ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

酷暑が続きますね・・・

まだ梅雨明けもしていないはずですが💦

 

思想家、内田樹さんの最新刊、

 

勇気論

 

 

から、私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しています。

 

今回が3回目、最終回です(^^;

 

この本は、

内田樹さんと編集者との、

往復書簡なのですが、

 

内田樹さんの返答が、

いつもながら、とても独創的で、

示唆に富みます。

(ちょっと回りくどいところは

ありますが(^^;)

 

「職業」について、

編集者がこう問いかけます。

 

 

数年前にブルシットジョブという

言葉が流行りましたね。

 

世の中、たしかに

「クソどうでもいい仕事」

に溢れています。

 

一方で

それらをコントロール=管理する

コンサルタントという仕事が

若い人に人気になっていますが、

 

コンサル出身の知人と

話をした時に、

職業観について

すごくずれがあることが

わかりました。

 

職業というか、

人生において

たいせつにしていることが

違う。

 

 

ここでいうコンサルとは、

いわゆる外資系の有名コンサルを

指すと思われますが、

 

今、東大など一流大学の学生の多くが、

就職を希望するようですね。

 

逆に、国家公務員などの

キャリア官僚を目指す学生は減っている。

 

国のために尽くすキャリア官僚は、

仕事が大変な割には、

外資コンサルよりも給料が低いのが

要因のようですが・・・

 

ちょっと寂しい気もします。

 

 

彼はコンサルは

人が嫌がる仕事をやっているから

高報酬がもらえるんだと、

 

ビジネスの肝は

そこになると主張するんです。

 

すべてのコンサルが

こういう考えをしているとは

思えませんが、

ものすごく違和感を覚えたことを

思い出しました。

 

 

「人が嫌がる仕事をやっているから

高報酬がもらえる」

 

たしかに、

一理ある気がします。

 

これに対して、

内田先生は、

 

人類史学的にも、

昔から、武人や聖職者、呪術者といった、

いわゆる生産的な労働をしない層は

存在したと述べつつも、

 

こう結論づけます。

 

 

彼はたしかに

その仕事で高い報酬を

得てはいましたけれども、

 

自分がしていることを

「嫌な仕事」だと

認めているのだとしたら、

 

これはかなり

自滅的な生き方だと思います。

 

 

コンサルの仕事内容じたいが

問題だというよりも、

 

自分がしていることを

「嫌な仕事」だと認めていることが、

自滅的だというのですね。

 

 

それは

「不快に耐える」

「無意味に耐える」

「不条理に耐える」

というのは、

 

自分の感受性を鈍感にする

ことなしには

なしとげることのできない

タスクだからです。

 

 

自分の感受性を

鈍感にする・・・?

 

 

不快な刺激の多い

環境に置かれると、

 

人は自分の五感の感受性を

あえて鈍くすることで

身を守ろうとします。

 

目に入る視覚入力が

不快であれば、目を閉じる。

 

耳に入る聴覚入力が

不快であれば耳を塞ぐ。

 

悪臭がすれば息を止める。

 

皮膚に触れるものが

不快であれば、身体を硬くして、

なるべく感じないようにする。

 

 

なるほど・・・

 

 

満員電車に乗っている人たちが

その典型ですね。

 

目は手元のスマホ画面に固定し、

耳にはヘッドセットを詰め込み、

身体をガチガチに固めて

周りの人にできるだけ

触れないようにしている。

 

あれが

「外部からの入力を

ゼロにしようとしている人」

の姿です。

 

 

そうですね・・・

 

私も朝、満員電車で通勤していますが、

スマホを注視しているのはもちろん、

ヘッドセットを耳に詰め込んでいる人を

最近、多く目にします。

 

たしかに、皆、

「自分の殻に閉じこもっているオーラ」

を発している。

 

私は、歩きスマホは

なるべくしないように

心がけていますし、

 

ヘッドフォンは、

周囲の音が聞こえなくなるのが

何だか怖いので(小心者)

人前ではしないのですが(^^;

 

でも、やっぱり、

人混みの中では、

心を閉ざしているかも。

 

 

外部からの入力を

できるだけ少なくする生き方を

デフォルトにすると、

とても困ったことが起きます。

 

それは「自分を呼ぶ声」

が聴こえなくなると

いうことです。

 

 

なるほど・・・

 

ネガティブな感情を

抑えつけると、

ポジティブな感情も

感じられなくなるといいます。

 

不快な環境の中で、

五感の感受性をあえて鈍くしたり、

 

高い報酬だからといって、

「嫌な仕事」だと認めながら仕事をすると、

 

「喜び」や「ワクワク」も、

感じられなくなるんですね。

 

そして、

内田先生流にいえば、

「惻隠の心」も発動しなくなるし、

「天職」にも出会えなくなる・・・

 

(「惻隠の心」や「天職」に関しては、

この本に詳しく書いてあります)

 

「耐える」ことは、

もちろん忍耐力がつきますし、

時に、自分の成長のためにも必要ですが、

 

ただ、それが、慢性化してしまうと、

「感受性」が鈍くなり、

 

ひいては、「喜び」の感じられない、

つまらない人生になってしまう・・・

 

・・・気を付けたいところですね😊

 

 

 

****************************

 

 

 

以上、3回に渡って、

思想家、内田樹さんの最新刊、

 

勇気論

 

 

の一部を紹介させていただきました。

 

内田樹さんのいう「勇気」とは、

 

「同調圧力に屈しないこと」

「孤立を恐れないこと」

 

であり、

この本は、それが、

いろいろな角度から解説されている本

ともいえるのですが、

 

最後に、もうひとつの「勇気」の定義が、

示されます。

 

「史記、廉頗(れんぱ)伝」から、

導かれるのですが、

(廉頗は、現在私が読んでいる唯一のマンガ

「キングダム」にも登場する大将軍です!)

 

それは・・・

 

 

勇気とは「〇〇〇なさい」

と言えること

 

 

・・・ううっ、

これが一番難しいかも。

 

特に妻に対して😅

 

 

興味のある方は、

是非、ご一読ください!

 

 

 

********************************

 

 

 

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を紹介します。

 

 

 

********************************
 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

三重県桑名市の多度神社。

 

 

 

白馬伝説の神社です。

(これはレプリカ)

 

 

 

おおっ、

ホンモノもいました!

 

 

 

神秘的な雰囲気・・・

 

 

 

奥に進むと・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

清らかな水が流れていました。

 

森の中の美しい神社。

おすすめです(^^)

 

 

 

こちらは桑名神社。

立派な門!

 

 

 

桑名城跡。

 

 

 

のらちゃんいました。

 

 

 

お友達。

 

 

 

この子は、

ウチによく来る、

タキシー(クロちゃん?)

 

 

 

これはウチの子、

宮音(ミヤオ)です😸

(童顔)

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

蒸し暑い日々が続きますね💦

 

おかげさまで、

長かった連続出張も

無事ひと区切りつきました(^^;

 

今回も、

思想家、内田樹さんの最新刊、

 

勇気論

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説していきます(^^)

 

内田樹さんは、

「勇気」とは、

孤立を恐れないことだといいます。

 

これを含めた、

「勇気・正直・親切」

という徳目が、

今の時代、大切なのではないか

というのが、

氏の主張なのですが、

 

この本を読むと、

「確かにそうだな~」

という気持ちになります。

 

今回は、その、

「勇気・正直・親切」

の中から、

 

「正直」に関することを、

引用して取り上げます。

 

「正直」という徳目が

いまの学校教育においては

軽んじられているのではないかと

いうのです。

 

 

僕はよく学校教育の

たいせつな目的の一つは

「自分のヴォイス」

を見つけることだと

いうことを言っています。

 

(中略)

 

僕が「自分のヴォイス」

と呼ぶのは、

 

それに載せると

自分がほんとうに

思っていること、

感じていることを、

かなり近似的に表現できる声

のことです。

 

自分の思考の流れとか、

呼吸とか、

身体を動かす時のリズムとかと

「合う」声のことです。

 

子どもたちには、

そういう声を見つけて欲しいと

いつも願っています。

 

 

そうですね・・・

同感です。

 

ただ、

自分のヴォイスで語るというのは、

けっこう難しいですね(^^;

 

 

「自分のヴォイス」

で語るというのは

僕の経験で言うと、

 

言い淀み、

口ごもり、

言い換え、

同じことをぐるぐる回り、

時々黙り込んでしまう

ようなことが

「できる」ということです。

 

(中略)

 

僕はそういう語り口を

自分に許すことのできる人を

「自分のヴォイスを

見つけた人」

だと思っています。

 

 

なるほど・・・

でも、これを(特に)人前でやるのは、

なかなか難しい。

 

それこそ「勇気」がいりますね(^^;

 

今の時代、

「もっと、早く!」

「けっきょく、何がいいたいんだ!」

とか言われそう(^^;

 

 

ですから、

これは

「大きな声で、はっきりと」

という要請には

まったく噛み合いません。

 

自分が生れてからこれまで

一度も口にしたことがない

思念や感情を、

いまここで語ろうとする時に

「大きな声で、はっきりと」

言えるはずがない。

 

「大きな声で、はっきりと」

言えているのは

ストックフレーズだけです。

 

定型句だけです。

誰かの請け売りだけです。

 

誰かが言っているのを

耳にして、

記憶していたものを

「再生」するだけなら、

大きな声で、

はっきりと言うことができる。

 

そういうものなんです。

 

 

「大きな声で、はっきりと」

言えているのは

ストックフレーズ、

定型句、誰かの請け売りだけ・・・

 

う~ん、

耳が痛い話ですが、

たしかに、そうかもしれません。

 

たとえば、ビジネスの世界などでは、

堂々と、自己主張することが求められます。

 

もちろん、

中身が伴っていることが大前提ですが、

ただ、どうしても、

声の大きい人の主張が通りがちなのは

否めません。

 

しかし、それは、

はたして、

自分の正直な声、

「自分のヴォイス」なのか?

といわれると・・・

 

う~ん・・・

 

 

ですから、

学校教育の場では、

先生は子どもたちに

「大きな声で、はっきりと

自分の思っていることを

言いなさい」

という要求をしてはいけない。

 

そんな条件を課したら、

子どもたちが口にするのは

「誰かの請け売り」

になってしまうからです。

 

親から聞いたか、

教師から聞いたか、

物知りの友人から聞いたか、

YouTubeで

自信ありげなコメンテーターから

聞いたか、

 

出典はわかりませんけれど、

「誰かが断定的に言ったこと」

なら、

大きな声で、

はっきりと再生することができる。

 

 

なるほどです・・・

 

考えてみると、

私も子どもの頃、

「誰かの請け売り」

をよく言っていたかもしれません。

 

先生や親に、忖度して・・・

 

 

そして、

ほんとうに怖いのは、

そうやって

自分で言ってしまったことを、

言った本人は

「自分の意見」だと

思い込んでしまう

ということです。

 

これほど大きな声で、

はっきりと

言い切れるのだから、

 

それが

自分の中に根拠を持つ

言葉でないはずがない。

そう思い込んでしまう。

 

 

うう、痛っ・・・

これはありますね(^^;

 

 

僕はだから

学校教育では、

子どもたちに

 

「大きな声ではっきりと、

自分の思いや気持ちを

言葉にしなさい」

 

という要請を

してはならないと思います。

 

請け売りの言葉を

理路整然と口跡明瞭に

口にして、

 

うっかりそれを

先生にほめられたりしたら、

それはその子の

成功体験になってしまう。

 

それから後、

ずっと

「請け売りの言葉を繰り返す人」

になってしまうかもしれない。

 

 

たしかに・・・

 

 

「自分のヴォイス」

で語ることは、

 

言い淀み、

黙り込み、

前言を撤回し、

同じ話をちょっとずつ

言い方を変えながら

繰り返す・・・

 

ということです。

 

そして、

それはたいていの場合、

小さな声で、

おずおずと語り出される。

 

だから、

学校の先生は子どもが

「小さな声で、

おずおずと語り出した」

時を見逃してはいけないと

思います。

 

それはその子は

「自分のヴォイス」

を見つけかけた徴候だからです。

 

忍耐づよく、

じっと言葉が生成するのを

みつめなければいけない。

急かせてはならない。

結論を求めてはならない。

 

 

子どもが

「小さな声で、おずおずと語り出した」

時が、

 

「自分のヴォイス」

を見つけかけた徴候。

 

たしかに、そう思います。

 

余裕のない現代社会においては、

なかなか難しいことかもしれませんが、

 

教師や大人は、

子どもが、

「自分のヴォイス」を見つけられるよう、

忍耐強くなること。

 

大切なことかもしれません。

 

では、

大人はどうすればいいのか。

 

大人が

「自分のヴォイス」を見つけるには、

どうすればいのか・・・

 

 

「カウンセリング」を受けることが、

ひとつの手だと思います(^^)

 

日常生活において、

 

言い淀み、黙り込み、

前言を撤回し、

同じ話をちょっとずつ

言い方を変えながら

繰り返す・・・

 

なんてことは

なかなかできませんよね。

 

家族、でも無理。

(むしろ難しい(^^;)

 

しかし、

傾聴を主とした

共感的なカウンセリングであれば、

 

来談者は、

あくまで自分のペースで、

ネガティブなことも含めて、

何を話そうと自由ですし、

 

カウンセラーは、

じっくりと、

 

どんなことでも、

決して否定することなく、

急かすこともなく、

耳を傾けます。

 

人が「自分のヴォイス」

を見出す手助けができるような、

 

私は、そんな、

カウンセラーでありたいと思っています😊

 

 

 

 

********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回に続きます。

 

 

 

********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

滋賀県版その2

 

 

 

長浜城。

鉄筋コンクリートの再建天守ですが、

かっこよかったです!

 

初めてかと思ってましたが、

来たことあるかな?

 

 

 

2026年の大河ドラマ、

豊臣兄弟なんですね!

 

 

 

一度行きたかった山城、

小谷城跡へ!

 

 

 

・・・ようやく着きました、本丸跡。

少し石垣が残ってました。

 

 

 

再現CG、

当時は、こんなだったみたいです!

 

 

 

琵琶湖方面を望む・・・

 

 

 

同じ景色の再現CG!

お市の方と浅井3姉妹。

 

彼女らと同じ風景を眺めていると思うと・・・

何だか感慨深いですね。

 

遠藤周作さんもそうだったように、

私も、山城などの廃墟に、

一人静かに佇んで、

 

当時の人々の気持ちをあれこれ想像するのが、

近年、楽しみになってきました(^^)

 

 

 

 

ここは、

琵琶湖の反対側、

浮御堂。

 

 

 

近江坂本、

明智光秀公の菩提寺、

西教寺。

 

 

 

 

 

光秀公、愛されていますね(^^)

 

裏切者のイメージがありますが、

地元で今も慕われているということは、

やはり民を思う名君だったのだと思います。

 

 

 

建物の中を周遊できます。

 

 

 

本堂、中の阿弥陀如来さまは大迫力!

 

 

 

立派な唐門!

 

大寺院ですが、

清々しい雰囲気の、素敵なお寺でした(^^)

 

 

 

 

日吉大社。

 

 

 

お猿さんが支えてる、

西本宮楼門から、

 

 

 

西本宮。

 

 

 

どの建物も、古風で、

とても趣があります!

 

 

 

 

 

東本宮へ。

 

 

 

ああ、美しい・・・

 

自然の中の広大な大社、

満喫しました!

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

出張中のため、

書き溜めたブログになります(^^;

 

今回紹介する本は、

思想家、内田樹さんの最新刊!

 

勇気論

 

 

内田樹さんの本は、

いろいろと示唆を与えてくれるので、

周期的に読みたくなるのですが、

 

今回のきっかけは、

たまたまネットを見ていたら、

新刊の情報が配信されていまして、

 

その、タイトルが、

「勇気論」

 

「勇気・・・」

何故か惹かれるものがありました。

 

今、考えると、

おそらく、

「最近の私、

何だか勇気が足りてないな~」

という自覚があったからではないかと

思うのですが(^^;

 

そんな私、

読み進めると、

「なるほどな~」と思える箇所が、

いくつもありました。

 

この本は、

古谷俊勝さんという名編集者の方との

往復書簡という形で

展開するのですが、

 

まずは、

冒頭の部分から、

 

内田先生は、

「勇気とは、孤立を恐れないこと」

であるが、

今は、その、

「勇気を持て」という教えが、

後退しているといいます。

 

何故なのでしょうか。

 

 

・・・その場の

思いつきで

「少年ジャンプ」

のせいかなと答えました

(集英社さん、ごめんなさい)。

 

「少年ジャンプ」

が作家たちに求めた

物語の基本は

「友情・努力・勝利」

でした。

 

最初に「友情」が来ます。

 

でも、

友情と勇気は

相性が悪いんです。

 

 

「少年ジャンプ」のコンセプトが、

「友情・努力・勝利」だというのは、

よく知られた話ですね。

 

私は、このコンセプト、

嫌いではないです。

 

「少年ジャンプ」は、

このコンセプトを外さないからこそ、

今まで多くの少年少女たちに、

支持されてきたと思いますが・・・

 

友情と勇気は、

相性が悪い?

 

 

友情というのは

理解と共感に基づいて

成立するものです

(とりあえずそう

信じられている)。

 

友情を豊かに享受している人は

周りの人たちに理解され、

共感され、支援されます。

 

ぜんぜん孤立していない。

 

でも、勇気というのは、

周りからの理解も共感も支援も

ないところから

なにごとかを始めるために

必要な資質です。

 

ですから、

「すべてはまず友情から始まる」

という世界には

「孤立を恐れない少年」

の居場所がありません。

 

 

なるほど・・・

 

「友情」というのは、

まず、それありきで考えてしまうと、

「孤立」を恐れることになってしまう。

 

理解や共感や支援を得たいがための

「友情」だと、

けっきょく、忖度してしまい、

周りの空気を読むことや、

同調圧力に従うことになりがち、

というわけですね。

 

考えて見ると、

私の学生時代が、そうでした・・・

 

何より、孤立を恐れていたかも。

 

いや、今でも?

 

 

勇気が最優先の

徳目だった時代に、

それに続く徳目は

「親切と親切」でした

(と思います。

個人の感想ですけれど)。

 

1950年代60年代の

少年たちには

「勇気・正直・親切」

が求められた。

 

とりあえず、

僕が読みふけっていたマンガでは

そうでした。

 

 

1950年代60年代に、

「勇気・正直・親切」

その中でも、

孤立を恐れない「勇気」が

特に求められたのは、

 

内田先生いわく、

 

戦前戦中時において、

大人たちが、

自分が「正しい」と思ったことを

口に出さず、

 

大勢に流されて、

ついには亡国の危機を招いてしまった

反省からではないか、

と、この本には述べられています。

 

なるほど・・・

それはあるかもしれません。

 

「少年ジャンプ」のコンセプト、

「友情・努力・勝利」

に対して、

 

1950年代60年代のマンガは、

「勇気・正直・親切」

 

この本を読み進めると、

この「勇気・正直・親切」

ということが、

 

実は今の時代にも、

大切であるということが、

腑に落ちてきます。

 

この本の最後の部分になりますが、

印象的な箇所があります。

 

 

いま、日本だけでなく、

世界のどこでも、

「いじめ」やDVや

レイシストや民族主義者の

暴力が

猖獗(しょうけつ)を

きわめています。

 

この暴力を駆動しているのは、

ぎりぎりまで削ぎ落すと、

 

「理解も共感もできない

他者を前にした時の

不快に耐えられない」

弱さだと僕は思います。

 

「他者の他者性に耐えられない」

というのは、

「孤立に耐えられない」

のと同じことです。

 

暴力をふるう人たちは、

他者を「理解すること」

「共感すること」

にあまりに性急なんです。

 

