ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ユング派の心理療法家として有名な、

河合隼雄さんの名著、

 

ユング心理学入門

 

 

を紹介しながら、

私なりに解説をしています。

 

この本、

内容がとても濃いということもあって、

今回で6回目になりました(^^;

 

これでも紹介できるのは、

ごく一部なのですが・・・

 

今回は、

「アニマ」「アニムス」

から入って、

母性、父性についても、

考えていきたいと思います。

 

この本では、

「ペルソナ」(外の顔)

に対比する元型として、

「アニマ」「アニムス」

が語られているのですが、

 

「アニマ」とは、

男性の内面にある女性性(女性像)

 

「アニムス」とは、

女性の内面にある男性性(男性像)

 

のことを指します。

 

実際に、夢の中に出てきたり、

物語で語られたりすることもありますが、

 

恋愛感情とは、

この「アニマ」「アニムス」

の投影であるともいえるのですね(^^;

 

で、

男性は「アニマ」(女性性)

女性は「アニムス」(男性性)

をうまく取り入れて、

統合できると、

 

人生の後半が豊かになり、

自己実現にも繋がるのですが、

 

これが、なかなか難しいんですね(^^;

 

おもしろい例が

挙げられているのですが、

 

たとえば、

男性(アニマ・女性性)

の統合の場合、

 

 

・・・

どれほど強がりをいっており、

あるいは実際に強いひとでも、

 

いざ恋愛になると

弱くなったり、

愚かになったりすることにも

示されるように、

 

実際、アニマは

男性に「弱さ」を

経験を通じて

教えてくれる。

 

そして、

このような弱さの

内的体験を通じてこそ、

 

男性はほかのひととの、

真の「関係」を

打ち立てることが

できるのである。

 

強いばかりの男性は

支配し、命令することはできても、

 

他人と深い、

対等の交わりを

結ぶことはできない。

 

 

そうですね(^^;

 

強いばかりの男性は、

実際にモテませんし、

 

魅力的な男性というのは、

自分の「弱さ」「至らなさ」

を受け容れていて、

それを自然体で表現できる人だと

思います。

 

ただし、アニマは、

ペルソナと「統合」するものであって、

「同一化」するものではないんですね。

 

 

アニマとの同一化が

行われると、

 

その男性は

いわゆる女々しい男となったり、

むやみに感情的になったりする。

 

あるいは

甘い感傷的な考えに陥って、

現実との対決を

さけたりする。

 

カウンセラーといわれる

男性のなかに、

女らしい感じや

甘い感じのひとがあるが、

 

これらのひとは

アニマとの同一化の危険に

おかされているというべきである。

 

 

男性カウンセラーは、

アニマとの同一化のリスクがある?

 

ちょっと、どきっとしますが(^^;

 

 

一般には、

男性としての強さや判断力などが

まず期待されるので、

 

このような

外的な期待にそえる

ペルソナを作り上げることが

大切であり、

 

このようなペルソナを

人生の前半において築いた後に、

アニマの問題との対決は

人生の後半(35~40歳以降)

になされるのが普通であると

ユングはいっている。

 

確かに、

外界に対する

ペルソナをもたないで、

内界における

アニマとの対決を

なそうとするときは、

 

腹背に敵を受けて

真に危険な状態に

陥るものである。

 

 

これは、

私も基本的に同感です。

 

男性は、

まずは人生の前半で

ある程度、男性的なペルソナを

確立しておいたほうが、

 

人生の後半の、

アニマ(女性性)の統合は

やりやすいと思います。

 

(両方同時は厳しすぎるので(^^;)

 

もちろん、

LGBTが尊重される

今の時代においては、

 

これが当てはまらないケースも

あると思いますが。

 

ちなみに、

私の場合は、

若いうちに、ペルソナの確立は、

割とできたと思いますが、

 

40代に入ってから

妻とぶつかったり、

仕事で行き詰ったりして、

 

アニマ(女性性)を

統合せざるを得ない状況に、

徐々に追い込まれていった感じで、

 

コロナ禍になって、

猫を飼い始めてから、

割とスムーズに統合が進んでいる

(弱さを受け入れ、少し優しくなった)

ような気がしています(^^;

 

(宮音のおかげです😸有り難う)

 

 

では、

女性(アニムス・男性性)

の統合の場合は、

どうなのでしょうか。

 

これも、

けっこう難しいようです(^^;

 

印象的な箇所を引用します。

 

一般の主婦(母親)

の場合だと・・・

 

 

(男性的な)

余ったエネルギーは

もっぱら子どもへと

注がれることになる。

 

現在の夫に

アニムスの像を見出せず嘆き、

・・・

子どもへの期待へと

変わってゆく。

 

願望にいろどられた考えは

すべて子どもへ投影され、

子どもは母親のアニムスを

生きねばならぬことになる。

 

