ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

師走に突入しましたね。

 

一年の長さの感じ方は、

今まで生きてきた年数が分母になる

という説があります。

 

たとえば、

6歳の時は、6分の1

51歳の時は、51分の1

 

そりゃ、短く感じるわけです(^^;

 

一日一日を大切に過ごそうと思う

今日この頃です。

 

 

歴史学者・哲学者、

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史

 

 

から、

私が印象に残った箇所を

紹介しています。

 

前回、

狩猟採取民は、

私たちが考える以上に、

頭もよく、身体感覚にも優れていて、

 

たくましく、

生きる力に溢れる存在だった

という説を紹介しましたが、

 

続きです(^^;

 

 

狩猟採取民は、

地域ごと、季節ごとに

大きく異なる暮らしを

していたが、

 

後世の農民や牧人、

肉体労働者、

事務員よりも、

全体として快適で

実りの多い生活様式を

享受していたようだ。

 

 

ええっ、

後世の人々よりも、

快適で実りある生活を

していた?

 

 

今日、豊かな社会の人は、

毎週平均して

40~45時間働き、

発展途上国の人々は

毎週60時間、

あるいは80時間も

働くのに対して、

 

今日、カラハリ砂漠のような

最も苛酷な生息環境で暮らす

狩猟採集民でも、

平均すると

週に35~45時間しか

働かない。

 

狩りは3日に1度で、

採集は毎日わずか

3~6時間だ。

 

カラハリ砂漠よりも

肥沃な地域に暮らしていた

古代の狩猟採集民なら、

 

食べ物と原材料を

手に入れるためにかける時間は、

いっそう短かった

可能性が高い。

 

そのうえ、

狩猟採取民は

家事の負担が軽かった。

 

食器を洗ったり、

カーペットに掃除機をかけたり、

床を磨いたり、

おむつを交換したり、

勘定を払ったりする必要が

なかったからだ。

 

 

なるほど・・・

 

たしかに、狩猟採取民は

労働や家事の時間は、

短そうですね(^^;

 

 

狩猟採集経済は、

農業や工業と比べると、

より興味深い暮らしを

大半の人に提供した。

 

(中略)

 

たとえば、

朝8時頃に

野営地を離れたかもしれない。

 

近くの森や草原を

歩き回り、

キノコを摘み、

食べ物になる根を掘り出し、

カエルを捕まえ、

ときおりトラから逃げた。

 

午後近くには

野営地に戻って昼食を作る。

 

そんな調子だから、

噂話をしたり、

物語を作ったり、

子供たちと遊んだり、

 

ただぶらぶらしたりする時間は

たっぷりある。

 

もちろん、

たまにトラに捕まったり、

ヘビに嚙まれたりすることも

あったが、

 

交通事故や産業公害の

心配はなかった。

 

 

「ただぶらぶらしたりする時間は

たっぷりある・・・」

 

うう、うらやましい~

 

余暇の時間が多かったからこそ、

そこから、

うわさ話や物語、

すなわち、

「虚構」(フィクション)

が生まれたんですね!

 

他にも、

本書には、

狩猟採取民の健康状態は

意外と悪くなかったことや、

(農耕社会と比較して、

食物が多様であったため)

 

感染症の被害が少なかったこと

(農耕社会と比較して、

家畜を飼わず、密集していなかったため)

 

が述べられていますが、

 

では、

人類にとって、

狩猟採取民の時代は、

「いいことずくめ」だったのか?

 

といわれれば、

もちろん、

そんなことはないわけであって、

 

 

これらの古代人の生活を

理想化したら、

それは誤りになる。

 

彼らはたしかに

農耕社会や工業社会の人の

大半よりも良い生活を

送っていたが、

 

それでも彼らの世界は

厳しく情け容赦のない

場所になることもあった。

 

(中略)

 

狩猟採集民は、

歳をとったり

障害を負ったりして

集団についていけなくなった人を

置き去りにしたり、

殺しさえしたりすることがある。

 

望まない赤ん坊や子供は

殺すかもしれないし、

宗教心から人間を

生贄にする場合すらある。

 

 

やはり、現代人の感覚から見ると、

野蛮なところもあるわけですが、

 

ここからいえることは、

 

「価値観」というのは、

それぞれの時代や文化によっても

違ってきますし、

 

どの時代や文化が理想的かどうかは

一概にはいえない、

 

