- 傷つくならば、それは「愛」ではない/チャック・スペザーノ
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こんにちは、リブラです。
今回は「傷つくならば~」の174日目のお話です。
【罪悪感を味わうのは、人やものを理由にあなたが前へ
進まないようにしているだけ】
「罪悪感が存在する目的は、前に進んだら感じてしまうかもしれ
ないという怖れを、感じずにすむように自分を守ることです。
このことに気づいたら、罪悪感を感じた状況をもう一度見直して、
人生で前に進む選択をすることができます」
とチャックはいっています。
「罪悪感」は度々チャックの本に登場してくるテーマです。
それだけわたしたちの心の問題として、注意が必要なのだと思います。
「罪悪感」がどういうものなのか、そのメカニズムを以前のブログに書き
ましたのでよろしかったら、ご一読ください。
http://ameblo.jp/libra-library/entry-11747766671.html
≪罪悪感はあなたの力を抑えてしまう≫
罪悪感がのしかかってしかたがないときは、それとは全く違うところに
原因があったりします。
とくに、ふだんは気にならないようなことに「罪悪感」を感じる場合は、
明らかに、前に進ませないためのエゴの戦略です。
「罪悪感」はエゴがわたしたちを枠から出さないようにするための強力
な支配力のあるツールです。
「罪悪感」は自分に対する自分自身への攻撃なので、それをしたから
といって何の進歩も得られません。
無期限に裁かれ続け、ただ苦しいだけです。
目的は、エゴの支配領域から外にわたしたちを出さないためなのです。
ですから、新しいことを始めようとしたり、大きな夢にチャレンジしよう
というときは、必ずといっていいほど出てくる感情です。
「わたしだけこんなことしていいのだろうか」とか、
「失敗したら大切な人を心配させることになる」とか、
表われかたや理由は様々ですが、共通しているのは「前に進むこと」
を阻止する目的で起きている感情だということです。
人は「罪悪感」を感じると、それを振り切る決意をするまで立ち止まって
しまいます。
「罪悪感」を感じて立ち止まっても、だれも幸せになれないのです。
「罪悪感」のなかで停滞しているよりは、「ゆるしてください」とあやまる
べき人にいってしまったほうが、良い結果に導かれます。
「罪悪感」のなかで停滞しているよりは、破ってしまった古いルールの
見直しをしたほうが、発展的です。
「罪悪感」を感じたときは、自分自身が成長に向かおうと一歩踏み出し
たところなのだと思ってください。
だから、エゴが前に進ませたくなくて「罪悪感」という足枷をつけたのだ
と気づいてください。
「罪悪感」という足枷は、あなたが自らの決意で外そうと思えば、簡単
に振り切れます。
でも、前に進む怖れの隠れ蓑に「罪悪感」に浸っていると、罪悪感に
力を奪われて前に進む気力も失せてしまいます。
それがエゴの戦略なのです。
別な視点で見れば、エゴが向かわせたくない「本来の自己に戻る道」
への選択をしているのだとわかります。
エゴは「この世に奇跡なんかまったく起こらない、物質世界の法則に
則って予測可能な安全な道を選べ」と、罪悪感を武器に迫ります。
しかし、「本来の自己に戻る道」、進化・成長に向かう道は、その罪
悪感を振り切った向こう側にしかないのです。
わたしたちの「本来の自己」=魂は、制限のない世界にしか存在し
ません。
わたしたちの意識が、エゴの囚われの世界から出られないうちは、
決して自身の魂と信頼感あるコミュニケーションがとれないのです。
「罪悪感」を感じたら、どの枠組みを超えようとしているのか、その
枠を超えたらどんな自由が待っているのか、想像してみてください。
明日もこの続き175日目のお話を予定しています。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございます。