ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

私は、まだ、

正月ボケが治らない感じですが(^^;

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

 

「ウェルビーイング」の第一人者、

慶応義塾大学の、

前野隆司・前野マドカ夫妻の著書、

 

ウェルビーイング

 

 

の内容から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています。

 

今回が2回目になります。

 

前野隆司さんは、

理系出身の元エンジニアの方ですが、

今は、ウェルビーイング、

「幸福学」の研究を中心にされています。

 

前野先生のいう、

幸福の対象には、

 

「地位財」と、

「非地位財」があります。

 

 

地位財は長続きしない幸せで、

他人と比較できる

カネ、モノ、地位などです。

 

 

もちろん、

「地位財」も

あるに越したことない。

 

力を得ることになりますし、

それを使って、

社会貢献することもできます。

 

ただ、どうしても

他人と比較してしまいがちなので、

「もっともっと」と、

なかなか満たされた感じがしないのと、

 

それに執着をすると、

逆に幸せから遠のいてしまう可能性も

あると思います。

 

「地位財」は一過性の幸せと、

考えた方がいいかもしれません。

 

では、

「非地位財」とは?

 

 

精神的、身体的、社会的に

良好な状態、

 

つまり

ウェルビーイングです。

 

 

ウェルビーイングとは、

精神的、身体的、社会的に良好な状態、

「非地位財」のことなんですね!

 

では、

その「非地位財」とは、

どのようなものなのでしょうか。

 

前野先生は、

4つの因子があるといいます。

 

その4つとは、

 

 

(1)「やってみよう」因子

(2)「ありがとう」因子

(3)「なんとかなる」因子

(4)「ありのままに」因子

 

 

(1)「やってみよう」因子とは、

自己実現と成長を指します。

 

やりがいや強みを持ち、

主体性の高い人は幸せであるといいます。

 

これを高めるには、

自分なりに具体的な目標や夢を持つことや、

人生に意味を見出すことも

有効だといいます。

 

ちなみに、私は、

今、カウンセラーとしての上級資格を

取得すべく、

研鑽を続けているのですが、

 

おかげさまで、それが、

日々の生活のハリにもなっています(^^)

 

(2)「ありがとう」因子とは、

つながりや感謝の因子です。

 

利他性や思いやりを持つことが

幸せであることを指します。

 

これを高めるためには、

「対話」することが有効だといいます。

 

 

例えば、最近

「ワンオンワン・ミーティング」

が広まっています。

 

上司と部下が一対一で、

仕事の話ではない

軽い相談事や

身の上話をするミーテイングは

効果的です。

 

 

そうですね。

一昔前の職場では、

そういった会話は

日常的に行われていたような気もしますが、

 

今は、

雑談も憚られる時代ですので(^^;

「ワンオンワン・ミーティング」

という制度を導入するのも、

効果的だとは思います。

 

ただし、ワンオンワンが、

単なる目標達成面談にならないように、

注意が必要ですね。

 

 

とにかく

人の話を聞くことが

要諦です。

 

傾聴して批判せずに

じっくりと会話を行う。

 

相手に自己開示した状態で

話をしてもらうことが大切です。

 

 

自己開示してもらうには、

職場の場合、

日頃からの信頼関係も、

ポイントになりますね。

 

 

相手の話をしっかりと聞かずに

途中で話をさえぎると、

 

相手は満足感を得られませんから、

幸せではなくなります。

 

相手の話を傾聴し、

批判せずに

じっくりと会話をできる人は

幸せです。

 

 

「傾聴する」ことは、

話し手はもちろんのこと、

聞き手も幸せになるんですね(^^)

 

「傾聴」

 

もちろん

カウンセリング時においては、

基本中の基本で、

必要不可欠なのはいうまでもないですが、

 

日常生活においても、

意識したいところですね。

(私の場合、特に妻に対して(^^;)

 

(3)「なんとかなる」因子は、

前向きかつ楽観的で、

何事も何とかなると思える、

ポジティブな因子のことです。

 

この因子を高める方法の一つは、

幸せであるように

振る舞うことだといいます。

 

 

無理やりでも

口角を上げて

笑顔をつくること・・・

 

(中略)

 

上を向いて大股で歩くと

幸せになるという研究や、

 

胸を張ると

幸福度が高まるという

研究があります。

 

 

心と体はつながっています。

 

形から入ると、

心もしだいにそうなっていくことは、

実感としてわかります(^^)

 

「ありがとう」因子にも

当てはまりますが、

「感謝ぐせ」

をつけるのもおすすめです!

 

私は、以前は

どちかかというと苦手だったのですが、

 

ささいなことでも、感謝する、

できれば、

「有り難う」と言葉にする。

 

そうすると、

言われたほうも幸せでだし、

言うほうも幸せな気分になります。

 

寝る前に、

今日の感謝3つを

簡単に書くというのも有効です。

 

・・・といっているそばから、

私は最近やっていないことに

気づきました😅

 

よし、今日から復活するぞ!