ということでしょうか。

 

ただ、

現代人の私からすると、

狩猟採集民のように、

余暇の時間がたっぷりあることは、

 

やっぱり、

うらやましい限りですが・・・

(隣の芝生は青くみえる(^^;)

 

 

(中略)

 

だから、私たちは、

表面的な知識に基づいて、

彼らを悪者扱いしたり

理想化したりしないよう、

注意しなければいけない。

 

アチュ族(現代の狩猟採集民)は

天使でもなければ

悪魔でもなく、

人類だった。

 

そして、

古代の狩猟採取民にしても

同じだったのだ。

 

 

そうですね・・・

 

天使でもなければ

悪魔でもない、

 

言い方を変えれば、

天使の要素も

悪魔の要素も両方ある、

 

過去の歴史を振り返っても、

今の国際情勢を鑑みても、

 

それが、

「人類」なのだと思います。

 

 

その人類は、

狩猟採集時代から、

やがて、

農業革命を経て、

農耕社会に入っていきます。

 

農耕社会といえば、

 

穏やかな人々が、

自然と共存して、

心が満ち足りた生活を営んでいるような

イメージを私は抱いていましたが、

 

実は、そうでもない、

ということが、

本書には述べられています・・・

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

******************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

******************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

 

東京、神宮外苑のイチョウ並木。

 

歩道は激混みでしたが(^^;

ちょうど見頃でした!

 

 

 

 

新国立競技場。

 

学生時代の仲間と、

恒例のラグビー観戦!

 

 

母校が勝ちました!(^^)!

 

 

 

 

エアコンの近くは暖かいニャ~😸

 

 

 

何を見つめてる・・・

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回から、

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史

 

 

の内容から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説させていただきます(^^)

 

私は、この手の、

いわゆるビックピクチャ―、

壮大な歴史文明論的な本が

昔からけっこう好きで、

 

大学生の頃は、

(一応、西洋史専攻でしたので(^^;)

フランシス・フクヤマさんの、

歴史の終わり

(今は新版が出ていますね)

や、

その後は、

銃・病原菌・鉄

などの名著を、

 

ちょっと背伸びしながらも、

読んでいましたが、

 

今回、ついに文庫化され、

お買い得になったということもあり(^^;

(ありがたや~)

 

満を持して、

サピエンス全史

読んでみました!

 

この本、

サブタイトルにあるとおり、

「文明の構造と人類の幸福」

がテーマなのですが、

 

冒頭に、

著者のハラリさんの、

考えさせられる問いかけがあります。

 

 

一、二世紀後には、

ホモ・サピエンスは

おそらく姿を消し、

 

地球の支配者は、

チンパンジーから

私たちがかけ離れている以上に、

 

私たちとは違った存在に

なるだろう。

 

 

どきっ、

ここでいう支配者とは・・・

 

AIのことでしょうか???

 

 

だが、

私たちサピエンスには、

重要な問いに答える時間が

依然として残っている。

 

その問いとは、

私たちは何になりたいのか、

だ。

 

そして、

自分の欲望さえ

操作できるようになる日も

近いかもしれないので、

 

人類が直面している

真の疑問は、

 

私たちは何を望みたいのか、

なのだ。

 

 

「私たちは何を望みたいのか」

 

う~ん・・・

 

本書(上)(下)を読み終えると、

その問いが

さらに切実に感じられるように

なるのですが、

 

それは、

いったん置いておいて、

 

この本の最初の章は、

「認知革命」

について、述べられています。

 

アフリカで細々と暮らしていた

私たちの祖先、

ホモ・サピエンスが、

文明を築くことができたのは何故か?

 

「虚構」

 

にあるといいます。

 

「虚構」

すなわち、

作り事、フィクションのことですね。

 

 

一対一で喧嘩をしたら、

ネアンデルタール人は

おそらく

サピエンスを

打ち負かしただろう。

 

だが、

何百人という規模の

争いになったら、

 

ネアンデルタール人には

まったく勝ち目が

なかったはずだ。

 

彼らは

ライオンの居場所についての

情報は共有できたが、

 

部族の精霊についての

物語を語ったり、

改訂したりすることは、

おそらくできなかった。

 

彼らは

虚構を創作する能力を

持たなかったので、

 

大人数が効果的に協力できず、

急速に変化していく問題に

社会的行動を

適応させることもできなかった。

 

