書けない理由③ | 可能性の数だけヒカリがあるライフサルベージ

 

 

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【伝えるということ  

【書けない理由  

 

 

 

前回は、

ブログを書こうとして書けなかった二つの理由のうちの一つ、

 

 

 

記事のテーマにしようと思ったことに対して、

「面白い/面白くない」「カッコイイ/よくない」程度の単語の感想しかなくて、

 

 

本当にそれだけしかないのか、

それ以上のものがあるけど、それを言葉にできていないだけなのか。

 

掘り下げて、どうすればできるのか考えていなかった。

『ない、できない』で思考停止していたことについて書きました。

 

 

 

面白いとかそうでないとかって、

 

自分の中で基準があってそれと比較して出したものだから、そこには『なぜ』があるはずなんですよね。

 

 

 

 

 

 

そして今回は、

書けなかった二つ目の理由について。

 

 

 

 

一つ目の理由と同じくらい自分の中で大きかったのが、

 

 

 

『(本の)内容を正しく伝えなければならない』

 

 

 

ということでした。

 

 

自分の感想は作品を読んで感じたもの。だからまず、内容に関して間違いのない情報を伝えなければいけない。

 

私の感想だけでは作品の素晴らしさが伝わらないどころか、

自分の勘違いから出た感想だったら、本当は面白いのにそうでないと伝わってしまうのではないか。

 

 

好きになってもらえるかもしれないのに、台無しにしてしまうんじゃないか。

 

 

 

好きだから記事にしたいなと思うわけで、その先には好きになってくれたいいなあという想いはあるけれど、

 

 

その一方で、

自分なんかが感想を書いてもいいのだろうか、上手く書けるだろうかと、とても恐ろしく感じていたんです。

 

 

振り返ってみて自身の自意識過剰ぶりに笑ってしまうのですが、

当時は本当に怖くて、でも自分の日常を書くこともできなくて、

それならブログを書くのを止めればいいのだけど、それは選択肢としてなかったので、とても悩みましたね。

 

 

 

本を何度も読み返して間違いがないかチェックして、ブログを書くよりも確認作業に時間がかかってしまって、

内容を伝えることばかり考えて、あらすじばかり書いていたり。

  

 

 

ところがそんなある日、

 

 

「もし自分が著者で、自分の作品を「好きだから」とブログで紹介されて嫌だと思う?」

 

 

ある人に、書けないと相談したらそう言われて、ハッとしました。

自分が一生懸命書いたものに対して好きだと言ってもらえたら、とても嬉しくて、嫌なんて思いませんよね?

 

 

そして、

相手だったらどう思うか、置き換えてみよう。

自分が他の人の記事を読む時はどうなんだろうと考えてみたら、

 

 

この人はこんなふうに思ったんだな。

楽しそうな雰囲気が伝わってくれば、その気持ちを味わいたいと感じて読みたくなって、

 

 

正確性ではなく、その作品に対する書き手の想い、エネルギーに触れたい。

 

 

 

自分が読む時と書く時では全く別の見方をしていることに気づいたんですね。

 

 

 

本の著者の立場=ブログを書いている自分=書き手

本を読む自分=読者=(自分のブログを読む)誰か。

 

 

置き換えて考えれば、どちらも体験済みのことなのに、

その時の『自分』だけの視点でしか考えられずに、随分と迷走してしまいました。

 

 

 

 

 

 

そしてこれは、

ブログを書く時だけではなく、あらゆる状況で役立ちます。

 

 

グルグルと行き詰まってしまった時、悩んでいる自分の視点から離れて、

 

 

悩んでいない自分がこの状況をみたら、どう思うだろうか。

あの人だったらどうか。

 

 

 

問題が大きいと冷静には考えるのは難しいので、

そのためにも普段の生活で少しずつ訓練してできるようにしていきたいですね。

 

 

 

 

 

お読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

にゃまげ。