ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今日から11月ですね!

 

精神科医でかつ、禅寺の住職である、
川野泰周さんの著書、

 

歩けば、調う

 

 

を取り上げています。

 

この本は、

脳を休ませる練習として、

「歩く瞑想」を中心に、

他にも、定番の「呼吸瞑想」や、

「ボディスキャン瞑想」、

「慈悲の瞑想」や「つり革瞑想」まで、

様々な瞑想法が紹介されているのですが、

 

それ以外にも、

なかなか示唆に富んだ内容が多いです。

 

今回は、

その中から、

 

「自尊心」と「自慈(じじ)心」

 

について述べられているところを、

取り上げたいと思います。

 

 

自尊心とは、

人から評価されたり、

感謝されたりすることで、

維持されるものです。

 

「すごいね」

「あなたのおかげだよ」

「あなたがいてくれてよかった、

ありがとう」

 

こうした

他人の言葉に頼らなくてはならない

という意味で、

 

自尊心は「他律的」、

つまり、

他者からの働きかけによって

左右されるものである

ことがわかります。

 

 

そうですね~。

 

「自尊心」は、

他者を必要とする。

 

「承認欲求」にも、

通ずるものがあるかもしれません。

 

 

そこで新たに注目されたのが、

自慈心です。

 

英語ではこれを、

「セルフ・コンパッション」

と表現します。

 

テキサス大学の

クリスティン・ネフ博士は

この分野の研究を

長年リードしています。

 

彼女は、

「セルフ・コンパッション=自慈心」

と、

「セルフ・エスティーム=自尊心」

を分けて考えました。

 

 

「自慈心」とは、

最近、よく耳にする、

「セルフ・コンパッション」

のことなんですね。

 

クリスティン・ネフ博士の著書、

セルフ・コンパッション

は名著のようなので、

一度読んでみたいと思いつつも、

まだ読めていないのですが(^^;

 

 

ネフ博士によれば、

自分に対する

慈悲の気持ちとは、

手放しに自分を大切にする

心であり、

 

それは人からけなされようと、

決して揺らぐことは

ないそうです。

 

一方、

自尊心は

人からけなされたり、

認められなかったりすると、

崩れてしまうものです。

 

そのとき、

大半の人は怒るか、

悲しむか、

どちからを選択します。

 

怒りを選択したら

他人を責めるようになり、

 

悲しみを選択したら

自分を責めてしまいます。

 

 

なるほど・・・

 

「自慈心」は、

手放しに自分を大切にする心なので、

人の影響はうけないが、

 

「自尊心」は、

人の影響で、

崩れてしまいがちなんですね。

 

そして、つい、

他人や自分を責めてしまう・・・

 

「自慈心」は、

自分を思いやる気持ちのこと。

そして、

それができれば、

自然と、他人を思いやることが

できるようになるといいます。

 

そういう意味では、

「自慈心」とは、

ありのままを受け入れるという、

「自己受容」の考え方と、

似ているかもしれません。

 

「自己受容」

ができるようになれば、

「他者受容」

もできるようになるといいますから。

 

 

・・・ここで、

「自己受容」について、

考えてみたいと思います。

 

「自己受容」とは、

ありのままを受け入れる

ということですから、

 

頑張る努力を

放棄してしまうのではないか。

 

現状維持のままでいいと

思ってしまうのではないか。

 

向上心が生れないのではないか。

 

・・・この疑問は、

多くの皆さんが抱くと思います。

(私も一昔前までは、

そう考えていました(^^;)

 

その答えは、

私の心の学びの師匠、

野口嘉則さんが

とても分かりやすく

ご教示してくださったのですが、

 

「Doing」と「Being」を、

分けて考えるといいんですね。

 

たとえば、

「だらしのない自分」

がいるとします。

 

この、ありのままの自分を、

そのまま受容すれば、

「だらしのない自分」

のままでいることになります。

 

もちろん、

自分自身で、

それでもいいと思えれば、

問題はないのですが、

 

しかし、

そんな自分が嫌だ、

変えたいと願うならば、

どうするのか。

 

「だらしのない自分」

というのは、

「Doing」(行為)です。

 

Doingは、

必ずしも受け入れる必要はありません。

変えた方がいい場合もある。

 

では、何を受け入れるのか。

 

「Being」(感情)です。

 

