僕について のなかで

加筆してシェアしていますが、

 

加筆した想いに

 

さらに加筆して

 

この想いをシェアしようと思う。

 

 

 
 

幼年期に通園していた

キリスト教3年保育の影響もありますが

 

イエスさまがだいすきで

 

聖書を

 

自分のライフスタイルのひとつに

再度、受け入れながら

日々の生活を営んでいます。

 

 

ニューエイジや

日本でフィーチャリングされている

いわゆるスピリチャルに

浸かっていた時期は

 

聖書によるイエス・キリストを

否定する側にまわっていました。

 

 

いまとなれば

恥ずかしい行為ですが

 

聖書をじっくりと読んで

理解するということもなく

 

また

 

参照にすることもなく

 

ニューエイジで

ピックアップされている

 

ある書物の内の

偽預言者、偽キリストを

 

真のイエス・キリストだと

 

疑いもなく

信じ切っていた

 

そんな時期がありました。

 

 

 

その当時、

 

偽預言者・偽キリストによる

その書物のなかの

 

1年間に渡る

デイリワークというものを

実際に行いながら

 

 

その一方で、

 

 

偽預言者・偽キリストによる

その書物と

 

聖書は

 

なにが違うのだろうと。

 

 

そのことに関心が向き、

聖書を再び読み始めました。

 

 

そして、

 

 

聖書と

その書物とを

比較しながら

 

 

その書物は

 

デイモン、サタン

低級霊とも呼ばれている

 

偽預言者、偽キリストによる

書物、フェイクだと

わかりました。

 

 

 

新約聖書の部分だけ読んでも

そのことがわかると

僕は 思っています。

 

 

現在もまだ

 

その書物に

惑わされているひとたちに

伝えられることは

 

新約聖書内の

奇跡をおこなう際の

イエスさまの行動を

よく読んでみて 😊

 

 

聖書に触れることを

恐がらないで。

 

 

胸に、刺さる。

 

 

 

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このことは

 

ニューエイジや

日本でフィーチャリングされているスピ系や

New Thought に

 

惑わされているひとたちにも

通じる部分があるなと

 

僕は思っている。

 

 

彼ら彼女たち

 

ニューエイジや

日本でフィーチャリングされているスピ系や

New Thoghtに走るひとたちは

 

虐待サバイバーか

すごくセンシティブな気質のひとたちが多く

 

普段から生きていること自体が

不安定な状態のひとたちが

多いような印象を受ける。

 

 

 

ニューエイジやスピ系

New Thought

というよりかは

 

心療内科を受診された方が

いいケースも

 

ないとは

いえないのではない

だろうか

 

そんなことを

思ったりもしている。

 

 

また、

 

 

心療内科等を受診する症状

ではないけれども

 

心の不安定さから

 

なにかしらの心の隙間の部分を

埋めるかのように

 

 

そして

 

 

深く傷ついてきた分

 

そのような惑わしものに

突っ走っていくのも

 

僕は理解はする。

 

 

 

実際に僕もこの道に入る前は

 

いろんなものに

手を出してきたから。

 

 

 

そして

 

 

悪循環のさらなる悪循環を

繰り返しながらも

 

そこから抜け出せなくなっている

 

 

いわゆる

 

マインドコントロールされているような

そのような状態のひと

 

けっこうみかける。

 

 


僕のところに来られる方たちのなかにも

上で挙げてきたような

同じようなパターンを繰り返し

 

結局惑わされていたと

 

府に落とし込めるようになり

 

状況を理解することが

できるようになったひと、

多い。

 

 

 

目が覚めるというか。

 

 

そして

 

地に足をつけた生活を

送っていく

 

高揚感だけを求め続けるような

 

ハイの状態だけが幸せなんだと

錯覚されずに

惑わされずに

 

そのようなことが

できるようになっていくひと、

多い。

 

 

 

ロックスターやポップスターのような

存在としてみなし

 

そのような場を作ろうとする

ひとのなかには

 

受動攻撃のようなスタイルで

 

惑わされている状態のひとを

さらに惑わしの状態のなかへと

引きづり込んでいく。

 

 

そのような行為をしているひと

ちらほらみかける。

 

 

言葉のトリックが巧みであるが

 

欠けている部分があり

 

そのようなひとが

提供しているメソッド?には、

 

そのようなひとが

話している言葉のなかには、

 

他者の存在が、

抜けていることだ。

 

 

 

自分だけ、だ。

 

 

自分だけ、というフレーズが

使われてはいないところが

 

惑わされやすい状態を

作り上げている。

 

 

深く傷ついてきたひとたちにとっては

斬新で魅力的なところなんだと

 

いまの僕はそう観ている。

 

 

 

僕も以前そのようなひとたちと

関わっていたが

 

現在は関わっていない。

 

 

いま振り返って

アナライズしていくと

 

僕自身、心の不安定さから

惑わされていたなと

 

そう観ている。

 

 

 

そのような場を

作ろうとするひとたち

 

彼ら彼女たちも

 

深く傷ついている状態が

続いている。

 

 

そのことは理解している。

 

 

彼ら彼女たちが

健全な状態に戻れるよう

願っている。

 

 

 

いまから使用する言葉には

おどろおどろしさが

あるかもだけれども

 

霊的な影響というものは

ある。

 

 

ないよと伝えたいけれども、

ある。

 

 

いまから伝えることは

ユタの立場から

伝えている。

 

 

真っ向から否定したいひとたちは

 

読まない方がいいかと思う。

 

 

仮に読んで否定したとしても

僕からはリアクションはしない。

 

 

話しを戻します。

 

 

霊障について。

 

 

霊的な影響から、

心身共に不安定になりやすい

いわゆる霊媒体質のひともいる。

 

 

 

先祖は呪ったりしない。

 

 

この世に対する未練、

 

先祖代々、

整理しなければならなかった

取り組んでこなかった

事柄などに関して

 

 

また

 

 

生前、

 

物質的な事柄だけに執着したために

 

 

ここ沖縄のケースだと

 

位牌やお墓を

ぐちゃぐちゃな状態になるまで

放置し続けたり

 

 

資産維持の為に

養子×養子で

受け継いできた家系や

 

 

血筋はこの家系であるが

 

いわゆる、めかけ的な存在のひとに

子どもを産ませたあとに

 

そのひとたちを邪険に扱い

 

そのひとたちが他界した後も

 

彼ら彼女たちの位牌やお墓も

放置し続けたり

 

 

また、

 

御嶽を継承しなければならない

一族にも関わらず、

 

上で挙げたことと同様に

 

ぐちゃぐちゃな状態になるまで

放置し続けたり等

 

そのようなケースの場合、

 

いわゆる整理整頓を求められて

 

霊障という症状で

現れるケースは多い。

 

 

 

自分自身が

 

逆の立場になったらどうだろうか。

 

 

ないがしろにされながら生き続けて

邪険にされながらも生き続けて

 

自分が他界した後、

 

自分の存在をも

 

さらなる

 

ないがしろにされたりでもしたら

 

どうだろうか。

 

 

 

たとえ他界したとしても

 

肉体が終わったとしても

 

肉体から離れても

 

霊魂は存在し続ける。

 

 

 

よくあるケースなのだが

 

敬意をあらわすことなく

 

都合のいいときだけ

 

ご先祖さま~たすけてくださ~いと

言われたらどうだろうか。

 

 

 

このようなことを

 

現実のこの世界で

 

同じようなことを

 

誰かからされたら

 

どうだろうか。

 

 

 

この世界で

生きている者同士

 

そのことに置き換えて

考えてみるといいと思う。

 

 

このようなことをするひと、

 

物質信仰だけに

捕らわれているひとをはじめ

 

上で挙げた

 

ニューエイジや

日本でフィーチャリングされている

スピ系のひとたちにも

みかけたりする。

 

 

 

また

 

残念ながら

 

自分はクリスチャンですと

言っているひとたちのなかにも

みかけたりする。

 

 

 

父や母を敬え。

 

聖書ではそう伝えている。

 

