ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

ようやく秋らしい気候になってきました!

寒暖差がある日が続きますね(^^;

 

経営思想家・経営学博士、

小森谷浩志の著書、

 

ZEN 禅的マネジメント

 

 

という本を紹介しています。

 

前回、

『十牛図』の中の

「牛(=本来の自己)」を

捕らえて、馴らして、一体化する、

 

すなわち、

「影(シャドー)の統合」

というテーマを取り上げましたが、

 

今回は、

それを「手放す」という

テーマになります。

 

えっ・・・

 

せっかく捕まえて、一体化した、

「牛=(本来の自己))」

なのに、手放す?

 

それでいいのか?

 

という気にもなりますが(^^;

 

有名な白隠禅師坐禅和讃の一節が

引用されています。

 

 

衆生本来仏なり

 

水と氷の如くにて

 

水を離れて氷なく

 

衆生の外に仏なし

 

 

白隠禅師坐禅和讃は、

白隠禅師が

一般の人にもイメージしやすい

比喩を使ったりして、

具体的に分かりやすく

「禅」の本質を

説いてくださっているので、

 

仏教の専門家ではない私でも、

「なるほど~そういうことか!」

と膝を打つ箇所が多いです(^^)

 

著者の解説を引用します。

 

 

仏教において

私たち衆生は、

本来は仏ですが、

 

衆生と仏の間に、

本来という言葉が

入っていることに

注意が必要です。

 

仏たる本質を持ちながら、

気づけていない、

自覚できていない

私たちがいるということです。

 

 

たしかに、普段は、

私たちが仏たる本質を持っているなどどは、

なかなか自覚できないですよね。

 

エゴまみれの私・・・(^^;

 

 

水は凍ると氷になり、

氷は解けると水になりますので、

両方の本質は同一といえます。

 

ところが、

方円の器に従って

自由自在に変化する水と、

 

固まって動かない、

融通のきかない氷とでは

大きな違いがあります。

 

私たち衆生も、

本来は仏性を

所有しているのですが、

いつしか凍って固定された

「我」でがんじがらめに

なってしまい、

自由を失っていくことになります。

 

 

「水」=「仏」

「氷」=「衆生」(私たち)

 

のたとえは、

イメージしやすいですね。

 

たしかにそうであれば、

私たちの本質は仏と同じなのに、

それが凍って固体となってしまったので、

いろいろと制限が生じてしまう。

 

「氷」というのは

仏教でいう「苦」、

すなわち、

「思い通りにならないこと」

の象徴だと考えます。

 

なかなか思い通りにならないからこそ、

たまに、思い通りになった時には、

喜びがあるし、

感謝の気持ちも生まれる。

 

スピリチュアルな思想では、

私たちの魂は、あえて、

思い通りにならないことを体験するために、

この世に、自分の意志で生まれてくる

という説がありますが、

 

私もそうなのかと思います。

 

再び、白隠禅師坐禅和讃より、

 

 

衆生近きを知らずして

 

遠くを求むるはかなさよ

 

たとえば水の中にいて、

 

渇を叫ぶが如くなり

 

 

・・・これも

うまいたとえですね。

 

私たちは自らが、

もともとは水(=仏)であることを知らず、

それを遠くに求めている(^^;

 

 

『十牛図』でも、

ここまで「真の自己」が

外側にあると思い、

探し求める旅でした。

 

しかし実際に捕らえて、

親しくなってみると、

 

牛はまさしく

自分そのものだったと

気づきます。

 

牛と牧人、

真の自己と今の自己、

 

別々ではなく、

主客を超越して一つ、

「主客一体」

だったということです。

 

一つであるのなら、

これまでは方便としてあった、

牛の存在は

もう必要でなくなりました。

 

川を渡るには、

筏(いかだ)は

大切な道具として必要ですが、

 

渡った後には

もう要らないのです。

 

 

なんと、

「牛」の存在は、方便であって、

実は、

「自分そのもの」

だったんですね!

 

「な~んだ、早く言ってよ!」

という感じもしますが(^^;

 

しかし、これは、

「影」(シャドー)の統合という

内なる葛藤の旅を経て、

初めてたどり着ける境地なんですね。

 

「影」を受け入る、

すなわち、

「自己受容」することで、

「本来の自己」を取り戻す。

 

幸せの青い鳥は、

実は身近なところにいたという、

メーテルリンクの童話

「幸せの青い鳥」

も同じような展開ですね。

 

 

再び、白隠禅師坐禅和讃です。

(繰り返します)

 

 

衆生本来仏なり

 

水と氷の如くにて

 

水を離れて氷なく

 

衆生の外に仏なし

 

 

 

衆生近きを知らずして

 

遠くを求むるはかなさよ

 

たとえば水の中にいて、

 

渇を叫ぶが如くなり

 

 

「私たちは本来仏である」

忘れずにいたいですね(^^;

 

 

白隠禅師坐禅和讃を通じて、

小森谷浩志さんが

『十牛図』のポイントになる箇所を

分かりやすく解説してくださったので、

理解を深めることが出来ました。

 

有り難うございました😊

 

 

 

 

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以上、3回にわたって、

 

経営思想家・経営学博士、

小森谷浩志の著書、

 

ZEN 禅的マネジメント

 

 

の内容の一部を

紹介させていただきました。

 

取り上げたところは、

「十牛図」でいうところの、

8番目くらいまでなので、

 

「十牛図」の全体を、

「成人発達理論」を通じて

読み解くことに興味がある方は、

ぜひ、本書をお読みください!

 

全375ページと、

ボリュームはありますが、

文章は読みやすく、

図解もあり、分かりやすいです。

 

著者と、曹洞宗の藤田一照さんとの

示唆に富む対談も収録されていますよ。

 

オススメします!

 

ちなみに、

「影」の統合といえば、

 

過去ブログで取り上げた、

村上春樹さんの小説、

街とその不確かな壁

 

 

も、そんな物語かもしれないと思いました。

よかったら、ご一読ください。

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

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おまけです(^^;

 

 

 

薄暗かったのに、

後で写真を見たら、何故か明るい!

(オーラ?)

 

宮音くんにも仏性あるのかな😸