ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、久しぶりに、

カウンセリングど真ん中の本!

 

明治大学教授でカウンセラー、

諸富祥彦先生の著作、

 

はじめてのカウンセリング入門(上)―カウンセリングとは何か

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説いたします(^^)

 

諸富祥彦先生は、

いわずと知れた、

日本でもトップクラスの

有名なカウンセリングの先生です!

 

私も、カウンセラーのはしくれとして、

現役だと、

古宮昇先生、野口嘉則先生、

東豊先生と並んで、

大いに学ばせていただいている

先生のひとりなのですが、

 

カウンセリングの本に限らず、

青春時代から、

フランクルや、人生論的な本からも、

多大なる影響を受け、

また、生きる勇気を与えてくださった方

でもあります。

(このブログでも、

何冊か紹介させていただきました)

 

私の本棚は、

本が棚差しで二重になっているのですが、

(不便ですが置ききれないので(^^;)

その奥側を探してみたら・・・

 

・・・ありました、懐かしい本!

 

 

どんな時も人生に「YES」と言う

 

1999年初版の本で絶版ですが、

今、アマゾン見たら、

何と3月21日に新版が出るみたいですね!

 

フランクルと言えば、

フランクル自身の著作、

 

 

それでも人生にイエスと言う

 

という歴史的名著がありますが、

(いずれ紹介したいと思います)

この本と併せて読むことをオススメします!

 

諸富先生の著作に戻りますと、

 

トランスパーソナル心理学の先駆け!

講談社新書の、

 

 

トランスパーソナル心理学入門

 

も名著だと思います。

 

ちなみに、この本は、

まだ絶版にならず、

ロングセラーで生き残っていますが、

 

私の持っている本(この写真)は、

1999年ものの古い装丁で、

今は、スタイリッシュな装丁に

代わっています。

 

ただ、個人的には、

講談社新書は、

昔のクリーム色の装丁の方が、

温かみがあって好きなのですが(^^;

 

前置きが長くなりました。

 

はじめてのカウンセリング入門(上)―カウンセリングとは何か

 

入門とありますので、

もちろん、

これからカウンセラーを目指す人や、

初心者マークの方には特にオススメですが、

 

ベテランの方にも

なかなか示唆に富む本だと思います。

 

私自身、

カウンセラーの資格を取る前に、

何度も繰り返し読んだ思い出がありますが、

 

今、読み返してみても、

改めて、気づかされることの多い、

中身が濃く熱量の多い本!

だと感じます。

 

また、

本書に書かれているのですが、

 

カウンセラーになろうという

わけではないけれど、

自分を知るため、人生を変えるために、

カウンセリングを学ぼうとされている方や、

 

家族や職場などの人間関係で悩んでいて、

その解決に役立てたい人、

 

カウンセリングを学んで

今の自分の仕事に生かしたいという、

教師、保育者、企業の管理職、営業職、

人事担当者、看護師、医師、保母、

マッサージ師、美容師、理容師、

etc・・・

といった幅広い方々に

役立つ本でもあります(^^)

 

で、この本のタイトル、

「カウンセリングとは何か」

 

中でも、諸富先生のいう、

カウンセリングの「核心」とは

いったい何なのでしょうか?

 

引用します。

 

 

それは、

一言で言えば、

 

相談に来た方(クライアント)が、

人生のさまざまな問題に直面し、

悩み苦しみ、

どうすればいいか

考えあぐねて

みずからのうちなる声に

問いかけていく。

 

みずからのこころの内側に

潜っていき、

そこで答えを模索し、

あたかも暗い森の中を

さまようようにして、

少しずつ、少しずつ、

出口を探っていく。

 

そして、

そのことを通じて、

さまざまな気づきと学びを得て、

人間としての成長

(自己成長)をとげていく。

 

この

「人生という深く、

暗い森の中をさまよい歩く道の、

いわば同行者」

として寄り添っていく。

 

そのプロセスに、

カウンセリングの核心、醍醐味が

存在するのです。

 

 

カウンセラーは、

「人生という深く、

暗い森の中をさまよい歩く道の、

いわば同行者」

 

この考え方には、

大いに賛同しますし、

私がカウンセリングをさせていただく際に、

心がけていることでもあります。

 

人が、独りで、

自らの心の中の暗い森の中を歩くのって、

やっぱり怖いし、

けっこうしんどいんですね。

 