 

 

先祖たちは、父や母たちである。

 

 

偶像礼拝、偶像崇拝にはあたらない。

 

 

先祖たちをないがしろにして

 

自分はクリスチャンですと

言い放したりする

 

そのような想い

そのような行為が

 

偶像礼拝、偶像崇拝だと

 

僕はそうみてるし

そう捉えている。

 

 

 

しっかりと解釈していくこと。

 

 

大切だと、僕は思っている。

 

 

 

そのことを

 

思い出していくといいと思う。

 

 

 

もう一度言う。

 

 

先祖は呪ったりはしない。

 

 

強い想いからのメッセージ、

 

それが霊障という症状で

訴えることはある。

 

 

 

では、呪いはあるのか。

 

 

ものすごい酷いことをされたり

恨んだままの状態で

あの世に行ったとする。

 

 

そのような想いを、

引きづることはある。

 

 

それが

 

なにかしらの

霊障といわれていることを

ひきこすことは

 

たしかに、ある。

 

 

 

が。

 

 

それも

 

背後にある想いを理解していくことで

呪いという表現まではしなくても

 

強い想いがあったんだなと

 

 

知って理解していくことは

出来るようになると

 

 

僕は思っている。

 

 

 

それが

 

慈悲でもあり

慈愛でもあると

 

僕は思っている。

 

 

 

霊的アプローチと こころの問題・課題からのアプローチ

 

 

 

 

 

僕はユタの道に

進まされましたが

 

現在も、

 

イエスさまはだいすきで

 

教会等には通ってはいませんが

 

国内外問わず、

 

賛同する牧師さんのYoutube動画の

話しを参照にさせて頂きながら

 

聖書を勉強しています。

 

 

 

こころ おだやかに

 

 

 

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そして

 

 

僕のところに来られる方たちのなかで

上でも挙げたような状態のひとたちには

 

健全なものに触れていくこと

健全なところに行くことを

勧めている。

 

 

デイモンやサタン、

低級霊などによる

 

ニューエイジや

日本でフィーチャリングされているスピ系、

New Thought なのではなく、

 

 

相性があい、信頼できる

お寺や教会などに訪れる等

 

お釈迦さまやイエスさまが

伝えてくれたことに

触れていくことを

 

 

そのことを

僕は、勧めている。

 

 

 

なにかしらの参考になれば

いいなと思っています。

 

 

 

必要とされる方に、とどきますように。

 

 

 

追加です。

 

 

お寺に携わっている方たちのなかには

僕のようなユタの存在を

真っ向から否定するひともいる。

 

 

僕がさせて頂いている事柄を

否定することは

 

自身が伝えている

あの世の世界、

 

霊魂の存在をも

否定することではないだろうか。

 

 

僕はそうみて、

そう捉えている。

 

 

このことに関しては

また別の機会に

綴ろうと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕について

 

僕の人生のあらすじを、

綴っています。

 

 

月光

 

僕について、では

綴ることが出来なかった想いを

綴っています。

 

 

ユタとして生きる

 

ユタとしての立場からの想いを

綴っています。

 

 

僕がさせて頂いている仕事について

 

僕が取り組ませて頂いている

仕事について、綴っています。

 

 

 

 

性的虐待、レイプに関して

引き続き取り組んでいます。

 

上でリンク先を記載している

月光 を含めた投稿を

 

2022年10月31日の時点まで

ひとつにまとめています。

 

 

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聖書のなかに

すきな言葉があります。

 

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主よ、あなたはわたしを究め

わたしを知っておられる。

 

座るのも立つのも知り

遠くから私の計らいを

悟っておられる。

 

歩くのも伏すのも見分け

私の道にことごとく

通じておられる。

 

わたしの舌がまだ

ひと言も語らぬさきに

 

主よ、あなたは

すべてを知っておられる。

 

前からも後ろからも

わたしを囲み

 

御手を

わたしの上に

置いてくださる。

 

その驚くべき知識は

わたしを超え

 

あまりにも高くて

到達できない。

 

 

詩編139

 

 

 

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