子どもはやさしい口づけで、

百年にわたる女性の眠りを覚ます

美しい王子であることが期待され、

 

あるいは、

名演奏によって

万雷の拍手を浴びる

少年音楽家となることが

要請される。

 

 

夫に男性性の魅力を

感じられないので、

その分、エネルギーが

子どもに向くのですね(^^;

 

だから、子どもに、

アニムスを投影してしまう・・・

 

子どもからしてみれば、

「美しい王子」を期待されても、

それは、かなり重いですが(^^;

 

ただ、この本が出たのは

1967年なので、

ちょっと時代背景が古いですね。

 

今の時代、

男性的なエネルギーを注ぐ対象は、

 

子ども以外にも、

仕事やボランティアといった

社会的な活動が、

いろいろあると思います(^^;

 

 

アニムスの発展を

一途に願う母親に、

 

科学的な育児法や、

合理的な教育法などという

適切な武器を供給する

親切な男性も多いので、

 

ここに悪名の高い

「教育ママ」が誕生する。

 

しかし、

自分の妻の教育ママぶりに

困惑したり、

冷笑したりしている男性が、

 

多くの場合いまだ

「母ちゃん」

のひざに乗っている男性として、

 

女性のアニムスの

正しい発展の道をとめ、

 

教育ママの生産に

大きい力ぞえをしていることに

気づいていないことも多い。

 

われわれが内的な世界にまで

視野を広げて

物事を見るときは、

 

夫婦のうち

どちらか一方だけが悪く、

一方が良いなどという場合は、

非常に少ないように思われる。

 

 

そうですね・・・

 

夫が、気持ちの中で、

まだ母離れできていない

「マザコン」

つまり、

「父性」が確立できていないから、

 

妻は子どもに走ってしまうんですね。

(もしくは性的冒険に

走ってしまうケースも紹介されています)

 

ちなみに、

「母性」の元型としては、

「グレートマザー」元型があります。

 

これは、

慈しむもの、包み込んでくれるもの、

といったプラスのイメージもあるのですが、

 

一方で、包み込むことは

呑む込むことに通じ、

 

子どもを独占・束縛しようとする

マイナスなイメージもあるのです。

 

神話や物語のいわゆる「魔女」は、

このグレートマザー元型の

負の部分からきているようです(^^;

(たとえば、ディズニー映画、

「塔の上のラプンツェル」の魔女)

 

河合隼雄さんいわく、

日本社会は、西洋諸国に比べると、

「母性社会」なので、

 

男性、女性問わず、

「父性原理」を

意識的に発揮する必要があると、

述べられているのですが、

 

母性社会日本の病理

という本もありますね。

(まだ読んだことはないのですが(^^;)

 

「父性」とは、

 

・切り分ける

・区別する

・境界線を引く

 

「母性」とは、

 

・包み込む

・差をなくす

・一体化する

 

ちなみに、

私が教わって

意外だったことがあるのですが、

 

アニメ「巨人の星」

の父親の星一徹。

 

一般的には、

父性のかたまりのような

イメージですが、

 

実は、

母性のかたまりなんですね(^^;

 

息子の星飛雄馬を束縛して、

猛特訓させて、

「大リーグボール養成ギブス」

をつけたりする・・・

(これ今だったら虐待ですよ)

 

これは、

母性、グレートマザー元型の、

負の部分ですよね。

(すなわち教育パパ)

 

そう考えると、

昭和の時代というのは、

 

表面的には、

「父性の時代」に見えますが、

 

実は、

「母性の時代」だったのかも

しれません。

 

もちろん、母性にも

いい面がたくさんあって、

 

たとえば、遠藤周作さんが描く、

日本的なイエス像などは、

母性的で私は惹かれるものがあるのですが、

 

母性に、バランスよく、

父性を取り入れていく。

 

それが日本人には、

必要なのかもしれませんね😊

 

 

 

 

-------------------------------------------------------

 

 

 

次回に続きます(^^;

(次回、この本の紹介の最終回にします)

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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おまけ(^^;

 

 

 

東丹沢の

高取山、仏果山に登りました!

 

高取山の展望台から、

 

宮ケ瀬湖と丹沢山系・・・

 

 

 

 

 

 

東京方面・・・

 

天気もよくて、

気持ちよかったです!

 

この地域、

春~秋はヤマビルが出るので(^^;

今の時期がおすすめです。

 

 

 

 

愛川ふれあいの村。

 

外国みたいな風景でした!