 

私たちの祖先、

ホモ・サピエンスが、

ネアンデルタール人を制して

繁栄できたのは、

 

「虚構」

 

のおかげなんですね。

 

その能力のおかげで、

人類は、

「神話」「宗教」「国家」「国民」

「企業」「法律」「人権」「平等」

・・・といった、

概念を構築することができ、

 

集団を協力に導くことが

できたわけですね。

 

言い方を変えれば、

「神話」「宗教」「国家」「国民」

「企業」「法律」「人権」「平等」

・・・といった概念は、

 

しょせん、人が決めた、

作り事、フィクションに

すぎないとも

言えるわけですが(^^;

 

その、

ホモ・サピエンスの歴史の

膨大な時間(7万年!)

を遡ると、

 

ほとんどの時代は、

狩猟採集民だったといいます。

 

「はじめ人間ギャートルズ」

の世界ですね~。

 

 

(世代が違う方は

分からないかもしれませんが(^^;)

 

日本でいうと、

縄文人ということでしょうか。

 

そして、

その狩猟採集民たちは、

今の私たちと比較しても、

はるかにたくましく、

 

「生きる力」

に溢れた存在だったのです!

 

 

平均的な狩猟採取民は、

現代に生きる子孫の

大半よりも、

直近の環境について、

幅広く、深く、

多様な知識を

もっていたわけだ。

 

今日、

産業社会に暮らす人の

ほとんどは、

自然界について

あまり知らなくても

生き延びることができる。

 

コンピューターエンジニアや

保険代理人、

歴史の教師、

工場労働者として

やっていくには、

いったい何を

本当に知る必要があるのか?

 

自分の狭い専門分野については

多くを知らなければならないが、

 

生活必需品の大多数に関しては、

何も考えずに

他の専門家たちを頼っており、

 

そうした専門家たちの知識も、

狭い専門分野のものに

限られている。

 

人類全体としては、

今日のほうが

古代の集団よりも

はるかに多くを知っている。

 

だが個人のレベルでは、

古代の狩猟採取民は、

知能と技能の点で

歴史上最も優れていたのだ。

 

 

そうですね・・・

 

自然界での一人一人の

サバイバル能力に関しては、

 

現代人は、

狩猟採取民の

足元にも及ばないでしょう(^^;

 

 

平均的な

サピエンスの脳の大きさは、

狩猟採集時代以降、

じつは「縮小した」という

証拠がある。

 

 

なんと!

 

狩猟採取民のほうが、

脳じたいも大きかった😲

 

 

狩猟採集時代に

生き延びるためには、

 

誰もが素晴らしい能力を

持っている必要があった。

 

農業や工業が始まると、

人々は生き延びるために

しだいに他者の技能に

頼れるようになり、

 

「愚か者のニッチ」

が新たに開けた。

 

凡庸な人も、

水の運搬人や

製造ラインの労働者として

働いて生き延び、

 

凡庸な遺伝子を

次の世代に伝えることが

できたのだ。

 

 

「愚か者のニッチ」

とは・・・

思わず苦笑いですが(^^;

 

私など、

狩猟採集時代なら、

まっさきに淘汰される

に違いない・・・

 

もっとも、

「愚か者のニッチ」

であり、

自分一人では生きていけない

弱い人間だからこそ、

 

他人が持つ技能に対して、

有り難みや感謝の気持ちが

湧いてくるともいえるのですが(^^;

 

 

狩猟採取民は、

周囲の動植物や

物の世界ばかりではなく、

 

自分自身の身体や

感覚という内的世界にも

精通するように

なった。

 

彼らは草陰の

ほんのわずかな動きにも

耳を傾け、

 

そこにヘビが

隠れているかどうかを知った。

 

木々を注意深く観察し、

果物やハチの巣、

鳥の巣を見つけた。

 

ほとんど音を立てず、

最小限の労力で働き、

 

もっとも敏捷で

効率的なやり方で座り、

歩き、走ることを知っていた。

 

たえずさまざまな形で

身体を使っているので、

マラソン選手並みに

鍛えられていた。

 

今日の人が何年も

ヨガや太極拳をやった後でさえ

達成できないほどの

器用な身のこなしを

習得していた。

 

 

なるほど・・・

 

自然の中で生きていると、

身体感覚が研ぎ澄まされるのは、

わかるような気がします。

 

ささやかながら、

私も一人静かに

山歩きをしていると、

 

感覚が鋭くなっているような

気がします。

 

たとえば、

草木が、

ガサガサッとすると・・・

 

もしかして、

 

クマ???