それは簡単に

手に入るものだと思っている

(そんな訳ないのに)。

 

だから、すぐに

「理解できない」

「共感できない」

と決めつける。

 

 

なるほど・・・

 

ググれば、

すぐに正解が出てくる時代、

 

「理解」「共感」に対して

性急すぎるというのは、

あるような気がします。

 

たしかに、

他者を「理解」「共感」

するのは難しいことです。

 

だから、

すぐに諦めてしまったり、

 

逆に、とりあえず、

「理解」「共感」したふりをする、

ということもあります。

 

河合隼雄さんが言っているように、

実は「人を理解する」

ことは、命がけのことなんですね。

 

それを、

安易に、わかったふりをする。

 

これは、

「勇気・正直・親切」

の「正直」に反しますね(^^;

 

自戒を込めて。

 

 

孤立に耐えることの

できる人は

他者の他者性に

耐えることができる。

 

理解も共感もできない他者を

前にした時に、

 

それを

「人間でない」とか

「忌まわしいもの」

とかいうふうに

ラベルを貼って分類して、

処理することを自制して、

 

しばらくの間の

「判断保留」に

耐えることができる。

 

人間の暴力を駆動しているのは

「何だかわからないもの」

に対するこの

嫌悪と恐怖なんです。

 

あらゆる戦争も、

差別も、ジェノサイドも、

起源までたどると、

 

「他者が他者であることの不快」

に耐えられない

人間の弱さにたどりつきます。

 

 

「何だかわからないもの」

に対する嫌悪と恐怖。

 

暴力は、

「恐れ」からくるわけです。

 

この恐れをなくす、

ということは・・・

実際、難しいのですが、

 

では、軽減させるには?

 

過去ブログにも、

何回か書きましたが、

 

自分の中にもある、

「何だかよくわからないもの」

に対して、

受容的になることだと私は考えます。

 

つまり、

「自己受容」ですね。

 

「他者受容」の前に、

まずは、

「自己受容」(^^)

 

 

勇気とは

この弱さとまっすぐに向き合い、

自分を少しずつ強くするための

足場です。

 

他者が他者であることに

耐えることのできる力です。

 

この力を僕は

勇気と呼びたいと

思っているのです。

 

 

自分の弱さを

しっかりと見つめる。

 

そして、あせることなく、

そのままの他者を受け止める。

 

他者はなかなか理解できない

ということを

前提としながらも、

 

その中でも、

少しでも分かろうとする

姿勢は忘れずにいる。

 

難しいことですが、

心がけていきたいです😊

 

 

 

**********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続ける

予定です!

 

 

 

**********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

滋賀県版!

 

 

 

いざ、彦根城へ!

 

 

 

動かない、ひこにゃんと(^^;

 

 

 

駆け足で玄宮園。

 

 

 

彦根の天寧寺。

五百羅漢さま、圧巻でした・・・

 

映画「関ケ原」の撮影でも使われたそうです。

隠れたおすすめスポット!

 

 

 

巨大布袋さま(^^)

 

 

 

彦根の街が一望できました!

 

 

 

多賀大社。

 

 

 

おおっ、美しい!

 

 

 

拝殿から本殿まで、

奥行きがありました。

 

うわさにたがわぬ、

美しい大社でした!

 

 

 

湖東三山のひとつ、

西明寺。

 

 

 

苔がもりもり。

 

 

 

庭園を抜けると、

おおっ、

国宝の本堂と、三重塔が!

 

 

 

本堂内では、

丁寧に解説もしていただけます。

 

自然と一体化した、

とても美しいお寺でした(^^)

 

 

 

一度行ってみたかった佐和山城跡。

 

 

 

石田三成公。

 

 

 

本丸跡から彦根城方面を望む・・・

 

 

 

これは、佐和山城天守閣!

(の復元ミニチュア模型(^^;)

 

 

 

石田三成公。

地元で愛されている様子がうかがえます。

 

きっと善政を敷かれていたんだろうなあ~。

 

(滋賀県版、次回も続きます)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

出張中のため、

書き溜めたブログになります(^^;

 

直木賞作家、

白石一文さんの最新作!

 

Timer 世界の秘密と光の見つけ方

 

 

から、

私の印象に残った箇所を

引用して、

私なりに解説しています(^^)

 

前回は、

「自分」を観察する

もうひとりの

「観察者としての自分」

とは、いったい何だろう?

 

という話でしたが、

今回は、その続きです。

 

「神様」が出てきます(^^;

 

 

「苦しいときの神頼み」

というように、

 

人間は困ったときにだけ

神にすがる印象があるが、

 

実は幸福なときも案外、

神を思い出すものだ。

 

人は強い幸福感に

浸されると瞬間的に、

 

「ああ、神様

ほんとうにありがとうございます」

とこころのうちでつぶやく。

 

もとから

神社仏閣で必勝祈願をしていた

アスリートが勝利を掴んで

神に感謝を捧げるといった

場合なら別だが、

 

実際は、それまでに何にも

神を意識していなかったとしても、

 

人は望外な喜びや

思わぬ幸運、

辛くも危地を脱したときなどに、

ついつい

 

「神様ありがとうございます」

 

と感謝してしまう。

 

 

そうですね・・・

 

私事ですが、

大学受験で、

第2、3、4志望に落ちたにもかかわらず、

第1志望に合格できた時は、

思わず

神に感謝しましたよ(^^)

 

 

私たちは、

自分という人間を見ている

もうひとりの

「自分」を持っているが、

 

同時に、その「自分」を

さらに見守ってくれ、

 

しかも、

たまに幸運を授けてくれる

もう一段上の

「視点」というものを

 

こころのうちに持っている。

 

 

たしかに・・・

 

私は、昔から(今でも)、

特定の宗教の信者ではありませんが、

 

私を見守ってくれている、

「大いなる存在」

があるような気は、しています。

 

 

合わせ鏡の譬えを以前は使ったが、

 

人間はものごころがついて

二つの自分に分裂した時点で、

 

自分を見る自分を見る

自分を見る自分を見る

自分を見る自分を見る自分・・・

 

という構造物を

意識のなかに組み入れてしまう。

 

そしてその構造物を

いつまでも

上に伸ばしていくわけにも

いかなくなって、

 

「納得のいく天井」

を設ける。

 

それが「神」というものなのだ。

 

 

自分を見る自分を見る・・・

 

の「納得のいく天井」が、

すなわち「神」。

 

なるほど・・・

 

こういう定義の仕方は、

考えたことがなかったのですが、

腑に落ちる感じがします。

 

 

この物語は、

後半で、

「揺れるゴンドラ」

のたとえを使って、

 

「私たちはいったい何者なのか?」

 

という問いの核心に迫っていきます・・・

 

・・・が、これ以上は、

ネタバレになりそうなので、

このあたりでやめておきますね(^^;

 

 

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この物語を読了した時に、

私は、

 

神との対話

という本の、

 

(この本は、

タイトルは眉唾でちょっとアヤシイですが、

中身は、本質を突いていて、

素晴らしい正統派スピリチュアル本です)

 

 

(過去ブログもあります。

よかったらご参照ください)

 

過去ブログでも

紹介させていただいた箇所なのですが、

 

この本の一節を、

想起したので、

 

改めて引用させていただきますね。

 

「小さな魂と太陽」

のたとえ話です。

 

 

―かつて、

自らが光であることを

知っている魂があった。

 

これは新しい魂だったから、

体験したくてならなかった。

 

「私は光だ」。

 

だが、いくら知っていても、

いくら口に出してみても、

体験にかえることはできない。

 

この魂が生まれた領域では、

光しかなかった。

 

どの魂も偉大で、

どの魂もすばらしく、

どの魂も

わたしの神々しい光を受けて

輝いていた。

 

そこでは、

その小さな魂は、

まるで太陽の前の

ロウソクのようだった。

 

偉大な光のなかでは、

その光の一部である魂は

自らを見ることができないし、

自分が何者であるかも

体験できない。

 

 

 

その魂は

自分自身を

知りたくて知りたくて

たまらなくなった。

 

あまりに知りたがるので、

ある日、

わたしは言った。

 

「小さいものよ、

その望みをかなえるには

どうすればいか、わかるか?」

 

「どうすればいいのですか、

神さま?

わたしは何でもします!」、

小さな魂は答えた。

 

「おまえは

わたしたちから

離れなければならない」

とわたしは言った。

 

「そうして、

闇を求めなければ

ならない」

 

「闇というのは何ですか、

聖なるかた?」

と小さな魂はたずねた。

 

「それは、

おまえではないものだ」

とわたしは答え、

その魂は理解した。

 

そこで、

その魂は全体から離れ、

べつの領域に行った。

 

その領域では、

魂はあらゆる闇を

体験する力を持っていた。

 

そして、闇を体験した。

 

その闇のさなかで、

魂は叫んだ。

 

「父よ、父よ、どうして、

あなたは私を

見捨てたのですか?」

 

たとえば、

あなたがたが

暗闇にいるときのように。

 

だが、

わたしは一度も

あなたがたを

見捨てたことはない。

 

つねにそばにいて、

ほんとうは何者であるかを

思い出させようとしているし、

いつも、

わが家に呼び戻そうと

している。

 

だから、

闇のなかの光になりなさい。

 

そして、

闇のなかにいることを

呪ってはいけない。

 

また、

まわりが

自分と違うものばかりでも、

自分が何者であるかを

忘れてはいけない。

 

そして創造物を

ほめたたえなさい。

 

たとえ、

それを変えたいと思っても。

 

 

・・・私たちは、

ちっぽけな存在ながらも、

 

神の一部であり、

また、

言い換えれば、

 

神そのものなのかも、

しれませんね😊

 

 

 

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以上、少し、

神との対話

に脱線しましたが(^^;

 

白石一文さんの最新作!

 

Timer 世界の秘密と光の見つけ方

 

 

を2回に渡って

紹介させていただきました。

 

「自分はいったい何者なのか」

「この世界の仕組みとは何なのか」

「死とは何なのか」

 

ということに興味のある方には、

おすすめします!