(「Being」とは、一般的には

存在そのものという意味ですが、

感情もそれに含めます)

 

たとえば、

「だらしのない自分」

の時の感情は・・・

 

何かをきちんとやることに対して、

「不安」や「怖れ」が

あるのかもしれませんし、

 

できないことで、

「自己嫌悪」や「みじめさ」

を感じているかもしれません。

 

「行為」ではなく、

それらの背後にある

「感情」を探り、

それを、感じて味わう。

 

そうすれば、

自分が自分であることの確かさを

感じられるようになる。

 

地に足が着いて、

自然な向上心が湧いてくる。

 

来談者中心療法で有名な、

カウンセリングの神様、

カール・ロジャーズの

こんな名言もあります。

 

「逆説的なようだが、

ありのままの自分を受け容れたとき、

人は変われるのだ」

 

くり返しますが、

この場合の

「ありのままの自分」とは、

Being(感情)のことですね。

 

 

歩けば、調う

の内容に戻ります(^^;

 

この本には、

こんな風に書かれています。

 

 

「自慈心が高い

=今の自分に満足している」

 

という解釈から、

 

「自慈心が高い人は、

頑張る努力を

放棄するのではないか」

 

という批判もありました。

 

しかしネフ博士は、

何千人という人を調査し、

見事に反論してみせました。

 

「自慈心が高い人は、

利他のための努力を惜しまない」

 

ということが

わかったのです。

 

それはおそらく、

こういうことです。

 

自分を慈しむ人は、

自分を思いやるばかりでなく、

人のため、世の中のために

何かをしよう。

 

という気持ちが

自然と湧いてくるのです。

 

そのためであれば、

努力を惜しむことはなく、

 

しかもたとえ見返りが

なかったとしても、

バーンアウトすることも

ありません。

 

 

自分(の気持ち)を大切にできる人は、

他者(の気持ち)も大切にできる。

 

「自己受容」や「自慈心」

を育むのは、

簡単なようで意外と大変なのですが、

 

一生かけて、

コツコツ取り組んでいきたいものですね(^^)

 

なお、一人だと

なかなかうまくいかない場合は、

カウンセラーの力を借りるのも

手だと思います。

 

 

 

**********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました。

 

次回に続きます(^^;

 

 

 

**********************************

 

 

 

おまけ(^^;

 

 

大田区にある、池上本門寺。

五重塔。

 

 

 

京都の風景みたいですね。

都会のオアシス!

 

 

 

本門寺付近には、

他にも見どころ多いです。

 

古墳もあります。

 

 

 

坂を下る途中の多宝塔、

間近で見ると巨大ですよ!

 

 

 

坂を降りると、大坊本行寺。

 

 

・・・ところ変わって、

 

 

こちらは、横浜鶴見の總持寺。

 

心洗われる、ぴかぴかの廊下。

今から坐禅会参加します!

 

 

 

 

一歩、一歩、

足裏の感覚を意識しながら・・・

 

丹沢の塔ノ岳登山。

 

 

 

少し紅葉していました。

 

 

 

 

山頂、とても賑わっていましたが、

 

 

 

あいにく、雲の中でした(^^;

(富士山見えず)

 

 

 

 

大自然を満喫!

おかげさまで

リフレッシュできました(^^)

 

 

 

 

************************************

 

 

 

 

おまけ2(^^;

 

BUCK-TICK櫻井さんへの

レクイエム。

 

 

「JUPITER」

 

神々しく、

どこか懐かしさを感じさせるメロディ。

この曲、大好きです!

 

私の心に生き続けます。

櫻井さん、有り難うございました。

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

上着を着ずに職場行く、

行き帰り、

ちょっと寒いか今日この頃(^^;

 

 

今回紹介する本は、

 

歩けば、調う

 

 

著者は、

精神科医でかつ、禅寺の住職である、
川野泰周さんです。

 

私、最近、

著者の川野泰周さんの

講義を聞く機会がありました。

 

マインドフルネスを、

科学的な裏付けをもとに

分かりやすく解説してくださったり、

実際にいくつかの瞑想が体験できたりと、

とても素晴らしい内容でした!

 

その際、単行本から文庫化された

新刊が出たばかりだと聞きました。

 

タイトルは、

歩けば、調う

 

「歩く」ことが好きな私としては、

買わない手はない!

