ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

東京、横浜は、

だいぶ寒くなってきました(^^;

 

臨床心理学の大家!

河合隼雄先生の著書、

 

中年危機

 

 

を紹介しています。

 

この本には、

河合隼雄さんが、

「中年危機」に関する小説、

 

 

夏目漱石「門」

 

山田太一「異人たちとの夏」

 

広津和郎「神経症時代」

 

大江健三郎「人生の親戚」

 

安倍公房「砂の女」

 

円地文子「妖」

 

中村真一郎「恋の泉」

 

佐藤愛子「凪の光景」

 

谷崎潤一郎「蘆刈」

 

本間洋平「家族ゲーム」

 

志賀直哉「転生」

 

夏目漱石「道草」

 

 

を取り上げて、

解説をされているのですが、

 

小説のネタバレをしないように

あえてそのストーリーは紹介せずに、

 

私が河合隼雄さんの解説で、

印象に残った部分を引用しながら、

 

「中年の危機」について、

皆さまと一緒に考えていきたいと

思います(^^)

 

今回は、

谷崎潤一郎「蘆刈」

(この小説はミステリアスで

なかなか味わい深い感じですよ)

 

に入る前の解説部分から・・・

 

 

中年も少し

年をとってくると、

 

あらためて自分という存在に

目を向けることになる。

 

いったい自分というのは

何者なのか

 

 

そうですね・・・

特に新型コロナ後は、

内省することが

多くなったような気がします。

 

 

もちろん、

そんなことは誰しも

若いときから、

ある程度考えているものだ。

 

若いときだって、

自分というものを

大切に思い、

自分を生かして

ゆきたいと思う。

 

そして一般的にいえば、

自分のやりたい職業とか、

結婚したい相手などが

見つかり、

 

その中で自分を確立して

ゆくことになる。

 

 

若い頃は、

一般的には

社会的な役割の中で、

自分を確立していくわけですね。

 

 

それがある程度成功したとして、

そのときに自分とは何かを

考えてみると、

 

それを支えてくれるものが、

社会的な地位や

自分の能力や財産や・・・

 

いろいろあるにしても、

それを測定する尺度が

外側にあって、

 

そのことによって

相当明確に

自分の位置を

見定められることがわかる。

 

自分は

「○○会社の××課長である」

と思うとき、

その会社に対する

世間一般の評価や、

課長職というものに対する

会社内での評価などに

支えられて、

 

「俺もたいしたものだ」

とか、

「まあ、そこそこやっている」

などと感じることができる。

 

このようにして

「私」とは何か、

 

に相当応えることが

できるのだ。

 

 

そうですね・・・

 

現実問題、

 

外側の基準、すなわち、

組織に所属していたり、

役職があったりすることによって、

自分を確立できるということは

ありますよね(^^;

 

そこで頑張ることで、

少しずつ自信がついていくことも

ありますし・・・

 

 

このような考え方の

便利な点は、

他と比較することが

容易なことである。

 

たとえば

「年収」

などということを

尺度とする限り、

 

その人がどのような職業に

ついていようと、

どこに住んでいようと、

 

ともかくピッタリと

順位をつけることが

できる。

 

その尺度は

どこにも適用できる

という意味で、

普遍性をもつ。

 

これがこのような考えの

強みである。

 

 

たしかに、

数字で表せるものは、

明確に「比較」できますので、

はっきりしますよね。

 

ただし、

「比較」の世界は、

必ず勝者と敗者を生むことになる。


常に勝者でいられる人は、

ごくわずか。

 

勝者になれればともかく、

敗者になった時は、みじめ・・・


そう考えると、

「比較」の世界では、

けっきょく、多くの人が、

幸せを感じにくくなるような

気がします(^^;

 

 

しかし、

人間が「私」とは何かを

考えるとき、

 

これとまったく異なる

考え方もある。

 

たとえば「私」とは、

今ここに一人で

山小屋の前に座って、

 

高い山々の峰を見ている。

 

それだけでまったく

十分なときがある。

 

これが「私だ」と

感じることができるのだ。

 

そんなとき、

その山や空気や、

そして自分の体の状況や、

それらすべてが

渾然一体となり、

「私」の感覚を支える。

 

 

これ、分かります。

 

私も(低山専門ですが)

山に登るのが好きなので、

この感覚が分かるのですが、

 

特に、山頂に辿り着いて、

運よく(?)、

他に登山者が誰もいない時、

 

おおっ、ラッキー!

山頂独り占め状態(^^)

 

空や雲や太陽や、周りの山々、

草木や、野鳥、トンボや蝶・・・

 

すなわち、

「大自然」と私が、

一体となったような感覚になります(^^)

 

ああ、至福の時・・・

 

 

と、この感覚を味わっていると、

 

たいてい、中高年の団体登山者が、

ワイワイガヤガヤ登ってきたりして(^^;

 

至福の時は、

終わりを告げるのですが(笑)

 

この感覚、

すなわち、

これが「私だ」という感覚は、


もちろん山以外でも、

味わえると思います。

 

人によっては、

旅行先での、

何気ない風景や、

 

近所で普段は

気づかなかった場所で

感じたり・・・

 

心に残る、

思い出の土地や、

故郷の風景で

感じたり・・・


神社仏閣や、

あるいは、

やっぱり自宅がいい、

という人も・・・

 

それぞれ人によって違う。

 

 

このような感覚が

わからない人には、

 

自分がそのときに見た山が

「海抜何メートル」

であるのか、

 

自分がそこに行くために

どれほどの費用を使ったのか、

 

その場所は

「有名」かどうか、

 

などを強調する。

 

こうした人は、

同じように山を見てる

「私」について考えるとしても、

 

その尺度は

先に述べた一般的尺度に

頼っている。

 

 

「一般的尺度」

に頼っていると、

自分の「感覚」に気づきにくくなる

ような気がします・・・

 

 

一般的・普遍的尺度は

わかりやすいし、

他人に対して

説得力を持ち、

他と比較することが

容易なので、

 

多くの人が

それに頼ることになる。

 

しかし、

それだけで十分であろうか。

 

「年収」が

どれだけ多くとも、

「年収」を

大きい支えとしている人は、

 

他の非常に多くの人々と

同じ人生を歩んでいるわけで、

 

特に「私」というものの

独自性を示すことには

ならないのではなかろうか。

 

それに対して、

ある場所である時に、

自分のみが

 

「ウン、これが私だ」

と感じたことは、

 

他との比較を超え、

一般的尺度に

還元しがたいものとしての

独自性をもつと言える。

 

 

世の中には、

「比較」が蔓延していて、

特にビジネスの世界、

それに、少し薄れてきたとは思いますが、

教育の世界も、

現実的には、それを原動力にして、

動いている要素が強いと思います。

 

業界内での売上シェアが~%とか、

偏差値ランキングとか(^^;

 

もちろん、

「比較」は分かりやすし、

競争することで成長できる部分もあります。

 

しかし、

「比較」の世界にどっぷり浸かり過ぎると、

何より、

「自分」を見失うことになる。

 

そして、

「独自性」というものが失われていきます。

 

人生の後半、

中年以降こそ、

 

人との「比較」ではなく、

「独自性」

 

すなわち、

「自分らしさ」

 

大切にしていきたいですね😊

 

 

 

----------------------------------------------------

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回は、別の本を、

紹介させていただく予定です(^^;

 

 

 

----------------------------------------------------

 

 

 

おまけです(^^;

 

 

おお、誰もいない・・・

至福の時(笑)

 

 

 

足柄の矢倉岳山頂です(^^)

 

低いけど・・・あっいかん、

比較しない(^^;

 

 

 

パノラマ富士山、頂部分だけ(^^;

 

 

 

拡大しました!

(翌日からは雪化粧されましたよ)

 

 

 

小田原方面(?)の海を臨む。


ああ、大自然との一体感・・・

 

 

 

帰路、洒水の滝。

すっと美しい流形でした(^^)

 

夕方、既に薄暗かったのに、

滝の周辺だけ妙に明るかったです。

(摩可不思議・・・)

 

 

 

 

まだまだ青い(私?)

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

臨床心理学のレジェンド、

河合隼雄さんの著書、

 

中年危機

 

 

を紹介しています。

 

この本は、

「中年危機」に関する小説、

 

 

夏目漱石「門」

 

山田太一「異人たちとの夏」

 

広津和郎「神経症時代」

 

大江健三郎「人生の親戚」

 

安倍公房「砂の女」

 

円地文子「妖」

 

中村真一郎「恋の泉」

 

佐藤愛子「凪の光景」

 

谷崎潤一郎「蘆刈」

 

本間洋平「家族ゲーム」

 

志賀直哉「転生」

 

夏目漱石「道草」

 

 

を河合隼雄さんがそれぞれ取り上げて、

心理学的なメスを入れるといった、

 

中年の当事者としては、

捨て置けない内容の本なのですが(^^;

 

ネタバレしない程度に、

私の印象に残ったところを、

引用させていただきたいと思います。

 

 

--------------------------------------------------------

 

 

1話目の、

夏目漱石「門」は、

「人生の四季」がテーマになっています。

 

小説の終わり部分ですが、

 

冬が終わると春が来るように、

氷が自然にとけていくように、

 

中年の危機を乗り越え、

それが解消したかに見えた夫婦・・・

 

妻が夫にこう言います。

 

 

「本当に有難いわね。

漸(ようや)くの事

春になって」

 

 

しかし、

夫は・・・

 

 

「うん、然し又じき

冬になるよ」

 

 

ようやく春が来たのに、

また冬が来る・・・?