 

きっと何らかの

示唆が得られると思います😊

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回からは、別の本を紹介します。

 

 

 

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おまけ(^^;

 

前回からの続きです!

おつきあいいただければ幸いです(^^)

 

 

 

三重の北畠神社。

美しい庭園がありました。

 

 

 

霧山城址にも登れました!

 

 

 

丹生大師、

神社と癒合した素敵なお寺でした!

 

 

 

津市の専修寺。

 

 

 

大寺院ですが、

堂内にも気軽に入れる、

オープンなお寺でした!

 

 

 

瀧原宮。

静かで厳かなパワースポット。

 

 

 

なんと、磁場の関係か、

木がねじれています!

 

 

 

ところ変わって、

岐阜県中津川市の苗木城!

 

 

 

岩山を利用した山城です!

 

 

 

絶景でした!

 

 

 

こちらは、岩村城。

しばらく山道を登ると・・・

 

 

 

おお、現れました!

美しい六段壁。

 

 

「天空の城ラピュタ」

のような感じの

山城でした!

 

 

 

岩村の街並み保存地区。

 

 

 

愛知県安城市の本證寺。

三河一向一揆で家康に対抗した拠点です。

 

 

 

こちらは、

岡崎の大樹寺。

徳川家の菩提寺です。

 

 

 

岡崎の伊賀八幡宮。

 

 

 

愛知県蒲郡、

がん封じの寺、無量寺。

 

千仏洞めぐり、

無料ですが、雰囲気抜群でした!

 

 

蒲郡の八百富神社。

ミニ江ノ島的な感じ。

 

 

 

 

 

そんなに観光化されておらず、

素敵なパワースポットでした!

 

 

 

蒲郡の子安弘法大師像。

 

写真では分かりにくいですが、

巨大で大迫力!

 

 

 

お大師さまの足元にいた、

ノラちゃん😸

 

 

おつきあいいただきまして、

有り難うございました(^^)

 

 

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

5月の長期出張から

ようやく帰ってきました。

 

と思ったら、

6月もまた、れっつごう!

 

ということで、

再び、出張の旅に出る私でございます(^^;

 

今回紹介する本は、

直木賞作家、

白石一文さんの小説で最新作!

 

Timer 世界の秘密と光の見つけ方

 

 

白石一文さんは、

新刊が出ると、私はすかさず

ハードカバーで買っていた

作家さんなのですが、

 

ここ数点は、

買っていませんでした(^^;

 

今回、タイトルやキャッチコピーにも

惹かれたので、

久しぶりに読ませていただいたのですが・・・

 

いやあ~

やっぱりすごいですね!

 

この世界観は、

深遠すぎて、一度読んだだけだと、

なかなか深く味わえないかもしれません(^^;

 

難解な部分もありますが、

そこは白石一文さん、

抜群のストーリーテーリングで、

ぐいぐい物語の世界に引き込まれます。

 

白石一文さんの作品は、

私なりに分類すると、

 

1、人情や男女の機微を繊細に描く作品

2、強者を描くようで実は弱者に寄り添う作品

3、社会問題に鋭く切り込んでいく作品

4、スピリチュアルで摩訶不思議な作品

5、SF風味な作品

 

となります。

(ちょっと強引?)

 

もちろん、グラデーションであって、

どれかひとつの要素だけという

作品はないのですが、

 

この作品は、どちかかといえば、

3、4、5、

 

特に、

5、SF風味な作品

の要素が強いです!

 

ちょっとだけ、

あらすじを紹介しますと・・・

 

老夫婦、

82歳の男性(カズマサ)と

89歳の女性(カヤコ)が

主人公なのですが、

 

この物語の世界では、

Timerという装置を装着すると、

何と、老化のスピードが、

格段に落ちるのです!

 

Timerを装着したカヤコは、

そのおかげで、

89歳とは思えないほど、

若々しく見えるのですが、

 

ただし、

そのTimerには、

大きなリスクがあります。

 

一度、その装置を装着すると、

89歳の最後の日には、

必ず死が訪れるのです。

(つまり90歳以上になることはない)

 

Timerの秘密を知りたくなったカヤコは、

開発者の博士を捜すために、

カズマサと二人で動き始め、

やがて禁断の地へ向かうのですが・・・

 

と、

あらすじはこのくらいにしておきます(^^;

 

途中で、

巨大な「豚」が、爆発して、

大惨事になるという摩訶不思議な事件が、

世界中で頻発したり、

(これには実は、

れっきとした理由があるのですが)

 

「豚」といえば、

中島らもさんの、

ガダラの豚という、

これまた、

すごい印象の作品がありましたが・・・

 

・・・さておき、

 

Timer 世界の秘密と光の見つけ方

 

に戻りまして(^^;

 

白石一文さんらしい、

物事を突き詰める、

思索的な箇所を引用します。

 

82歳の主人公、

カズマサが語ります。

 

 

人間というのは

物心がついた時点で、

ふたりの自分に分裂する。

 