 

と思ったら、

小鳥やリスだったという。

(たま~に鹿の場合も)

 

単なる小心者ですね(^^;

 

さておき、

 

狩猟採取民は、

私たちが考える以上に、

頭もよく、身体感覚にも優れていて、

たくましく、生きる力に溢れる

存在だったんですね。

 

対して、

現代人は、

AIを使いこなせたり、

 

万能感をくすぐられる

ことも多いですが、

 

個々の能力、

生きる力という意味では、

狩猟採取民に遠く及ばない・・・

 

私たち現代人は、

もう少し、謙虚になる必要が

あるのかもしれませんね(^^;

 

 

 

**************************************

 

 

 

・・・次回に続きます。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

**************************************

 

 

 

おまけ(^^;

 

久々に、横浜市動物園、

ズーラシアに行きました。

 

 

おお、白くまくん!

 

 

 

浮き箱のようなもので、

遊んでました。

 

 

 

たそがれポーズ。

 

 

 

 

きれいな紅葉ありました!

 

 

 

 

 

こちらは、

アンニュイな感じの

宮音くん。

 

最近、寒くなったせいか、

よくベットでくっついてきます😸

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

精神科医でかつ、禅寺の住職である、
川野泰周さんの著書、

 

歩けば、調う

 

 

を紹介してきました。

 

今回で5回目、

最終回とさせていただきます(^^;

 

今回は、

本の中で、川野先生が推奨されている、

 

「自然の中を歩く、

”プチ・リトリート”のすすめ」

を紹介します。

 

 

都会から離れて

山や高原、海辺など

非日常の空間に身を置くと、

 

それだけで

日常の悩みを忘れられ、

頭がリフレッシュ

できるものです。

 

これを

「リトリート」

といいます。

 

「避難」「退却」「修養」

といった意味をもつ

この言葉が示すように、

 

日常の慌ただしさから

いったん距離を置き、

大自然のなかで

自らの存在と向き合うことが、

 

現代人には

とりわけ必要なのです。

 

 

同感です!

 

近年よく

「リトリート」という言葉を聞きますが、

 

それは、

自然の中の非日常空間に身を置いて、

自らの存在と向き合うことなんですね。

 

ちなみに、私は、

月に1~2回は、

自然に触れ合う時間がないと、

リフレッシュできない身体に

なってきました(^^;

 

 

マインドフル・ウォーキング

においても、

「ふだんとは違う場所で歩く」

ことによって、

瞑想の効果が

顕著に現れやすくなります。

 

休日に野山を裸足で歩く

なんてことができたら

最高に気持ちがよさそうだけど、

わざわざ遠出する時間がとれない、

という人も多いはずです。

 

自宅のそばに、

”プチ・リトリート”

ができる空間はありませんか。

 

 

皆さまは、

”プチ・リトリート”

ができる空間がありますか?

 

私の場合は、

歩いて15分くらいのところに、

鶴見川という、

河川敷もある比較的大きな川が

ありますので、

 

 

天気のいい日は、

ぶらっと散歩して、

そこで、ぼ~としたり、

動禅(太極拳のようなもの)

をしたりします。

 

ちょっと怪しいオジサンですが(^^;

 

 

プチ・リトリートに

適しているのは、

他人の視線を感じない場所や、

他人に話しかけられない

場所ですが、

 

一番良いのは、

鳥のさえずりや風の音、

川のせせらぎなど、

自然を感じられる場所です。

 

 

そうですね。

 

私も、人が多い場所だと、

落ち着かないので、

なるべく人気のないところに

行きます(^^;

 

たとえば、

一人静かに山歩きをしながら、

自然を感じるのが、

一番癒されるのですが、

 

ただ、景色がよくて登りやすい山は、

たいてい混んでいるので、

そこが悩ましいところです(^^;

 

(なので、ちょっとメインではない

ルートを歩いたりもします)

 

では、

なぜ自然を感じられる場所にいくと、

癒されるのでしょうか。

 

 

自然の音や風、

香りなどは絶えず変化していて、

複雑な「ゆらぎ」

があります。

 