 

(4)「ありのままに」因子

 

独立性と自分らしさを保つこと。

自分を他者と比べすぎず、

しっかりとした自分らしさを

持っていることです。

 

面白いのは、

米国の研究では、

(アメリカ人にとって)

独立性と自分らしさというのは、

あたりまえすぎて、

幸せの因子には入らないようなのです。

 

 

米国は

個人主義を基調としている

国なので、

誰もがありのままに

自分らしさを持ち、

そのうえで多様性を認め合うことが

常識的な社会です。

 

一方、日本では、

同調圧力が強く、

「出る杭は打たれる」

ということわざ通り、

皆と同じようにしていないと

白眼視される傾向が残っており、

どちらかというと

自分らしさを発揮しにくい国です。

 

そうした環境で暮らす人々は、

自己肯定感が低くなりがちです。

 

 

多くの日本人にとっては、

「ありのままに」因子というのが、

最も強化すべき因子かもしれませんね。

 

 

自己を確立するためには、

創造性を発揮するような

何かに挑戦するのもよいでしょう。

 

そして、

自分らしい強みを見つけたら、

それを高めていく

努力をすることです。

 

自分らしく

「ありのままに」

「やってみること」

をお勧めします。

 

 

挑戦する際のポイントは、

あくまで、

「自分の価値観」に基づくものに

することだと考えます。

 

他人の評価や世間体は二の次にして、

自分が興味を持てるものや、

意味を感じるもの、

得意なことにチャレンジをする。

 

そして、

できれば、それで人の役に立つ。

 

意外と、

今、すでにやっていることや、

目の前にあるものと、

関連することかもしれません。

 

 

以上、

前野先生流「幸福学」の、

非地位財「4つの因子」

 

(1)「やってみよう」因子

(2)「ありがとう」因子

(3)「なんとかなる」因子

(4)「ありのままに」因子

 

と、その高め方を、

 

私なりの解釈も交えて

紹介・解説させていただきました。

 

皆さんが幸福になるための

一助になれば嬉しいです😊

 

 

 

********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます!

 

 

********************************

 

 

 

 

地元の鶴見川の河川敷へ

散歩&動禅。

 

 

 

親子連れが、

きゃっきゃ言いながら、

楽しそうに凧揚げしていました😊

 

いいですね~

子どもの頃を思い出します・・・

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

2024年がスタートしましたね!

 

本年も皆様にとって、

幸せな年でありますように、

心よりお祈り申し上げます。

 

また、被災地の皆様には、

謹んでお見舞いを申し上げます。

 

一日も早く、平穏な日々が

戻ってくることを願っております。

 

 

今年1冊目に紹介させていただく本は、

 

ウェルビーイング

 

 

著者は、

慶応義塾大学の

前野隆司・前野マドカ夫妻。

 

「ウェルビーイング」の

第一人者ですね(^^)

 

「ウェルビーイング」

 

近年、よく耳にする言葉ですが、

訳語としては、

「健康」「幸福」「福祉」

があてられるといいます。

 

最近は、

「満たされた状態」

と訳されることも多いようですね。

 

この本ではその中でも、

特に「幸せ」にフォーカスして、

述べられているのですが、

 

では、その、

「幸せ」とは?

 

前回紹介させていただいた、

 

サピエンス全史

 

でも、

サブタイトルに、

「文明の構造と人類の幸福」

とあるように、

人類の幸福がテーマでもあったのですが、

 

著者の前野さんの定義する

「幸せ」の因子は4つあります。

 

 

(1)「やってみよう」因子

(2)「ありがとう」因子

(3)「なんとかなる」因子

(4)「ありのままに」因子

 

 

前野さんの著書や動画では、

よく、四つ葉のクローバーにあてはめて、

解説されていることが多いですね。

 

(この4つの因子に関しては

次回以降、詳しく紹介する予定です)

 

 

今の時代に、

ウェルビーイングが

求められている背景として、

 

本書には、

米国の生態学者ディーヴェイ氏が

仮説的図式として表した、

世界人口の超長期推移のグラフを元に、

 

京都大学広井良典教授が描いた

「人類史における 拡大・成長と

定常化のサイクル」

の図が取り上げられています。

 

世界人口の超長期推移

 

端的にいうと、

 

狩猟採集の時代、

食料が潤沢な間は人口が増え続けるが、

増えすぎると増加は止まり定常化する。

 

農耕が始まっても、

同じ経緯をたどり、

やがて人口の増加は止まり定常化する。

 

やがて、

産業革命・情報化・金融化が進んでも、

同じ経緯をたどる。

今の時代は、地球環境の限界もあり、

特に先進国、

日本などでは人口が定常化している。

 

ということです。

 

経済至上主義の観点から見ると、

定常化の時代は、

停滞期に見えますが、

 

実は、「文化」や「芸術」が発展するのは、

定常化の時代だというのです!

 

たとえば、

古代ギリシャの、

ソクラテス・プラトン・アリストテレス、

インドのブッダ、

中国の孔子・老子の時代から、

キリスト教の誕生、

ルネサンスの時代までは、

人類2回目の定常化の時期だったのです。

 

そして、今の日本は、

人類史的に見ると、

3回目の定常化の時期に

突入しているといいます。

 

 

人口増加時代と

定常時代は、

 

経済成長時代と

心の成長時代といえます。

 

経済成長から

心の成長へというステップを

二度繰り返した後の、

 

三度目の経済成長の次に来る

三度目の心の成長期へと、

また入っていくのです。

 

心が成長する時代というのは、

心の豊かさを目指す時代です。

 

人間性を高める時代に向けて、

日本はいま、

その一番手にいると

考えることもできるのです。

 

 

今の時代は、

経済成長時代ではなく、

心の成長時代。

 

これは、

独立研究者の山口周さんがいう、

「高原社会」

に通ずるものがありますね。

 

過去ブログで取り上げました。

よかったらご参照ください。

 

 

 

前野さんは、

産業界でも、

既にその動きがあるといいます。

 

 