 

 

 

 

ところかわって、

恒例の新幹線、富士川鉄橋🗻

 

頂の雪が減っているような・・・

 

春遠からじ(^^)

 


 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

河合隼雄さんの名著、

 

ユング心理学入門

 

 

で、印象に残ったところを引用しながら、

私なりに解説をしています。

 

今回で5回目になります(^^;

 

前回の続きからですが・・・

 

 

自分で自分のシャドー(影)を

認知して受け入れるというのは、

ほんと難しい。

 

なぜなら、

人は、

 

自分の中にある、

認めがたいシャドー(影)を、

他人に「投影」するからです。

 

「こうあるべきだ」

というペルソナは、

(自分の中にあるものとして)

自分に「投影」するくせに、

 

「こうあってはいけない」

というシャドー(影)は、

自分ではなく、

(他人の中にあるものとして)

つい他人に「投影」してしまう。

 

だから、

「正しいのは自分」で、

「悪いのは相手」、

となってしまいがちなんですね・・・

 

 

自分の内部にある

認めがたい影を

他人に投影し、

 

とかく悪いのは他人で、

自分はよしとするのである。

 

 

そして、怖いのは、

この傾向は、

民族や国民、国家にも当てはまるのです。

 

 

たとえば、

ある国によっては、

 

他の一つの国民を

まったく馬鹿にするとか、

悪人であるとか

きめつけて

考えるようなことが

非常に多い。

 

われわれ日本人にしても、

戦争中は鬼畜米英などと

教えられ、

 

アメリカ人は

すべて鬼のように

恐ろしいと信じ、

 

また、

アメリカ人も、

日本人の残虐さを

確信していたことだろう。

 

実際、

一国のひとすべてが

鬼に等しいなどという

単純な現象は

起こりようもないが、

 

この単純な考えを、

一国のほとんどのひとが

信じるという現象が、

 

しばしば起こるという事実を

認識することは

大切なことである。

 

内部にあるはずの悪を

他にあるように信じることは、

 

何と便利なことか。

 

 

たしかに、

悪を他人に責任転嫁できるので、

楽ですよね(^^;

 

国家間の争いも、

もとをただせば、

 

「自分の内部にある

認めがたい影を

他人に投影し、

 

とかく悪いのは他人で、

自分はよしとする」

 

という個人の集合意識

だというのです。

 

たしかに、

そうかもしれません・・・

 

たとえば、

元ソニー上席常務の思想家、

天外伺朗さんは、

 

ヨーロッパ中世の魔女狩りや、

歴史上の大虐殺も、

 

実は、「シャドーの投影」

が引き起こしているのだと

述べています。

 

過去ブログでも、

紹介しました。

 

 

 

ありとあらゆる争いは、

極論をいえば、実は、

「シャドーの投影」が源だとも

いえるわけです。

 

 

このことを知っている

狡猾な為政者は、

 

適当に影を投影する方法を

探し出すことによって、

全体の団結を高める。

 

その顕著な例として、

ヒトラーによる

ユダヤ人の排斥を

あげることができるだろう。

 

ヒトラーの

強力な全体主義体制によって

生じる問題を、

 

すべて

悪としてのユダヤ人に

国民の目を転じさせることに

よって、

 

免れようとしたとも

考えることができる。

 

「結局悪いのはユダヤ人だ」

 

という標語によって、

 

個々のひとは

責任逃れの団結を

固めてゆくことができる。

 

 

人は、自分のシャドー(影)を

なかなか直視することができないので、

 

そこから目をそらさせてくれる為政者に、

まんまと利用されてしまう・・・

 

 

この現象は、

人間がグループをなすところ、

 

つまり、

 

一つの村で、

学級で、

家族内で、

あるいは

友人間にさえ、

 

つねに起こる現象である。

 

 

学校での「いじめ」も、

結局、同じ原理なのかもしれません。

 

子どもは、

自分のシャドー(影)を

受け入れられないから、

(大人でも難しいのですから、

無理もないです・・・)

 

親も、なかなか

ありのままの自分を

受け入れてくれないから、

 

投影する対象を見出し、

その特定の人を、

スケープゴートにするという・・・

 

子どもは、

大人の背中を見ていますので、

模倣するわけですね・・・

 

 

・・・悲しいかな、

やっぱり、人というものは、

本質的に弱い存在なのかもしれません。

 

 

しかし、

他に悪を作ることによって

得られた団結は、

 

みせかけの強力さにも

かかわらず、

 

きわめてもろい反面を

もっているものである。

 

真の団結は、

グループの個々の成員が、

その影を認識し、

 

責任をもって

同化に努めることによって

維持されるものである。

 

 

そうですね・・・

 

仮に、人々が、

自分のシャドー(影)を

抑圧しすぎることなく、

 

それに気づいて、

受け入れるようになれば・・・

 

もちろん、

それは簡単なことではないし、

 

ユングがいうように、

少なくとも、人生の後半に達しないと

難しいと思いますが、

 

それができる人が、

増えれば増えるほど、

 

世界は平和になっていくのだと思います。

 

そのカギを握っているのは、

やっぱり自己受容、

 

自分の至らない部分や、

ダークな部分も、

 

受け入れ、統合する。

 

私は、まだまだ道半ばですが、

 

まずは、

自分がそれを

少しでもできるようになって、

 

周りにも、

影響の輪を広げていきたいと

考えています😊

 

 

 

-------------------------------------------------

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回もこの本の紹介を

続けさせていただきますね。

 

 

 

-------------------------------------------------

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

近所の鶴見川で、

よく、なんちゃって動禅(太極拳のようなもの)

をします。

 

冬は、ちょっと寒いけど、

空気が澄みきっていて、気持ちいいです!

 

今の時期は、

オオバンという、

黒くて、くちばしが白い渡り鳥が、沢山います。

 

鳴き声がかわいいです!

 

 

 

 

 

巨大な鯉が出現しました!

(写真では巨大さがよく分かりませんが(^^;)

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ユング派の大家、

河合隼雄さんの名著、

(これ意外にも処女作なんですね)

 

ユング心理学入門

 

 

の中から、

印象に残った箇所を紹介して、

私なりに解説をしています。

 

今回で、4回目です(^^;

 

ユング心理学で、

「ペルソナ」と「シャドー(影)」

は有名な概念ですが、

 

「ペルソナ」とは、

いわば「外の顔」

 

「シャドー(影)」とは、

「無意識に抑圧しているもの」

 

ですね。

 

ペルソナは、

決して悪い意味ではなく、

社会生活をつつがなく営むためにも、

必要なものだと考えますが、

 

ただ、ペルソナが

あまりにも硬直化しすぎて、

シャドー(影)が肥大化すると、

いろいろと弊害が出てくるんですね。

 

 

われわれが

普通に考えてみても

 

ジキルとハイドほどに、

際立った白と黒の部分が

心のなかで交代することは

少ないにしても、

 

酒に酔ったときとか、

勤務を終えて

家庭に帰ったときとか、

 

われわれの自我の制御力が

弱まるときに、

 

普段の性格とは

逆の性格が現れる例を

容易に認めることができる。

 

実際、我々の影は、

親しいひとの前ほど、

よく現れる傾向があるので、

 

どんなに偉大なひとでも、

その奥さんや女中さんからは

尊敬されないどころか、

少しは軽蔑されていることも

多いものである。

 

 

どきっ・・・

 

私は決して

偉大なひとではありませんが、

 

外で気を遣う分、

家では無意識に

横柄な態度が出ているのかも

しれません(^^;

(たまに妻に指摘されます・・・)

 

そして、

シャドー(影)は、

家族に影響することも

あるんですね。

 

 

ある個人が、

その影をあまりにも

抑圧しているときは、

 

結局その影の犠牲になる例の

多いことをさきに述べたが、

 

この犠牲が

他人に及ぶような

場合もある。

 

すなわち、

両親の影を

子どもが生かされているとでも

いいたいような例である。

 

 

これ、

「家族心理学」(家族療法)で

よく出てくるケースですが、

 

けっこうあるんです(^^;

 

 

父親がまったく道徳的で、

誰から見ても

非の打ちどころのない

教育者であるのに、

 

その子どもはまったく逆の、

手に負えない放蕩息子で

あるような例が、

ときどき存在する。

 

「子は親に似るもの」

と単純に信じているひとは、

このような例に驚くのであるが、

 

この場合も、

この子は親に似たのである。

 

ただ、

それは親の生きていない半面、

 

その影に似たわけである。

 

 

親の「影に」似た・・・

 

つまり、

子どもが、親のシャドーの

肩代わりをしているわけですね。

 

 

あるいは、

いわゆる聖人の影を、

 

その夫人が背負わされて

生きている例もある。

 

 

ソクラテスやトルストイの妻は、

悪妻だったといいますが、

つまり、

こういうことだったのかも、

しれませんね。

 

ちなみに、

ウチの場合は・・・

 

聖人でないから関係ないか(^^;

 

 

このようにして、

一つの家族が

一つの人格構造を

もっているような感じを

抱かせるような例は

非常に多い。

 

この場合、一見すると

徳の高い教育者が、

その放蕩息子のために

名誉を傷つけられたり、

 

心の清い聖人が

悪妻に悩まされているように

感じられるが、

 

実のところ、

この放蕩息子や悪妻は、

 

「有徳の」ひとの

影の犠牲者であるとの見方も

できるのである。

 

このようにいったとしても、

もちろん、

すべての宗教家や教育者が

家族を苦しめている

などという気はない。

 

実際、

自分の影に直面して

苦闘している

真の宗教家や教育者は

たくさん存在しているから、

 

影の問題は

生きていく上において、

確かに厄介なものであるが、

 

厄介なものであるだけに、

これを他人に負わすことなく、

自分で責任を取って

生きてゆくのが、

本当の生き方であろう。

 

 

そうですね・・・

 

シャドー(影)を受け容れて、

統合するというのは、

ひじょうに厄介で、

多くの人にとっては、

一生のテーマなのですが、

 

やっぱり、

家族や身近な人に背負わせるのではなく、

できることなら、

自分で何とかしたいですよね(^^;

 

 

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ヒントになるのが、

私の好きな作家、

遠藤周作さんの生き方です(^^)

 

遠藤周作さんは、

「沈黙」や「深い河」など、

宗教をテーマにした、

深い作品を残されています。

 

「海と毒薬」のような、

人間の暗部をえぐるような

作品もありますが、

 

このようなシリアスな作品ばかりを

執筆していると、

それこそ、息がつまりますよね。

 

いかにも、

シャドーが肥大化しそうです(^^;

 

そこで、

遠藤周作さんは、

「正反対」の部分を意識されたそうです。

 

たとえば、

「狐狸庵もの」といわれる、

ユーモアエッセーを書いたり、

 

素人劇団「樹座」を立ち上げて、

本人も一緒に楽しんだり、

 

つまり、

「アホ」なことを

意識してやることによって、

精神のバランスを取った。

 

そうすることで、

 

ペルソナを固定化することなく、

人生の様々なチャネルを回すことで、

 

遠藤周作さんは、

人の何倍も人生を楽しんだと、

述懐されています。

 

おかげで、

破滅型の作家が陥るような、

精神を病んだり、

家庭を崩壊させたりすることも、

なかった・・・

 

 

・・・参考になりますね。

 

ただし、

自分で自分のシャドー(影)を

認知して受け入れるというのは、

ほんと難しいんですね。

 

なぜなら、

人は、

 

自分の中にある、

認めがたいシャドー(影)を、

他人に「投影」するからです。

 

「こうあるべきだ」

というペルソナは、

(自分の中にあるものとして)

自分に「投影」するくせに、

 

「こうあってはいけない」

というシャドー(影)は、

自分ではなく、

(他人の中にあるものとして)

つい他人に「投影」してしまう。

 

だから、

「正しいのは自分」で、

「悪いのは相手」、

となってしまいがちなんですね・・・

 

 

・・・・続きは次回に(^^;

 

 

 

----------------------------------------------

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

----------------------------------------------

 

 

 

 

川崎市宮前区の

等覚院というお寺。

 

 

 

 

つつじで有名なお寺だそうです。

 

 

 

 

額堂(というのでしょうか)

の中から見上げると・・・

 

素敵な額や絵馬がありました(^^)

 

 

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

河合隼雄さんの名著、

 

ユング心理学入門

 

 

の内容を紹介・解説しています。

 

前回は、

ユングのタイプ論、

「内向型」ー「外向型」

を私なりに解説してみました。

 

それに加えて、

「思考型」ー「感情型」

「感覚型」ー「直感型」

と、4つの心理機能がありますので、

今回は、それを

解説させていただきますね。

 

人によって、

この中の機能のいずれかが

優位に発達するといいますが、

 

たとえば、買い物、

車を選ぶケースで考えます。

 

簡単にいえば、

 

カタログやネットで、

データをよく調べるのは、

「思考型」

 

私はこれが好き、

あの人もいいといっていた、

というのが

「感情型」

 

かわいい、

デザインがいいから、

というのが

「感覚型」

 

何だかピンときた!

というのが

「直感型」

 

といえます。

 

そして、

「思考型」ー「感情型」

「感覚型」ー「直感型」

はそれぞれ対立関係になるんですね。

 

図で示すと、

 

   思考

       ↑

感覚←   →直感

       ↓

   感情

 

(すみません、

スマホだと図に

ならないみたいです)

 

のようになります。

 

 

つまり、

思考機能が発達しているひとは

感情機能が未発達であり、

 

逆に

感情機能が発達しているひとは

思考機能が発達していないという

関係にある。

 

これは

感覚や直感についても

同様である。

 

実際、

思考力が高いひとが、

一つの絵画を前にして、

その好き嫌いや

感じを表明するよりも、

まず「わからない」と

考えこんでしまう例や、

 

誰かと話をしていて、

その会話から直感的に

素晴らしいことを

思いついたひとが、

その相手の服装や、場所、

はなはだしいときには

相手の名前まで覚えていない

 

などという例を、

しばしば経験する。

 

 

一般的には、

思考型は男性に多く、

感情型は女性に多いという

イメージがありますが、

それは、ユングもいっています。

 

ちなみに、私は、

(自己分析ですが)

どちらかといえば、

「思考型・直感型」かなあ~

という気がします。

 

私は理系男子ではないのですが、

やっぱり、妻に対して、

テレビを見ながら

心理学や歴史のウンチクを

つい話したりして、

嫌がられることが多いですし(^^;

 

話の内容は覚えていても、

その人の服装を覚えていることは、

あまりありませんので(^^;

 

そして、この4つの心理機能は、

それぞれ、

「外向型」「内向型」に、

かけ合わさるんですね。

 

すなわち、

「外向思考型」「内向思考型」

「外向感情型」「内向感情型」

「外向感覚型」「内向感覚型」

「外向直感型」「内向直感型」

の8つの性格タイプに分類されます。

 

本書には、具体例を挙げて

詳しく説明されていますので、

興味のある方は、

是非、本書をお読みくださいね。

 

前回の、

「外向型」「内向型」

のところでも述べましたが、

当てはまる型が意識化され、

逆の対立する型は

無意識化されるといいます。

 

そして、

自分の型と異なるひとを理解することは、

なかなか困難であると、

ユングは強調しています(^^;

 

 

外向型のひとにとって、

内向型のひとは、

わけのわからない

冷淡な臆病者と見え、

 

逆に後者は前者を、

軽薄で自信過剰なひとと言う。

 

また、

音楽を聞いても、

主機能の相違によって、

 

音の構成に注目するひと、

(=思考型)

 

そのかもし出す

感じに酔うひと、

(=感情型)

 

音楽よりは

音そのものを

愛しているようなひと、

(=感覚型)

 

音楽の背後にある

不可解な何かに

心をおどらせるひと

(=直感型)

 

などの差が生じてくる。

 

 

なるほどです。

 

 

そして

音楽好きという点で

話が合うはずのひとが

相手の不可解さに

あきれるのである。

 

たとえば

思考型の男性は

感情型の恋人に、

「マズルカとワルツの区別も

つかなくて、

ショパンが好きだと

よくいえたものだ」

といい、

 

彼女は、

「あなたは、音楽そのものより、

その分類と解説のほうが

得意のようね」

と反撃する。

 

あるいは、

感覚型のひとは、

直感型のひとが、

ベートーベンが好きだ好きだと

いいながら、

どうしてあれほど

音質の悪いプレーヤーで

平気でいるのかを

不思議に思い、

 

また、直感型のひとは、

君は音楽よりも

ステレオの機械が

好きなのではないかと

やり返したくなるのである。

 

 

いかにも、

あるあるです(^^;

 

同じ音楽好きでも、

タイプが違うと、

分かり合えるのは、

なかなか難しいのですね(^^;

 

で、

分かり合うのは難しいのに、

人は、実際に、

自分の反対のタイプのひとを

恋人や友人に選ぶ傾向も

強いというのです。

 

 

自分の同型のひとに

対しては、深い理解を、

 

反対側のひとに対しては

抗しがたい魅力を感じて

結ばれるといってよいだろう。

 

そして、

自分と反対側のひとに

強い引力を感じることは、

 

前に述べた

自分の内部における

個性化の過程が、

外にも呼応して

生じてきたものと

考えられる。

 

 

ユングのいう個性化とは、

いわゆる、

シャドーの統合のこと、

 

すなわち、

無意識化に抑圧していた、

自分の影の部分、

 

たとえば、

「思考型」の要素が強ければ、

反対の「感情型」の部分、

(逆もしかり)

 

「直感型」の要素が強ければ、

反対の「感覚型」の部分、

(逆もしかり)

 

を統合するということですが、

それが、個性化、

言い方をかえると

「自己実現」へのプロセスと

なるのですね。

 

ちなみに、ウチの妻も、

考えて見たら・・・

 

自分と反対のタイプ、ですね(^^;

 

いろいろと、ぶつかり合って、

なんとかここまで来ましたが、

 

これはこれで、

「自己実現」へのプロセスと

いえるのかな?

 

 

そのようにして、

二人のひとが結ばれるが、

 

相反する型のひとが

結ばれた場合、

 

数年後に、

両者が他を理解しようとして、

 

あまりにもお互いが

知り合っていなかったことを

発見して驚いたり、

 

同型のひとが

理解によって結ばれながら、

 

しばらくたって、

お互いに魅力を

感じられなくなって

別れようと思ったり

することが多い。

 

これら俗にいう倦怠期は、

夫婦が共に、

自分の個性化を目指して

歩もうとの努力を払わぬかぎり

避けられぬものである。

 

 

ええっ、

倦怠期は、夫婦が共に、

自分の個性化、すなわち、

「シャドーの統合」

に取り組まない限り、

避けられない?