この「ゆらぎ」

がいいのです。

 

一時期流行した

「1/fゆらぎ」

がまさにこれを

示しています。

 

1/fゆらぎとは、

「川の流れ」

「雨音」

「そよ風」

「波の音」

といった、

およそ自然界を構成する

あらゆる音に見られる

不規則なリズムです。

 

「森羅万象の足音」

とでもいえるでしょうか。

 

このゆらぎを感じていると

いうことは、

私たちは大自然の一部であり、

大自然に守られている

ということを意味します。

 

 

「1/fゆらぎ」

という言葉は、

私、知らなかったのですが、

 

自然界を構成する

あらゆる音に見られる

不規則なリズムのこと。

 

「森羅万象の足音・・・」

 

素敵な表現ですね(^^)

 

自然界の不規則なリズムが、

癒しに繋がる。

 

なぜなら、私たちは、

大自然の一部だから・・・

 

 

ところが、

時としてあまりにも

機械的、規則的なリズムを

体験すると、

 

このゆらぎが乱れたと

脳が認識します。

 

すると脳は、

「自然ではない、

何か大変なこと、

恐ろしいことが

起きようとしている

のではないか」

と判断をして、

 

自覚できない

深層心理のレベルで

ストレスを発生させることに

なるのです。

 

 

なるほど・・・

 

 

マインドフル・

ウォーキングの際にはぜひ、

片足ずつ注意を向けることと

同時に、

 

周囲の景色や

風の感触、

小鳥のさえずりなど、

 

移り変わっていく

自然の「ゆらぎ」を

感じてみましょう。

 

それが、

「気持ちを切り替える力」

を養ってくれます。

 

 

常に変化する

自然の「ゆらぎ」を、

感じることが、

 

「気持ちを切り替える力」

を養うことになる。

 

なるほどです(^^)

 

自然の「ゆらぎ」を

感じることは、

 

「いま・ここ」

に意識を向けることに、

 

すなわち、

「マインドフルネス」にも

つながりますね。

 

 

こうした条件を満たす

お気に入りの散歩コースを

近所に見つけるのも、

また楽しいかもしれません。

 

わざわざ野山に行かなくても、

ゆらぎを感じることはできます。

 

街中の散歩コースも、

日によって条件が

まったく変わります。

 

晴れの日、

雨の日、

交通量の少ない日、

多い日もありすし、

 

公園に咲く花も、

頬をなでる風の香りや強さ、

湿度なども季節ごとに変わる。

 

それも「ゆらぎ」なのです。

 

 

考えてみれば、

私は、若い頃は、

自然の「ゆらぎ」には、

ほとんど無頓着でした(^^;

 

たとえば、

街を歩いていても、

旅行に行った時も、

 

目的地に着くことばかりを、

考えて、

 

道端に咲く花など、

ほとんど目もくれなかったし、

 

気温や湿度にも、

鈍感でした。

 

それが、今は、

道端に咲く花を見て、

美しいと感じるようになったし、

(名前があまり分からないのが、

ちょっと悲しいのですが)

 

空気が乾燥していると、

のどがイガイガしてくることも、

自覚できるようになりました(^^;

 

ちょっとは成長したのかな。

(いや、単にジジイくさく

なっただけという説もありますが(^^;)

 

 

日本人は、昔から、

自然の「ゆらぎ」を感じられる

人たちだったのだと思います。

 

私は、まだ、

深く味わうことはできないのですが、

 

「短歌」や「俳句」などは、

そういった、

自然の「ゆらぎ」を感じる感性から、

生まれたのだと思います。

 

自然界の「ゆらぎ」を

感じて味わうことは、

 

自分の中にある様々な「感情」に

気づいて味わうことにも

繋がるような気がします。

 

「心ゆたかに生きる」ためにも、

自然界の「ゆらぎ」を味わいたい・・・

 

 

・・・ということで、

今の自然の美しい季節、

 

天気のいい週末は、

万難排して、

なるべく山歩きに行くぞ(^O^)


 

 

***********************************

 

 

 

以上、5回に渡って、

精神科医でかつ、禅寺の住職である、
川野泰周さんの著書、

 

歩けば、調う

 

 

の内容から、

いくつか紹介をさせていただきました。

 

この本は、

タイトルのとおり、

「マインドフル・ウォーキング」

について、触れられていますが、

 

それ以外にも、

人生を豊かにすること、

 

いくつかの瞑想や、

セルフ・コンパッション(自慈心)

といった、

 

マインドフルネスに関する、

有益な内容が満載です。

 

文庫本で気軽に読めますし、

おすすめします😊

 

 

 

************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回からは、

別の本を紹介します。

 

 

 

************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

名古屋市の興正寺。

門をくぐると・・・

 

 

 

おおっ、

大仏様のバックに五重塔!