いま、

「幸せ」という意味での

ウェルビーイング、

 

つまり

心の幸せを目指した産業が

すでに進展しはじめています。

 

例えば、

企業における研修やコーチング、

オンライン・オフラインでの

学びに関するもの、

 

市民大学、YouTubeや

instagram、clubhouse、voicy

などの上で繰り広げられる

コンテンツに至るまで、

 

心をよりよい状態にしよう

という動きは

始まっています。

 

 

そうですね。

 

これらは、たしかに、

「心をよりよい状態にしよう」

という動きともいえますね。

 

私の所属する組織も、

「研修」を頻繁にやるようになりました。

 

正直、うわべだけの感が否めないところは

ありますが(^^;

 

組織はともかく、

個人でもこの流れがあるということは、

 

やはり、

大きな時代の潮流なのだと思います。

 

今がちょうど、

過渡期といえるかもしれません。

 

ちなみに、

一部上場企業は、

今でも、義務として、

とにかく経済的な(売上・利益の)

成長が求められるといいます。

 

それでいいのでしょうか。

 

もちろん、

経済成長するに越したことはないですが、

それがマストというのはどうかと。

 

そろそろ、

価値観の転換が必要なような気もします。

 

 

心の幸せを求める

世界でのトレンドの一つは、

 

人の感性や創造性に

訴えかけ、

他者とのつながりを大切にする、

という流れです。

 

つまり、

経済成長から心の成長へ。

 

では、

心の成長とは何でしょうか。

 

過去から学べば、

音楽や美術、武道、仏道、

茶道、華道といった

文化、芸術に寄り添ったものに

なるのではないでしょうか。

 

伝統芸能や伝統工芸も

ここに含まれます。

 

また、ここに

AIやテクノロジーも

介在すべきでしょうし、

 

クールジャパンのような

現代的な文化・芸術も

一翼を担うでしょう。

 

もちろん、それらを、

金銭的欲求を満たすためだけに

展開するのではなく、

 

それ以上に

環境への配慮を含めた

社会性や公共性、

人々の生活の文化的な質を

高める方向、

 

すなわち、

ウェルビーイングが高まるほうに

価値がシフトしていくのでは

ないかと思います。

 

 

そうですね。

 

日本には、世界に誇る、

すばらしい「文化」

というものがありますので、

 

経済大国の復活よりも、

むしろ文化大国を目指したほうが

いいような気がします。

 

 

今の世界情勢を見回すと、

人類は、未だに、

不安や怖れ、不足の意識にとらわれ、

争いを繰り返しています。

 

日本も、

表面的には平和であれど、

内面的には、

不安や怖れ、不足の意識にとらわれているのは、

同じだと思います。

 

たしかに、

現実は甘くないところがあります。

 

弱肉強食の時代、

先が見えない将来への不安。

 

きれいごとはいっていられない、

損得勘定は大事、

自分の身は自分で守らなければ・・・

 

日々のニュースを見聞きすれば、

そう思うのも無理もありません。

 

私自身、そう考えることもあります。

 

しかし、

時代は変わりつつあります。

 

日本は既に、

定常化の時代に入っています。

 

現実を見据えながらも、

少しづつ、

経済成長ありきから、

心の成長へと意識をシフトしていく。

 

奪い合うのではなく、

分かち合う社会。

 

簡単なことではありませんが、

それが、結局は、

私たちの「幸せ」に

繋がっていくような気がします。

 

新年早々、

そんなことを考えました😊

 

 

 

******************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

******************************

 

 

 

 

近所の里山から・・・

 

初日の出、

ではなく(^^;

初夕日と富士山。

 

お天道様と富士山、

いつも有り難うございます😊

 

 

 

 

宮音(みやお)です😸

 

今年も登場します!

変わらぬご愛顧のほどお願い申し上げます。

 

 

 

 

うにゃあ~

 

 

 

エアコンの下はあったかいにゃ~

 

寝正月・・・💤

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

早いもので、

今年も、もう僅かですね(^^;

 

歴史学者・哲学者、

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史(下)

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています。

 

今回で5回目、

最終回です(^^;

 

この本は、

サブタイトルに、

 

「文明の構造と人類の幸福」

 

という文言が入っているように、

単に時系列に

文明の歴史を辿っていくだけでなく、

 

「人類の幸福」

 

について、

ハラリさんなりの

様々な考察が述べられています。

 

第19章は、

ずばり、

「文明は人間を幸福にしたのか」

というテーマですが、

 

ハラリさんの見解は、

必ずしも、

そうは言い切れないという感じです。

 

 

これまで私たちは、

健康や食事、富など、

おおむね物質的要因の産物で

あるかのように

幸福を論じてきた。

 

より豊かで健康になれば、

人々はより幸せにも

なるはずだ、と。

 

だがこれは、

本当にそれほど自明なことなのか?

 

哲学者や聖職者、詩人たちは、

幸福の性質について

何千年も思案を重ねてきた。

 

そしてその多くが、

社会的、倫理的、精神的要因も

物質的な条件と同じように、

幸福に重大な影響を与えるという

結論に達した。

 

ひょっとすると、

豊かな近代社会に生きる人々は、

繁栄を謳歌しているにも

かかわらず、

疎外感や空しさに

苛まれているのでは

ないだろうか?

 

そして、

私たちよりも貧しかった

祖先たちは、

 

コミュニティや宗教、

自然との絆に

大きな満足を

見出していたのでは

ないだろうか?

 

 

実際に心理学者や生物学者が、

多くの人への質問表を集計した、

研究結果があるといいます。

 

それによると・・・

 

 

興味深い結論の一つは、

富が実際に

幸福をもたらすことだ。

 

 

ううっ、

やっぱりそうなのか~

 

 

だがそれは、

一定の水準までで、

そこを超えると

富はほとんど

意味を持たなくなる。

 

 

なるほど・・・

 

ウェルビーイングで有名な、

前野隆司先生は、

 

日本円でいうと、

年収800万円くらいが、

この一定の水準だといいますが、

 

逆にいえば、

800万までは、

幸福度は上がっていく・・・

 

もちろん、

持て余すほど持っても意味はないですが、

やはり、

一定のお金は、

あるに越したことはないですね(^^;

 

 

興味深い発見は、

まだある。

 

病気は短期的には

幸福度を下落させるが、

 

長期的な苦悩の種となるのは、

それが悪化の一途をたどったり、

継続的で心身ともに

消耗させるような

痛みを伴ったりする場合に

限られるという。

 

 

そうですね・・・

 

私も慢性の持病があって、

ずっと薬を飲み続けているのですが、

 

だからといって、

あまり不幸とは感じないですね。

 

もちろん、

おかげさまで特に悪化していないことが、

大きいとは思いますが(^^;

 

 

家族やコミュニティは、

富や健康よりも

幸福感に大きな影響を

及ぼすようだ。

 

緊密で協力的な

コミュニティに暮らし、

強い絆で結ばれた

家族を持つ人々は、

 

家庭が崩壊し、

コミュニティの一員にもなれない

(もしくは、

なろうとしたことのない)

人々よりも、

はるかに幸せだという。

 

 

これは、

実感としても分かりますね。

 

 

結婚生活は

とりわけ重要だ。

 

良好な結婚生活と

高い主観的厚生、

そして劣悪な結婚生活と

不幸の間に、

 

きわめて密接な

相関関係があることは、

 

研究によって

繰り返し示されている。

 

 

どきっ・・・

 

やはり結婚生活は大事なんですね(^^;

 

ちなみに、

完全に敵対している夫婦よりは、

独身でいるほうが、

まだマシだといいます。

 

 

だが、

何にも増して重要な発見は、

幸福は客観的な条件、

すなわち富や健康、

さらにはコミュニティにさえも、

それほど

左右されないということだ。

 

 

ええっ、

それほど左右されない?

 

 

幸福はむしろ、

客観的条件と

主観的な期待との

相関関係によって決まる。

 

あなたが

牛に引かせる荷車が欲しい

と思っていて、

それが手に入ったとしたら、

満足が得られるだろう。

 

だが、

フェラーリの新車が

欲しかったのに、

フィアットの中古車しか

手に入らなかったら、

自分は惨めだと感じる。

 

 

幸福は、

客観的条件と主観的な期待との

相関関係によって決まる。

 

つまり、

主観的な期待が満たされれば、

幸せを感じるし、

 

それが満たされなければ、

不幸を感じるということですね。

 

主観的な期待値が高ければ、

なかなか満たされずに

幸せは感じにくくなり、

 

主観的な期待値が低ければ、

満たされやすくなり、

幸せを感じやすくなる。

 

・・・ということは、

 

持てるものに満足する。

つまり、それに、

「感謝」できれば、

幸せが感じられるということですね。

 

「感謝」の心は、

幸福の鍵を握っているといえそうです😊

 

 

現代人は、

期待が満たされることや、

快い感情を味わえることを

幸福だと捉えがちですが、

 

対して、

ハラリさんは、

本書で、仏教の考え方を、

紹介しています。

 

 

仏教によれば、

たいていの人は

快い感情を幸福とし、

不快な感情を

苦痛と考えるという。

 

その結果、

自分の感情に

非常な重要性を認め、

 

ますます多くの喜びを

経験することを渇愛し、

苦痛をさけるようになる。

 

脚を掻くことであれ、

椅子で少しもじもじ

することであれ、

世界大戦を行うことであれ、

 

生涯のうちに

何をしようと、

 

私たちはただ

快い感情を得ようとしているに

すぎない。

 

 

・・・たしかに、

そうかもしれません。

 

 

だが仏教によれば、

そこに問題があるという。

 

私たちの感情は、

海の波のように

刻一刻と変化する、

束の間の心の揺らぎにすぎない。

 

五分前に

喜びや人生の意義を

感じていても、

 

今はそうした感情は消え去り、

悲しくなって

意気消沈しているかもしれない。

 

だから

快い感情を経験したければ、

たえずそれを追い求めるとともに、

不快な感情を

追い払わなければならない。

 

だが、

仮にそれに成功したとしても、

ただちに一から

やり直さなければならず、

 

自分の苦労に対する

永続的な報いは

決して得られない。

 

(中略)

 

苦しみの真の根源は、

束の間の感情を

このように果てしなく、

空しく求め続けることなのだ。

 

そして感情を追い求めれば、

私たちはつねに緊張し、

混乱し、

不満をいだくことになる。

 

この追求のせいで、

心はけっして

満たされることはない。

 

喜びを経験しているときにさえ、

心は満足できない。

 

なぜなら心は、

この感情が

すぐに消えてしまうことを

恐れると同時に、

 

この感情が持続し、

強まることを

渇愛するからだ。

 

 

いわゆる、

「執着」というやつですね(^^;

 

 

瞑想するときには、

自分の心身を念入りに観察し、

 

自分の感情がすべて

絶え間なく沸き起こっては

消えていくのを目の当たりにし、

 

