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ユリノキ-家族はじめます!-

家族の笑えるエピソードを奇天烈な文章で綴る、おバカイラストエッセイ!
みんな笑って幸せになりますように!

とある夜、息子と「いっせーの!」またの名を「指スマ」(SMAP ✕SMAPより)で知られるゲームをしようと言う話になった。

 

いつも遊んでいる「指」スマは、少々飽きていたので、私がある提案をした。

 

「そうだ!足スマやろうぜ!!」

 

「足スマ?」

 

「そう。足を上げて遊ぶの。」

 

ただ、足を親指に見立てて上げる、シンプルかつアクロバティックなゲームだ。

 

「足スマ2~!!」

 

「足スマ1~!!」

 

11歳の息子ともうすぐ38歳の母親の、謎めいたデュエット足さばき

 

陸上シンクロナイズスイミングと化している。

 

「あ~楽しかった!!ママ、次は、股間スマやろう!」

 

「無理。はるしかできないだろ。」

 

下ネタ以外の何者でもない

 

例え、参加できない女の私を置いておいて、父息子で遊んでも、ただの変態家族になるだろう。

 

股間スマは夜の闇へと葬り去られるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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英会話教室1年と7ヶ月勤めた後、なおたんとの結婚を機に退職

 

結婚後、大学の教育学部で、3ヶ月契約の事務仕事をするも、すぐに妊娠し、ちょうど3ヶ月満期で辞め、妊娠生活を満喫する。

 

産後、自律神経が乱れたのをきっかけに、息子が1歳になってから、月~金までの5日間、10:30~15:30まで、小学校の図書館司書の仕事を始めた。

 

図書館での主な仕事は、本の整理、児童の図書カード作り、読書啓発のポスター作り、図書館の装飾、蔵書点検などであった。

 

企画するのが大好きな私は、古くさい飾りを新しいカラフルポップな飾りに総入れ替えしたり、おすすめ本みくじ読み聞かせ札などを作り、図書館を盛り上げた。

 

1年目に、フルスロットルで企画し、図書館を一新させたので、2年目からいつもの作業以外企画することがほぼなくなり、空いた時間には図書館の本を読み呆けていた。

 

気づけば、乱れていた自律神経も整っていた。

 

校長からはこの先もお願いしたいと言われたものの・・・

 

息子が保育園を転園することになり、勤務校までの距離の関係で、やむをえず辞めることになった。

 

そんな時、教頭から声をかけられた。

 

「確か、ゆりじさん英語話せたよね?もし良かったら、来年度から小学校英語指導助手の枠ができるんだけど、週1回からでもいいから、やってみない?」

 

こうして、小学校での勤務に首の皮一枚つながり、約3年ぶりに、英会話の仕事に舞い戻ることになったのである。

 

 

 

 

 

 

 

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最近、RADWIMPSにハマっている。

 

 

私が好きな曲は、スパークル、なんでもないや、カナタハルカ、うるうびとである。

 

「うるうびと」という曲の良さを家族に伝えようと決めた。

 

「聞いて!!めちゃくちゃ良い歌詞があってさ!」

「・・・。」

 

息子興味がなさそうではあったが、話を続けた。

 

「『今や人類はこの地球を飛び出し火星を目指す。なのに僕は20cm先のきみの方が遠い・・・』ねぇ、素晴らしくない?この歌詞!!」

 

「え・・・なんで20cm先のきみの方が遠いの・・・?」

 

「はい?」

 

どう考えても火星より近いよね。

 

「いや、物理的な距離の話じゃなくて・・・。」

 

全く響いていない。

 

「・・・あと、『あといくつ心臓があれば ぼくはきみの手を掴んで この胸の中にさらえるだろう』ってところ!!最高すぎん?」

 

「あといくつ心臓があるって・・・心臓は1つしかないんだから、何を言ってるの。」

 

「そういうことじゃないんだよ・・・!!心臓っていうのは勇気とか気持ちの強さみたいなものを表わしているの、ね、分かるよね、なおたん?

 

「...わかんない。」

 

 

我が家の理系男たちを前にして、RADWIMPSの歌詞は宇宙のはるか彼方へと散っていくのだった。

 

 

 

 

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有言実行ということで、営業職をきっかり1年で辞め、英会話教室の児童英会話講師として正社員になる。

 

 

担当した教室は、38名の生徒が在籍していた。

 

午前中は、教材作り研修、他教室担当の先生たちとの情報交換、曜日によるが、午後三時~八時くらいまでがレッスンタイムであった。

 

わんぱく小学五年生コンビ、情緒不安定な六年生とのマンツーマンレッスン、おませなガールズ幼稚園児クラス、他にも個性豊かな生徒たちとの日々。

 

わんぱく小学五年生たちのエネルギーがありあまっているので、ある日、とあるアクティビティを思いついた。

 

「そうだ!ただ英単語リピートするだけじゃつまんないから、ボクシングさせよう!!」

 

「OK、climb, take a walk!!」

 

「climb, take a walk!!」

 

私は、英単語カードをミット代りにし、生徒にカード目がけて単語を言いながらパンチさせていた。

 

それを先輩に話したら・・・

 

「ギャハハハハ!!そんなことしてる先生いないよ!!!」

 

なんと、大ウケ。

 

私は大まじめにゲームやら活動やらを考えていたのだが、規格外だったらしい。

 

確かに、これでは英会話教室なのか、ボクシングジムなのか分からないではないか。

 

しかし、独創的な私のレッスンは続き、半年後、38名の教室が65名にふくれあがっていた。

 

1人で65名を抱え、私のエネルギー消費量は激しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

次回、ゆりじお仕事ヒストリア⑥へ続く・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数々の出版社を受けたが、ことごとく落ちる日々。

福音館書店の最後40人までは残ったが、三次試験あたりで落ちた。)

大学時代のアルバイト先の出版社も落ちるという、失敗続き。

 

いわゆる就活失敗組となり、とりあえず幼児教育関係の営業に就くことになった。

 

営業は、まったく興味がなかったのだが、もはや生きるためには仕方がないと腹をくくった。

 

嫌々1年目がスタートし、周りの先輩に助けられながら、営業職の日々を過ごした。

 

とある営業コンテストが行われる季節、一緒のエリアを担当した先輩から提案が。

 

「伊藤さん(旧姓)、英語できるから、ブースで子どもたちと英語の先生役として、遊んでくれない?売り上げは山分けにするから。」

 

「・・・はい。」

 

営業トークは先輩が全て担当する代わりに、私は道化役に徹した。

 

この作戦が見事ヒットし、今までにない売り上げをたたき出した。

 

私は、営業コンテストの新人賞まで獲得するに至った。

 

全ては先輩のおかげである。

 

保護者の方々から、私が教室の先生だと勘違いされ、期待されたのをきっかけに、少しずつ英語の先生になる道を考え始めた。

 

そして1年後、英会話教室の先生に転身するのだった。

 

 

 

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