あるキリスト者のつぶやき… -12ページ目

横浜生まれの横浜育ちであると言う事が理由かどうかは分からないが、私は海が好きである。とは言っても、元々が活動的な性質ではないから、海水浴などが好きと言うわけでもない。むしろ泳ぐのであれば、プールを選ぶ。海水はベタベタするし、目に入れば痛いし、水から上がれば砂がまとわりつくし……冷静に考えればあまり心地よいものではない。などと書いてしまうと、本当に海好きなのかと疑われてしまいそうであるが、本当なのである。海で何かをするのが好きなのではなく、海という存在が好きなのである。

何が好きかって、海を眺めるのが一番好きなのだ。今までにも色々な海を見てきた。地元横浜の海、三浦の海、葉山の海、鎌倉の海、江ノ島の海、伊豆の海、千葉の海……東京湾側と太平洋側の両方、シアトルの海もあれば、オーストラリアの海もある。カナダの海もあれば、タヒチの海もある。飛行機から眼下に広がる海を見た事もあれば、自ら操船する船から間近に見た事もある。浜辺にぼんやり座って眺めた事もあれば、桟橋の手すりに寄り掛かっって眺めた事もある。ゴミばかりの漂う海を見た事もあれば、色とりどりの魚が泳ぎ回り、海底まで澄んで見える海もあった。

どの海も好きだ。きれいだろうが、汚れていようが、白い砂浜と椰子の木の生える自然の中にあろうが、高層ビルの林立する埋立地の横にあろうが、海である事に違いはない。区別する事はあっても、差別する事はできない。

なぜこれほどまでに海に魅せられるのだろうか。やはり生命の起源は海にあるからだろうか。進化論であろうが創造論であろうが、まずは海が最初にあったことに異論はなかろう。不毛の大地から命は誕生できないだろうし、成長もできないということだろうか。人も生まれるまでは水の中にいるではないか……。

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今日は海を間近で見ることができた。海を見ると、やはり心が落ち着く。

必要なものだけ

例えば、ここにある商品があるとしよう。私が前から欲しかったものである。それほど高価なものではない。新品の定価で15000円程度だとする。ところで、それは今では製造されていないものだし、買う機会を逃すと、次に買えるのはいつになるか分からないという性質のものである。さて、ある日ふとネットのオークションを眺めていたら、まったく同じものが10000円で売っていたのを見つけたとしよう。大手メーカーの製造したものであり、なおかつ機械的なものではないので、たとえオークションで購入したとしても、不良品である可能性は100%ないと言ってもいい。さらに時間の経過に従って劣化するようなものでもない。おまけに出品されている商品は、まだ包装が解かれていないものである。普通に考えれば、こちらを買った方が得であることは疑う余地もない。むしろ好条件がここまで揃っているのに買わない方がどうかしてる……などとも思ってしまうのだ。

しかし、問題がひとつ。それが必要なものではないということだ。それが無くても困ることは何一つない。とは言っても、それがあったところで何かが劇的に変わるというものでもない。要するに自己の欲求を満たすだけなのである。もっとも、一時的に私を満足させるだけではなく、おそらく今後数年に渡ってそれを眺めれば自分を納得させることはできるだろう。それを考えると今後数年自分を幸せにさせる要素をひとつ追加するのに、10000円かかるということだ。考えてみれば安い投資にも思える。

どうも最近不景気なものだから、不要なものは買わないでおこうと思っているのだが、これは我慢すべきだろうか。それとも、勢いに任せて買ってしまうべきだろうか。うーむ、なかなか悩ましい。我慢ばかりするのも精神衛生上よろしくないような気もしなくもないのだが……やはりそれは言い訳のひとつでしかないようにも思われる。

しかしあれだ、冷静に考えてみると、そんなものよりもDVDレコーダーをどうにかしないといけないという現実がある。こちらの方が需要は高いし家族全員が使える物だ。まずはDVDレコーダーを先に購入すべきか。