 

そんな殺生な(^^;

 

以下、

河合隼雄さんの解説です。

 

 

これが

「門」の終わりである。

 

「冬来りなば、春遠からじ」

という言葉がある。

 

これは

若者の言葉だろう。

 

中年は

「春来りなば、冬遠からじ」

と思うのである。

 

寒い冬も耐えていると

春が来る。

 

そして、

やがて夏の盛りを

迎えるのだ。

 

というように

順序立てて、

自分をつくりあげてゆくのが、

人生の前半の仕事である。

 

しかし、

後半に向かってゆくときは、

「春来りなば、冬遠からじ」

なのだ。

 

 

「春来りなば、冬遠からじ」

とは、いったい、

どういうことなのでしょうか?

 

老後を示唆している

ということ・・・?

 

 

・・・私は、河合隼雄さんの別の本、

珠玉のエッセー集、

 

こころの処方箋

 

 

の中の、

 

「ふたつよいこと、さてないものよ」

という法則の話を想起しました。

 

こころの処方箋

から引用します。

 

 

「ふたつよいこと

さてないものよ」

 

というのは、

ひとつよいことがると、

ひとつ悪いことがあるとも

考えられる、

 

ということだ。

 

抜擢されたときは

同僚の妬みを買うだろう。

 

宝くじに当たると

たかりにくるのが

居るはずだ。

 

世の中なかなか

うまくできていて、

よいことずくめに

ならないように

仕組まれている。

 

 

なるほど・・・

 

 

この法則はまた、

 

ふたつわるいこと

さてないものよ

 

と言っていると

考えられる。

 

何かわるいこと

嫌なことがあるとき、

 

よく目をこらして見ると、

それに見合う

「よいこと」が

存在することが多い。

 

せっかく頑張って

仕事をしようと思ったときに

病気になる。

 

残念で仕方がない。

 

しかし、

考えて見ると、

それは「休息」が

与えられたのかも知れないし、

やりすぎに対する

警告かも知れない。

 

 

そうですね・・・

 

私は、30代のころ、

暴飲暴食?のため病気を患って、

 

今も完治はせず、

薬を飲み続けているのですが、

 

たしかに、

今考えると、

悪いことばかりでなく、

良い面もあったと思います。

 

お酒がそんなに飲めなくなったので、

その分、お金が貯まっただろうし(^^;

 

結婚しようという気持ちになったし(^^;

 

仕事以外の視野が広がったし、

 

心の学びを深める、

きっかけにもなっただろうし、

 

自分の体を気遣うようになったし、

 

万能感を手放して、

少し謙虚になれましたし・・・(^^;

 

 

人間の認知というものは、

どうしても歪んでしまうんですね。

 

どんなに理性的な人でも、

客観視しているつもりでも、

 

フラットに見ることは、

なかなかできない・・・

 

ですので、

「よいこと」「わるいこと」

が生じたと思ったら、

意識して「逆」を見るようにすると、

ちょうどいいのかもしれません。

 

「よいこと」「わるいこと」

はコインの裏表。

 

プラスの中には

マイナスが隠れていて、

 

マイナスの中には、

プラスが隠れています。

 

それを意識的に見つけることが、

バランスのとれた日々を過ごすことに、

繋がるような気がします。

 

ちなみに、この話、

過去ブログで取り上げておりました(^^;

(やはり、印象深かったんですね)

 

よかったら、ご参照ください。

 

 

 

・・・で、

夏目漱石「門」の

河合隼雄さんの解説に戻ります(^^;

 

 

「春来りなば、冬遠からじ」

の心境で生きていると、

 

冬の中に春を見たり、

春の中に冬を見たりすることも

可能になってくる。

 

春夏秋冬が

このように順番に

ゆっくりと交代して現れ、

 

春と夏や、

夏と秋などが

峻別できると思うのは、

若者の考えである。

 

冬のなかに

春を見ることが

上手になってこそ、

 

中年の次にやってくる

老年へと

スムーズに入って行ける。

 

人生の冬のなかに生きつつ、

そこに春夏秋冬を

見ることができるので、

老いが豊かに

なってくるのである。

 

(中略)

 

せっかくこの世に生まれてきて

春だけ楽しむのも、

もったいない話である。

 

春夏秋冬を

すべて味わうほうが

面白いのではなかろうか。

 

 

そうですね・・・

 

私たちがこの世に

生まれてきた「意味」は、

 

人生の「春夏秋冬」を

感じて味わうためではないかと

思います。

 

もちろん、

「冬」を体験している時には、

そんな余裕はなく、

 

「早く春よ来い!」

と考えてしまうのが人情ですが(^^;

 

たとえ

「冬」の中にいると感じても、

そこに

「春」を意識的に見出だす視点。

(逆もまたしかり)

 

大切にしていきたいです😊

 

 

 

--------------------------------------------------------

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回へ続きます(^^;

 

 

 

 

 

宮音オヤジに、

愛用のストレスレスチェアを

取られました・・・

 

早くどいてくれ(^^;

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

過ごしやすい気候になってきましたね😊

 

今回紹介する本は、

ユング派の臨床心理学者で有名な、

河合隼雄さんの著書、

 

中年危機

 

 

です(^^;

 

何だか最近の私、

この手をテーマにした本の紹介が

多いような気がしますが(^^;

 

やっぱり、私自身、

自覚があるわけでして(苦笑)

 

ここ数年来、

(いや、もっと前から?)