 

ということで、

さっそく読んでみました(^^)

 

この本のサブタイトルは、

 

~人生を豊かにする

「脳と身体の休め方」~

とあります。

 

特に現代人は、

身体よりも脳が疲れているといいます。

 

 

「やらなきゃ

いけないことが

たくさんあるのに、

うまく集中できない」

 

「十分寝ているのに、

疲れが取れない」

 

もしかしたら、

それは脳の疲れのせいかも

しれません。

 

「脳の疲れ」といわれても、

ピンとこない人が

大多数かもしれませんね。

 

私は精神科医であり、

横浜にある禅寺の住職

でもあるという、

 

自分でいうのも変ですが、

「変わり者」かもしれません。

 

心配事を抱えた人、

心の病に苦しむ人を、

これまでたくさん

診察させていただきました。

 

そんな私が、

脳の疲れをとるために

おすすめしたいのは

 

「歩くこと」

 

です。

 

 

精神科医の立場からも、

禅僧の立場からも、

 

脳の疲れを取るには、

 

「歩くこと」

 

が効果的といえるんですね。

 

 

たいして

体を動かしていないのに、

だるくて仕方ない、

 

週末はゴロゴロして

過ごすけれども、

月曜の朝から疲れている、

 

ということはありませんか?

 

 

ありますね・・・

 

私の場合、

体を動かさないと、

かえって、

だるくなるかもしれません。

 

 

身体の疲労は、

ふつうだったら

眠ればとれるものです。

 

山歩きをして疲れても、

一晩眠れば

スッキリ気持ちよく

目覚められるといったことは、

みなさん経験があるはずです。

 

 

たしかに、

山歩きをした次の日は、

たとえ、

身体の疲れが少し残っていたとしても、

すっきりと目覚められるような

気がします(^^)

 

ただ、

2日後くらいに、

筋肉痛がくるのは、

歳を感じますが・・・(^^;

 

 

ところが、

現代人が抱えている疲労は、

それとは種類が違います。

 

どういうことかというと、

これは明らかに

精神疲労、脳の疲労なのです。

 

 

現代人が抱えている疲労は、

「精神疲労」

「脳の疲労」・・・

 

 

精神疲労がたまると、

かえって眠れなくなって

しまいます。

 

うつ(うつ病やうつ状態)

を抱えた人たちは

不眠になることが

知られていますが、

 

うつ状態にまでは至らなくとも、

脳の疲れを抱えた現代人も

睡眠が浅くなり、

いつまでも疲れがとれないまま、

脳の疲れが慢性化していると

考えられるのです。

 

 

なるほど・・・

 

情報過多の現代社会においては、

脳の疲れが慢性化しやすいと

いうことでしょうか。

 

 

でも大丈夫。

 

歩けば、

脳も身体も

調っていきます。

 

少しのコツを覚えれば、

歩くことは

禅の世界に伝わる

「瞑想」になります。

 

そしてそれは、

最先端科学が教える

「マインドフルネス」として、

効果やメカニズムまで

解明されつつあるのです。

 

 

「歩く」ことは、

「瞑想」にもなる。

 

「マインドフルネス」

としての、

効果やメカニズムも

解明されつつある・・・

 

では、

どんなふうに歩けば、

瞑想になるのでしょうか。

 

 

はじめのうちは、

一定のリズムで

「ただ歩く」だけでも、

頭がスッキリする効果を

実感できると思います。

 

しかし、

慣れてきたら

「これを意識するだけで

効果が数倍になる」

というコツを

意識してほしいのです。

 

それは

「足の裏の感覚に

しっかり注意を向けて歩くこと」

です。

 

これこそ

脳を休ませる方法であり、

本書が紹介する

 

歩く瞑想

(マインドフル・ウォーキング)

です。

 

 

「足の裏の感覚に

しっかり注意を向けて歩くこと」

 

これが、

「歩く瞑想」のコツなんですね。

 

具体的な歩き方は、

本書に図解で詳しく解説されていますので、

興味のある方は、是非、

本書をお読みください!

