ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

過去3回にわたって、

諸富先生の、

 

はじめてのカウンセリング入門(上)―カウンセリングとは何か

 

を紹介させていただきましたが、

 

今回は、その下巻、

 

はじめてのカウンセリング入門(下)―ほんものの傾聴を学ぶ

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介させていただきます。

 

この下巻のウリは、

何といっても、

 

ほんものの傾聴を学ぶための、

「傾聴の5ステップ式トレーニング」が、

具体的に

紹介されていることだと思います。

 

ちなみに、

私がカウンセリングを学んだ

養成講座のトレーニングでも、

この手法の一部が

取り入れられていました(^^)

 

ただ、このトレーニング法は、

実際にロールプレイやライブ法を用いて

対人でやるものですので、

なかなか文章では

魅力が伝わりにくい・・・(^^;

 

(カウンセラーを目指す方や

対人援助職の方にとっては、

たいへん有益なトレーニング法だと

思いますので、

是非、本書をお読みいただき、

実践してみてください!)

 

で、今回は、

そこではなく、

諸富先生がいう、

「カウンセリングの3つのアプローチ」

を紹介させていただきます。

 

カウンセリングというのは、

いろんなやり方があるんですね。

 

よく知られているものだけでも、

軽く50や100はあると、

本書には書かれていますが、

(うわっ、私はそんなに知りません(^^;)

 

それを、

諸富先生は、

代表的な3つのアプローチに

まとめられています。

 

1,「過去から解放されるアプローチ」

(精神力動的立場)

 

2,「練習するアプローチ」

(認知行動療法的立場)

 

3,「気づきと学びのアプローチ」

(人間性・

トランスパーソナル心理学的立場)

 

1から、

順番に引用、解説します。

 

 

第1のアプローチは、

「過去から解放されるアプローチ」

です。

 

フロイトの精神分析が

代表的なものですが、

より広く

「精神力動論的立場」

と言われることもあります。

 

人間の悩み、苦しみや

こころの症状は、

一言でいえば、

「過去についた心の傷」

へのとらわれから生じる、

 

と考える立場です。

 

 

一般的な、

臨床心理学のイメージは、

やはり、フロイトの、

精神分析ではないでしょうか。

 

日本だと、

小此木啓吾先生が、

有名ですね。

 

 

この

「過去についたこころの傷」

のことを

トラウマ(心的外傷)

といいますが、

 

人間はなかなか、

この「過去の心の傷」

へのとらわれから

脱却することができません。

 

したがって、

そのとらわれかたからの

脱却をサポートする必要がある、

とこの立場では考えるのです。

 

カウンセリング場面で語られる

トラウマのうち、

代表的なものが

「親から愛されなかった」

という心のしこりです。

 

 

あとは、もちろん、

ショッキングな出来事によっても、

トラウマは生じます。

 

トラウマという表現だと、

強烈なイメージがありますが、

程度の差こそあれ、

誰にでもあるものだと思います。

 

あと、ちょっと専門的になりますが、

このアプローチにおける、

「転移」「逆転移」

「防衛」「抵抗」

といった概念は、

クライアントを理解するために、

とても有効だと私は考えます。

 

次に、

2,「練習するアプローチ」

(認知行動療法的立場)

 

 

第2のアプローチは、

「練習するアプローチ」です。

 

行動療法、認知行動療法などが

ここに入ります。

 

「認知行動療法的立場」

をとるカウンセリングです。

 

ついつい否定的で、

頑ななものの見方ばかりしてしまい、

そのために人生の可能性を

閉ざしている人を、

 

このアプローチでは、

もっと柔軟で

前向きな考え方をするように

促していきます。

 

本人も、

もっと柔軟な

とらわれのない考えができるように、

自分の思考法を工夫し、

トレーニングしていきます。

 

 

このアプローチが、

今、日本では

一番メジャーかもしれません。

 

実際、カウンセリングの中で、

唯一、保険適用され(医師が行う場合)

うつ病の治療でも

効果が実証されています。

 

 

たとえば、

「私は失敗するのでは」

「失敗したらもうおしまいだ」

と考える癖

(否定的な自動思考)

がついてしまっている人が

いるとします。

 

そのためにこの人は、

失敗を恐れて、

仕事につくことができず、

ニートになってしまっている

としましょう。

 

自分のこうした考えを

「たしかに失敗はしないに

こしたことはない。

けれども、

失敗したからといって

けっしてそれで終わり

というわけではないし、

人間としての価値が

下がるわけでもない」

 

と、自分で自分に

言い聞かせていく。

 

もっと前向きな生き方が

できるように

「自己説得」

していくわけです。

 

 

「~で、なければならない」

という自動思考を、

「~に、こしたことはない」

にゆるめるだけでも、

ずいぶん、気が楽になります(^^)

 

このアプローチは、

比較的一人でも取り組みやすい

と思います。

 

私もよく

セルフカウンセリングします(^^;

 

認知行動療法は、

過去ブログで詳しく取り上げました。

 

 

 

そして、

 