つい、暗い森の中から、

引き返したり、目を背けたくなる。

 

しかし、

そこに寄り添ってくれる同伴者がいれば、

さまよいながらも、

一歩一歩、少しずつ、

歩んでいくことができる。

 

やがて、

出口の光が

見えてくるようになるかもしれない。

 

もっとも、

カウンセラー自身が、

じっくりと、

自分の心の暗い森の中を

さまよい続けた経験がないと、

 

つらくなって、

つい、逃げだしたくなってしまう。

 

安易なアドバイスをしたり、

励ましたりして、

クライアントを、無理矢理、

森の中から連れ出そうとして

しまいがちなのですが(^^;

 

そうしてしまうと、

クライアントの自己成長には、

なかなか繋がらないのですね。

 

諸富先生は、

カウンセリングを、

 

「悩み苦しみを通じての自己成長学」

 

と定義されています。

 

クライアントが、

悩んだり、苦しんだりする

プロセスを通じて、

みずからの心の声に耳を傾け、

多くの気づきと学びを得て、

自己成長を遂げていく。

 

解決する力や、答えは、

クライアントの中にある・・・

 

私は、それを信じて、

クライアントに寄り添い続ける

カウンセラーでありたい。

 

と、改めて思いました。

 

ちなみに、

「同行者」「同伴者」

というと、

 

「同行二人(どうぎょうににん)」

お遍路さんの

弘法大師がいらっしゃいますね。

 

もう一人、

私は、遠藤周作さんの描く、

「イエス・キリスト」

をイメージします。

 

常に、弱者や孤独な人、

人の弱さや醜い部分に

寄り添い続けた、

遠藤周作さんのイエス・キリスト・・・

 

 

・・・ふと、

エルサレムでの

村上春樹さんの、

スピーチを想起しました。

 

 

もしここに硬い大きな壁があり、

そこにぶつかって

割れる卵があったとしたら、


私は常に卵の側に立ちます。

 

(エルサレム賞受賞スピーチ

「壁と卵」より)

 

 

 

そんなマインドを持った、

人でありたい。

 

・・・ちょっと大きく

出てしまいましたが(^^;

 

 

 

**************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます。

 

 

**************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

鎌倉、神社仏閣巡り&ハイキング!

 

 

スタートは、法性寺!

 

この白いお猿さんが、

日蓮上人の危機を救ったそうです。

 

 

 

山王権現祠です。

 

 

 

苔の石段で有名な、

妙法寺 。

 

時期的なものか、

まだ、

あまりコケコケしてなかったです(^^;

 

 

 

八雲神社からハイキング!

 

 

 

途中で、妙本寺。

広々して、静かで落ちつくお寺です(^^)

 

 

 

メジロがついばんでました🐤

 

 

 

山を下りたら、素敵な橋が!

 

 

 

東勝寺橋。

川に降りて、見上げられました!

 

 

宝戒寺。

 

厳かで迫力のある、

地蔵大菩薩さまがいらっしゃいます。

 

仏涅槃図ご開帳してました。ラッキー!

 

 

春遠からじ・・・

 

 

 

浄明寺緑地パノラマ台から、

鎌倉市街。

 

曇りのため、

あいにく富士山は見えずでしたが、

左奥に江ノ島が見えます!

 

 

 

途中、山の中で出会った地域ネコ、

クロちゃん!

 

他にもクロちゃん2匹いました😸

 

 

 

山王権現祠に

帰ってきました。


 

 

最後に、

ちょっと小さいのですが・・・

 

電線を渡っているのは、

リスちゃんです!

 

鎌倉の郊外には、

台湾リスちゃんがたくさんいます。

(よく見かけます)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

寒暖差の激しい日が続きます。

皆さま、どうか

体調にはお気を付けくださいね。

 

 

早稲田大学文学学術院教授

石田光規先生の新書本、

 

「人それぞれ」がさみしい

 

 

から、

私が印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

今回で最終回です(^^;

 

この本は、

サブタイトルで

「やさしく・冷たい」人間関係

とあるように、

 

個々の違いを尊重する

一方で、

 

どこか、

さびしさを感じる人間関係について

述べられているのですが、

 

いつくかの興味深い

キーワードがあります。

 

その一つが、

「迷惑センサー」

です。

 

 

「人それぞれの社会」

で特徴的なのは、

 

「人それぞれ」の行為を

「社会への迷惑」

というセンサーで監視する

システムを作り上げたことです。

 