 

・・・厳しい道のりです(^^;

 

 

考えてみると、

自分にとって親しい場所

(家庭や仲間の集まり)は、

 

自分の劣等機能発展のための

練習をする適切な場所に

なっていることがわかる。

 

この場面で、

たんなる無意識からの

「反応」として

劣等機能を暴走させるばかりでなく、

 

それらを正面から取り上げて

「生きて」ゆくことに

心がけると、

 

少しずつではあるが

発展の道を歩むことが

できるだろう。

 

たんなる

反応のくり返しは、

発展につながらないのである。

 

 

なるほど・・・

 

実は、今、

自分がいる身近な場所は、

シャドーを統合するのに、

最適な場所になっている

ということですね(^^;

 

「無意識」からの反応とは、

すなわち、

感情に振り回されてしまう

ということですから、

 

そうではなく、

 

今までの人生で、

抑圧してきた影の部分を、

「意識的」に自覚をして、

それを、建設的に取り入れていく。

 

それが、

人生の後半の課題、

すなわち、

「自己実現」に繋がる。

 

難易度は、

けっこう高そうですが(^^;

 

コツコツ取り組んでいきたいです😊

 

 

 

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次回に続きます(^^;

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました🍀

 

 

 

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東京品川区の蛇窪(へびくぼ)神社🐍

 

 

 

 

白蛇が祀ってある、

珍しい神社です!

 

 

 

 

白蛇弁財天。銭洗いもあります。

 

この神社、実は、

私が独身時代に住んでいたところの

割と近くでした!

(知らなかった・・・)

 

 

 

 

 

よく寝るコです😸

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

底冷えする日が続いています・・・

 

電気代が気になる昨今ですが(^^;

皆さま、

どうぞ暖かくしてお過ごしくださいね。

 

 

前回から、

日本を代表するユング派の心理療法家、

河合隼雄さんの名著、

 

ユング心理学入門

 

 

の内容を紹介・解説しています。

 

今回は、

「タイプ論」(類型論)

の箇所を紹介・解説します。

 

ここ、なかなか興味深いですよ(^^)

 

ユング心理学のタイプ論といえば、

「外向型」ー「内向型」

が有名ですね。

(これユング心理学なんです)

 

近年は、内向型の良さ、

 

たとえば、ビジネスでも、

内向的なリーダーが

評価されるようになったりして、

いい時代になってきたと感じますが、

 

ちなみに、私は、

どちらかといえば、

内向型だと自覚しています(^^;

 

ただ、

このような分類をすることに、

ユングは慎重なんです。

 

 

タイプを分けることは、

ある個人の人格に

接近するための

方向づけを与える

座標軸の設定であり、

 

個人を分類するための

分類箱を設定するものでは

ないことを強調したい。

 

(中略)

 

実際、

完全に内向とか、

完全に外交とかいったひとは、

考えることができない。

 

 

そうですね。

人はみなグラデーションがありますし、

時と場合によって、

また、他者との関係性によっても、

変わってきますので、

 

決めつけはしないということが

前提ですが、

 

外向型、内向型には、

こんな特徴があるといいます。

 

 

新しい場面に入るときの

行動によって、

 

両者の相違が特徴的に

出てくる。

 

こういった場合、

外向型のひとは

つねに適当に

行動できるのに対して、

 

内向的なひとは

どこか、ぎこちない感じが

つきまとう。

 

外向型の人は、

それほど深く考えないのに、

適当に話しかけ、

適当に黙り、

 

まるでその場面に

前からずっといたかのように、

全体の中にとけ込んで

ふるまうことができる。

 

内向型のひとは、

当惑を感じ、

こんなことをいっては

笑われるかもしれぬ

と思って黙り、

 

ときには、

「こんなときは、

にぎやかにしなければならない」

などという考えにとらわれて、

馬鹿げた行為をしてしまって、

あとで一人後悔してみたりする。

 

 

・・・わかります(^^;

 

私、初対面の人が多い

「立食パーティー」が苦手なのですが、

そういう意味では、

まさにこの内向型ですね(^^;

 

見知らぬ人に声をかけるのは、

なかなか勇気が要ります。

 

ピントのズレたことを

言ってしまったり・・・

 

お酒がないと、きついですし、

けっこう気疲れします。

 

ああ、

うまく適当に振る舞える

外向型のひとがうらやましい(^^;

 

 

このように

外向型のひとが、

新しい場面において

能力を発揮できるのに対して、

 

内向型のひとは、

自分にとって気の合った、

親しい環境のなかで、

その能力を発揮できる。

 

新しい場面では、

無能力者のように見えた人が、

だんだんと

場面に慣れるにしたがって、

徐々にその能力を示してきて、

 

他のひとを驚かすほどの

深さを示すような例を、

われわれは

思い浮かべることができる。

 

 

そうですね~。

それぞれ持ち味があるわけですが、

 

子どもの頃は、

外向型の子は得をして、

内向型の子は損をすることが

多いようです。

 