3,「気づきと学びのアプローチ」

(人間性・

トランスパーソナル心理学的立場)

 

 

ロジャーズの

クライアント中心療法や

ジェンドリンの

フォーカシング、

マズローの

自己実現論を筆頭とする

「人間性心理学」や、

 

その展開の中で生まれた

「トランスパーソナル心理学」

たとえば、

ウィルバーの統合心理学や

ミンデルの

プロセスワークなどが

ここに入ります。

 

 

私のカウンセリングスタイルは、

いわゆる統合アプローチで、

 

1,や2,の理論(特に精神分析)や

手法(特に認知行動療法)も

取り入れたものになりますが、

 

やっぱり、

基本・主軸にしているものは、

「人間性心理学」ですね。

 

 

病の治療や

問題の解決を目指しながらも、

 

ある意味ではそれ以上に

(それを通じて)

「人間としての成長」

を重要視し、

 

一人ひとりが

自分を見つめ成長していく

プロセスを重要視するため、

「自己成長論」

とも呼ばれます。

 

 

「人間としての成長」

を重要視するアプローチですね。

 

 

私たち人間は、

愚かで傲慢な生き物です。

 

人生が何事もなく

運んでいると、

 

それはすべて

自分の力によるかのように、

錯覚してしまいます。

 

けれどそうは問屋が

卸しません。

 

この人生には、

さまざまな苦難が

待ち受けています。

 

リストラ、借金、

夫婦の危機、失恋、

子どもの暴力などなど・・・

 

 

そうですね~、

 

問屋さん卸し続けてくれよ~、

と思いますが、

 

何事もなく、

順調だと思っていると・・・

 

その先には、

何らかの苦難が

待ち受けているものです(^^;

 

 

しかし、

こうした苦難は、

私たちに

人生で大切な何かを

気づかせてくれるし、

教えてくれる

「教師」

のようなものだと、

 

この「自己成長論」

の立場では考えます。

 

 

苦難にまき込まれている渦中では、

それが「教師」であるとは、

なかなか思えないですが・・・

 

 

「人生のすべての出来事には

意味があり、

目的があって起こっている。

 

家庭の不和や失職、

病気のような、

一見したところ、

ないならばないほうが

いいような出来事も、

 

実は、

後からふり返れば

必然的な意味をもっている。

 

すべての出来事は、

私たちが

気づくべきことに気づき、

学ぶべきところを学んで

自己成長できるよう

促してくれる」

 

と考えるのです。

 

 

私の心の学びの師匠の一人、

野口嘉則さんは、

 

著書に、

「すべて必然」

というサインを書かれますが、

 

「すべて必然」

 

たしかに、

「自己成長論」の立場で捉えると、

そうなのかもしれません。

 

(私はこの考え方を支持します)

 

 

そのために

このアプローチでは、

 

悩み苦しみに直面した人が

自分自身をみつめ、

 

人生で起きている

さまざまな出来事の持つ

意味とメッセージを

見い出していくのを

援助していこうとします。

 

この立場で重要視する

「傾聴」が

その際に大きな役に立つのも、

 

ほんとうに

「傾聴」してもらった人は、

 

自分自身をみつめ、

自分のうちなる声に

意識を向けて

それを傾聴し始めるからです。

 

そこで人は、

自分自身を深くみつめ、

気づきと学びを得て、

成長していくのです。

 

 

カウンセラーに

「傾聴」

してもらうということは、

 

気持ちを分かってもらえて、

単に気分がすっきりするだけではなく、

(もちろんその効果も大きいですが)

 

自分の「うちなる声」を、

自分自身で「傾聴」することにも

繋がるんですね。

 

そこから、

気づきや学びを得て、

人は成長していく・・・

 

・・・次回に続きますね。

 

 

 

*********************************

 

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます(^^;

 

 

 

*********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

横浜天王町の、

橘樹(たちばな)神社に、

ぶらっと。

 

 

 

旧東海道沿いの商店街にあります。

 

 

 

 

昔はこの辺りを、

「橘樹(たちばな)郡」といったそうです。

 

 

 

今の横浜市の多くは、

相模国ではなく、

武蔵国なんですね~

 

ウチの自宅は、

橘樹郡かな~?

 

いや、

都筑(つづき)群か?

 

微妙な位置(^^;

 

江戸時代の古地図を見て、

アレコレ想像するのも、

面白いですね~

 

老後の趣味が

またひとつ増えたかも😊

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

花粉症の方には、

つらい日々が続きますね😢

 

私もスギ花粉症で、

今の時期は、

何だか頭がもわ~っとする

感じなのですが、

 

あと数週間、薬とマスクで、

何とか凌ごうと思います(^^;

 

明治大学教授でカウンセラー、

諸富祥彦先生の著書、

 

はじめてのカウンセリング入門(上)―カウンセリングとは何か

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説しております。

 

今回で3回目になりますが、

前回は、

 

「自分のあるがままを
受け入れることができたときに、
はじめて、人は変わっていく」

 

という説を紹介しました。

 

しかし、

ふつうに考えると・・・

 