じわじわと

「中年危機」

(カタカナだと、

ミドルエイジ・クライシス)

の時期を迎えている・・・

 

という気がしています(^^;

 

河合隼雄先生は、

この中年の問題を考えることを、

「中年心理学」

とおっしゃっていますが(^^;

 

この問題を最初に取り上げたのは、

心理学者のユングだといいます。

 

本書の「はじめに」

から引用します。

 

 

彼(ユング)は

自分のところに

相談に来る人に

中年以降の人が

多いと言っている。

 

それに興味深いことに、

彼のところに来る

約三分の一の人は、

一般的な意味で言うと、

何の問題もない、

むしろ

「適応がよすぎることが問題」

とでも言いたいほどであった、

と言っている。

 

そのような人は、

財産、地位、家族などについては、

問題がないどころか、

むしろ他と比較すると、

はるかに恵まれた状況にあった。

 

しかし、

彼らのすべてが

「何かが足りない」

と感じたり、

「不可解な不安」

に悩まされたりして、

ユングのところを

訪れたのである。

 

 

私の場合は、

仕事や家庭のことで、

多かれ少なかれ

問題が生じてきましたので、

 

「適応がよすぎることが問題」

 

という訳ではないのですが(^^;

 

やっぱり、

中年期になると、

 

たとえ、

表面上は順風満帆に見えたとしても、

今までの人生で、

無意識に目を背けてきたことや、

抑圧してきた影の部分は、

 

程度の差こそあれ、

多くの人の中にあるのだと思います。

 

そして、

自分や家族に、

何らかの問題が生じてくることもある。

 

ただ、それは、

決して「悪いこと」

とは言い切れないんですね。

 

 

ユングは

このような人々に会い、

また自分自身の体験をも踏まえ、

 

中年において、

人間は大切な人生の転換期を

経験すると

考えるようになった。

 

彼は人生を

前半と後半に分け、

 

人生の前半が自我を確立し、

社会的な地位を得て、

結婚して子供を育てる

などの課題を成し遂げるための

時期とすれば、

 

そのような

一般的な尺度によって

自分を位置づけた後に、

 

自分の本来的なものは

何なのか、

 

自分は

「どこから来て、どこに行くのか」

 

という根源的な問いに

答えを見出そうと

努めることによって、

 

来るべき

「死」をどのように

受けいれるのか、

という課題に取り組むべきである、

と考えたのである。

 

 

これが、

ユング心理学でいう、

いわゆる、

「自己実現」

「個性化」

というやつですね。

 

この場合の自己実現とは、

「功成り名を遂げる」

というような意味ではなく、

 

引用したように、

「自分の本来的なものになる」

ということです。

 

 

太陽が上昇から下降に

向かうように、

中年には転回点があるが、

 

前述したような課題に

取り組む姿勢をもつことにより、

下降することによって

上昇するという逆説を

経験できる。

 

 

下降することによって

上昇するという逆説・・・

 

素敵な表現ですね。

 

人生の後半は、

決してすべてが下り坂という訳ではなく、

 

今まで無意識に、

目を背けていたことや、

抑圧したこと(影)を受け入れて、

統合することによって、

 

人格的には、

さらに成長することができるのです。

 

ただし・・・

 

 

そのような

大きい転回を経験するためには、

相当な危機を経なければならない、

 

というわけである。

 

 

・・・簡単なことでは

ないんですね(^^;

 

この本でも、

「創造の病」

(クリエイティブ・イルネス)

として紹介されていますが、

 

フロイトやユング自身も、

かなり重い病的体験を経ていますし、

夏目漱石も、

胃潰瘍で死に近い体験をしています。

 

 

われわれにとっては、

自分の人生そのものが

「作品」であると

言うこともできる。

 

つまり、

かけがえのないひとつの人生を、

われわれは

「つくり出す」

のであり、

そのような意味で、

どのような人間であれ、

「創造活動」にかかわっていると

考えられる。

 

そのように考えると、

どのような人にとっても、

「創造の病」にかかる可能性は

高いわけである。

 

 

そうですね・・・

 

私たちが、

人生という名の

「作品」を作り出すうえで、

「創造の病」は避けて通れないのです。

 

ですから、

もし、今、中年危機で、

苦しんでいらっしゃる方がいれば、

どうか、これを乗り越えれば、

「自己実現」に近づく、

 