 

 

 

京都にあるような、

素敵なお寺でした!

 

 

 

愛知県吉良の海。

ああ、世界は美しい・・・

 

 

 

こちらは豊川稲荷。

久しぶりに参拝しました。

 

 

 

この奥に、

お稲荷さん(狐)が

た~くさんいらっしゃいます!

 

 

 

 

こちらは、

三河の国一宮、砥鹿(とが)神社。

立派な神社でした!

 

 

 

 

 

ところ変わって・・・

 

神奈川県、丹沢大山の隣にある、

三峰山登山!

 

 

 

ええっ、

そんなこと言われても・・・

 

 

 

たしかに、

このような鎖場が何か所もあり、

かなりアドベンチャーな山でした😅

 

 

 

その分、達成感あり!

 

 

 

途中、相模平野を見下ろす。

遠くに江ノ島が見えます!

 

 

 

丹沢も、色づいてきました。

 

 

 

不動尻の不動の滝。

マイナスイオン!

 

 

 

日向薬師、

茅葺屋根の素敵な本堂!

 

私の中で、

鎌倉市を除く神奈川県で、

ベスト3に入るお寺です(^^)

 

ちなみに、他の2つは、

大雄山最乗寺、總持寺。

 

 

 

皆が幸せでありますように・・・

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

朝晩は、

めっきり寒くなりましたね。

 

精神科医でかつ、禅寺の住職である、
川野泰周さんの著書、

 

歩けば、調う

 

 

を3回に渡って、

紹介させていただきました(^^)

 

今回で4回目です。

 

前回は、主に、

「自慈心」(セルフ・コンパッション)

について、

紹介・解説をさせていただきましたが、

 

今回は、

「慈悲の瞑想」

を紹介させていただきます。

 

この瞑想は、

自分に対する思いやりと慈しみを育み、

それを他者にも同じように向ける瞑想で、

 

川野先生自身、

一番好きな瞑想だということです(^^)

 

やり方の部分を引用します。

 

 

はじめに2分間、

呼吸瞑想をします。

 

次に、目を閉じたまま、

 

「①大切に思っている人」

「②自分」

「③お世話になっている人」

「④良いも悪いも印象がない人」

「⑤嫌いな人・嫌われている人」

 

を思い浮かべ、

相手が目の前にいるかのように

イメージします。

 

そして1人ずつ順番に、

以下の言葉を

語りかけるように念じます。

 

「あなたが幸せでありますように」

「あなたが健康でありますように」

「あなたが安全でありますように」

「あなたが心安らかに暮らせますように」

 

そして、

その人が幸せを手にしたときの

喜びにあふれた笑顔や、

身ぶりをイメージしましょう。

 

 

大切に思っている人だけでなく、

自分自身に対しても念じる

というのがミソですね。

 

実際、川野先生が誘導して下さる

ユーチューブがありますよ!

 