「あるがままを受けいれたら、

現状に満足してしまい、

かえって変わらなくなるのでは?」

 

と思いますよね。

 

では、

「自分のあるがままを
受け入れることができたときに、
はじめて、人は変わっていく」

 

とは、具体的に、

どういうことなのでしょうか。

 

本書に、とてもわかりやすい事例が、

紹介されていましたので、

ちょっと長くなりますが、

引用させていただきます(^^;

 

 

たとえばある女性が、

息子さんの不登校と

家庭内暴力のことで

悩んでいるとします。

 

当然のことながら、

「一刻もはやく、

この苦しみから解放されたい」

「息子には、

はやく学校に行ってほしい」

「暴力のない

平穏な家庭を取り戻したい」

と考えています。

 

そして

そのための援助を求めて、

カウンセリングを受けに

来られたのです。

 

もちろん

こちらもその期待に

応えようとします。

 

しかし、

なかなかそうは

うまくいきません。

 

なぜならば、

息子さんの不登校には、

ご両親が自分たちの

都合のいいように

自分のことを

扱ってきたことへの

プロテスト(反抗)

という意味が

しばしば含まれているからです。

 

 

う~ん、

なるほどです・・・

 

 

そうこうしているうちに、

息子さんの暴力は

ますます激しくなってしまい、

お母さんとしては、

もうどうしていいか、

わからなくなります。

 

息子がこんなおかしな問題を

起こしてしまったら

世間に顔向けできない、

と思い、

自分という存在が

崩壊しそうな苦しみに

襲われ始めます。

 

最も恐れているのは、

息子さんの不登校が

親戚や姑に

ばれてしまうこと。

 

そのため、

親子で身を潜めるように

暮らしています。

 

しかし、

もうだめだ。

 

世間体を気にしている

場合ではない。

 

こう覚悟が決まった

あたりから母親は、

カウンセリングのなかで、

「自分」を見つめ始めます。

 

カウンセリングの

最初の数回では、

 

「息子さえ、

ちゃんとしてくれていれば、

我が家は幸せなんですけど」

 

「先生、どうしたら、

息子は学校に

行ってくれるんですか」

 

と、相変わらず、

「息子を自分の

都合のいいように動かすだけ」

を考えていたお母さんが、

 

「先生、私、

これまでほんとうに傲慢でした」

 

「自分の世間体ばかりを

気にしていて、

息子の側に立って

本気でものごとを

見たことはありませんでした」

 

と気づいていくのです。

 

「息子のためと言いながら、

結局私は、自分の願望を

息子に押し付けて、

コントロールしようとしていたに

すぎなかったんですね」

と気づき、

 

息子さんのこころの叫びに、

はじめて本当に

耳を傾けようとしている

自分がいることに

気づいていきます。

 

 

母親が、自分を見つめて、

自ら「気づく」というのが、

ポイントですね。

 

 

お母さんの「気づき」は

さらに深まり、

広がっていきます。

 

カウンセリングを1年ほど

続けたころには、

 

自分が息子さんを

自分の願望にしたがって

コントロールしようとした

背景には、

 

夫や姑に

「よい妻」「よい母親」

として認められたい、

という気持ちが強くあったこと、

 

だからこそ息子さんの

暴力に脅え、

からだ中が痣だらけになっても、

夫に泣きつくことを

しなかったこと、

 

そればかりか、

仕事仕事で息子と

話らしい話もしない夫に

文句一つ

言ってこなかったこと・・・

 

そんなことに

思いをめぐらせ、

涙ながらに

語り始めるかもしれません。

 

そしてさらに、

その背景を探っていくと、

 

子どものころ、

妹ばかり溺愛する両親の愛を

少しでも手に入れたくて、

 

自分を消して

周囲の期待に応えるという

関係のパターンが

身についてしまっていたこと・・・

 

結局自分は、

他者の期待に応えるばかりで

「自分」というものを

持っていなかったこと・・・

 

そして、

こうしたことの

もろもろが重なって、

 

息子さんが

「声にならない声」を

不登校や

家庭内暴力というかたちで

表現しようとしていること。

 

こうしたことに、

この母親は、

気づき始めるのです。

 

 

母親は、

自分一人で抱えて、

ずっと我慢してきた・・・

 

周囲の期待に応えようと、

自分を殺して、

ずっと頑張ってきた・・・

 

それに対して、

息子さんは、

「声にならない声」を

表現していた・・・

 

・・・そんなことに、

母親が自ら気づき始めることで、

 

「変容」すなわち

人として「成長」していくのです。

 

 

この母親の周りでは、

いろいろなことが

次々と起こり始めます。

 

母親自身が

変わりはじめたころから、

人生のさまざまなことが

その変化に対応して

生じてくるのです。

 

母親自身が

変わるだけではありません。

 

母親と周囲の人との関係が

変わり始めます。

 

息子さんの立場に立って、

本気で息子さんの話が

聞けるようになるかもしれません。

 

ご主人とも、

はじめて、

お子さんのことをめぐって、

本気で話ができるかもしれません。

 