つまり、通過儀礼だと

考えていただければ・・・

 

と思います。

 

 

現代は平均寿命が長くなったので、

80歳くらいまで

生きることになる。

 

 

この本が書かれたのは、

1993年ですので・・・

 

今はもっと長い。

100年といわれていますね(^^;

 

 

人間の人生を

「効率」という点から見る

考え方によると

 

―そんな見方をする人が

増えてきたように思うが―

 

随分と効率が

悪くなってしまってから、

まだ大分長い人生を

生きねばならない。

 

それを今までどおりの

「働け働け」や

「効率主義」の考え方で

生きることなど

不可能である。

 

老年になってくると、

それまでの生き方とは異なる

人生観や価値観をもって

生きていくことが必要になる。

 

それはつまり

ユングのいう

「人生後半」の生き方を

自分なりに

見出さねばならぬことを

意味しているが、

 

それを行うためには

中年からの心がけが

大切である。

 

このように考えると、

これからの人生は、

 

一山型のカーブでなく、

双子型の山の軌跡を

たどることになり、

 

一回目の山を越え、

二回目の山に

とりかかろうとするあたりが

中年に当たると考えられる。

 

 

・・・今でこそ、

ベストセラー

ライフ・シフト

などの影響で、

このような考え方が

メジャーになっていますが、

 

河合隼雄さんは、

何と30年前に、

述べられているんですね!

 

先見の明というか、

これからの時代で必要なものを、

しっかりと洞察されていたのだと思います。

 

 

ということで、

前置きが長くなりましたが、

この本は、

 

「中年危機」に関する文学作品を、

河合隼雄さんが取り上げて、

解説をしている本になります。

 

既に、河合隼雄さんが、

鋭い解説をされていますので、

私の出る幕はないのですが(^^;

 

私は、河合隼雄さんが解説されている中で、

「なるほど~」

と感じたところを紹介して、

私なりに補足をさせていただければと思います。

 

ちなみに、

取り上げられている文学作品は、

 

 

夏目漱石「門」

 

山田太一「異人たちとの夏」

 

広津和郎「神経症時代」

 

大江健三郎「人生の親戚」

 

安倍公房「砂の女」

 

円地文子「妖」

 

中村真一郎「恋の泉」

 

佐藤愛子「凪の光景」

 

谷崎潤一郎「蘆刈」

 

本間洋平「家族ゲーム」

 

志賀直哉「転生」

 

夏目漱石「道草」

 

 

・・・皆さま、

読んだことのある作品はありますか。

 

私は、正直にいうと、

ひとつもないのですが(^^;

(「砂の女」は読んだかも?)

 

この本を読んで、

いくつかの作品を読みたくなりました!

 

で、・・・

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

今回も、最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

 

---------------------------------------------------

 

 

 

 

 

 

甘えん坊の宮音(みやお)です😸

(通称みいたん)

 

 

 

近所の鶴見川(逆光)。

 

よく、散歩がてら、

動禅(太極拳のようなもの)を一人でやっています。

 

我ながら、怪しいおっさんですが(^^;

 

とってもリフレッシュできます😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

著作家、パブリックスピーカーである、

山口周さんの

知的好奇心をそそられる本、

 

ニュータイプの時代

 

 

を紹介してきました。

 

今回6回目、最終回です(^^;

 

今回は、

この本の中で、

私が背筋が伸びたというか、

感銘を受けたところを紹介しますね。

 

 

今この瞬間の

社会のありようを前提にして、

 

そのなかでいかに

功利的に動けば

ゲームに勝てるか、

 

という問題意識に

現代人の多くは

囚われすぎているように

思います。

 

 

どきっ・・・

 

どういうことでしょうか。

 

 

社会や組織の

ありようについて、

その是非を問うことなく

「世の中とはそういうものだ」

と割り切った上で、

 

システムを変革するのではなく、

自分自身を

システムに最適化して

ゲームに勝つ、

 

ということに

血道を上げる人が

あまりにも多い。

 

 

う~ん、私も、

そうだったかも

しれません・・・

 

 

そのような努力の末に、

めでたく高額の収入と

他者からの嫉妬や羨望を

勝ち取る人がいるのも

事実でしょう。

 

そして、

そのような

「勝ち組」といわれる人を見て

 

「彼らと同じような

努力をすれば、

自分も同じようになれる」

 

と考えるナイーブな人が

ごまんといて、

これが一種の

「市場」として成立している

側面があります。

 

 

たしかに・・・

 

私は、いわゆる、

「勝ち組」といわれるほどには、

なれませんでしたが(^^;

 

周りを見渡しても、

たとえば、

MBA取得を目指すような人の

ホンネは、

そんなような気がします。

 

このような、

 

「システムに対して

無批判に最適化して

美味しい立場を得ようとする人」

 