何だかんだ言っても、本当に必要なものだけを買って満足できるほど強い意志があれば、こんなことでは悩まないんだろうなぁ。でも、それだと人生がクソつまらないものになってしまうだろう。やっぱ欲はある方が良い。

まただ

あぁ、まただ……。何かを書こうと思っていたのだけれども、その肝心の「何か」を思い出すことができないでいる。それを思いついたのが、果たして昨日のことだったのか、それとも今日のことだったのか、ということさえも定かではない。可能性としては昨日かもしれない。なんせ昨日は記事を書く時間的余裕がなかったからね。昨日思いついたことを書くことができなかったから、もしかしたらその時に「まぁ、明日でもいいか」と考えたのかも知れない。でも「明日でもいいか」の「明日」になったらすっかり忘れてしまったと。

もともと記憶力が優れているほうでもないし、どちらかと言えば、うっかりすることが多い私であるが、この忘れっぽいのはどうにかならないのだろうか。昔っからのことなので、年齢に伴うものではないと思うのだが、いずれにせよ、困ったものである。

分かってはいるんだけれども、まずは何かやること、やるべきことを思いついたら、間をおかずにすぐに行動に移すことかもしれない。これをしてからとか、あれをしてからとか考えていると、ついつい忘れてしまうことがあるだろう。

とは言っても、あれやこれやと事情があって、すぐに思いついたことをすることができない場合があるというのが、現実であろう。では、どうしたらいいか。それは思いついたことをメモしておくことだろう。何かに記録しておけば、後から見直すことができるし、何より「書く」「記録する」という行為が記憶力を高めることにつながるだろう。

でも一番の問題はね、「メモしておかなきゃ」ということを忘れてしまうということさ。妙な自信があるのか、それともタダ単に鈍いだけなのか、何かを思いつくと「まぁ、大丈夫だろう」と思ってしまうのが、何とも情けない。

牛角行ってたら

おっと、今日は記事を書く余裕がなさそうだ!

と言うわけで、また明日!

レクサス+ハイブリッド

個人的には、レクサスが好きじゃないし、ハイブリッド車も好きじゃない。

レクサスなんてトヨタの高級ブランドじゃないか。ふつうにトヨタ一本で通せばいいのに、なんでレクサスなんてできてしまったんだよぅ。ブランド名ばかりが先行しているような気がして、どうにも……受け入れがたい。もちろん、レクサスとして販売される車両にはそれなりの付加価値があるんだろうけど、そんなことする余裕があるんだったらトヨタブランドのラインアップを増やして欲しいところだ。とは言っても、すぐに買えるわけじゃないんだろうけどね。でも、選択の余地があるっていいことじゃん。

まぁ、私のハイブリッド車キライは今さら言うまでもないだろう。もちろんハイブリッド車には何の責任もない。私個人の好き嫌いの問題であるからして、そういうものだと割り切るしかない。この世界からガソリンが駆逐されるとか、ガソリン価格がリッターあたり1000円を超すとかいうのでない限りは、おそらく私はハイブリッド車には乗らないだろうと思う。

なーんて、思っていたわけだが、先日レクサスから発表されたCT200h、これがレクサスなのに、ハイブリッドなのに、なかなか格好よかったりするのだ。もちろん、外観がスマートに見えっていうだけなんだけどね。んー、雰囲気が私が今乗っているカルディナに似ているような気がしなくもないけどね。だからこそ余計にスマートに見えるのかもしれない。しかしこれだけの外観を持っていながら、中身はハイブリッドとか……惜しい、実に惜しい。せめてIS250と同じエンジンをもったガソリン車だったらなぁ、と思ってしまう。いやいや、そんな贅沢は言わない。カルディナと同じ1AZ-FSEでも構わない。

なーんて、ことを考えていたら、あれか。カルディナがCT200hと似た雰囲気のデザインで復活してくれればいいんだよな。スバルのレガシーは今でも継続しているのに、なんでカルディナは終了しちゃったんだろうか。やっぱ人気無かったのかなぁ。私個人としては結構気に入ってるんだけれども。予算も無いことだし、大事に乗ろうっと。