 

なぜこうなったかというと、

 

かつての血縁や地縁で

協力しあう社会から、

 

お金を使うことで得られる

商品・サービスと、

行政の社会保障にゆだねる社会に、

変化したからだといいます。

 

 

自らお金を稼いで、

そのお金を使うことで

生活を維持する社会では、

誰かに頼ることが

難しくなります。

 

というのも、

誰かに頼る行為は、

お金を稼ぐ努力の放棄や

怠慢を意味するからです。

 

つまり、

誰かの手を煩わせると

いうことは、

本人の怠慢や努力不足による

「迷惑」となってしまうのです。

 

社会や他人に

迷惑をかけた人は、

激しく攻撃されます。

 

さまざまな行為を

「人それぞれ」

と容認する社会は

 

「迷惑」というセンサーで

個々人を監視する

社会でもあるのです。

 

 

なるほど。

 

たしかに、

「人それぞれ」

という、

自由を容認するように

なった一方で、

 

その分、

人に「迷惑」をかけることには、

とても敏感な世の中に

なったような気がします。

 

たとえば、

本書には、

コロナ禍の「自粛警察」や、

芸能人の不倫の「謝罪会見」について、

述べられていますが、

 

特に「謝罪会見」は、

別に私たちに

直接迷惑をかけたわけではないのに、

何故、そこまで謝る必要があるのか

と思います。

 

世間様をお騒がせしたことを

お詫びしているようですが、

不倫はあくまで、

個人的なことのような気がします。

 

 

「コスパ化する人間関係」

というキーワードも

印象的です。

 

 

最近の大学生のなかには、

自らの友人関係を

「コスパで選ぶ」

と堂々と話す人もいます。

 

つまり、

コストに見合った

パフォーマンスを発揮できる人

とのみ付き合うということです。

 

とても合理的な

考え方です。

 

 

う~ん、

 

私も、今の物価高のご時世、

モノやサービスを買う時は、

たしかにコスパを意識しますが、

 

人間関係では、

さすがに、

それはしないかなあ~。

 

いや・・・

まったくないとは

言い切れない、か(^^;

 

 

「自らにとって

よい要素をもつ人を選択する」

という原理を

徹底させれば、

 

「コスパ」

という言葉に行く着くのも

うなずけます。

 

しかし、

人間関係のコスパ化が

進んだ社会では、

 

自らも

コストと見なされてしまう

リスクを絶えず背負うこと、

 

誰かがコストとして

切り離されていることを

忘れてほしくないものです。

 

 

そうなんです。

 

「コスパ化する人間関係」

というのは、

 

自らも査定され、

コストと見なされてしまう

リスクを背負うことになるのです(^^;

 

これは、

会社や組織の中では、

やむを得ない考え方かも知れませんが、

近年は、特に顕著になってきたような

気がします。

 

ましてや、

それ以外の人間関係でも・・・

 

今の何か息苦しい世界というのは、

こういうところからも

きているのかもしれません。

 

 

「コスパ」の論理は、

自らの居場所を

削るばかりではなく、

もうひとつの

重大かつ単純な

事実を見えづらく

してしまいます。

 

「人にはプラスの面も

マイナスの面もある」

というごく当たり前の事実です。

 

(中略)

 

そもそも、

人がもつ

マイナスの部分もなくして、

人間関係を最適化することなど

できるのでしょうか。

 

私はできるとは思いません。

 

私は、

期待通りにいくこと、

期待にそぐわないこともふくめて

ともにすごしていく、

 

というのが

人づきあいの基本であり

本質だと思っています。

 

 

そうですね・・・

 

 

期待にそぐわないことがあっても

ともにすごしてゆける社会は、

 

「コスパ」の論理が

徹底された場とは反対に、

 

人を「コスト」として

容易に切り捨てない社会と

言い換えることも

できるからです。

 

つながる相手を選び

最適化できると考える

「人それぞれの社会」では、

その発想が

あまりにも欠けています。

 

 

「人にはプラスの面も

マイナスの面もある」

 

それは、

相手もそうですが、

 

もちろん、

自分自身だって

ご多分に漏れません(^^;

 

 

迷惑をかけないよう、

あるいは、

場の空気を乱さないよう

自らを律することのできる人は

たしかに立派です。

 

しかし、

それと同時に、

おたがいに迷惑をかけつつも、

それを笑って受け容れられる

つながりも、

 

同じくらい大事だと思いますし、

私は、後者のほうに

居心地のよさを感じます。

 

このようなつながりは、

おたがいが相手のもつ

異質さを受け容れることによって

初めて得られるものです。

 

 

「おたがいが相手のもつ

異質さを受け容れる」

 

では、そのためには、

 

相手の「異質さ」を受け容れるためには、

どうすればよいのか?