最初は

ご主人もとまどうでしょう。

 

しかしそのうち、

こころを開いてくれるかも

しれません。

 

母親が人間として

成長するにともなって、

家族そのものが新たな家族へと

再生していくのです。

 

 

母親が変わることで、

家族そのものが、

「変容」「再生」していく・・・

 

 

もちろんそれは、

死に物狂いの行為です。

 

家族再生どころか、

離婚や、家族解体の危機に

陥るかもしれません。

 

真実の自分を

生き始めることには、

さまざまなリスクが

つきまとうものです。

 

最初の問題であった、

お子さんの不登校は

どうなるのでしょう。

 

家族が再生することによって、

解決してしまう

(学校に行き始める)

かもしれませんし、

 

逆に、

不登校のままかもしれません。

 

 

河合隼雄先生は、

人間理解は「命がけ」

だとおっしゃいました。

(「こころの処方箋」より)

 

「変容」とは、

さなぎから蝶になることに

例えられるように、

もちろん、簡単なことではありません。

 

リスクや痛みを伴うことも、

多いわけです。

 

 

しかし、

かつては母親にとって

大問題であった

お子さんの不登校は、

 

もはや

それほど問題では

なくなっているかもしれません。

 

それよりも、

家族の一人ひとりが、

より自分らしく

生きていくことのほうが

重要なことだと

気づきはじめてくるからです。

 

 

・・・いかがでしたか。

 

ある母親と家族の、

「変容」「再生」

そして、

「成長」の物語。

 

今回は、

「母親と不登校」のケースを

取り上げましたが、

 

他にも、たとえば、

「中年の危機」

「キャリアの行き詰まり」

を迎えたケースなども、

 

「変容」「再生」「成長」

のきっかけとなるのは、

同じだと思います。

 

 

ありのままの、

ほんとうの自分の気持ちに、

自ら気づくことによって、

 

はじめて、人は、

自分らしく生きていこうと決意し、

変わることができる。

 

ただし、それは、

簡単なことではありません。

 

そのために、

同行者としてのカウンセラーの存在が

あるのだと思います😊

 

 

 

********************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回もこの本の紹介を続けます。

 

 

 

********************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

 

滋賀県、湖東三山の1つ、

金剛輪寺

 

 

 

風車を持った千体地蔵に見守られて、

参道を歩いていきます。

 

 

 

もうすぐです!

 

 

 

本堂(国宝)です。

 

中で、重要文化財を含む多くの仏像を、

間近で拝めました(^^)

 

 

 

三重の塔もありました。

 

紅葉の時期は、

さらに美しいそうです。

 

静かで風情のあるお寺、

おすすめです!

 

 

 

 

こちらは、美濃国一宮、

南宮大社

 

 

 

立派な拝殿!

金属の神の総本宮だそうです。

 

 

 

高舞殿。

朱色がとても美しい大社でした!

 

 

 

こちらは、近場の公園。

白木蓮が開花してましたよ(^^)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

明治大学教授でカウンセラー、

諸富祥彦先生の本、

 

はじめてのカウンセリング入門(上)―カウンセリングとは何か

 

 

の中から、

私が印象に残った箇所を、

紹介・解説しています。

 

前回、

カウンセラーとは、

 

「人生という深く、

暗い森の中をさまよい歩く道の、

いわば同行者」

 

であり、

カウンセリングとは、

 

「悩み苦しみを通じての自己成長学」

 

であるという、

諸富先生の考えを紹介させていただきました。

 

私もこの考えには、

深く同意します。

 

で、カウンセリングというのは、

基本的には、

あまりアドバイスはしないのですね。

(流派にもよりますが(^^;)

 

対して、

人生相談は、

アドバイスが中心となります。

 

では、何故、

カウンセリングは、

あまりアドバイスはしないのか。

 

 

(カウンセリングは)

相談に訪れた本人自身が

自分と対話し、

 

自分のこころの声に

深く耳を傾けていき、

 

そこで得た

こころのメッセージをベースに、

自分がこれからどうするかを

自分で決定していきます。

 

カウンセリングの中心は

この「自己探索」から

「自己決定」「自己解決」に至る

クライアントの

「体験のプロセス」なのです。

 

 

カウンセリングは、

(特に来談者中心療法は)

カウンセラーが傾聴することによって、

相談に来たクライアント(来談者)の

自己探索と自己決定を支えることが

目的なんですね。

 

アドバイスを受けて、

その時は「なるほど」と思っても、

それは、頭で理解してしているだけで、

実は腑に落ちていないことが

多かったりします。

 

だから、

カウンセリングは、

傾聴することで、

 

クライアントが、

自分を深く見つめ、

自らのこころの声を聴き(自己探索)

自分で決める(自己決定)

といった、

「体験」をすることを支えるのです。

 

では、

独力で、自己探索、自己決定ができれば、

カウンセリングは必要ないのではないか。

 

けっこう、

お金もかかりますし(^^;

 