そうした感情を追い求めるのが

いかに無意味かを悟るものと

されている。

 

感情の追求をやめると、

心は緊張が解け、

澄み渡り、満足する。

 

喜びや怒り、

退屈、情欲など、

ありとあらゆる感情が

現れては消えることを

くり返すが、

 

特定の感情を渇愛するのを

やめさえすれば、

どんな感情もあるがままに

受け容れられるようになる。

 

ああだったかもしれない、

こうだったかもしれない

などという空想をやめて、

 

今この瞬間を

生きることができるように

なるのだ。

 

 

なるほど・・・

 

瞑想をするとスッキリするのは、

こういうことなんですね(^^)

 

 

そうして得られた安らぎは

とてつもなく深く、

 

喜びの感情を

必死で追い求めることに

人生を費やしている人々には

皆目見当もつかない。

 

一生喜びの感情を

追求するというのは、

 

何十年も浜辺に立ち、

「良い」波を腕に抱きかかえて

崩れないようにしつつ、

 

「悪い」波を押し返して

近づけまいと

奮闘するのに等しい。

 

来る日も来る日も、

人は浜辺に立ち、

 

狂ったように

この不毛な行ないを繰り返す。

 

だがついに、

砂の上に腰を下ろし、

 

波が好きなように

寄せては返すのに任せる。

 

何と静穏なことだろう!

 

 

「感情」=「波」のたとえは、

分かりやすいですね。

 

この境地に達するのは、

なかなか難しいですが(^^;

 

 

仏教をはじめとする

多くの伝統的な哲学や宗教では、

 

幸せのカギは

真の自分を知る、

すなわち自分は本当は何者なのか、

あるいは

何であるのかを

理解することだとされる。

 

たいていの人は、

自分の感情や思考、好き嫌いと

自分自身を混同している。

 

彼らは怒りを感じると、

 

「私は怒っている。

これは私の怒りだ」

 

と考える。

 

その結果、

ある種の感情を避け、

ある種の感情を

追い求めることに

人生を費やす。

 

感情は

自分自身とは別のもので、

特定の感情を

必要に追い求めても、

不幸に囚われるだけで

あることに、

 

彼らはけっして

気づかない。

 

 

特定の「感情」に執着することは、

苦しみを生みますが、

 

様々な「感情」に気づいて、

それを、

感じて、味わうことは、

大切だと私は思います。

 

そうすることで、

結果的に、

「感情」から解放され、

とらわれなくなるからです。

 

ということは、

私たちは、

「感情」そのものではない。

 

心理学で、観察自我、

メタ認知などともいいますが、

 

「感情」を感じる側の

存在だといえます。

 

では、

私たちはいったい何者なのか?

 

冒頭にも同じ言葉がありますが、

本書は、最後、

こんな言葉で締められています。

 

 

私たちが直面している

真の疑問は、

 

「私たちは何になりたいのか?」

ではなく、

「私たちは何を望みたいのか?」

かもしれない。

 

 

私たちは何を望みたいのか?

 

 

そうですね・・・

 

 

「神との対話」シリーズの姉妹本、

「明日の神」という本に、

こんなメッセージがあります。

(翻訳は古宮昇先生)

 

 

自分はどういう人になるか、

どういう人でいるか、

それを決めるのが人生です。

 

そして、

前の自分より

さらに大きな自分になること、

さらに進化した自分になること、

 

そこに肉体を持って

生まれてきた目的があります。

 

 

どういう人になるか、

どういう人でいるかは、

自分で決める。

 

それが、人生。

 

(人との比較ではなく)

前の自分よりも、

大きく、進化する・・・

 

それが、生まれてきた目的。

 

 

人間関係や、

恋愛や結婚の真の目的は

幸せを「見つける」

ことではありません。

 

その真の目的は

幸せを「創る」ことです。

 

(中略)

 

見つけよう、探そう、

とするとき、

あなたはそれが

自分にはないものと信じています。

 

だから、

その信念通りの結果になり、

幸せではなくなります。

 

それに対して

「創ろう」とするとき、

 

あなたは自分のもっているものを

その関係性に持ち込もうとします。

 

つまり

自分にすでにあるものを

使おうとしているのです。

 

 

幸せとは、

 

人間関係において、

自分の中に

すでにあるものを使って

「創る」もの。

 

なるほどです(^^)

 

 

・・・だとしたら、

 

皆さんは、

いったいどんな幸せを

「創り」ますか?

 

 

 

***********************************

 

 

以上、

計5回にわたって、

 

歴史学者・哲学者、

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史

 

 

の内容から、

私の印象に残った箇所を引用しながら、

紹介・解説してきました。

 

私が取り上げなかった箇所でも、

たとえば、

「ベルトコンベアー上の命」

すなわち、

動植物の機械化の問題や、

 

今後のAIの進化に関してなど、

興味深い問題提起が多くなされています。

 

「私たちは何を望みたいのか?」

 

年末年始、もしお時間があれば、

ホモ・サピエンスの、

悠久の歴史を辿りながら、

 

じっくりお考えになるのも

いいかもしれませんね😊

 

サピエンス全史

 

おすすめします!