 

私は、まずは、

自分の中にある「異質さ」を

受け容れることだと思います。

 

「異質さ」というのは、

コスパとは対極にあるような、

マイナス的なこと、

 

非効率なものや、

醜いもの、

おもしろくないものを、

含むと考えますが、

 

遠藤周作さんの、

「私のイエス」

という本に、

 

(この本、過去ブログで紹介しました。

よかったらご参照ください)

 

フランスの小説家、

フローベルの短編が、

紹介されています。

 

引用します。

 

 

冬の寒い日に

聖人が道を歩いていた。

 

すると、そこに

らい病を患った乞食がいた。

 

寒いので、

その乞食は聖人に、

あなたのマントをくれと言った。

 

聖人がマントを与えると、

その乞食は服もくれと言う。

 

服をやると、

今度は下着もくれというわけで、

聖人はとうとう

裸になってしまったのです。

 

ところが、

そのらい病を患った乞食は、

それでも寒いと言って、

おまえの体で温めてくれと

要求する。

 

そこで、

聖人が抱きしめてやると、

 

もっと強く抱きしめい、

もっと強く抱きしめい、

と言い出した。

 

聖人が強く強く抱きしめていると、

その乞食が、

いつの間にか変じて、

 

(光り輝く)

イエスになった、

というのです。

 

 

私はこの話を読んで、

 

「いい話だなあ~」

と思いましたが、

 

たんなる、

いい話ではないんですね。

 

遠藤周作さんいわく、

深い意味がありまして、

 

この「らい病」というのは、

じつは、

 

「私たちの人生そのもの」

 

を指すのです。

 

 

人生というのは、

膿が出たり汚らしいことが多く、

もともと

らい病みたいなものなのです。

 

その汚いものを

棄てずに抱きしめておけ、

 

そうすれば、

それが光を放つもの、

イエスというもの、

 

イエスというのは

愛ということですから、

愛というものになりますよ、

 

とこの短編は

教えているのです。

 

 

私たちは、

人生における、

ネガティブなことを、

つい否定したり、

抑圧したりします。

 

そして、

自分の中にあるそれらを、

ないものとして、

他人に投影したりします。

 

それが、

対立や分断を生み出す一因に

なったりもする。

 

そうではなく、

 

まずは、

自分の中にある、

醜いものや、

おもしろくないものも、

拒絶することなく、

 

抱きしめる。

 

受け容れる。

 

それが、

「異質な他者」

を受け容れることにもつながり、

 

ひいては、

「人それぞれ」という社会の、

冷たい側面を照らす、

あたたかい光になるのではないか。

 

そんなことを考えました(^^;

 

 

 

***********************************

 

 

以上、

4回にわたって、

石田光規先生の新書本、

 

「人それぞれ」がさみしい

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説してきました。

 

やさしいようで、

どこか冷たい、

現代の「人間関係」について、

 

見つめ直してみるには、

とても示唆に富んだ本だと思います。

 

おすすめします😊

 

 

 

************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を、紹介します。

 

 

************************************

 

 

おまけ写真集(^^;

 

ちょっと前ですが、

神奈川県の、

高取山・仏果山にいきました。

 

先日、雪が降ったので、

まだ残っているかな~

と思ったら・・・

 

 

 

中腹付近から、

ばっちり残ってました(^^;

 

 

 

うおっ~。

アイゼン買っておいてよかった(^^;

 

 

 

着いた!高取山山頂。

 

 

 

山頂の塔から、

宮ケ瀬湖を見下ろす。

 

 

 

東京?方面。

(遥か彼方に高層ビル群が)

 

 

 

続いて、

仏果山山頂!

 

仏さまが、

雪に埋もれてました(^^;

 

 

 

関東平野は広い!

 

冬は空気が澄みきっていて、

遠くまで見えます!

 

 

 

丹沢の山並み。

 

おかげさまで、

大自然の雄大さを味わえました!