 

 

一般的に瞑想というと、

呼吸に意識を向ける、

「呼吸瞑想」をイメージすると思います。

 

私も、

なんちゃって瞑想のレベルですが、

たまに、

自宅で動画を観ながら一人でやったり、

横浜・總持寺の月例参禅会に参加したりして、

(コロナ禍で中断していましたが、

この夏から再開されました!ありがたや~)

その恩恵を被っていますが、

 

しかし、実は、

呼吸瞑想よりも、

歩く瞑想である

マインドフルネス・ウォーキングのほうが、

簡単だといいます。

 

 

呼吸瞑想も、

呼吸を無理に調えようとせず、

ありのままの呼吸を

「ただ眺めること」が

大切なのですが、

 

気持ちを集中することが

難しい人、

心が落ち着く環境にない人には、

なかなか実践できません。

 

一方、

地面を踏みしめている足の感覚は、

否応なく意識されるので、

 

呼吸よりも心を向けやすいのです。

 

スマホを四六時中

眺めないではいられない人も、

マインドフル・ウォーキング

のほうが、

続けやすいと思います。

 

 

そうですね~

 

たしかに、

呼吸よりも、

地面を踏みしめる足裏の感覚の方が、

意識を集中して

向けやすいかもしれません。

 

呼吸瞑想だと

集中力がなかなか続かない方には、

 

「歩く瞑想」

おすすめします!

 

ちなみに、

本書にも取り上げられているのですが、

曹洞宗の坐禅と坐禅の間には、

「経行(きんひん)」という

一種のマインドフル・ウォーキングを

行います。

 

前述、横浜・總持寺の月例参禅会

(当日自由参加、500円ぽっきり!)

に参加すると、

実際に体験できるのですが、

 

超スローペース、

足のサイズの半分くらいの歩幅で、

素足の足裏の感触を味わいながら、

 

趣のある坐禅堂の中を、

ゆっくり、ゆっくり歩きます・・・

 

これがまた、

呼吸瞑想と同じくらいか、

それ以上に、

すっきり落ち着いた気分になるんですね😊

 

ただ、私の場合は、

これで足の痺れが取れるので、

助かっているというのが大きいのですが(笑)

(まだまだ初心者レベル(^^;)

 

 

 

***************************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けますね。

 

 

 

***************************************

 

 

 

おまけ(^^;

 

 

餃子の街、宇都宮。

JR宇都宮駅前の餃子像!

 

餃子、美味かったです!

 

 

 

大田原市の雲厳寺(うんがんじ)

 

山あいにある素敵な禅寺。

この橋の入り口からの眺めが

特に美しかったです!

 

何でも、JRのCMの撮影で、

吉永小百合さんが訪れたとか。

 

 

 

素朴な仏殿。

 

穏やかな表情の釈迦如来様が

いらっしゃいましたよ。

 

静かな空気に癒されました(^^)

 

 

 

那須烏山市の龍門の滝。

 

たまたま近くを通りかかったので、

立ち寄ってみたら、

予想以上に大きな滝!

 

 

 

下に降りて、

水しぶきが飛ぶ近くまで迫れます!

 

ダイナミック!

 

 

 

滝の向かいの太平寺。

仁王門が立派でした!

 

 

栃木県は、日光方面以外にも、

意外と見どころありますね😊

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

上着を着ていくか迷う、

今日この頃・・・(^^;

 

今回は、

珍しく、絵本を紹介します(^^)

 

 

くまとやまねこ

 

湯本香樹実さんが著者、

酒井駒子さんがイラストを描かれています。

 

酒井駒子さんは、

絵本作家として著名な方で、

他の代表作としては、

よるくま

(素敵なファンタジー絵本です!)

などがありますが、

 

今回の

くまとやまねこ

 

「喪失」と「獲得」

の物語です。

 

 

ある朝、

くまは ないていました。

 

なかよしのことりが、

しんでしまったのです。

 

 

昨日までは元気だった友達の小鳥が、

急に死んでしまったんですね・・・

 

くまは、

小さな箱に、花びらを敷き詰めて、

そこに小鳥を入れて、

 

どこに行くにも、

持ち歩くようになりました。

 

他の動物たちが中身に興味を示すので、

それを見せると、

みんな困った顔をします。

 

 

「くまくん、

ことりはもうかえってこないんだ。

 

つらいだろうけど、

わすれなくちゃ」

 

 

励ましているつもりですが、

誰も、くまさんの悲しみに、

寄り添ってはくれないのですね・・・

 

くまさんは、

自宅に帰って、

引きこもります・・・

 

 

