化粧しているのか

化粧するな

色気づくな

オカマ

気持ち悪い

恥ずかしくないのか

いい加減オカマやめたら 等

 

子供の頃から

そう言われてきた。

 

ちなみに

 

子供の頃一回だけ

いたずらで

 

オカンの化粧台にあった

クリームを用いて

 

兄弟たちで

べたべたぬりごっこして

遊んだことがあるが

 

オカンに

めっちゃ怒られた。

 

確か4歳の頃。

 

それ以来

女性用の化粧品なんて

一度も触ったことはない。

 

化粧顔である。

 

48歳になったいまでも

言われたりする。

 

 

小学校3年生と4年生の頃

その当時の担任から

また数人の教師から

理解できないことを

頻繁にされた。

 

特にふたりの担任からは

 

強く激しい言葉を

吐かれることをはじめ

 

服をつかまれて

突き飛ばされたり

 

いきなり背後から

蹴られたり

 

いきなり

頭を叩かれたり

 

バケツに

水いっぱいに

ためられて

顔を突っ込められたり

 

小学校4年生の担任からは

 

そのひとの主導のもと

 

クラスメイトの数人に囲まれて

蹴られたり

 

数名のクラスメイトに

身体をつかまれて

 

無理やりに皆の前で

ズボンと下着を降ろされて

 

デリケートな部分を

みせられたり

 

集団無視を指示をして

ひとりの勇気がある

クラスメイト以外からは

全員から無視されたり

 

その担任本人から

頭を壁に叩き続けられて

気絶させられたり

 

性的虐待を含め

ここでは綴るのを

躊躇してしまう

事柄もされたりと

 

それらすべてが

その担任の主導のもと

 

また

 

その担任から直接された事

だったこともあり

 

頭がひどく混乱した。

 

なにが起きているのか

理解も把握も出来なかった。

 

 

ちなみに

 

僕の目と目と間の

縦に傷があるのは

その当時のものである。

 

また左耳が

聞こえずらいのも

 

その部分を

強く叩かれ続けた

影響でもある。

 

 

のちに

それらの行為が

 

暴力

虐待

そして

教師による生徒いじめと

発覚し

 

教育員会の方たちを交えての

話し合いや

警察沙汰にもなった。

 

 

その当時の

ふたりの担任のうち

 

ひとりは転勤後の違う小学校で

不祥事を起こし、

教職の仕事を離れた。

 

もうひとりの方も

べつのクラスを受け持った際に

僕とはちがう生徒に対し

同様のことをしてしまい

 

それがきっかけで

僕のことが

明るみにでたんだよね。

 

そのひとも、

この事件の発覚のあと

教職の仕事を離れた。

 

 

リアルタイムで行われていた

それらの出来事から二年後、

 

僕が中学に入ってすぐに

そのような騒動が起きた。

 

事件として扱われた。

 

 

その当時の同級生は

あの事件かという感じで

知っているひと、多いと思う。

 

 

新聞にも取り上げられて

その当時の新聞記者にも

追っかけられたりしたしね。

 

 

警察の方たちをはじめ

教育員会の方たち

その当時の学校関係の

いろんな方たちが

 

僕たちは

君を守ろうとしているんだよ

と伝えられたが

 

その当時の僕は

心に支障をきたしていた

と思う。

 

 

解離もしていたと

今は思う。

 

 

一部の記憶も

あいまいだったこともあり

 

また

 

自分がそのような

出来事、事件に

関わってしまったことが

 

恥ずかしいことだ

惨めなことだと

 

そっちの想いの方が

勝ってしまい

 

彼らのサポートにも

一切

心を閉ざした。

 

 

信じる、信頼するということが

出来なかったんだよね。

 

 

その頃の僕には、重すぎた。

 

 

また

 

そういったことをされたんだと

あかるみになってしまったことで

 

たくさんのひとたちから

偏見の目でみられたりしたことに

 

罪悪感や罪責感で

いっぱいになってしまった。

 

彼(僕)には

 

近づかない方がいい

関わらない方がいい

 

というような

 

そんな空気感が

漂っていた。

 

 

そんななかでも

 

教育員会の男性の職員の方が

頻繁に僕に会いにきてくれた。

 

 

君の貴重な時間を

大切な時期を

守ってあげられずに

すまなかったと

 

大人の彼が

当時13歳の子供の

僕の前で

泣いていたことに

すごく動揺した。

 

 

その頃の僕は

自分が悪いからだと

そう思ってしまった。

 

 

それから

 

中学を卒業まで

頻繁に気にかけてもらった。

 

中学の卒業式にも

来てくださった。

 

卒業後しばらくして

今後の進路のことなども

気にかけてくださったのだろう

連絡をくださった。

 

 

優しい方だった。

 

 

彼の泣いた姿が

今も脳裏に

やきついている。

 

 

あれから

いろんなことたちが、あった。

 

 

どんなにか

やけになっても

いわゆる脇道にそれずに

ここまで生きてこられたのは

 

彼の誠心誠意のあの姿が

深い部分で根付いていたから

 

僕の心のなかの深い場所で

彼と共に

生きていたからだと思う。

 

 

1年10ヶ月前あたりから

それらの出来事が

フラッシュバックをしてね。

 

正直苦しかった。

 

PTSDである。

 

 

何度もその事件について

想いを綴ろうと

思いながらも

 

綴っている途中で

吐き気がして、やめた。

 

そして、現在まで至った。

 

 

激しい感情も湧き上がって

気が変になるかと

思ったりもしたが

 

その当時の担任という

立場にあった方たちが

 

更生していることを

今は願っている。

 

 

憎んでも恨んでも

もう仕方ないからだ。

 

それよりも

違う想いの選択を

僕はしていきたい。

 

 

そのような想いに

たどり着けたのも

 

親身になって

僕を気に留めたくれた

 

あの方の想いが

僕を包んでくれていたからだと

今は強く思う。

 

本当に本当に

感謝の想いでいっぱいだ。

 

 

いまも健在であるならば

その方にお会いしたい。

 

会ってお礼を伝えたい。

 

何十年と時間がかかったが

 

もし可能であれば

お会いできたらなと

いまの僕は思っている。

 

 

あなたのおかげで

自ら命をすてることもなく

生き続けることができています。

本当にありがとうございますと。

 

 

やっと、ここまで、綴れた。

 

ここまで

綴れたということは

 

僕のなかで

 

その当時の事柄が

光に還っていこうと

しているからだろう。

 

そう思っている。

 

よかった。

 

ありがとう。

 

 

デリケートな内容だったけれども

最後まで読んでくれた方

どうもありがとうね 🙂🙏

 

 

 

 

 

 

 

 

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主よ、あなたはわたしを究め

わたしを知っておられる。

 

座るのも立つのも知り

遠くから私の計らいを

悟っておられる。

 

歩くのも伏すのも見分け

私の道にことごとく

通じておられる。

 

わたしの舌がまだ

ひと言も語らぬさきに

 

主よ、あなたは

すべてを知っておられる。

 

前からも後ろからも

わたしを囲み

 

御手を

わたしの上に

置いてくださる。

 

その驚くべき知識は

わたしを超え

 

あまりにも高くて

到達できない。

 

 

詩編139

 

 

 

The photo from Pinterset