 

 

 

 

気が向いたときに、

ぶらっと出かけることのできる相棒、

有り難う!

 

 

 

相棒?

 

オイラも忘れんなよ😸

 

(冬の定位置、エアコンの下)

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

早稲田大学文学学術院教授

石田光規先生の新書本、

 

「人それぞれ」がさみしい

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています。

 

今回で3回目です(^^;

 

前回、

ハラスメントになるリスクから、

現代人はどうしても、

表現することに

「萎縮」しがちになってしまう、

 

ということを述べましたが、

 

このような場合、

2つの方策がとられやすくなるといいます。

 

「穏やかな撤退」

と

「結託」です。

 

 

言葉や表現が

リスク化した社会で

自らの身を守るには、

危険に近づかないのが

いちばんです。

 

そうなりますと、

対人関係であれば、

なるべく突っ込んだ発言をせず、

「人それぞれ」として

その場をやり過す方策が

選択されやすくなります。

 

表現文化の世界であれば、

穏当な表現が優先されるように

なります。

 

 

たしかに、私自身も、

特に職場では、

穏当な表現を使うことが

多くなった気がします。

 

 

しかし、

このような状況は

決して望ましいものでは

ありません。

 

というのも、

相手に関わろうとしないことが、

もっともよい選択に

なってしまうからです。

 

 

なるほど・・・

 

相手に関わろうとしない、

すなわち、

無関心であることが、

一番のリスクヘッジになる。

 

たとえば、現代人は、

(私も含めて)

近所づきあいを、

あまりしなくなりましたが、

そういうことなのでしょうか。

 

もちろん、

変な、しがらみに絡まれない

メリットも多いので、

決して悪いことではないのですが、

 

でも、何だか、

ちょっと、

寂しい気もします(^^;

 

では、

「結託」とは・・・

 

 

表現がリスク化した社会で

自らの身を守るには、

危険に近づかないのが

いちばんよいといっても、

そうできない人もいます。

 

どうしてもある主張に

納得できない、

あるいは、

どうしてもある出来事に

もの申したい、

という人もいるでしょう。

 

 

そうですね。

そういう時もあります。

 

 

いちばん簡単なのは、

同じ意見をもつ人どうしで

集まることです。

 

本来的な意味とは

少し違いますが、

ここではそれを

「結託」としておきましょう。

 

結託をすれば、

お互いに気兼ねなく、

意見を言うことができます。

 

話をした人から

告発したリスクも、

かなり減らせます。

 

しかし、

同じような意見の人どうしで

まとまると、

 

他の意見を持つ人と

対立することもあります。

 

 

本書には、

具体例として、

 

ファミマで売られている、

「お母さん食堂」

という名称の商品シリーズをめぐり、

 

「お母さん=家事・料理」

を結びつけるから、

名称を変更すべきだという意見と、

 

その反対の意見、

言葉への統制に不満を感じる意見とが

対立をして、

 

ネットで炎上のようになってしまったケースが

紹介されています。

 

私は、個人的には、

「お母さん食堂」に、

特に引っかかるところはないのですが、

 

それはともかく、

「結託」

すなわち、

純化した集団というのは、

 

他の考えの集団と

不毛な対立を引き起こしがちで、

「分断」を生みかねないのだと思います。

 

単純には言えませんが、

今の国際情勢の混乱の一因は、

こういうところから

きているのかもしれません。

 

ネットの検索システムが、

「結託」を容易にしていると、

本書では述べられています。

 

検索システムには、

もちろん功罪がありますが、

その罪の部分、

 

「結託」する過程で、

多様な考えに触れる可能性を

損なってしまうということを、

 

「紙の辞書」

と

「電子辞書」

のたとえで、

述べられています。

 

 

紙の辞書は、

目当ての言葉を調べる過程で、

他の言葉を目にします。

 

そこで、

今まで知らなかった言葉に

触れることもあります。

 

しかし、

電子辞書は、

検索した言葉の意味のみを

掲示するため、

それ以外の言葉に

触れる機会はありません。

 

検索システムを使った

出会いも同じで、

・・・

 

 

そうですね。

 

たしかに、紙の辞書は、

前後の言葉や、

何気なく目に留まった言葉から、

世界が広がることがありますよね(^^)

 

私事ですが、

中学生のころ、

まずはエッチな言葉から引いて、

そこから語彙が増えていった記憶が

あります(^^;

 

同じことは、

リアル書店と、

ネット書店にもいえるかもしれません。

 

私は最近、

ネット書店(Amazon)を利用することが

多くなりました。

 

特に、大型書店で探さないと、

なかなか見つかりそうもない本は、

(古本も含めて)

ネット書店で、

ピンポイント購入することが多いです。

 

「あなたへのおすすめ」

を提案してくれる

レコメンド機能も、

便利で有り難い。

 

しかし、

それだけだと世界が広がらない。

 

やっぱり、

リアル書店をぶらぶら回遊しながら、

ふと目に留まる、本との出会い。

 

これを大切にしたい!