もちろん、

独りで、自らのこころの声を聴き、

自分で決めることができれば、

それに越したことはないのですが、

 

しかし、

実際はなかなか、

自分だけで自分を見つめて、

こころの声を聴くということは、

難しいんですね。

(経験者は語る(^^;)

 

つい、頭で考えてしまって、

堂々巡りになってしまったり、

 

自己嫌悪に陥ってしまい、

それがつらくて、

自己正当化して打ち消してしまったり、

 

なかなか、

独力で、こころの本音を聴くことは

難しい(^^;

 

もちろん、

本を読んで、本と対話することで、

自らのこころの声を聴くということも、

有効ですし、

私自身、本からは、

多大なる恩恵を被っているのですが、

 

カウンセリングを受けて、

傾聴してもらうほうが、

こころの本音は出てきやすいと、

体験上思います。

 

「傾聴」の第一人者、

古宮昇先生は、

カウンセラーを、

「スケート靴」に例えます。

 

スケートリンクを、

素足で滑るのは、つらすぎますし、

普段の靴では、うまく滑れません。

 

しかし、

カウンセラーというスケート靴を履けば、

最初はコケるかもしれませんが、

慣れれば、

すいすいとリンクを進むことができます。

 

素足や普段の靴でも、

進むことはできますが、

スケート靴だと、

断然、スムーズに早く進むことができます。

 

すなわち、変容が早く進むわけです。

 

ただし、

あくまでスケート靴を履いて滑るのは、

クライアント(来談者)。

 

スケート靴が、

どこかに導いてくれるわけではありません。

 

・・・ちょっと

話がそれましたが(^^;

本書に戻ります。

 

 

ひとは、

ほかの人にていねいに

話を聴いてもらい、

こころの声に

耳を傾けてもらっているうちに、

 

なぜかふと、

自分自身でも

自分の内側に

耳を傾け始める。

 

自分の内側から

おのずと発せられてくる

こころの声に、

 

いつのまにか、

自分で耳を傾けるように

なっていく。

 

 

そうなんです(^^)

 

これは、私が実際に

カウンセリングをクライアントとして

受けた実感からもわかります。

 

傾聴してもらうと、

すなわち、

自分のことを分かってもらえると、

 

素直になれるというか、

こころが開かれてきて、

自分のこころの声が

しだいに聞こえるように

なってくるのですね。

 

来談者中心療法の創始者で、

世界で最も有名なカウンセラーの一人

といっても過言ではない、

 

カール・ロジャーズ

 

は、こういいます。

 

 

「私が自分自身を

受け入れて、

自分自身に

やさしく耳を傾けることが

できるとき、

 

そして

自分自身に

なることができるとき、

 

私はよりよく

生きることができるようです。

 

・・・言い換えると、

 

私が自分に、

あるがままの自分で

いさせてあげることが

できるとき、

 

そのとき、私は、

よりよく生きることが

できるのです」

 

 

・・・しびれますね~。

同感です(^^)

 

私が自分に、

あるがままの自分で

いさせてあげることが

できるとき、

 

すなわち、

社会通念、見栄や世間体、

他人との比較や、

期待に応えなければならない

という意識から解放されたとき、

(簡単なことではありませんが(^^;)

 

私たちは、

よりよく生きることが

できるようになるのだと思います。

 

ロジャーズの引用を続けます。

 

 

「面白い逆説なのですが、

私が自分のあるがままを

受け入れることができたとき、

私は変わっていくのです。

 

私たちは、

自分の現実の、

そのあるがままの姿を

十分に受け入れることが

できるまでは、

決して変わることはできません。

 

今の自分から

変わることはないのです。

 

これは、

私自身の経験と、

クライエントの両方から

学んだことです。

 

 

そうなんです!

 

ゲシュタルト療法の

「変容の逆説的理論」

でもいわれていますが、

 

自分のあるがままを

受け入れることができたときに、

はじめて、

人は変わっていくのです。

 

言い方を変えれば、

人は、自分のあるがままの気持ちを、

誰かにわかってもらい、

自らそれに気づくことができないと、

 

そのプロセスを踏まないと、

なかなか変わることが

できないのですね。

 

 

・・・えっ?

 

自分のあるがままを

受け入れたら、

現状に満足してしまい、

かえって変わらなくなるのではないか?

 

そんな疑問をもたれる方が

いらっしゃるかもしれません。

 

ごもっともなご意見で、

私もカウンセリングを学ぶ前までは、

そう考えていたのですが(^^;

 

今は、そうではないと考えます。

 

本書に、分かりやすい具体例が

紹介されているのですが・・・

 

・・・次回、

紹介させていただきますね(^^;

 

 

 

************************************

 


 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回に続きます(^^;

 

 

 

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おまけ写真数(^^;

 

久しぶりにカミさんと二人でお出かけ。

 

 

前から興味があった、

真言宗「定泉寺」、

いわゆる、

田谷の洞窟

に行ってきました!