というのは、

オールドタイプの典型なのですが、

それには問題が2つあるといいます。

 

1つ目を紹介します。

 

 

現在の社会システムに

適応して成功した人を

模倣し続ければ、

現在の問題ある社会システムは

ますます強固で

動かし難いものとして

存続してしまう、

 

ということです。

 

 

たしかに・・・

 

その社会システムの中で成功した人は、

自分の既得権のためにも、

あえて、

システムを変革しようとはしませんよね。

 

むしろ、守ろうとする。

 

当たり前です(^^;

 

 

昨今では、

高度な教育を受けた

エリートの中ですら

 

「この残酷な社会で

どのように勝ち残っていくか」

 

などという

視座の低い論点を立てている人が

見られますが、

 

そもそも

「残酷な社会」など

誰も望んでいません。

 

もし私たちの社会が

「残酷な社会」

なのであるとすれば、

 

教育を受けたエリートが

本当に考えなければいけないのは

 

「残酷な社会でどう勝つか」

などという卑賎な論点ではなく、

 

そもそも

「なぜ私たちの社会は

残酷なのか」

「どうすれば柔和で公平な社会が

できるのか」

 

という論点であるべきでしょう。

 

 

・・・共感します。

 

ノブレス・オブリージュ

という言葉があります。

 

本来、エリートと呼ばれる人は、

我欲をある程度は捨てて、

社会のために力を尽くすのが、

義務だと思いますが、

 

たしかに昨今のエリートは、

自分が勝ち残ることを優先している人が

多いような気もします(^^;

 

 

「なぜ私たちの社会は

残酷なのか」

 

「どうすれば柔和で公平な社会が

できるのか」

 

 

・・・

 

改めて突き付けられると、

考えさせられますね。。

 

私は、一進一退しながらも、

潮流としては、今の世の中は、

柔和で公平な社会が実現する方向へ、

少しずつ動いているという

実感がありますが、

 

でも、

それが実現するのは、

かなり先になるような気もします。

 

では、そのなかで、

私自身は、

いったい何ができるのか、

(私はエリートでは、

まったくありませんが(^^;)

 

そうですね・・・

 

持ち場(職場)での実践を心がけるのと、

あとは、

産業カウンセラーの役割としても、

柔和で公平な社会が実現するように、

自分ができることを取り組んでいきたいと

思っています。

 

 

山口周さんは、

今の世の中を、

哲学者ハイデガーの

「世界劇場」にたとえて、

説明しています。

 

 

すべての人は

世界劇場において

役割を演ずるために

世界という舞台に

放り出されています。

 

(中略)

 

ここで問題となってくるのは

「現存在と役割の区別」です。

 

多くの人は、

世界劇場で役割を演じている

耽落(役割に埋没)した自分と、

本来の自分を区別することが

できません。

 

カッコいい役割を

もらっている人は、

役割ではなく

自らの現存在を

「カッコいい」と考え、

 

ショボい端役をもらっている人は、

役割ではなく

自らの現存在を

「ショボい」と考えてしまいます。

 

 

なるほど・・・

 

単なる劇場での

「役割」にすぎないのに、

それが、本来の自分だと、

勘違いしてしまう。

 

 

そして、

当たり前のことながら

主役級の役割を

もらっている人は

ごく少数に過ぎません。

 

多くの人は

ショボい端役を与えられた

大根役者として

世界劇場の舞台に

立つことになり、

 

役割を演じるのに

オロオロと四苦八苦しています。

 

一方で、

役になり切って

高らかに歌い踊る

主役級の人々に

嫉妬と羨望の混ざりあった

複雑な感情を抱くか、

 

その真逆に

「ああはなりたくないよね」

といった態度を

取ってしまったりするわけです。

 

 

たしかに・・・

 

今の世相を、

うまく表現されていますね。

 

 

この世界劇場で

演じられている劇には

いろんな問題があります。

 

この世界が

健全で理想的な状況にある

と思っている人は、

世界に一人もいないでしょう。

 

つまり

世界劇場ということでいえば、

この劇の脚本は

全然ダメな脚本だ

ということです。

 

したがって、

この世界劇場の脚本は

書き換えられなければ

ならないわけですが、

 

ここで浮上してくるのが

 

「誰がその脚本を書き換えるのか」

 

という論点です。

 

 

そうですね・・・

 

しかし、

考えてみたら、

世界劇場で力を持っている花形役者

(オールドタイプのエリート)には、

脚本を書き換える必要はないわけですね。

 

今、活躍できているわけですから(^^;

 

むしろ、現状のままの脚本のほうが

いいということになる。

 

 

今の世界劇場に

完全には適応できていない人、

 

端役を押し付けられた

大根役者にはもちろん、

脚本を改変する

インセンティブがあるわけですが、

 

多くの大根役者は

「脚本の歪み」

を是正することよりも、

 

