ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回から、

ユヴァル・ノア・ハラリさんの、

世界的なベストセラー

 

サピエンス全史

 

 

の内容から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説させていただきます(^^)

 

私は、この手の、

いわゆるビックピクチャ―、

壮大な歴史文明論的な本が

昔からけっこう好きで、

 

大学生の頃は、

(一応、西洋史専攻でしたので(^^;)

フランシス・フクヤマさんの、

歴史の終わり

(今は新版が出ていますね)

や、

その後は、

銃・病原菌・鉄

などの名著を、

 

ちょっと背伸びしながらも、

読んでいましたが、

 

今回、ついに文庫化され、

お買い得になったということもあり(^^;

(ありがたや~)

 

満を持して、

サピエンス全史

読んでみました!

 

この本、

サブタイトルにあるとおり、

「文明の構造と人類の幸福」

がテーマなのですが、

 

冒頭に、

著者のハラリさんの、

考えさせられる問いかけがあります。

 

 

一、二世紀後には、

ホモ・サピエンスは

おそらく姿を消し、

 

地球の支配者は、

チンパンジーから

私たちがかけ離れている以上に、

 

私たちとは違った存在に

なるだろう。

 

 

どきっ、

ここでいう支配者とは・・・

 

AIのことでしょうか???

 

 

だが、

私たちサピエンスには、

重要な問いに答える時間が

依然として残っている。

 

その問いとは、

私たちは何になりたいのか、

だ。

 

そして、

自分の欲望さえ

操作できるようになる日も

近いかもしれないので、

 

人類が直面している

真の疑問は、

 

私たちは何を望みたいのか、

なのだ。

 

 

「私たちは何を望みたいのか」

 

う~ん・・・

 

本書(上)(下)を読み終えると、

その問いが

さらに切実に感じられるように

なるのですが、

 

それは、

いったん置いておいて、

 

この本の最初の章は、

「認知革命」

について、述べられています。

 

アフリカで細々と暮らしていた

私たちの祖先、

ホモ・サピエンスが、

文明を築くことができたのは何故か?

 

「虚構」

 

にあるといいます。

 

「虚構」

すなわち、

作り事、フィクションのことですね。

 

 

一対一で喧嘩をしたら、

ネアンデルタール人は

おそらく

サピエンスを

打ち負かしただろう。

 

だが、

何百人という規模の

争いになったら、

 

ネアンデルタール人には

まったく勝ち目が

なかったはずだ。

 

彼らは

ライオンの居場所についての

情報は共有できたが、

 

部族の精霊についての

物語を語ったり、

改訂したりすることは、

おそらくできなかった。

 

彼らは

虚構を創作する能力を

持たなかったので、

 

大人数が効果的に協力できず、

急速に変化していく問題に

社会的行動を

適応させることもできなかった。

 

 

私たちの祖先、

ホモ・サピエンスが、

ネアンデルタール人を制して

繁栄できたのは、

 

「虚構」

 

のおかげなんですね。

 

その能力のおかげで、

人類は、

「神話」「宗教」「国家」「国民」

「企業」「法律」「人権」「平等」

・・・といった、

概念を構築することができ、

 

集団を協力に導くことが

できたわけですね。

 

言い方を変えれば、

「神話」「宗教」「国家」「国民」

「企業」「法律」「人権」「平等」

・・・といった概念は、

 

しょせん、人が決めた、

作り事、フィクションに

すぎないとも

言えるわけですが(^^;

 

その、

ホモ・サピエンスの歴史の

膨大な時間(7万年!)

を遡ると、

 

ほとんどの時代は、

狩猟採集民だったといいます。

 

「はじめ人間ギャートルズ」

の世界ですね~。

 

 

(世代が違う方は

分からないかもしれませんが(^^;)

 

日本でいうと、

縄文人ということでしょうか。

 

そして、

その狩猟採集民たちは、

今の私たちと比較しても、

はるかにたくましく、

 

「生きる力」

に溢れた存在だったのです!

 

 

平均的な狩猟採取民は、

現代に生きる子孫の

大半よりも、

直近の環境について、

幅広く、深く、

多様な知識を

もっていたわけだ。

 

今日、

産業社会に暮らす人の

ほとんどは、

自然界について

あまり知らなくても

生き延びることができる。

 

コンピューターエンジニアや

保険代理人、

歴史の教師、

工場労働者として

やっていくには、

いったい何を

本当に知る必要があるのか?