 

鎌倉時代から江戸時代にかけて、

掘り進められた洞窟に、

あまたの壁画が刻まれています。

 

 

 

入り口で

ロウソクを灯して入ります。

 

中は撮影禁止だったのですが・・・

 

 

 

とにかく、圧巻でした!

 

一願弘法大師をはじめ、

四国・西国・坂東・秩父の

各礼所本尊や、

梵字や曼荼羅空間、十八羅漢、

不動明王、弥勒菩薩、

十二支などの壁画の数々・・・

 

まるで、

インディージョーンズになった気分(^^)

 

 

 

外に出ると、

まるで胎内からでてきたような・・・

 

空気が新鮮に感じられました。

 

ここ、超オススメです!

 

鎌倉の中心部からは離れていて、

公共交通機関だと、

大船駅からバスになりますが、

 

鎌倉にご旅行の際は、

是非、足を延ばしてみてください。

 

ユーチューブもありました。

この世界観、とくとご堪能あれ!

(3分弱の短い動画です)

 

 

 

 

 

 

こちらは、玉縄北条氏の菩提寺、

曹洞宗の「龍宝寺」。

(玉縄歴史館も併設されています)

 

 

 

梅(系?)の花が、

美しかったです。

 

 

 

近くの、

大船フラワーセンターも、

いろいろな梅がたくさん咲いてました!

 

 

 

 

 

もうすぐ春~ですねぇ♪

 

 

 

早咲きの、玉縄桜と🌸

 

 

 

ウチの近所(綱島)には、

桃が咲き始めてました!

 

(綱島はその昔、

桃の産地だったそうです)

 

 

 

あれっ、

下に何かいるのかな?😸

 

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

今回は、久しぶりに、

カウンセリングど真ん中の本!

 

明治大学教授でカウンセラー、

諸富祥彦先生の著作、

 

はじめてのカウンセリング入門(上)―カウンセリングとは何か

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説いたします(^^)

 

諸富祥彦先生は、

いわずと知れた、

日本でもトップクラスの

有名なカウンセリングの先生です!

 

私も、カウンセラーのはしくれとして、

現役だと、

古宮昇先生、野口嘉則先生、

東豊先生と並んで、

大いに学ばせていただいている

先生のひとりなのですが、

 

カウンセリングの本に限らず、

青春時代から、

フランクルや、人生論的な本からも、

多大なる影響を受け、

また、生きる勇気を与えてくださった方

でもあります。

(このブログでも、

何冊か紹介させていただきました)

 

私の本棚は、

本が棚差しで二重になっているのですが、

(不便ですが置ききれないので(^^;)

その奥側を探してみたら・・・

 

・・・ありました、懐かしい本!

 

 

どんな時も人生に「YES」と言う

 

1999年初版の本で絶版ですが、

今、アマゾン見たら、

何と3月21日に新版が出るみたいですね!

 

フランクルと言えば、

フランクル自身の著作、

 

 

それでも人生にイエスと言う

 

という歴史的名著がありますが、

(いずれ紹介したいと思います)

この本と併せて読むことをオススメします!

 

諸富先生の著作に戻りますと、

 

トランスパーソナル心理学の先駆け!

講談社新書の、

 

 

トランスパーソナル心理学入門

 

も名著だと思います。

 

ちなみに、この本は、

まだ絶版にならず、

ロングセラーで生き残っていますが、

 

私の持っている本(この写真)は、

1999年ものの古い装丁で、

今は、スタイリッシュな装丁に

代わっています。

 

ただ、個人的には、

講談社新書は、

昔のクリーム色の装丁の方が、

温かみがあって好きなのですが(^^;

 

前置きが長くなりました。

 

はじめてのカウンセリング入門(上)―カウンセリングとは何か

 

入門とありますので、

もちろん、

これからカウンセラーを目指す人や、

初心者マークの方には特にオススメですが、

 

ベテランの方にも

なかなか示唆に富む本だと思います。

 

私自身、

カウンセラーの資格を取る前に、

何度も繰り返し読んだ思い出がありますが、

 

今、読み返してみても、

改めて、気づかされることの多い、

中身が濃く熱量の多い本!

だと感じます。

 

また、

本書に書かれているのですが、

 

カウンセラーになろうという

わけではないけれど、

自分を知るため、人生を変えるために、

カウンセリングを学ぼうとされている方や、

 

家族や職場などの人間関係で悩んでいて、

その解決に役立てたい人、

 

カウンセリングを学んで

今の自分の仕事に生かしたいという、

教師、保育者、企業の管理職、営業職、

人事担当者、看護師、医師、保母、

マッサージ師、美容師、理容師、

etc・・・

といった幅広い方々に

役立つ本でもあります(^^)

 

で、この本のタイトル、

「カウンセリングとは何か」

 

中でも、諸富先生のいう、

カウンセリングの「核心」とは

いったい何なのでしょうか?