 
先生の優しさが
口調ににじみ出ています😊
 
・・・ただ、
嫌いな人に対しても、
念じるというのは、
一般的には、
ちょっと抵抗がありますよね。
 
とてもそんな気分には、
なれない・・・
 
そんな時には、
無理しなくても、もちろんいいのですが、
 
できれば、本音ではなく、
形だけでもいいから、
やってみることをオススメします。
 
この本では、
以下の言葉を念じるといい
とあります。
 
 
「あの人は私と同じで、
幸せになりたいと思っている」
 
「あの人は私と同じで、
心や身体、気持ちや考えを
もっている」
 
「あの人は私と同じで、
痛みや苦しみから
解放されたいと願っている」
 
「あの人は私と同じで、
これまでの人生でつらいことや、
傷ついたことがある」
 
 
「あの人も私と同じだ・・・」
 
これらの言葉は、
私がカウンセリングを学んだ際に、
 
指導者から、
共感力を高めるエクササイズとして、
勧められました。
 
そのエクササイズとは、
毎日、最低5人以上に対して、
これらの言葉を念じるというものです。
 
身近な人はもちろん、
電車の中で見かけた見知らぬ人や、
世の中から糾弾されているような
不祥事を起こした有名人に対しても、
この思いを向ける。
 
カウンセラーは、
クライアントを、つい、
困った人、問題のある人のように、
下に見てしまう危険性があります。
 
本来、クライアントは、
傷つきながらも、
勇気を出して、自ら成長しようとしている
素晴らしいチャレンジャーであるのに、
 
カウンセラーが、
手を差し伸べて援助をしてあげるという、
上から目線になってしまう危険性がある。
 
「大切に思っている人」も、
「見知らぬ人」も、
「嫌いな人」も、
「世の中から糾弾されている人」も、
「クライアントさん」も、
 
あらゆる人は、
皆、私と同じで、
 
幸せでありたいと思っているし、
それぞれの気持ちや考えがあるし、
苦痛を避けようと願っているし、
人生を通じて、学んでいる・・・
 
「この人も私と同じだ・・・」
 
システムズアプローチ・家族療法で有名な、
東豊先生も、
 
「人の本質は、水晶玉」
 
というたとえで、同じようなことを
おっしゃっていますが、
 
 

カウンセラーなど対人援助職には、

特に必要とされるマインドだと思います。

 

 

・・・話が少しそれましたが(^^;

まずは、大切な人と自分自身に、

慈愛の言葉を向けることだと思います。

 

川野先生もこう述べます。

 

 

それでも慣れないうちは、

嫌いな人の幸せを願うことに

強い抵抗を感じることも

少なくありません。

 

最初のうちは

「①大切に思っている人」と、

「②自分」

という2つのパートだけ

実践いただくよう

おすすめしています。

 

たとえ1週間に一度だけでも

かまいません。

 

継続してみてください。

 

 

週に1回ペースなら、

ハードルが低いですね。

 

「慈悲の瞑想」は、

やればやるほど、

私たちの心の中に眠っている、

慈悲の心が芽生えてくると思います。

 

あたたかい気持ちになり、

心身が調ってきます。

 

おすすめします😊

 

 
 
 
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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました。
 
次回もこの本の紹介を続けます(^^)
 
 
 
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おまけ(^^;
 
 
 
近所の鶴見川。
いつのまにか秋も深まってきました。
 
 
 
宮音(みやお)くん。
愛称は「みいたん」
 
最近、天井近くまである本棚の上に、
よく登るようになってきました😸
 
 
どや!
 
 
 
 
おやすみいたん~💤
 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

精神科医でかつ、禅寺の住職である、
川野泰周さんの著書、

 

歩けば、調う

 

 

を紹介しています。

 

今回が3回目になります(^^;

 

前回は、

「自尊心」と、

「自慈心」(セルフ・コンパッション)

の違いから、

「自己受容」についての

解説をさせていただきましたが、

 

今回は、

「自慈心」(セルフ・コンパッション)

について、

もう少し深く突っ込んでみたいと思います。

 

「自慈心」(セルフ・コンパッション)

には、3つの要素があるといます。

 

(1)「セルフ・カインドネス」

(自分へのやさしさ)

 

(2)「センス・オブ・コモン・ヒューマニティ」

(共通の人間性を理解する)

 

(2)「マインドフルネス」

 

です。

 

 

一つめは、

「セルフ・カインドネス」、

自分への優しさです。

 

他人に優しくするように

自分にも優しくする。

 

それができないと、

つい他人に見返りを

求めてしまいますし、

 

見返りをくれない他人に対して、

ネガティブな想念を

持つことになります。

 

自分を思いやる気持ちが、

本当の自信につながるのです。

 

 

ほんと、そうですね。

 

特に、

自分のネガティブな感情に対しては、

いい・悪いのジャッジをせずに、

優しく受け入れたいところです(^^;

 

 

2つめの要素は、

「センス・オブ・コモン・

ヒューマニティ」

です。

 

和訳すると

「共通の人間性を理解する」

といったところでしょうか。

 

これは端的にいえば

詩人で書家であった

故・相田みつをさんの

 

「にんげんだもの」

 

の世界であり、

 

「皆同じ人間、

誰もが不完全である」

 

という感覚のことです。

 

 

他人を責めたくなったら、

自分にも、

同じように至らないところはある、

と思いたい(^^;