 

自分の狭い専門分野については

多くを知らなければならないが、

 

生活必需品の大多数に関しては、

何も考えずに

他の専門家たちを頼っており、

 

そうした専門家たちの知識も、

狭い専門分野のものに

限られている。

 

人類全体としては、

今日のほうが

古代の集団よりも

はるかに多くを知っている。

 

だが個人のレベルでは、

古代の狩猟採取民は、

知能と技能の点で

歴史上最も優れていたのだ。

 

 

そうですね・・・

 

自然界での一人一人の

サバイバル能力に関しては、

 

現代人は、

狩猟採取民の

足元にも及ばないでしょう(^^;

 

 

平均的な

サピエンスの脳の大きさは、

狩猟採集時代以降、

じつは「縮小した」という

証拠がある。

 

 

なんと!

 

狩猟採取民のほうが、

脳じたいも大きかった😲

 

 

狩猟採集時代に

生き延びるためには、

 

誰もが素晴らしい能力を

持っている必要があった。

 

農業や工業が始まると、

人々は生き延びるために

しだいに他者の技能に

頼れるようになり、

 

「愚か者のニッチ」

が新たに開けた。

 

凡庸な人も、

水の運搬人や

製造ラインの労働者として

働いて生き延び、

 

凡庸な遺伝子を

次の世代に伝えることが

できたのだ。

 

 

「愚か者のニッチ」

とは・・・

思わず苦笑いですが(^^;

 

私など、

狩猟採集時代なら、

まっさきに淘汰される

に違いない・・・

 

もっとも、

「愚か者のニッチ」

であり、

自分一人では生きていけない

弱い人間だからこそ、

 

他人が持つ技能に対して、

有り難みや感謝の気持ちが

湧いてくるともいえるのですが(^^;

 

 

狩猟採取民は、

周囲の動植物や

物の世界ばかりではなく、

 

自分自身の身体や

感覚という内的世界にも

精通するように

なった。

 

彼らは草陰の

ほんのわずかな動きにも

耳を傾け、

 

そこにヘビが

隠れているかどうかを知った。

 

木々を注意深く観察し、

果物やハチの巣、

鳥の巣を見つけた。

 

ほとんど音を立てず、

最小限の労力で働き、

 

もっとも敏捷で

効率的なやり方で座り、

歩き、走ることを知っていた。

 

たえずさまざまな形で

身体を使っているので、

マラソン選手並みに

鍛えられていた。

 

今日の人が何年も

ヨガや太極拳をやった後でさえ

達成できないほどの

器用な身のこなしを

習得していた。

 

 

なるほど・・・

 

自然の中で生きていると、

身体感覚が研ぎ澄まされるのは、

わかるような気がします。

 

ささやかながら、

私も一人静かに

山歩きをしていると、

 

感覚が鋭くなっているような

気がします。

 

たとえば、

草木が、

ガサガサッとすると・・・

 

もしかして、

 

クマ???

 

と思ったら、

小鳥やリスだったという。

(たま~に鹿の場合も)

 

単なる小心者ですね(^^;

 

さておき、

 

狩猟採取民は、

私たちが考える以上に、

頭もよく、身体感覚にも優れていて、

たくましく、生きる力に溢れる

存在だったんですね。

 

対して、

現代人は、

AIを使いこなせたり、

 

万能感をくすぐられる

ことも多いですが、

 

個々の能力、

生きる力という意味では、

狩猟採取民に遠く及ばない・・・

 

私たち現代人は、

もう少し、謙虚になる必要が

あるのかもしれませんね(^^;

 

 

 

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・・・次回に続きます。

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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おまけ(^^;

 

久々に、横浜市動物園、

ズーラシアに行きました。

 

 

おお、白くまくん!

 

 

 

浮き箱のようなもので、

遊んでました。

 

 

 

たそがれポーズ。

 

 

 

 

きれいな紅葉ありました!

 

 

 

 

 

こちらは、

アンニュイな感じの

宮音くん。

 

最近、寒くなったせいか、

よくベットでくっついてきます😸