くらくしめきった部屋で、

ひるも夜も

じっとすわっていると、

 

ときどき

あさくてみじかいねむりが

やってきます。

 

くまはいすにすわったまま、

すっかりつかれきって、

うつらうつらするのでした。

 

 

いわゆる、

喪失体験における、

「喪」の期間ですね・・・

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

・・・どのくらいの期間が

過ぎたのでしょうか。

 

久しぶりに窓を開けると、

いいお天気です。

 

くまさんは、

外に出て歩き始めますが、

 

そこで、

昼寝をしている、

やまねこと出会い・・・

 

 

・・・これ以上は、

ネタバレになるので、

やめておきますが(^^;

 

喪失体験をした時には、

やっぱり、

この「喪に服す」時間というのは、

必要なんだと思います。

 

喪失体験。

 

身近な人との死別や離別は

もちろんのこと、

 

ペットの死や、

財産、能力、地位を失うこと、

役職定年も当てはまります。

 

故郷や住み慣れた家、

転職、職場を離れることもそうですね。

 

身体能力の低下や、

自分のアイデンティティ、

誇りや理想を失うことも、

含まれます。

 

「喪の仕事」

という言葉がありますが、

 

じっくり時間をかけて、

自分のペースで、

泣いたり、悲しんだりすることが、

必要なのだと思います。

 

その過程を経ることで、

初めて喪失の新たな意味を発見できる。

 

自分という物語の中の、

「喪失」ということの意味を

「獲得」できるのかもしれません。

 

 

 

**********************************

 

 

 

以上、ネタバレになってしまうので、

中途半端になってしまいましたが、

 

くまとやまねこ

 

 

の前半部分のみ紹介をして、

少し解説をさせていただきました。

 

私の理屈っぽい、心理学的な解説よりも、

 

まずは、

この素晴らしい絵本を、

実際に読んで、感じて、

味わっていただければと思います(^^)

 

特に、最近、喪失体験をされた方に

おすすめしますが、

 

誰もが、

人生で何らかの喪失を

経験されていると思います。

 

「喪失」と「獲得」の物語。

 

心にじ~んと響く、

素敵な絵本です😊

 

 

なお、

心理学的な喪失の意味について、

深く知りたい方は、

小此木啓吾先生の古典的名著、

 

対象喪失―悲しむということ

 

 

をおすすめします(^^)

 

 

あとは、この作品も、

「喪失」と「獲得」の物語。

私は大好きです。

 

野口嘉則さんの、

人生は「引き算」で輝く

 

 

ちょっと

私の境遇と似ているところもあって・・・

 

沁みます(^^;

 

この文庫本にも収録されています。

(「心眼力」とダブルで読めるのでお得です!)

 

最高の自分をつくる「心眼力」

 

 

おすすめします!

 

 

 

*********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

*********************************

 

 

 

おまけ(^^;

 

 

東名高速。足柄SAで車中泊して・・・

 

 

 

久々の山歩き!

静岡県裾野市の越前岳に登りました!

 

途中、振り返っての富士山。

 

 

 

だんだん雲がかかってきましたが(^^;

(雲がかかる前は、山頂付近が

うっすら雪化粧しているお姿をお見受けしましたよ)

 

 

 

 

越前岳山頂、着きました!

 

下山時、

年配のご夫婦と一緒に、

道に迷いそうになりましたが・・・

 

何とか無事下山できました(^^;

 

 

 

 

須山浅間神社。

川を挟んだ入口。

 

 

 

石灯篭の

穴がハート型!

 

 

 

逆から見ると、

本殿が見える!

 

 

 

おおっ💗

 

 

 

社務所の方の感じもよく、

素敵な神社でした!

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ようやく秋らしい気候になってきました!

寒暖差がある日が続きますね(^^;

 

経営思想家・経営学博士、

小森谷浩志の著書、

 

ZEN 禅的マネジメント

 

 

という本を紹介しています。

 

前回、

『十牛図』の中の

「牛(=本来の自己)」を

捕らえて、馴らして、一体化する、

 

すなわち、

「影(シャドー)の統合」

というテーマを取り上げましたが、

 

今回は、

それを「手放す」という

テーマになります。

 

えっ・・・

 

せっかく捕まえて、一体化した、

「牛=(本来の自己))」

なのに、手放す?

 

それでいいのか?