実人生を悪戦苦闘しながら

歩んでいく自分(車)と、

 

そういう自分を

観察する自分(運転手)だ。

 

この二役を僕たちは

死ぬまで同時にこなしつづける。

 

ふたりとも

与えられた肉体のなかにあるので、

車と運転手のように

ときどき分離することは

かなわない。

 

いまの僕みたいに

車体(脳)が壊れてくると、

それを修理して、

かつてのように上手に

記憶の糸をたぐり寄せる機能を

回復させるには、

ほとんど不可能ということに

なってしまう。

 

僕はいわゆる認知症なのだろう。

 

 

ふたりの自分、

 

・実人生を歩んでいく自分=脳=車

・それを観察する自分=運転手

 

のたとえは、

イメージしやすいですね。

 

車体(脳)が壊れてくるのが、

認知症というのは、

実際そうなのかもしれません。

 

「観察する自分」

に関して、

興味深い「夢」の話も、

出てきます。

 

 

仮に自分という

主語のある夢でも、

半分以上の夢は、

それを観察しているだけだ。

 

たとえば

ライオンに追いかけられる

夢を見たとして、

 

襲われる自分に完全に同化して、

実際にライオンに襲われたとき

(そんな経験はほぼありえないが)

と同じような恐怖を

感じることもあるが、

 

大体はそうやって

逃げ惑う自分自身を

外側からハラハラしつつ

眺めていることが多い。

 

この場合、

正しくは

「ライオンに追いかけられる夢」

ではなく、

「ライオンに追いかけられている

自分を見ている夢」

ということになる。

 

 

たしかに、

言われてみれば、

 

夢って、

自分が体験しているというよりも、

体験している自分を見ていることのほうが、

多いような気がします。

 

 

こんなふうに

夢の話ひとつとっても、

よくよく思い巡らせていると、

 

―そもそも自分とは何だろう?

 

と不思議な心地になる。

 

人間のなかには

ふたりの自分がいて、

それは車と運転手のようなものだ

と言ったけれど、

 

車の方はともかく

運転手の方は

「自分」とは称しても、

その実態は曖昧模糊としている。

 

現実を生きる

「自分」を観察する

もうひとりの

「観察者としての自分」

という点では

一般化できるけれど、

 

じゃあ、その

「観察者」は具体的に

どんな人(自分)なのかと

問われれば、

 

それに答えるには

「観察者」を観察しているさらに

「もうひとりの観察者」

というものを

用意しなくては

ならなくなったりする。

 

要するに

合わせ鏡のような堂々巡りに

陥ってしまうのだ。

 

 

「観察者」って

いったいどんな自分なんだろう?

 

「観察者を観察している観察者」

とはいったい何なのか?

 

う~ん・・・

 

 

こんな歳まで生きながらえて

ようやく分かってきたのだが、

 

僕たちの脳内で

絶え間なく起きている

意識現象は、

 

睡眠時だけでなく

覚醒しているときであっても、

 

僕たちをうっちゃった状態で

勝手にさまざまな想念を

生み出しているようだ。

 

 

これは、

「無意識」の働きでしょうか。

 

 

むろん、

それを観察する自分は

存在するのだろうが

(しかし、

彼は非常に忘れっぽい)、

 

その自分は、

「自分らしさのない

一般的な自分」

(AさんとかBさんとか

Cさんとかの区別のない自分)

で、

 

僕たちが

「そう信ずるところの自分自身」

とはちょっと違うものなのだ。

 

 

「観察する自分」

とは、固有名詞のあるもの、

つまり「自我」ではなく、

 

しかも、

「仮面を剥いだ自分らしい自分」

という訳でもない、

 

ということでしょうか。

 

では、

「観察する自分」とは

いったい何なのでしょうか・・・

 

次回も、

82歳の主人公、

カズマサの語りを引用しながら、

 

さらに考察を深めていきますね(^^;

 

 

 

 

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今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介をします!

 

 

 

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おまけ(^^;

 

長期出張で休みの日もあったので、

たくさん観光できました!

 

 

 

三重県、津城址。

 

 

 

津市の四天王寺。

信長の実母のお墓などがありました。

 

 

 

津観音、日本3大観音だそうです!

 

 

 

美しい五重塔。

 

 

 

伊勢の猿田彦神社。

立派な社殿でした!

 

 

 

志摩の風景、美しかった・・・

 

 

 

志摩の「天の岩戸」

 

ここ、鈍感な私でも、

何か感じるものがあるパワースポットでした!

 

 

 

石山観音公園、

穴場スポット!

 

 

 

岩盤に掘られた仏様が、

たくさんいらっしゃいました!

 

 

 

 

見ごたえあり!

 

森林浴もできる癒しスポット、

おすすめです!

 

 

 

津市のルーブル彫刻美術館。

 

 

 

すべてレプリカでしたが、

なかなか見ごたえありました!

 

 

 

隣の大観音寺。

 

 

巨大な観音様。

大迫力でした!

 

 

おつきあいいただき、

有り難うございました(^^;

(次回に続きます)