力も気力も残っていなかったのでパス。で、気付いたら土曜日なんだけど、さすがに木曜に読んだ19章のことを今更書くのも何なので…


というわけで、20章の感想を記します。20章で印象に残ることは二つありますね。一つは3階から転落して死んで、パウロによって息を取り戻したという事件。もう一つは20章の後半でパウロが言った「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」という言葉。


さて、ある時パウロがメッセージを語っていると、ある青年がついつい眠りこけてしまった。パウロが長いこと話しすぎたいうから、この青年も頑張ってはいたのだろうけど、とうとう睡魔に負けてしまったらしい。何というか、この青年の気持ちが私はよく分かる。というのも、私も牧師さんがメッセージを語っているときについつい居眠りをしてしまうからだ。申し訳なく思うのだが、何といっても毎日が忙しく疲れがたまってしまうため、そのうえ日曜の朝に真面目に起きて礼拝に行くと、ぼちぼち体力の限界になってしまうのだ。ましてや、礼拝堂の室温が眠気を誘うのにちょうど良い具合で、また先生の声が穏やかなので、これだけの条件が重なって眠くならない方がすごいと思う。気付いたら終わりの祈りが始まっていたりする…。先生、スマン。神様、ごめんなさい。さて、私は落ちても、椅子から落ちるだけなので平気だが、この青年は窓際に腰掛けていたがゆえに、1階の床に真っ逆さまであったのだ。慌てて人が彼を抱き起こすと、すでにこときれていたという。ところがパウロが彼を抱くと、彼は生き返ったという。そして人々はそれを見て安心したという。特に、ここから深い意味だのモラルを感じ取れるってわけじゃないけど、ただ単純に「すごい」と思っただけである。


全然それとは脈絡のない話だけど、後半でパウロが言った言葉も印象深い。クリスチャンとして理想の生き方…というか、人生の終わりの方でこのように言えることは、うらやましい限りである。後悔のないように生きていきたい。