ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
今回は、
前回の河合隼雄先生の著書、
からの芋づる式読書ということで、
そこで取り上げられていた小説、
山田太一さんの
を読んで、
私の印象に残ったところを、
紹介します(^^)
この本、
あるブロガーさんが読まれたということで、
興味をもって私も読んでみたのですが、
なかなか面白かったです!
私の場合は、
河合隼雄さんの本を読んで、
ちょっとネタバレしたうえで読んだので、
展開が少し読めてしまったところが
あるのですが(^^;
予備知識なく読めば、
かなり意外性もあり、楽しめますし、
どこか、しんみり、
心の中があたたかくなるような、
読後感にもなると思います。
ということで、
ネタバレに注意しながら、
紹介していきますが、
主人公は、
47歳のシナリオライター。
妻子と別れたばかりで、
孤独な日々を過ごしています・・・
そこで、
幼い頃、死別したはずの、
父母と出会ったり、
同じマンションに住む、
謎の美女との関係が深まったり・・・
というお話しなのですが(^^;
(はしょりすぎ)
ちなみに、
「異人」というのは、
外国人のことではありません。
では、どんな人かというと・・・
これネタバレになるので
いえませんが(笑)
ヒントは、
ちょっとハロウィン🎃
っぽいかもしれません(^^;
で、私の印象に残った箇所ですが、
引用します。
「静かすぎる」
(中略)
離婚による
一種の神経症かも
しれない。
幹線道路の側のビルを
静かすぎると感じるのは、
普通ではなかった。
しかし、
離婚は私が望んだことである。
そして妻も、
はじめはいろいろ
いったにせよ、
二人の間にある主感情が
無関心であることは
認めたのだし、
妻も空虚をかかえていて、
結局のところ
離婚に希望を託したのだ。
経済的な条件で
少しごたごたしたが、
悪い離婚ではなかった。
少なくとも、
あのまま
あたりさわりのない
表情をつくって
同居を続けるよりは、
はるかに生きる力の湧く
行動だった。
二人の間にある主感情が
「無関心」・・・
おそらく、主人公は、
仕事に意識を奪われていて、
妻に「無関心」になっていったんですね。
マザーテレサは、
「愛情」の反対語は
「無関心」といったそうですが、
たしかに、
「怒り」や「憎しみ」ではなく、
(それは愛情の裏返しでもあるので)
お互いが、
「無関心」になれば、
関係は終わってしまうのかも知れません。
ちなみに、
私は、何とか妻とは続いておりますが、
う~ん・・・
今のところは、
「無関心」というよりも、
「怒り」や「憎しみ」を
感じることが多いので、
まだ、大丈夫かな?(笑)
それと、
「静かすぎる」
という言葉。
幹線道路沿いの、
騒音がうるさい
マンションの一室にも関わらず、
主人公は、
「静かすぎる」
と感じる。
これは、
離婚を機に、主人公が、
いままで目をそらしてきた自分の内面、
すなわち、
ほんとうの自分を
見つめるモードになったという、
「シグナル」なのではないかと考えます。
うるさい、静かというのは、
けっこう主観的なものであって、
たとえば、
騒々しいカフェにいる時でも、
何かに集中していたり、
深く考えている瞬間には、
気にならないですよね。
もちろん、
一人で静かな環境にいる時が
多いのですが、
心の中が、
「し~ん」とする時は、
何かしらのメッセージが与えられると思って、
心の耳を澄ましてみると
いいかもしれませんね。
十二歳から
私はほとんど泣いたことがない。
しかし、
そのあたりを歩いて、
両親といた頃を
強く蘇らせるなにかに
ぶつかったりしたら
一瞬のうちに
身につけている鎧の
糸という糸がちぎれて、
素裸になり、
みすぼらしくただ
泣き崩れてしまいそうな
気がした。
「私は泣いたことがない・・・」
・・・ふと、
中森明菜さんの歌が
降りてきましたが(^^;
(「飾りじゃないのよ涙は」
井上陽水さんの名曲ですね)
主人公は、
十二歳の時に、
両親を交通事故で亡くしているんですね。
で、悲しむ間もなく、
祖父や叔父に引き取られて、
今まで必死に生きてきた・・・
十二歳という多感な時期に、
両親を理不尽にも突然失うという、
「悲しみ」を十分に感じて味わうことなく、
その感情を「抑圧」してきた。
そうでもしないと、
生きていけなかったのだと思います。
日々の生活があるので、
悲しみに浸る余裕などなかったのかも
しれませんし、
まだ幼い彼には、深い悲しみを受け止める、
それに直面するだけの、
心の器ができていなかったのかも
しれません。
同じようなケースを、
心理学の学びで教わったことがあります。
幼い頃、
両親を事故で失った兄弟姉妹がいました。
しかし、長男だけは、
「オレがしっかりしなければ」
という使命感もあり、
お葬式の時も、
いっさい涙を見せなかったそうです。
そんな彼が、
成人してから、
ちょっとした別れ、
たとえば、
信頼していた上司が異動する、
といった、よくありがちな別れでも、
ものすごく動揺して、
パニックになってしまったりする。
両親を失ったときの悲しみを
受け入れることが、
「未完了」になっているんですね。
(ちなみに、このような深い悲しみを、
大人になってから完了させることは可能です。
カウンセラーの力を借りると
スムーズかもしれません)
心理学者、
小此木啓吾先生の名著、
この本には、
専門的な内容も含まれていますが、
悲哀を見つめることなく、
「全能感」を感じやすい現代社会に
警鐘を鳴らしていたり、
しっかり「悲しむ」ことの効用、
そして、他人の悲しみに
「共感」することの重要性
などが分かりやすく説かれています。
心理学に興味のある方、
援助職に就かれている方には、
ご一読をオススメします(^^)
中年から先、
私たちは否が応でも
喪失体験を重ねていくわけです。
肉親、先輩、友人の死はもちろんのこと、
自分自身も、
体力、記憶力、社会的地位など・・・
しだいに失っていくわけです。
いい意味で、抑圧や抵抗することなく、
喪失体験をしっかりと受け入れて、
同時に、
柔軟に新しいものも取り入れながら、
中年以降も、
心の成長・成熟をしていきたいですね😊
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)
次回に続きます(^^;
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おまけです(^^;
少し前になりますが、
東京の目黒不動周辺を散策しました。
目黒不動尊、仁王門。
水かけ不動様。
(このあと水をかけさせていただきました)
神社仏閣のある場所には、
けっこう湧き水や池が多いような。
(それだけ古来から
水は大事だということですね)
特に不動尊には多い気がしますが、
弘法大師が杖を突いたら
水が湧いた伝説が、
全国各地にあるようです。
弘法大師は、
実は治水工事に秀でた技術者の側面も
あったようですね。
大本堂の裏手の屋外に、
大きな大日如来様が、
鎮座されていらっしゃいますよ。
見どころの多いお寺です。
オススメします(^^)
近くの五百羅漢寺にも行きました。
撮影禁止なのですが、
ここの数百にも及ぶ、
羅漢様が並んでいるさまは、
圧巻です!
他にも、
本堂で、大きな釈迦如来様が、
弟子たちに説法しているお姿も、
見どころ。
隠れた仏像一大スポット!
仏像好きな方は一度、是非(^^)
その中で、
獏王像だけが、期間限定で、
めずらしく撮影可になってましたよ。
獏(ばく)とは、
悪夢を喰らうとされた空想の動物のことですが、
この獏王は、
人面牛身虎尾の聖獣で、
災いや病を避けるとのこと。
三つ目の「目力」ビームが強かったです!
皆さんにもとどけ~