 

引用します。

 

 

それは、

一言で言えば、

 

相談に来た方(クライアント)が、

人生のさまざまな問題に直面し、

悩み苦しみ、

どうすればいいか

考えあぐねて

みずからのうちなる声に

問いかけていく。

 

みずからのこころの内側に

潜っていき、

そこで答えを模索し、

あたかも暗い森の中を

さまようようにして、

少しずつ、少しずつ、

出口を探っていく。

 

そして、

そのことを通じて、

さまざまな気づきと学びを得て、

人間としての成長

(自己成長)をとげていく。

 

この

「人生という深く、

暗い森の中をさまよい歩く道の、

いわば同行者」

として寄り添っていく。

 

そのプロセスに、

カウンセリングの核心、醍醐味が

存在するのです。

 

 

カウンセラーは、

「人生という深く、

暗い森の中をさまよい歩く道の、

いわば同行者」

 

この考え方には、

大いに賛同しますし、

私がカウンセリングをさせていただく際に、

心がけていることでもあります。

 

人が、独りで、

自らの心の中の暗い森の中を歩くのって、

やっぱり怖いし、

けっこうしんどいんですね。

 

つい、暗い森の中から、

引き返したり、目を背けたくなる。

 

しかし、

そこに寄り添ってくれる同伴者がいれば、

さまよいながらも、

一歩一歩、少しずつ、

歩んでいくことができる。

 

やがて、

出口の光が

見えてくるようになるかもしれない。

 

もっとも、

カウンセラー自身が、

じっくりと、

自分の心の暗い森の中を

さまよい続けた経験がないと、

 

つらくなって、

つい、逃げだしたくなってしまう。

 

安易なアドバイスをしたり、

励ましたりして、

クライアントを、無理矢理、

森の中から連れ出そうとして

しまいがちなのですが(^^;

 

そうしてしまうと、

クライアントの自己成長には、

なかなか繋がらないのですね。

 

諸富先生は、

カウンセリングを、

 

「悩み苦しみを通じての自己成長学」

 

と定義されています。

 

クライアントが、

悩んだり、苦しんだりする

プロセスを通じて、

みずからの心の声に耳を傾け、

多くの気づきと学びを得て、

自己成長を遂げていく。

 

解決する力や、答えは、

クライアントの中にある・・・

 

私は、それを信じて、

クライアントに寄り添い続ける

カウンセラーでありたい。

 

と、改めて思いました。

 

ちなみに、

「同行者」「同伴者」

というと、

 

「同行二人(どうぎょうににん)」

お遍路さんの

弘法大師がいらっしゃいますね。

 

もう一人、

私は、遠藤周作さんの描く、

「イエス・キリスト」

をイメージします。

 

常に、弱者や孤独な人、

人の弱さや醜い部分に

寄り添い続けた、

遠藤周作さんのイエス・キリスト・・・

 

 

・・・ふと、

エルサレムでの

村上春樹さんの、

スピーチを想起しました。

 

 

もしここに硬い大きな壁があり、

そこにぶつかって

割れる卵があったとしたら、


私は常に卵の側に立ちます。

 

(エルサレム賞受賞スピーチ

「壁と卵」より)

 

 

 

そんなマインドを持った、

人でありたい。

 

・・・ちょっと大きく

出てしまいましたが(^^;

 

 

 

**************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました😊

 

次回もこの本の紹介を続けます。

 

 

**************************************

 

 

 

おまけ写真集(^^;

 

鎌倉、神社仏閣巡り&ハイキング!

 

 

スタートは、法性寺!

 

この白いお猿さんが、

日蓮上人の危機を救ったそうです。

 

 

 

山王権現祠です。

 

 

 

苔の石段で有名な、

妙法寺 。

 

時期的なものか、

まだ、

あまりコケコケしてなかったです(^^;

 

 

 

八雲神社からハイキング!

 

 

 

途中で、妙本寺。

広々して、静かで落ちつくお寺です(^^)

 

 

 

メジロがついばんでました🐤

 

 

 

山を下りたら、素敵な橋が!

 

 

 

東勝寺橋。

川に降りて、見上げられました!

 

 

宝戒寺。

 

厳かで迫力のある、

地蔵大菩薩さまがいらっしゃいます。

 

仏涅槃図ご開帳してました。ラッキー!

 

 

春遠からじ・・・

 

 

 

浄明寺緑地パノラマ台から、

鎌倉市街。

 

曇りのため、

あいにく富士山は見えずでしたが、

左奥に江ノ島が見えます!

 

 

 

途中、山の中で出会った地域ネコ、

クロちゃん!

 

他にもクロちゃん2匹いました😸

 

 

 

山王権現祠に

帰ってきました。


 

 

最後に、

ちょっと小さいのですが・・・

 

電線を渡っているのは、

リスちゃんです!