 

もちろん、

デジタルの恩恵は多大なるものがあり、

それなしでは生きていけない

世の中ではありますが、

 

デジタルに依存しすぎるのは、

自ら世界を狭めることになると思う、

今日この頃です(^^;

 

 

 

**********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございます。

 

次回もこの本の紹介を続ける予定です。

(最終回?)

 

 

**********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

狐狸庵先生(遠藤周作さん)

のエッセーに登場する、

「柿生の里」

(川崎市麻生区)

 

前から気になっていたのですが、

車で通りがてら、

ぶらっと立ち寄ってみました(^^)

 

 


 

王禅寺。

 

 

 

 

 

その昔は大寺院だったようですが、

今は静かなたたずまいでした。

 

 

 

琴平神社の儀式殿。

鳥居がデカかった!

 

 

 

近年、火事で焼け

再建された本殿。

 

 

首都圏のわりと近場にも、

まだまだ素敵な神社仏閣が

あるもんですね~😊

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

早稲田大学文学学術院教授

石田光規先生の新書本、

 

「人それぞれ」がさみしい

 

 

から、

私が印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

この本は、

サブタイトルで

「やさしく・冷たい」人間関係

とあるように、

 

個々の違いを尊重する

一方で、

 

本音で語り合えず、

お互いに内面に踏み込むのを

避ける側面がある、

 

どこか息苦しい現代社会について、

述べられているのですが、

 

そのキーワードの一つは、

 

「萎縮」

 

です。

 

どういうことでしょうか。

 

ある夫婦の会話です(^^;

本書から引用します。

 

 

「なあ、セイコ、

オレは最近

わからなくなってきたよ」

 

「どうしたの?」

 

「ああ、うん。

この間、女子社員が

髪を切ってきたから、

それを褒めてさ。

そしたら無言で

にらまれちゃって」

 

ヨシロウはゆっくり

焼酎を口に運ぶ。

 

「今は、

見た目のことを話すと

ハラスメントとか

言われるからね」

 

「そうなんだよ。

この前も

部下を飲みに

連れていこうと

思ったんだけど、

なんかまた

言われるかなぁと思って」

 

「だいたい、

女子社員だって、

ツネカズにおんなじこと

言われたときは

普通に話すのに、

オレの時だけ。

 

それぞれ

いろいろと

感じ方もあるのかも

しれないけど、

なんかもうわからなくて」

 

「あまり関わらない方が

いいんじゃないの」

 

 

・・・これって、

実は私と妻の会話?

 

ではありませんが(笑)

 

ヨシロウの気持ち、

わかります(^^;

 

もちろん、これは、

「人による」

つまり、

日頃の関係性が

ものをいうのだと思いますが、

 

しかし、

風潮として、

ありますよね。

 

だから、

セイコの言うように、

けっきょく、

 

「あまり関わらない方が

いいんじゃないの」

 

というアドバイスに

なりがちなわけです(^^;

 

これが、

「萎縮」

ということですね。

 

「リスク」を避けるために、

無関心を装うことになる

ということです。

 

 

言葉にはもともと、

発せられた瞬間、

それを聞いた相手を

傷つける可能性をもつ、

というリスクがあります。

 

何気なく言った言葉で、

相手を傷つけてしまった、

という経験をもつ人は

少なくないでしょう。

 

ハラスメントの日常化により、

ひと言が持つ重みは

確実に増しました。

 

極端な場合には、

あるひと言が、

その人の社会的地位を

奪ってしまうことさえあります。

 

 

そうですね・・・

 

私自身も、

無自覚な発言で

人を傷つけてしまったことが、

数多くあります。

 

 

なるほど、

組織による

「ハラスメント」の認定は

厳正かもしれません。

 

しかし、

たとえそうだとしても、

「ハラスメント」

の加害者として

告発されるのは

気分のよいことでは

ないでしょう。

 