 

という気にもなりますが(^^;

 

有名な白隠禅師坐禅和讃の一節が

引用されています。

 

 

衆生本来仏なり

 

水と氷の如くにて

 

水を離れて氷なく

 

衆生の外に仏なし

 

 

白隠禅師坐禅和讃は、

白隠禅師が

一般の人にもイメージしやすい

比喩を使ったりして、

具体的に分かりやすく

「禅」の本質を

説いてくださっているので、

 

仏教の専門家ではない私でも、

「なるほど~そういうことか!」

と膝を打つ箇所が多いです(^^)

 

著者の解説を引用します。

 

 

仏教において

私たち衆生は、

本来は仏ですが、

 

衆生と仏の間に、

本来という言葉が

入っていることに

注意が必要です。

 

仏たる本質を持ちながら、

気づけていない、

自覚できていない

私たちがいるということです。

 

 

たしかに、普段は、

私たちが仏たる本質を持っているなどどは、

なかなか自覚できないですよね。

 

エゴまみれの私・・・(^^;

 

 

水は凍ると氷になり、

氷は解けると水になりますので、

両方の本質は同一といえます。

 

ところが、

方円の器に従って

自由自在に変化する水と、

 

固まって動かない、

融通のきかない氷とでは

大きな違いがあります。

 

私たち衆生も、

本来は仏性を

所有しているのですが、

いつしか凍って固定された

「我」でがんじがらめに

なってしまい、

自由を失っていくことになります。

 

 

「水」=「仏」

「氷」=「衆生」(私たち)

 

のたとえは、

イメージしやすいですね。

 

たしかにそうであれば、

私たちの本質は仏と同じなのに、

それが凍って固体となってしまったので、

いろいろと制限が生じてしまう。

 

「氷」というのは

仏教でいう「苦」、

すなわち、

「思い通りにならないこと」

の象徴だと考えます。

 

なかなか思い通りにならないからこそ、

たまに、思い通りになった時には、

喜びがあるし、

感謝の気持ちも生まれる。

 

スピリチュアルな思想では、

私たちの魂は、あえて、

思い通りにならないことを体験するために、

この世に、自分の意志で生まれてくる

という説がありますが、

 

私もそうなのかと思います。

 

再び、白隠禅師坐禅和讃より、

 

 

衆生近きを知らずして

 

遠くを求むるはかなさよ

 

たとえば水の中にいて、

 

渇を叫ぶが如くなり

 

 

・・・これも

うまいたとえですね。

 

私たちは自らが、

もともとは水(=仏)であることを知らず、

それを遠くに求めている(^^;

 

 

『十牛図』でも、

ここまで「真の自己」が

外側にあると思い、

探し求める旅でした。

 

しかし実際に捕らえて、

親しくなってみると、

 

牛はまさしく

自分そのものだったと

気づきます。

 

牛と牧人、

真の自己と今の自己、

 

別々ではなく、

主客を超越して一つ、

「主客一体」

だったということです。

 

一つであるのなら、

これまでは方便としてあった、

牛の存在は

もう必要でなくなりました。

 

川を渡るには、

筏(いかだ)は

大切な道具として必要ですが、

 

渡った後には

もう要らないのです。

 

 

なんと、

「牛」の存在は、方便であって、

実は、

「自分そのもの」

だったんですね!

 

「な~んだ、早く言ってよ!」

という感じもしますが(^^;

 

しかし、これは、

「影」(シャドー)の統合という

内なる葛藤の旅を経て、

初めてたどり着ける境地なんですね。

 

「影」を受け入る、

すなわち、

「自己受容」することで、

「本来の自己」を取り戻す。

 

幸せの青い鳥は、

実は身近なところにいたという、

メーテルリンクの童話

「幸せの青い鳥」

も同じような展開ですね。

 

 

再び、白隠禅師坐禅和讃です。

(繰り返します)

 

 

衆生本来仏なり

 

水と氷の如くにて

 

水を離れて氷なく

 

衆生の外に仏なし

 

 

 

衆生近きを知らずして

 

遠くを求むるはかなさよ

 

たとえば水の中にいて、

 

渇を叫ぶが如くなり

 

 

「私たちは本来仏である」

忘れずにいたいですね(^^;

 

 

白隠禅師坐禅和讃を通じて、

小森谷浩志さんが

『十牛図』のポイントになる箇所を

分かりやすく解説してくださったので、

理解を深めることが出来ました。

 

有り難うございました😊

 

 

 

 

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以上、3回にわたって、

 

経営思想家・経営学博士、

小森谷浩志の著書、

 

ZEN 禅的マネジメント

 

 

の内容の一部を

紹介させていただきました。

 

取り上げたところは、

「十牛図」でいうところの、

8番目くらいまでなので、

 

「十牛図」の全体を、

「成人発達理論」を通じて

読み解くことに興味がある方は、

ぜひ、本書をお読みください!

