ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
急に寒くなってきましたね(^^;
著作家、パブリックスピーカーである、
山口周さんの刺激的な本、
の内容を、
紹介・解説しております。
この中で、
「ニュータイプのキャリア戦略」
について述べられているところが、
なかなか有益だと思ったので、
今回から、その箇所を、
皆さんとシェアさせていただきますね。
引用します(^^)
17世紀に
オランダのハーグで活躍した
哲学者のスピノザは、
人であれモノであれ、
それが
「本来の自分らしい
自分であろうとする力」
をコナトゥスと呼びました。
コナトゥスという言葉は
もともとラテン語で
「努力、衝動、傾向、性向」
といった意味です。
コナトゥス?
私は初めて目にした言葉ですが(^^;
「努力、衝動、傾向、性向」
といった意味なんですね。
この場合、
「価値観」とも近いと思います。
スピノザは、
その人の本質は、
その人の姿形や肩書ではなく、
コナトゥスによって
規定されると考えました。
当然のことながら、
コナトゥスは多様であり、
個人によって
異なります。
そうですね。
人それぞれ違うはずです。
さて、
私たちは
「良い・悪い」
という評価を、
社会で規定された
絶対的尺度として
用いていますが、
スピノザによれば
それらの評価は
相対的なものでしかなく、
文脈に依存して決定されます。
ではどのような文脈に
依存するのかというと、
その人のコナトゥスを
高めるのであれば
「良い」ということになり、
その人のコナトゥスを、
毀損するのであれば
「悪い」ということです。
つまり、
この世に存在している
あらゆるものは、
それ自体として
「良い」とか「悪い」
ということはなく、
その人のコナトゥスとの
組み合わせによって決まる、
とスピノザは考えたわけです。
そうですね・・・
つまり、
「良い」「悪い」
は絶対的なものではなく、
人それぞれの
「価値観」によって、
「良い」「悪い」
は決まってしまう。
もしあなたが
自然の中に身を置いて、
活力が高まるのを
感じたのであれば、
自然はあなたの
コナトゥスにとって、
「良い」ということになります。
一方で、
孤独に苛まれやすい人が
自然の中に身を置いて、
疎外感を感じたのであれば、
自然はその人のコナトゥスにとって、
「悪い」ということになります。
どきっ・・・
私は一人山歩きが好きですし、
自然の中にいると、
癒されて、すっきりするタイプですが(^^;
たしかに、
孤独や疎外感を感じる人もいるんですね・・・
世間的にも、
アウトドアやソロキャンプブームで、
「自然礼賛」というか、
「自然が好きな人で悪い人はいない」
(逆にいえば自然が嫌いな人はイヤな人)
みたいな風潮がありますが、
それは、あくまで、
その人たちの価値観(コナトゥス)
にすぎないわけであって、
暗に押し付けるものではないんですね(^^;
私たちは
極めて変化の激しい時代に
生きており、
私たちを取り巻く事物と
私たち個人の関係は、
常に新しいものに
取って代わられていくことに
なります。
このような時代にあって、
何が「良い」のか
「悪い」のかを、
世間一般の判断に基づいて
同定することはできません。
そうですね・・・
今の変化の激しい時代、
万人に共通する「正解」などない・・・
では、どうすれば、
見つけられるのか?
私たちが、
自分の人生を
賢人として楽しむためには、
つまるところ、
さまざまなものを試し、
どのような事物が
自分のコナトゥスを高めるか、
あるいは毀損するのかを
経験的に知っていくことが
必要になります。
さまざまなものを「試す」・・・
トライアル&エラー、
自分で試行錯誤しながら
見つけていくしかないんですね。
これに対置される考え方が、
姿形や立場によって、
その人の
「良い」「悪い」
を確定してしまうという
考え方です。
(中略)
ギリシャ語では
エイドスと呼びます。
コナトゥスの対置が、
エイドス・・・
たとえば
男性・女性というのは
一つのエイドスですが、
ではだからといって
「あなたは女だから、
これが好きなはずだ」
「あなたは男だから、
こうするべきだ」
というのは、
コナトゥスを無視した
押し付けになってしまいます。
そうですね。
たとえば、
いくら権威のある人、
親が言ったから、
学校の先生が言ったから、
社長が言ったから(笑)
といっても、
その人のコナトゥスを高めるものとは
限らないわけです。
人それぞれ、
価値観は違うわけですから(^^;
そのように
押し付けられたものが、
本当にその人の
コナトゥスを高める
「良い」ものであるか
どうかはわかりません。
私たちは
自分の姿形や立場といった
エイドスに基づいて
「私はこうするべきだ」
「私はこうしなければならない」
と考えてしまいがちですが、
このようなエイドスに基づいた
自己認識は
往々にして
個人のコナトゥスを毀損し、
その人がその人らしく
生きる力を
阻害する要因になっています。
私たちは、つい、
「べき」「ねばならない」
思考で捉えてしまいがちですが、
たしかに、それが行き過ぎると、
自分を見失ってしまう・・・
「べき」「ねばならない」
は、ホントの自分を見つめなくてもいいので、
ある意味、楽なのですが、
それは、一種の「逃げ」というか、
責任放棄ともいえるんですね。
(と、自分を指さしていいます(^^;)
このような
変化が激しく、
「良い・悪い」の観念が
暴力的に他者に押し付けられる
時代だからこそ、
私たちは
自分のコナトゥスを
高める事物を
さまざまに試していくことが
必要になります。
他者から押し付けられる、
「べき」「ねばならない」
に逃げることなく、
自分のコナトゥスを高めるには・・・
失敗を恐れずに、
いろいろと「試してみる」
しかないということですが(^^;
これについて、
スタンフォード大学の
クランボルツさんの有名な
「計画された偶発性」
という理論があります・・・
・・・次回紹介させていただきますね(^^;
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました😊
次回に続きます・・・
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おまけです(^^;
あれっ、いないと思ったら、
クローゼットのスーツの下に(^^;
ウチの玄関に最近よく遊びにくる、
(妻がエサをあげるから?)
私たちが通称
「タキシー」と呼んでいる野良ちゃん。
やっと撮影できました(^^;
あれっ・・・
ブロ友のcheese-parisさんの
ブログにたまに登場する、
「くろちゃん」にちょっと似てるかも(笑)



