「どうやったら自分も

花形役者になれるのか」

 

という問題ばかりに

気をとられて

花形役者から搾取される

いいカモになっており、

 

ますます脚本の歪みを

強固にしてしまっています。

 

 

・・・いいカモとは、

手厳しいですが(^^;

 

でも、そのとおりですね。

 

仮に花形役者になれたとしても、

その他の大多数の人は、

大根役者のままで不遇なわけですし、

 

いつ、

花形から降ろされるのではないかと、

ビクビクしながら演じることになります。

 

やはり、

一部の人は花形として活躍できるが、

その他大多数の人が、

大根役者として不幸なままの脚本は、

脚本それ自体がダメなわけです。

 

では、

どうすればいいのか。

 

 

結局のところ、

この劇の脚本を書き換えるには、

 

舞台の上で適切に振る舞うことで

したたかに発言力・影響力を

高めながら、

 

脚本そのものへの

批判的な眼差しは失わないという

二重性を持った人によるしか

ありません。

 

そして、

そのような二重性を

破綻なく持った人物こそが、

システムの改変を担う

ニュータイプだと

いうことになります。

 

 

そうですね・・・

 

オールドタイプが

まだ権力を握っている社会や組織で、

まずはある程度、認められる。

 

そこで発言力・影響力を高めつつも、

 

「自分さえよければ、それでいい」

と、その中に埋没することなく、

 

「一部の人が成功者で、

それ以外の人が不幸を感じる世の中は

おかしい」

 

という思いは、常に胸に秘めておく。

 

そして、チャンスをうかがい、

自分の影響力の及ぶところから、

少しづつ変革していく・・・

 

私は、微力ながらも、

そんなニュータイプを目指したいと

考えています(^^)

 

 

 

------------------------------------------------

 

 

 

以上、

6回にわたって、

山口周さんの

ニュータイプの時代

 

 

を紹介・解説してきました。

 

私は、

どちらかといえば、

オールドタイプ寄りの人間なのですが(^^;

 

これからは、

ニュータイプの要素も開発して、

しなやかに、心ゆたかに、

生きていきたいという気持ちになりました。

 

今の時代、

「何かがおかしい」

と違和感を感じている人にもおすすめです!

 

示唆に富み、

知的好奇心がそそられる本だと思います。

 

 

 

 

-------------------------------------------------------

 

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回からは、

別の本を紹介・解説いたします。

 

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

何を着ようかちょっと迷うような、

今日この頃ですね(^^;

 

 

著作家、パブリックスピーカーである、

山口周さんの本、

 

ニュータイプの時代

 

 

を紹介しています。

 

前回は、

哲学者のスピノザの

「コナトゥス」という言葉、

すなわち、

「本来の自分らしい

自分であろうとする力」

(価値観に近いと思います)

のことを紹介しました。

 

もちろん、

「コナトゥス」

は人によって違うわけですが、

 

では、

今の変化の激しい時代に、

「コナトゥス」を高めるには、

どうすればいいのか。

 

失敗を恐れずに、

いろいろと「試してみる」

しかないということですが(^^;

 

これについて、

スタンフォード大学の

クランボルツさんの有名な

「計画された偶発性」

という理論があります。

 

 

ジョン・クランボルツは、

米国のビジネスマン

数百人を対象に

調査を行い、

 

結果的に成功した人たちの

キャリア形成のきっかけは、

80%が「偶然」である

ということを

明らかにしました。

 

 

成功者の80%は、

たとえば、

大谷翔平くんのように、

子どもの頃に強く抱いた夢を

追いかけ続けて、成功した、

というわけではないんですね。

 

そうではなく、

「偶然」が重なって、

成功者の位置に辿り着いた。

 

これは、

立身出世という意味だけでなく、

ほんらいの自分であること、

すなわち、

「コナトゥス」

も同じではないかと考えます。

 

 

キャリアは

偶発的に生成される以上、

中長期的なゴールを設定して

頑張るのはむしろ危険であり、

 

努力はむしろ

「いい偶然」

を引き寄せるための

計画と習慣にこそ

向けられるべきだと主張し、

それらの論考を

 

「計画された偶発性

=プランド・ハップンスタンス・

セオリー」

 

という理論にまとめました。

 

 

キャリア理論では有名な、

 

「計画された偶発性」

(Planned Happenstance)

 

ですね(^^)

 

もちろん、

計画や目標は、

あるに越したことはないですし、

それに向かって、

コツコツ努力することは

大切なことですが、

 

「中長期的なゴール」

にあまりにも縛られると、

可能性をつぶしてしまう恐れがある。

 

では、

「いい偶然」を引き起こすためには、

何が必要なのでしょうか。

 

クランボルツさんは、

以下のポイントを挙げています。

 

 

<好奇心>

自分の専門分野だけでなく、

いろいろな分野に視野を広げ、

関心を持つことで

キャリアの機会が増える。

 