 

 

 

**********************************

 

 

今回も最後までお読みいただきまして、

有り難うございました😊

 

次回(来年)は別の本を紹介します。

 

 

**********************************

 

 

本年も大変お世話になりました。

 

来年も皆様にとって、

幸せな年でありますように・・・

 

よいお年をお迎えください😸

 

 

 

 


 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

歴史学者・哲学者、

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史(下)

 

 

の内容から、

私の印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

今回で4回目(^^;

今回から(下)巻の内容になります。

 

人類は、

必ずしも幸せになったとは言い切れない、

「農業革命」を経て、

 

やがて、

グローバル化を押し進める

「帝国主義」の時代になるわけですが、

そのあたりは割愛しまして、

 

今回は、

「宗教」に対しての「自由主義」、

 

そこから派生した

「資本主義」というものを、

 

本書から引用しながら、

考察していきたいと思います。

 

「自由主義」は、

人間の感情こそが、

道徳的権威だといいます。

 

どういうことでしょうか。

 

 

自由主義者にとって、

道徳性は

神や聖典や国法への

服従ではない。

 

むしろ、

自由主義の道徳性は、

苦しみからの解放を意味する。

 

たとえば、

自由主義者が殺人を犯さないのは、

 

古い書物あるいは

新しい法律が

殺人を禁じているからではなく、

 

殺人が途方もない苦しみを

与えるからだ。

 

(中略)

 

逆に、

もしある行為が

誰にも苦しみを

もたらさないのなら、

 

どんな神や政府が

何と言おうと、

自由主義者はそれを

犯罪だとは思わない。

 

 

なるほど・・・

 

例として、本書では、

同性愛が挙げられています。

 

中世ヨーロッパの

キリスト教世界では、

タブーでしたが、

 

今日の自由民主主義社会の多くでは、

問題なく受け入れられています。

 

 

要するに、

自由主義の道徳性の

モットーは、

 

「もしそれで

気持ちが良いのなら、

そうすればいい!」だ。

 

何かが気持ちよく感じられ、

それが他の誰をも

害さないのなら、

 

それはよいことなのだ。

 

 

そうですね。

 

宗教に縛られた

中世の理不尽な時代より、

それはそれで、

ずいぶん生きやすくなりました(^^)

 

 

自由主義は、

経済にもおおいに

かかわってくる。

 

経済の領域では、

自由主義は自由市場の原理を

擁護する。

 

「有権者がいちばんよく

知っている」

と自由主義の政治が言い、

 

「もしそれで

気持ちが良いのなら、

そうすればいい!」

 

と自由主義の倫理が

断言する一方、

 

自由主義の経済は、

「顧客がつねに正しい」、

 

顧客の欲望よりも

高次の経済的権威はない、

と主張する。

 

 

顧客の欲望を

何よりも重視する

自由主義経済の考え方は、

「資本主義」の発展に、

密接に関わってきます。

 

では、

その「資本主義」の原則とは?

 

 

資本主義の第一の原則は、

経済成長は至高の善である。

 

あるいは、

少なくとも

至高の善に代わるものである

ということだ。

 

なぜなら、

正義や自由や

さらには幸福まで、

 

すべてが経済成長に

左右されるからだ。

 

 

「資本主義」は、

常に「経済成長」が求められ、

 

それが、

人類の「幸せ」にも結びつくという

考え方ですね。

 

既存の宗教に代わって、

今のグローバル社会を覆う、

実質的な宗教が、

 

「資本主義」

 

だと、ハラリさんはいいます。

 

 

この新しい宗教は、

近代科学の発展にも

決定的な影響を

与えてきた。

 

科学研究には、

通常、政府か民間企業が

資金を提供する。

 

資本主義下の政府や企業が

特定の科学プロジェクトへの

投資を考えるときに、

最初に問うのはたいてい、

 

「このプロジェクトは、

生産性と利益の増加を

可能にするだろうか?

 

経済成長を

生み出すだろうか?」だ。

 

 

そうですね。

 

今日でいうと、

政府や民間企業が、

成長の見込めるDXやAI、

バイオの分野に

投資をしているのは、

こういうことですね。

 

「資本主義」と「科学」は、

両輪で発展してきたことが、

本書では、

詳しく述べられているのですが、

 

しかし、

行き過ぎた資本主義には、

いくつかの問題もあるわけであって・・・

 

特に「格差」や「倫理」、

「環境問題」などは喫緊の課題です。

 

これらの危機感から、

たとえば、

世界的なSDGsの動きがあり、

私も個人的にその理念には

大いに賛同するのですが、

 

ただ、企業で実践する場合、

余裕のある一流企業ならともかく、

一般的な企業では、

なかなか優先順位を高められない、

 

表面的なお題目になってしまっているのが、

現実のような気もします。

 

ハラリさんは、

「資本主義」と「消費主義」は、

表裏一体だといいます。

 

 

資本主義と消費主義の

価値体系は、

表裏一体であり、

二つの戒律が合わさったものだ。

 

富める者の至高の戒律は、

「投資せよ!」

であり、

 

それ以外の人々の

至高の戒律は

「買え!」だ。

 

 

「投資せよ!」「買え!」

という

「資本主義」

という名の宗教・・・

 

 

資本主義・消費主義の

価値体系は、

別の面でも革命的だ。

 

以前の倫理体系の大半は、

人々にずいぶんと

厳しい条件を突き付けてきた。

 

人々は楽園を約束されたが、

それは

思いやりと寛容さを養い、

渇望と怒りを克服し、

利己心を抑え込んだ場合に

限られた。

 

ほとんどの人にとって、

これはあまりに難しすぎた。

 

倫理の歴史は、

誰も達成できない

素晴らしい理想の

悲しい物語だ。

 

キリスト教徒の大半は

キリストを真似ず、

 