 

全375ページと、

ボリュームはありますが、

文章は読みやすく、

図解もあり、分かりやすいです。

 

著者と、曹洞宗の藤田一照さんとの

示唆に富む対談も収録されていますよ。

 

オススメします!

 

ちなみに、

「影」の統合といえば、

 

過去ブログで取り上げた、

村上春樹さんの小説、

街とその不確かな壁

 

 

も、そんな物語かもしれないと思いました。

よかったら、ご一読ください。

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

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おまけです(^^;

 

 

 

薄暗かったのに、

後で写真を見たら、何故か明るい!

(オーラ?)

 

宮音くんにも仏性あるのかな😸

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

秋の足音が近づいてきた・・・

と思ったら、

いつのまにか目の前にいる感じですね。

 

前回から、

 

ZEN 禅的マネジメント

 

 

を紹介・解説しています。

 

この本は、

禅の「十牛図」と、

心理学の「成人発達理論」

を組み合わせたものを、

「禅的マネジメント」

として打ち出している、

とても刺激的でおもしろい本です(^^)

 

前回は、

自己探求、すなわち、

本来の自己(=牛)を探す旅が

始まるところを、

紹介しました。

 

今回は、

やがて、牛と出会い、

それを捕らえるところからですが、

 

これが、暴れ牛で、

飼い馴らすのは、

なかなか大変なんですね(^^;

 

何故なら、

 

自分の中の、

ネガティブな感情、

すなわち、

影(シャドー)と向き合い、

それを統合する必要があるからです。

 

 

「影」とは、

心の暗部であり、

隠し続け、

拒絶して排除している

自らの側面です。

 

別の角度からいうと

あなたであるにもかかわらず、

生きてこられなかった

あなたの部分です。

 

多くの場合は、

自分でもそれに気づくことなく、

その側面に向き合うことなく、

 

他責にして他者を拒絶し

排除したり、

 

はたまた

執拗に自分を責めたりして、

嫌悪することで代替しています。

 

 

影(シャドー)は、

抑圧している心の暗部ですので、

自分の中にあるものとは、

なかなか認められないんですね。

 

だから、

ついつい無意識に

他者にあるものとして、

まるでプロジェクターで投影するように

映し出してしまう。

 

心理学でいう、

いわゆる「投影」ですね。

 

 

相手への嫌悪感は、

自己の中にある

否定的な部分の裏返しです。

 

自分の嫌なところを、

見たくない自分の恥部を

映し鏡のように

相手の中に

見ているだけなのです。

 

 

自分の恥部、すなわち影を、

自分で受け入れられないので、

それを相手に投影する、

 

私は、数年前まで、

この考え方が

いまいち腑に落ちなかったのですが、

 

よくよく考えて見ると、

たしかに、相手の嫌な部分というのは、

自分の中にもあるのです。

 

 

(他人に対して)

「あなたは怒りに満ちている」、

「あなたはすぐに人をさげすむ」、

「あなたは横柄で人を

コントロールしたがる」、

「あなたはどこか怯えている」、

「あなたは自己顕示欲が旺盛だ」、

「あなたは欲深い」、

「あなたは冷酷だ」。

 

これがあなた(他人)

ではなく、

「自分」だったとしたら

どうでしょうか。

 

耳が痛いのを通り越して、

目を背けたくなるのが自然です。

 

真に成長するためには、

冷徹に、覚悟を持って

自己対峙することを

求められます。

 

 

 

・・・たしかに、

時と場合によっては、

 

私も、

怒りに満ちていたり、

人をさげすんだり、

横柄だったり、

怯えていたり、

自己顕示欲があったり、

欲深かったり、

冷酷だったり、

 

することがあるのです。

 

自分の中に、

そんなネガティブな自分も、

確実に存在する。

 