<粘り強さ>

最初はうまくいかなくても

粘り強く続けることで、

偶然の出来事、

出会いが起こり、

新たな展開の可能性が増える。

 

<柔軟性>

状況は常に変化する。

一度決めたことでも

状況に応じて

柔軟に対応することで

チャンスをつかむことができる。

 

<楽観性>

意に沿わない

異動や逆境なども、

自分が成長する機会に

なるかもしれないと

ポジティブに捉えることで

キャリアを広げられる。

 

<リスクテイク>

未知なことへの

チャレンジには、

失敗やうまくいかないことが

起きるのは当たり前。

積極的にリスクを取ることで

チャンスを得られる。

 

 

・・・いかがでしょうか。

 

特に、

<好奇心>

が基本になるような気がします。

 

まとめると、

「オープンマインド」

ということでしょうか。

 

 

このクランポルツの指摘を

先ほどのスピノザの指摘に

重ね合わせてみれば、

 

私たちにとって重要なのは、

自分のエイドス

(姿形や立場によって、

良い悪いを確定してしまうこと)

にしたがって、

選り好みするようなことはせず、

 

どのような対象にも

自分のコナトゥスを

高める機会が

あるかもしれないと考え、

オープンに機会を

受容していくこと

なのだということがわかります。

 

これこそが、

特に変化が激しく、

職業リストそのものが

どんどん書き換わっていくような

時代にあって求められる

ニュータイプの思考様式です。

 

 

なるほど・・・

これがニュータイプの思考様式

なんですね。

 

 

一方で、

オールドタイプは

計画にこだわります。

 

長期の計画を立て、

その計画を

頑なに実行しようとし、

 

思いがけずやってきた

機会に対して

自らを閉ざし続けるのが

オールドタイプの

行動様式といえます。

 

 

・・・

私は、どちらかといえば、

オールドタイプです(^^;

 

今までのキャリアにおいても、

ちょっと、オープンマインド、

柔軟性に欠けていたというか・・・(^^;

 

 

昨今、

「リカレント」

「リスキリング」

という言葉をよく目にします。

 

いわゆる、

「学び直し」ですね。

 

人生100年時代、

私も人生の後半戦に向けて、

いろいろと準備を進めておりますが、

 

まずは、

自分の価値観にフィットしたことを学ぶ。

(嫌々やっても、苦しいだけですので)

 

老後の不安解消、

生き残るために仕方なく学ぶ

(今の世の中の風潮ですね・・・

もちろんそれも少しはありますが(^^;)

のではなく、

 

あくまで、

人生を豊かにするために学ぶ。

 

学び続ける中で、

オープンマインドを保ちながら、

出会いを大切にして、アンテナを張りつつ、

 

偶然のチャンスがあれば、

柔軟に対応する。

 

そんな姿勢でいたいと思っています😊

 

 

なお、

山口周さんの

キャリア論に特化した本としては、

 

仕事選びのアートとサイエンス

 

 

今回紹介したような内容を、

さらに詳しく述べられた本です。

 

 

「仕事選びを予定調和させることはできない。

自分をオープンに保ち、

いろいろなことを試し、

しっくりくるものに落ち着くしかない」

 

 

ご自分のこれからキャリアを悩まれたり、

転職をしようか迷っている方には、

ヒントになると思います。

おすすめします(^^)

 

あと、

人生を中長期で計画するのではなく、

特に50代からは、

3年単位で計画することを提唱した本、

 

50代からは3年単位で生きなさい

 

 

前に取り上げた本です。

まだの方は、

よかったらブログご参照ください(^^;

 

 

 

 

------------------------------------------------------

 

 

次回もこの本の続きを紹介しますね(^^;

(たぶん最終回)

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

------------------------------------------------------

 

 

追伸

アントニオ猪木さん追悼

ということで、

 

猪木さんが引退のときに朗読した詩、

(一休禅師作?といわれている)

を紹介させていただきますね(^^)

 

 

「この道を行けば

どうなるものか

 

危ぶむなかれ

危ぶめば道はなし 
 

踏み出せば

その一足が道となり

その一足が道となる

 

迷わず行けよ

行けば分かるさ」

 

(道)

 

 

・・・勇気が湧いてきますね!

 

この詩、

私の結婚式披露宴で、

友人が(ふざけ半分で)

朗読してくれましたよ(^^;

 

30代の頃、

遊びでバンドのまねごとをしていたのですが、

この詩にインスパイアされて、

歌詞を書いたりもしました(^^;

 

友人から

プレゼントで貰った本。

 

 

猪木詩集「馬鹿になれ」

 

「馬鹿になれ」

 

タイトルが最高ですね~(^^)

 

おお、今、

アマゾンでプレミアになっている!

(絶対売りませんが)

 

 

「迷わず行けよ

行けば分かるさ♪」