ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
秋の足音が近づいてきた・・・
と思ったら、
いつのまにか目の前にいる感じですね。
前回から、
を紹介・解説しています。
この本は、
禅の「十牛図」と、
心理学の「成人発達理論」
を組み合わせたものを、
「禅的マネジメント」
として打ち出している、
とても刺激的でおもしろい本です(^^)
前回は、
自己探求、すなわち、
本来の自己(=牛)を探す旅が
始まるところを、
紹介しました。
今回は、
やがて、牛と出会い、
それを捕らえるところからですが、
これが、暴れ牛で、
飼い馴らすのは、
なかなか大変なんですね(^^;
何故なら、
自分の中の、
ネガティブな感情、
すなわち、
影(シャドー)と向き合い、
それを統合する必要があるからです。
「影」とは、
心の暗部であり、
隠し続け、
拒絶して排除している
自らの側面です。
別の角度からいうと
あなたであるにもかかわらず、
生きてこられなかった
あなたの部分です。
多くの場合は、
自分でもそれに気づくことなく、
その側面に向き合うことなく、
他責にして他者を拒絶し
排除したり、
はたまた
執拗に自分を責めたりして、
嫌悪することで代替しています。
影(シャドー)は、
抑圧している心の暗部ですので、
自分の中にあるものとは、
なかなか認められないんですね。
だから、
ついつい無意識に
他者にあるものとして、
まるでプロジェクターで投影するように
映し出してしまう。
心理学でいう、
いわゆる「投影」ですね。
相手への嫌悪感は、
自己の中にある
否定的な部分の裏返しです。
自分の嫌なところを、
見たくない自分の恥部を
映し鏡のように
相手の中に
見ているだけなのです。
自分の恥部、すなわち影を、
自分で受け入れられないので、
それを相手に投影する、
私は、数年前まで、
この考え方が
いまいち腑に落ちなかったのですが、
よくよく考えて見ると、
たしかに、相手の嫌な部分というのは、
自分の中にもあるのです。
(他人に対して)
「あなたは怒りに満ちている」、
「あなたはすぐに人をさげすむ」、
「あなたは横柄で人を
コントロールしたがる」、
「あなたはどこか怯えている」、
「あなたは自己顕示欲が旺盛だ」、
「あなたは欲深い」、
「あなたは冷酷だ」。
これがあなた(他人)
ではなく、
「自分」だったとしたら
どうでしょうか。
耳が痛いのを通り越して、
目を背けたくなるのが自然です。
真に成長するためには、
冷徹に、覚悟を持って
自己対峙することを
求められます。
・・・たしかに、
時と場合によっては、
私も、
怒りに満ちていたり、
人をさげすんだり、
横柄だったり、
怯えていたり、
自己顕示欲があったり、
欲深かったり、
冷酷だったり、
することがあるのです。
自分の中に、
そんなネガティブな自分も、
確実に存在する。
(ちなみに、私は、
ディマティーニ・メソッドを学び、
体験することで、この考え方が
かなり腑に落ちるようになりました)
これまで無意識だった、
気づくことがなかった、
見たくない癖や
パターンに
向き合うということです。
怒りを押し込めて、
表面上穏やかに
人に接している、
コントロール願望が
強くあるのに、
自由に任せるマネジメントの
推進役をやっている、
自信の無さを隠し、
横柄に振る舞っているなど、
こうした癖やパターンが
自分の中にあったことを
認めることは、
決して心地よいものでは
ありません。
どきっ・・・
私も、ふだんは、
表面上は穏やかなほうですし、
自由に任せるマネジメントの
スタイルなのですが、
よくよく考えて見ると・・・
たしかに、
怒りを押し込めていることも
ありますし、
実はコントロール願望も
ないことはないのです(^^;
多くの人は、
耳障りのいい言葉を話し、
いい人を装い、
演じて生きています。
社会や世間の目を気にして、
高く評価されるか否かを
物差しにして生きています。
表面上の世間体がいい自分と、
奥底にあるドロドロとした自分、
この両者が
自分の中で格闘して、
分離している状態です。
自分がひたすら嫌ってきた
「怒り」、
「悲しみ」、
「自己批判」などの
ネガティブな感情が、
実は自分の無意識世界に
充満しているということは、
容易には承認しがたいものです。
できれば、
自分の「影」の側面を
見たくないのです。
そうですね・・・
では、どうすればいいのでしょうか。
ユングはこう指摘します。
影はある意味で、
人間の存在を生き生きとさせ、
美しくするような、
原始的で子どもっぽい性質すら
もっている。
しかし、
慣習的な規律が
禁止しているのである。
(「エセンシャル・ユング」)
う~ん・・・
つまり影は、
明らかな悪ではなく、
生きた人間の味になり、
より深い自己との出会いへと
導いてくれるものです。
決して
「影」=悪者
ではないことを
しっかり認識する
必要があります。
それどころか、
自我のなかに影を統合していく
プロセスは、
人格が成熟していくうえで
重要です。
人間らしいとか、
憎めないと表現される、
愛嬌や抜けたところが
あるからこその味わいです。
いのちの喜びのまま
生きるとは、
光だけを目指して、
影を隠すことではなく、
両方を愛で、
慈しみ、
包摂することです。
そもそも人間は
完璧でいる必要は
ないのです。
そうですね・・・
影は決して悪者ではない。
人間らしく、
命の喜びのまま、
生きていくためには、
不可欠なものなのです。
近年、経営学においても
弱さを見せることの
大切さが見直されています。
仕事用の仮面をかぶって
個性を押し殺し、
決められた役割をこなすよりも、
自分という人間を表現する
自然な振る舞いが、
価値を創出しています。
弱さを隠すのではなく、
さらけ出して、
認め合って、
補完し合うからこそ、
お互いの限界を超えた仕事に
結びつくのです。
・・・共感します(^^)
もちろん、現実的には、
仕事の役割分担として、
個性を押し殺さねばならない時も
ありますし、
競争社会において、
弱さをさらけ出すのは、
実際、かなり勇気が要ります。
しかし、
お互い、自分の影の部分を、
抑圧しすぎることなく、
お互いの「本音」の部分を、
少しずつ見せ合い、
認め合うことができれば、
しなやかな組織になるだろうし、
そんな組織が増えていけば、
それが、
居心地のいい、生き生きとした世界へと
繋がっていくような気がします。
私自身、影の統合は、
まだまだ、十分にできていないと
自覚しておりますが(^^;
人生の後半をかけて、
コツコツと取り組んでいきたいと
考えています😊
(ちなみに、
この本にはセルフワークがついています。
それをやれば、ご自身の「影」の統合を
進めやすくなることうけあいです)
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