(ちなみに、私は、

ディマティーニ・メソッドを学び、

体験することで、この考え方が

かなり腑に落ちるようになりました)

 

 

これまで無意識だった、

気づくことがなかった、

見たくない癖や

パターンに

向き合うということです。

 

怒りを押し込めて、

表面上穏やかに

人に接している、

 

コントロール願望が

強くあるのに、

自由に任せるマネジメントの

推進役をやっている、

 

自信の無さを隠し、

横柄に振る舞っているなど、

 

こうした癖やパターンが

自分の中にあったことを

認めることは、

 

決して心地よいものでは

ありません。

 

 

どきっ・・・


私も、ふだんは、

表面上は穏やかなほうですし、

 

自由に任せるマネジメントの

スタイルなのですが、

 

よくよく考えて見ると・・・

 

たしかに、

怒りを押し込めていることも

ありますし、

実はコントロール願望も

ないことはないのです(^^;

 

 

多くの人は、

耳障りのいい言葉を話し、

いい人を装い、

演じて生きています。

 

社会や世間の目を気にして、

高く評価されるか否かを

物差しにして生きています。

 

表面上の世間体がいい自分と、

奥底にあるドロドロとした自分、

 

この両者が

自分の中で格闘して、

分離している状態です。

 

自分がひたすら嫌ってきた

「怒り」、

「悲しみ」、

「自己批判」などの

ネガティブな感情が、

 

実は自分の無意識世界に

充満しているということは、

容易には承認しがたいものです。

 

できれば、

自分の「影」の側面を

見たくないのです。

 

 

そうですね・・・

 

では、どうすればいいのでしょうか。

ユングはこう指摘します。

 

 

影はある意味で、

人間の存在を生き生きとさせ、

美しくするような、

原始的で子どもっぽい性質すら

もっている。

 

しかし、

慣習的な規律が

禁止しているのである。

(「エセンシャル・ユング」)

 

 

う~ん・・・

 

 

つまり影は、

明らかな悪ではなく、

 

生きた人間の味になり、

より深い自己との出会いへと

導いてくれるものです。

 

決して

「影」=悪者

ではないことを

しっかり認識する

必要があります。

 

それどころか、

自我のなかに影を統合していく

プロセスは、

人格が成熟していくうえで

重要です。

 

人間らしいとか、

憎めないと表現される、

愛嬌や抜けたところが

あるからこその味わいです。

 

いのちの喜びのまま

生きるとは、

 

光だけを目指して、

影を隠すことではなく、

 

両方を愛で、

慈しみ、

包摂することです。

 

そもそも人間は

完璧でいる必要は

ないのです。

 

 

そうですね・・・

 

影は決して悪者ではない。

 

人間らしく、

命の喜びのまま、

生きていくためには、

不可欠なものなのです。

 

 

近年、経営学においても

弱さを見せることの

大切さが見直されています。

 

仕事用の仮面をかぶって

個性を押し殺し、

決められた役割をこなすよりも、

 

自分という人間を表現する

自然な振る舞いが、

価値を創出しています。

 

弱さを隠すのではなく、

さらけ出して、

認め合って、

補完し合うからこそ、

お互いの限界を超えた仕事に

結びつくのです。

 

 

・・・共感します(^^)

 

もちろん、現実的には、

仕事の役割分担として、

個性を押し殺さねばならない時も

ありますし、

 

競争社会において、

弱さをさらけ出すのは、

実際、かなり勇気が要ります。

 

しかし、

お互い、自分の影の部分を、

抑圧しすぎることなく、

 

お互いの「本音」の部分を、

少しずつ見せ合い、

認め合うことができれば、

 

しなやかな組織になるだろうし、

そんな組織が増えていけば、

 

それが、

居心地のいい、生き生きとした世界へと

繋がっていくような気がします。

 

私自身、影の統合は、

まだまだ、十分にできていないと

自覚しておりますが(^^;

 

人生の後半をかけて、

コツコツと取り組んでいきたいと

考えています😊

 

(ちなみに、

この本にはセルフワークがついています。

それをやれば、ご自身の「影」の統合を

進めやすくなることうけあいです)

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、
有り難うございました(^^)
 
次回に続きます(^^;
 
 
 
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首、凝ってまっか・・・
(ゴロゴロ・・・
きもちい~にゃ😸)