 

 

そして3つめが、

「マインドフルネス」

です。

 

前の2つが理念だとすれば、

マインドフルネスは

実践にあたります。

 

歩行瞑想や呼吸瞑想を

続けているうちに、

自分に優しくする生き方、

人の不完全さを許す生き方

ができるように

なっていきます。

 

 

ジャッジすることなく、

「いま・ここ」

に意識を向けることで、

 

脳が休まるだけではなく、

自分に優しくする生き方や、

人の不完全さを許す生き方が

できるようになるのですね(^^)

 

「自慈心」

(セルフ・コンパッション)は、

「慈悲の心」

にも繋がっていくわけですが、

 

「慈悲の心」というのは、

実は自分の中に、

既にあるものだといいます。

 

 

ストレスで脳が疲れて、

一見すると性格が歪んで

見えるけれども、

 

実は、生まれ持った

優しい心がちゃんとある。

 

それを思い出してもらうのが、

マインドフル・ウォーキング

なのではないかと思います。

 

新しく身につけるのではなく、

自分の中にあるものを

思い出す。

 

慈悲の心といっても、

大それたものではない、

 

ということが

わかっていただけたでしょうか。

 

禅でいえば、

「自己の本分に気づく」

という感覚に似ています。

 

 

「慈悲の心」というのは、

ストレスや、心の傷つき、

不安や怖れによって、

覆い隠されてしまいがちですが、

 

実は、既に自分の中に存在する。

 

私も、そう思います(^^)

 

 

仏像を眺めるときも

そうなのです。

 

「孫が受験に合格できますように」

 

「大事なプロジェクトが

うまくいきますように」

 

—仏像の前で手を合わせるとき、

私たちは自分の心のなかにある

願いが叶うようにと

念じがちです。

 

でも仏像を拝むことの

本当の意味は、

それとは少し違うところに

あります。

 

 

ここの、

川野泰周さんの仏像を拝む解釈、

とても面白いです。

 

 

たとえば、

心が荒んで

優しくなれないとき、

観音さまの顔を見て

慈悲の心を思い出す。

 

自信を失ったとき、

仁王さまの顔を見て

ガッツを取り戻す。

 

韋駄天さまを見れば、

一生懸命体を動かして

働こうと思う。

 

私は

「仏像とは、

人の心のなかにある思いを

具現化したものだ」

と教えられました。

 

だから仏像は

人間の形をしているのです。

 

 

なるほどです~

 

私は、

仏像を見るのが好きなのですが、

 

それは、

自分の中にある思いを、

具現化(投影)している

からかもしれないですね。

 

考えて見ると、

仏像って、

喜怒哀楽バラエティ豊かです。

 

喜怒哀楽、

人間の感情というのは、

 

いわば、春夏秋冬、

四季のように

感じて味わうものであって、

 

人間として生まれてきた

意味のひとつは、

様々な感情を味わうため

ではないかと、

 

ここのところ、

とみに感じるのですが、

 

「仏像を拝む」効用を、

またひとつ気づかせていただきました。

 

川野泰周さん

有り難うございました😊

 

 

ちなみに、

余談ですが、

 

ウチの妻は、

仁王さまや四天王に

踏みつけられている邪鬼に、

よく目がいくようですが、

 

夫婦ゲンカをすると、

よく、

「お前は踏みつけられている邪鬼だ!」

と言われます・・・

 

妻が、オニババに見えます😅

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます。

 

 

 

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おまけ(^^;

 

季節のいいうちに、

できるだけ山歩きを楽しんでおこう!

 

ということで・・・

 

 

道の駅足柄で車中泊、の朝。

(ちょっと富士山が見えます)

 

 

 

夕日の滝方面から、

金時山登山。

 

 

 

途中、おお、富士山!

 

 

 

・・・ワクワクして頂上に着いたら、

なんと、頂上だけが雲の中(^^;

 

 

 

 

途中の丸鉢山からは、絶景でした🗻

(ちょっと、もやってましたが)

 

 

 

夕日の滝。

 

 

 

おおっ、滝行体験か!

 

 

 

皆、若い女性でした!

女性は強い・・・

 

 

 

あしがら温泉に入って、

帰路、小山町の宝鏡寺。

 

 

 

立派な仁王門でした。

 

 

 

おかげさまで、休日を満喫できました😊