かりに、

組織からは

「問題なし」

と判断されたとしても、

その過程には

大きなストレスを

伴います。

 

また、

告発されることによって、

なんらかのレッテルを

貼られる可能性もあります。

 

このような状態では、

他者に極力立ち入らない、

というのが最も楽な

戦略になります。

 

(中略)

 

面倒なことに

巻き込まれないためには、

「人それぞれ」

と無関心を装うのが

いちばん無難なのです。

 

「人それぞれ」に

個を尊重したところで、

「人それぞれ」と

無関心を装うことに

なるというのは、

なんとも皮肉な結果です。

 

 

う~ん・・・

 

昭和の時代のように、

他人にズケズケと

土足で立ち入るような社会も、

それなりの良さはあり、

私はそんなに嫌いではないのですが、

 

でもやっぱり、今の、

個を尊重する社会のほうが

進化しているのだと思います。

 

が、しかし、

「個を尊重する」ことが

「人への無関心」へと繋がってしまう。

 

どこか、寂しく、

息苦しい社会・・・

 

そうですね・・・

 

自戒の念を込めてですが、

今の時代のコミュニケーションで、

大切になってくるのは、

 

月並みですが、

やっぱり、

 

「想像力」なのだと思います。

 

こんなことを言ったら、

相手はどう思うだろうかと想像する力、

それが必要なのだと思います。

 

そのうえで、

相手の性格やTPOも考慮したうえで、

声をかけてみる。

 

相手の気持ちを想像するためには、

まずは、

自分の気持ちに自覚的である

必要がありますね。

 

それと、

これは私自身に対してですが、

「おおらかさ」

 

そのためには、

やはり、

「自己受容」

 

自分の至らないところや、

ネガティブなところも含めて、

それも自分だと受け入れる。

 

そうすれば、

相手のネガティブなところに、

感情的に反応することは

少なくなりますので。

 

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

 

少し前(1月)の撮影ですが、

新幹線からの富士山🗻

 

きれいに、

冠雪していますね!

 

 

 

名古屋名鉄駅前の、

ななちゃん人形。

 

ここを通ると、

どうしても写真撮りたくなります(^^;

 

 

 

伊勢神宮の別宮

瀧原宮、

ちらっと参拝できました!

 

 

樹木が何だか神秘的でした。

 

 

 

 

 

深い森の中、

静かで厳かな空間でした。

 

有り難うございました😊

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回から、

 

「人それぞれ」がさみしい

 

 

という新書本(ちくまプリマ―新書)

を紹介・解説します(^^)

 

著者は、

早稲田大学文学学術院教授の

 

石田光規先生。

 

産業カウンセラーの会報に掲載されていた

先生の記事を拝読して、

とても興味深かったため、

著作を読んでみようと思いました。

 

「人それぞれ」がさみしい

 

サブタイトルには、

―「やさしく・冷たい」人間関係を考える―

とありますが、

 

たしかに、

「人それぞれ」というのは、

 

やさしいようで、

どこか、

他人行儀というか、

冷たさや、寂しさを感じるものが

ありませんか?

 

もちろん、

ひと昔前のように、

画一的な社会通念に縛られるよりは、

 

「人それぞれ」

という考え方のほうが、

束縛なく自由な感じがします。

 

相手を配慮している感じもする。

 

しかし、

「人それぞれ」

を尊重する今の時代に、

 

何故か、私たちは、

息苦しさを感じてしまう。

生きづらさを感じてしまう。

 

その理由が何なのかを

様々な角度から鋭い考察をしているのが、

本書なのです!

 

読みながら、

「なるほど、そういうことだったのか~」

「確かに、そうかもしれない」

「うわっ、痛っ・・・」

と思わず唸ってしまいました(^^;

 

本書には、

「人ぞれぞれ」

が成立する社会の条件として、

 

「個人化」

「物の豊かさの獲得」

が挙げられています。

 

 

物の豊かさは、

私たちから、

物品の貸し借りの手続き、

管理方法の決定といった

調整コストの多くを

省いてくれます。

 

テレビが複数台あれば、

チャンネル争いをする必要は

ありません。

 

「人それぞれ」に

好きなものを

見ることができます。

 

 

そうですね~。

 

たしかに、

チャンネル争いは、

なくなりましたよね。

 