仏教徒の大半は

ブッダに倣えず、

 

儒者の大半は

孔子に癇癪を起させた

だろうような振る舞いを見せた。

 

 

そうですね・・・

 

伝統的な宗教の倫理体系は、

現実の生活を生きている私たちには、

なかなか守ることはできない。

 

が、果てなき欲望のストッパーの役割は、

担ってきたような気がします(^^;

 

 

それとは対照的に、

今日ではほとんどの人が

資本主義・消費主義の理想を

首尾よく体現している。

 

この新しい価値体系も

楽園を約束するが、

 

その条件は、

富める者が強欲であり続け、

さらにお金を儲けるために

時間を使い、

 

一般大衆が

自らの渇望と感情に

したい放題にさせ、

ますます多くを買うことだ。

 

これは、

信奉者が求められたことを

実際にやっている、

史上最強の宗教だ。

 

だが、

引き換えに本当に

楽園が手に入ると、

どうしてわかるのか?

 

それは、

テレビで見たからだ。

 

 

・・・最後は、

痛烈な皮肉ですね(^^;

 

私たちは、

キリスト教や仏教と言った、

伝統的な宗教の戒律は、

なかなか守ることができないのに、

 

「資本主義」という名の

宗教に求められていることは、

いとも簡単にやっている・・・

 

「自由主義」の、

快感原則を重視する考え方が、

常に経済成長を志向する

「資本主義」と合わさると、

 

消費に歯止めが利かなくなると

いうことです。

 

 

う~ん、

私自身振り返って見ると・・・

 

そんなに欲深いほうだとは、

思わないのですが、

 

でも、やっぱり、

消費欲、所有欲からは、

逃れられないわけでありまして・・・

 

たとえば、

セール品を見ると、

つい衝動買いをしてしまうことがありますし、

(その瞬間は得した気分でうれし~!)

 

本も、図書館で借りるよりも、

できれば自分のものにしたいし、

電子書籍よりも、

本棚に並べておきたい。

(もうスペースが無いのですが(^^;)

 

最近、若い人は、

カーシェアなどを

うまく活用しているようですが、

 

私は、やっぱり、

高級でなくても全然いいので、

車は自分のものとして所有したい。

(愛着が湧きますし)

 

やっぱ昭和世代ということも、

あるのでしょうか(^^;

 

物欲はなかなか捨てられません・・・

 

しかし、

 

感情の気持ちよさ、

すなわち、

快感原則に身を委ねていては、

際限がない・・・

 

どこまでいっても満たされない。

 

もちろん、

消費することの楽しみを、

捨て去る必要はないと思いますが、

 

資本主義・消費主義は、

戒律がゆるい一種の宗教である

ということ。

 

踊らされることのないよう、

「自覚」したいですね(^^;

 

 

 

*********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回に続きます(^^;

 

 

*********************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

近所、週末ウォーキングの旅。

 

 

 

新羽の西方寺。

茅葺屋根の素朴で美しいお寺です😊

 

 

 

何だか田舎に来た気分になれます。

 

 

 

足を延ばして・・・

 

 

 

久しぶりに、小机城址!

 

 

 

空堀。

後北条氏の遺構。

よく保存されています!

 

 

翌日も天気がめちゃくちゃ良かったので・・・

 

 

 

また、丹沢に、

山歩きに行っちゃいました(^^;

 

 

 

鍋割山山頂!

 

 

ああっ、絶景・・・

 

 

 

小田原方面の海。

ちょっと見えるのは伊豆大島でしょうか。

 

あまりにも快晴で、気持ちがいいので・・・

 

 

 

 

欲張って塔ノ岳まで足を延ばしました(^^;

 

 

 

相変わらず賑わっています。

山頂は、ほぼ360度パノラマ風景です!

 

 

 

ここからも、

絵画のような富士山🗻

 

 

 

塔ノ岳からは、

大山が見下ろせます!

 

 

 

相模平野と、小さく江ノ島も・・・

 

 

おかげさまで、

週末を満喫できました😊

 

ただ、欲張りすぎたのか、

いまだに疲れが取れませんが・・・😅

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史

 

 

を紹介しています(^^)

 

今回で3回目です。

 

人類は、狩猟採集時代から、

やがて、

農業革命を経て、

農耕社会に入っていきます。

 

農耕社会は、

狩猟採集時代と比較すると、

豊かで安定した生活を営めるような

イメージがありますが、

 

意外と厳しいところも

あったようです(^^;

 

 

人類は農業革命によって、

手に入る食料の総量を

たしかに増やすことができたが、

 

食料の増加は、

より良い食生活や、

より良い余暇には

結びつかなかった。

 

むしろ人口爆発と

飽食のエリート層の

誕生につながった。

 

平均的な農耕民は、

平均的な狩猟採集民よりも

苦労して働いたのに、

見返りに得られる食べ物は

劣っていた。

 

農業革命は、

史上最大の詐欺だったのだ。

 

 

「農業革命は、史上最大の詐欺!」

 

何とも手厳しいハラリさんの

論調ですが(^^;

 

では、それは、

誰の責任だったのか?

 

 

王のせいでもなければ、

聖職者や商人のせいでもない。

 

犯人は、

小麦、稲、ジャガイモ

などの、

一握りの植物種だった。

 

ホモ・サピエンスが

それらを栽培化したのではなく、

 

逆に

ホモ・サピエンスが

それらに家畜化されたのだ。

 

 

植物種に、

逆に家畜化された?