 

外向的なひとは一般に、

子どものときに

得をすることが多い。

 

幼稚園や小学校などの

新しい環境にすぐ適応し、

 

先生や大人たちの

考えを感じとって行動し、

 

不安をあまり感じないで、

新しい場面に

積極的に働きかけてゆく。

 

(中略)

 

これに対して、

内向的な子どもは、

幼稚園や小学校の低学年で

困難を感じることが多い。

 

彼らは友人をつくりにくく、

先生にもなじみにくい。

 

ゆたかな才能をもっていても、

それを伸び伸びと

出すことができず、

 

それはときに、

変なものとさえ

見られやすい。

 

 

私は、小学生のころは、

友人や先生には、

かなり恵まれていて、

割とうまくやっていたような

気がするので、

 

そういう意味では、

外向的なのかもしれませんが、

 

・・・いやいや、

よく考えて見たら・・・

 

いろいろと困難がありました(^^;

 

もっとも、

高校ぐらいになると、

かなり行き詰まり

内にこもることになるので、

 

やっぱり、内向型なのかな(^^;

 

 

これは実のところ、

別に何も

心配するべきことではない。

 

むしろ、

このときに

大人たちがその性格を

矯正しようと努めたり、

異常であると決めつけたり

することによって、

 

発達の過程を歪められる場合が

多いように思われる。

 

 

そうですね・・・

 

内向的な子には、

大人が黙っていられない。

 

子どものころは、

「明るく、素直で、元気な子」

がいい子だとみられがちですが、

 

それぞれ個性がありますからね。

 

今は、多様性が尊重される

時代になってきたので、

 

昔よりは、内向的な子も、

生きやすくなってきたとは思いますが。

 

 

内向・外向の態度は、

常に一面的ではないといいます。

 

 

たとえば、

ふだんは大きい声で

返事もできぬほど

控え目なひとが、

 

満座のなかで

カッポレを踊ったり、

 

いつもはにぎやかに

パーティーの気分を

盛り上げるひとが、

 

わけもなく急に

沈み込んでしまったりする例を、

 

われわれは

しばしば経験する。

 

 

控えめの人が、

カッポレとは笑えますが(笑)

 

でもこれ、わかる気がします。

 

実は、これって、

「無意識」の作用なんですね。

 

 

ユングは

意識の態度に対して、

無意識の態度を考え、

 

この両者は補償的関係に

あるものと考えた。

 

すなわち、

意識の態度が

一般に外(内)向的なひとは、

 

その無意識の態度が

内(外)向的で、

 

もし意識の態度が

強調されすぎると、

 

後者がそれに対して

補償的に働くのである。

 

そして意識の態度の

一面性があまりに強いときは、

 

無意識の態度は、

ときに意識の制御を破って

病的な性格をもって

出現することが認められる。

 

 

「無意識」は、

「意識」の逆の働きをする、

 

つまり、

あまりにも外向的な人には、

時に、無意識が、

バランスをとるために、

内向的な言動をとらせる。

 

逆もしかり。

 

ということですね。

 

これは、

この本の後でも出てきますが、

 

ユング心理学では、

セルフ(自己)の働きといいます。

 

セルフが、

バランスをとるために、

アレンジをする。

 

外向も内向も、

ポジティブもネガティブも、

陰も陽も、

 

両面を味わえるようにする。

 

無意識の中の様々な側面を

意識化して統合できるようになること、

 

それが、

ユングのいう

「自己実現」なのですが、

 

外向・内向、

どちらかの意識が強すぎる場合は、

 

反動としての

無意識の働きが強くなりすぎて、

 

無意識の領域に脅かされるように

なりかねないのです。

 

それが、

「中年の危機」

として現れたり、

 

場合によっては、

心の病を引き起こす場合もありますが、

 

これをうまく乗り越えられれば、

つまり、

「無意識」の「意識化」ができれば、

 

それが、

自己実現にも繋がるんですね。

 

なので、

 

外向型の人は、

その良さをいかしつつも、

内向的なものも、

うまく取り入れていくと、

(内向型の人も同様に・・・)

 

より幅のある、

厚みのある、

深みのある人間へと

成長できるのです(^^)

 

 

ユングのタイプ論は、

「内向型」ー「外向型」

以外にも、

 

「思考型」ー「感情型」

「感覚型」ー「直感型」

 

と、4つの心理機能があります。

 

この分類、

なかなか面白いですよ・・・

 

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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おまけ

 

最近、名古屋日帰り出張が多いです(^^;

 

 

新幹線、富士川鉄橋車窓より、

 

「笠雲」というのでしょうか。

何だか神々しかったです🗻

 

 

 

ちらっと清州城。

 

新幹線から見えるお城ですね。

ちょっとキレイすぎるかも(^^;