ちなみに、

我が家のリビングの

チャンネル選択権は、

完全に妻にあり、

 

私は、このパソコンで、

一人寂しく見ることが

多いのですが(^^;

 

この調整コストが省かれることで、

私たちは、

 

異なる意見の場合は

話し合って解決するという、

「調整能力」は、

確実に低下しているような気がします。

 

めんどうな話し合いはせずに、

「人それぞれでいいや」

「だからテレビは複数必要」

となるわけです(^^;

 

 

同時に、

機械技術が進歩することで、

 

これまで共同でやらなければ

できなかったことも、

一人でできるようになりました。

 

さらに、

生活サービスが充実することで、

機械にゆだねることの

できない行為も、

お金で購入できるように

なっていきます。

 

今や、一定の資産をもち、

通信環境を整えれば、

人と会わない生活も可能です。

 

 

そうですね。

たしかに、お金があれば可能。

 

これが行き過ぎると、

さすがに寂しい気もしますが。

 

他に、

「人ぞれぞれ」

が成立する社会の条件としては、

 

集団ではなく、

「個の尊重」

ということが挙げられます。

 

 

たしかに、

かつての社会より、

多様な主義や信念は

尊重されるようになりました。

 

性的指向については、

多様性に配慮する方向で

変化が進んでいます。

 

10年前であれば、

静的マイノリティを表す

「LGBTQ」

などといっても

何のことか分からない人も

多かったでしょう。

 

1980年代であれば、

結婚をしない人生を

貫き通すことは

けっこう大変だったかも

しれません。

 

結婚しない人に

「一人前ではない」

と厳しい言葉が投げかけられたり、

昇進で差別されたりすることも

ありました。

 

そう考えると、

私たちは

「個を尊重する社会」

に生きているように感じます。

 

 

そうですね。

 

私は団塊ジュニア世代ですが、

やっぱり心のどこかに、

「結婚はすべきである」

という意識はありました(^^;

 

結婚に対する

周囲の圧力が減ったという意味では、

今はずいぶん生きやすい時代に

なったとは思います。

 

 

しかし、

何でも自由に

言えるようになったかというと、

そうでもない気がします。

 

たとえば、

友人であっても気を遣って、

なかなか深い話ができない、

ということは

ないでしょうか。

 

会社で管理職に

就いている人であれば、

「今は何でもハラスメントに

されてしまうから、

部下とどう接したらいいか

わからない」

という人もいるでしょう。

 

 

これは、ありますね~。

 

私の職場も、

特にコロナ以降、

雑談もはばかられるような雰囲気に

なってきましたよ(^^;

 

 

「個を尊重する社会」

というのは、

一人ひとりが

それぞれに独立した意見をもち、

それを

率直にぶつけられる社会という

意味合いもありました。

 

誰もが、

気を遣いつつも、

率直に意見を

ぶつけ合うことで、

よりよい社会を築いていく。

 

そういった対話のある社会が

目指されてきたのです。

 

 

そうですね~。

 

それが、本来の、

「個を尊重する社会」

のはずですが・・・

 

 

果たして

そういった社会は

実現できたのでしょうか。

 

世の中を見渡してみると、

実際に到来したのは、

 

目の前の他者に対して

意見や批判をすることを憚り、

それぞれが

自分の殻に閉じこもる社会、

 

あるいは、

検索をつうじて、

お互いに意見の合致してる人

のみが結びつき、

 

意見の合わない人は

寄せ付けない分断型の社会

ではないかと思うこともあります。

 

そこからは、

個を尊重する姿勢を

読み取ることは

できません。

 

 

「個を尊重する社会」

「対話のある社会」

を目指すつもりが、

 

「閉じこもり」や「分断」を

生んでしまった・・・

 

う~ん・・・

 

私たちは、

どこかボタンを掛け違えて

しまったのでしょうか?

 

 

・・・次回に続きますね(^^;

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました!

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

 

羽田空港近くの、

穴守稲荷神社。

 

 

 

正面右の奥の方に、

櫓のようなものが!

 

 

 

登れるみたいです!

 

 

 

上から見下ろせました!

 

 

 

 

こちらは、羽田神社。

 

 

 

なかなか、

かっこいい社殿でした!

 

 

 

奥に富士塚(羽田富士)があって、

登れましたよ!

 

 

 

 

宮音(みやお)くん、

イっちゃってます(笑)

 

まだお正月気分・・・😸