 

 

人類は

世界の多くの地域で、

朝から晩まで

ほとんどの小麦の

世話ばかりを焼いて

過ごすようになっていた。

 

楽なことではなかった。

小麦は非常に手間がかかった。

 

 

 

小麦を栽培するには、

やたら手間ひまがかかり、

とても重労働だったんですね。

 

他にも、

土地を守るために、

争いが生じたり、

 

ビタミン、ミネラルなどの

栄養素が乏しくなったり、

疫病に弱くなったり、・・・

 

狩猟採取と比べても、

人類にとって、あまりメリットは、

なかったようなのです(^^;

 

たしかに、

食料の供給量は増えましたが、

それによって、

人口が増えすぎてしまい、

子どもの死亡率は

上昇してしまったり・・・

 

より楽な暮らしを求めたら、

かえって、大きな苦難を

呼び込んでしまった。

 

では、

人類は、なぜ、

農耕から手を引かなかったのか?

 

 

一つには、

小さな変化が積み重なって

社会を変えるまでには

何世代もかかり、

 

社会が変わったころには、

かつて違う暮らしを

していたことを

思い出せる人が

誰もいなかったからだ。

 

そして、

人口が増加したために、

もう引き返せなかったという

事情もある。

 

 

何世代も経ての変化なので、

なかなか自覚できず、

そのうち、

どうにも引き返せなくなった(^^;

 

これは、

今日でも起こっている現象だと、

ハラリさんはいいます。

 

 

どれだけ多くの

若い大学卒業生が、

がむしゃらに働いて

お金を稼ぎ、

 

35歳になったら

退職して

本当にやりたいことを

やるのだと誓い、

 

忙しい会社で

きつい仕事に就くことだろう。

 

ところが、

35歳になったころには、

多額のローンを抱え、

子供たちを

学校にやらねばならず、

 

郊外の暮らしには

一世帯に少なくとも

二台の自動車が必要で、

 

本当に良いワインと

国外での高価な

バカンス抜きでは

 

人生の送り甲斐がない

という感覚に

つきまとわれている。

 

彼らはいったい

どうしたらいのか?

 

植物の根を掘り返す

生活に戻るのか?

 

とんでもない。

 

彼らはなおさら

一生懸命取り組み、

あくせく働くのだ。

 

 

・・・ううっ、

たしかに、

 

こうなってしまっては、

どうにも引き返せない(^^;

 

 

歴史の数少ない鉄則の一つに、

贅沢品は必需品となり、

新たな義務を生じさせる、

というものがある。

 

人々は、

ある贅沢品にいったん

慣れてしまうと、

 

それを当たり前と

思うようになる。

 

そのうち、

それに頼り始める。

 

そしてついには、

それなしには

生きられれなくなる。

 

私たちの時代から、

別の馴染み深い

例を引こう。

 

私たちは

過去数十年間に、

 

洗濯機、電気掃除機、

食器洗い機、電話、

携帯電話、

コンピューター、

電子メールなど、

 

時間を節約して

生活にゆとりをもたらして

くれるはずの、

無数の機械や手段を発明した。

 

以前は、

手紙を書き、

封筒に宛先を書いて切手を貼り、

ポストまでもっていくのは

けっこうな手間だった。

 

そして、

返事がくるまで何日も、

何週間も、

ことによると

何ヵ月もかかることがあった。

 

それが今では、

電子メールを

地球の裏側までさっと送り、

(相手がインターネットに

接続していれば)

一分後には

返事が受け取れる。

 

私は以前の手間と暇を

すべて省けたわけだが、

 

前よりもゆとりある生活を

送っているだろうか?

 

残念ながら、違う。

 

(中略)

 

私たちは

時間が節約できると

思っていたのに、

 

逆に人生の踏み車を

以前の10倍の速さで

踏み続ける羽目になり、

 

日々を前より落ち着かず、

いらいらした思いで、

過ごしている。

 

 

そうですね・・・

 

私自身も、

スマホがなかなか手放せないですし(^^;

(歩きスマホだけは

しないようにしておりますが)

 

ヒマさえあれば、

メールチェックをしてしまいます。

 

「贅沢品は必需品となり、

新たな義務を生じさせる」

 

文明の進化は、

「幸せ」という観点からみると、

 

必ずしも、

進化しているとは

いえないのかもしれません。

 

私たち現代人は、

もしかしたら、

無数の機械や手段に、

 

いつのまにか、

「家畜化」

されているのかもしれない。

 

日ごろは生活に追われて、

ついつい流されてしまいがちですが、

 

時には立ち止まって、

 

「自分がほんとうに望んでいるものは

何なのか」を、

 

再確認する必要が

あるのかもしれませんね(^^;

 

 

 

**********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして

有り難うございました。

 

次回も、この本の紹介を続けます。

 

 

**********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

 

久々に参拝しました(^^;

 

学問の神様、菅原道真公を祭る、

湯島天神。

 

 

 

こちらは、芝の増上寺。

 

右手に見えますのは、

東京タワーと、

今、話題の麻布台ヒルズ。

(ビルの高さ日本一だそうです!)

 

 

 

 

土曜日は、

天気が良かったので、山歩き。

 

今回は、100名山の丹沢山にチャレンジ!

 

 

 

鎖場越えて・・・

 

 

 

長い階段登った先に・・・

 

 

 

おおっ、頂上着きました!

 

 

 

富士山の絶景・・・

 

 

 

丹沢の山並みが、ダイナミックでした!

 

 


 

暖かく、天気もよくて、

サイコーでした😊