 

鎌倉の郊外には、

台湾リスちゃんがたくさんいます。

(よく見かけます)

 

ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

寒暖差の激しい日が続きます。

皆さま、どうか

体調にはお気を付けくださいね。

 

 

早稲田大学文学学術院教授

石田光規先生の新書本、

 

「人それぞれ」がさみしい

 

 

から、

私が印象に残ったところを、

紹介・解説しています。

 

今回で最終回です(^^;

 

この本は、

サブタイトルで

「やさしく・冷たい」人間関係

とあるように、

 

個々の違いを尊重する

一方で、

 

どこか、

さびしさを感じる人間関係について

述べられているのですが、

 

いつくかの興味深い

キーワードがあります。

 

その一つが、

「迷惑センサー」

です。

 

 

「人それぞれの社会」

で特徴的なのは、

 

「人それぞれ」の行為を

「社会への迷惑」

というセンサーで監視する

システムを作り上げたことです。

 

 

なぜこうなったかというと、

 

かつての血縁や地縁で

協力しあう社会から、

 

お金を使うことで得られる

商品・サービスと、

行政の社会保障にゆだねる社会に、

変化したからだといいます。

 

 

自らお金を稼いで、

そのお金を使うことで

生活を維持する社会では、

誰かに頼ることが

難しくなります。

 

というのも、

誰かに頼る行為は、

お金を稼ぐ努力の放棄や

怠慢を意味するからです。

 

つまり、

誰かの手を煩わせると

いうことは、

本人の怠慢や努力不足による

「迷惑」となってしまうのです。

 

社会や他人に

迷惑をかけた人は、

激しく攻撃されます。

 

さまざまな行為を

「人それぞれ」

と容認する社会は

 

「迷惑」というセンサーで

個々人を監視する

社会でもあるのです。

 

 

なるほど。

 

たしかに、

「人それぞれ」

という、

自由を容認するように

なった一方で、

 

その分、

人に「迷惑」をかけることには、

とても敏感な世の中に

なったような気がします。

 

たとえば、

本書には、

コロナ禍の「自粛警察」や、

芸能人の不倫の「謝罪会見」について、

述べられていますが、

 

特に「謝罪会見」は、

別に私たちに

直接迷惑をかけたわけではないのに、

何故、そこまで謝る必要があるのか

と思います。

 

世間様をお騒がせしたことを

お詫びしているようですが、

不倫はあくまで、

個人的なことのような気がします。

 

 

「コスパ化する人間関係」

というキーワードも

印象的です。

 

 

最近の大学生のなかには、

自らの友人関係を

「コスパで選ぶ」

と堂々と話す人もいます。

 

つまり、

コストに見合った

パフォーマンスを発揮できる人

とのみ付き合うということです。

 

とても合理的な

考え方です。

 

 

う~ん、

 

私も、今の物価高のご時世、

モノやサービスを買う時は、

たしかにコスパを意識しますが、

 

人間関係では、

さすがに、

それはしないかなあ~。

 

いや・・・

まったくないとは

言い切れない、か(^^;

 

 

「自らにとって

よい要素をもつ人を選択する」

という原理を

徹底させれば、

 

「コスパ」

という言葉に行く着くのも

うなずけます。

 

しかし、

人間関係のコスパ化が

進んだ社会では、

 

自らも

コストと見なされてしまう

リスクを絶えず背負うこと、

 

誰かがコストとして

切り離されていることを

忘れてほしくないものです。

 

 

そうなんです。

 

「コスパ化する人間関係」

というのは、

 

自らも査定され、

コストと見なされてしまう

リスクを背負うことになるのです(^^;

 

これは、

会社や組織の中では、

やむを得ない考え方かも知れませんが、

近年は、特に顕著になってきたような

気がします。

 

ましてや、

それ以外の人間関係でも・・・

 

今の何か息苦しい世界というのは、

こういうところからも

きているのかもしれません。

 

 

「コスパ」の論理は、

自らの居場所を

削るばかりではなく、

もうひとつの

重大かつ単純な

事実を見えづらく

してしまいます。

 

「人にはプラスの面も

マイナスの面もある」

というごく当たり前の事実です。

 

(中略)

 

そもそも、

人がもつ

マイナスの部分もなくして、

人間関係を最適化することなど

できるのでしょうか。

 

私はできるとは思いません。

 

私は、

期待通りにいくこと、

期待にそぐわないこともふくめて

ともにすごしていく、

 

というのが

人づきあいの基本であり

本質だと思っています。

 

 

そうですね・・・

 

 

期待にそぐわないことがあっても

ともにすごしてゆける社会は、

 

「コスパ」の論理が

徹底された場とは反対に、

 

人を「コスト」として

容易に切り捨てない社会と

言い換えることも

できるからです。

 

つながる相手を選び

最適化できると考える

「人それぞれの社会」では、

その発想が

あまりにも欠けています。

 

 

「人にはプラスの面も

マイナスの面もある」

 

それは、

相手もそうですが、

 

もちろん、

自分自身だって

ご多分に漏れません(^^;

 

 

迷惑をかけないよう、

あるいは、

場の空気を乱さないよう

自らを律することのできる人は

たしかに立派です。

 

しかし、

それと同時に、

おたがいに迷惑をかけつつも、

それを笑って受け容れられる

つながりも、

 

同じくらい大事だと思いますし、

私は、後者のほうに

居心地のよさを感じます。

 

このようなつながりは、

おたがいが相手のもつ

異質さを受け容れることによって

初めて得られるものです。

 

 

「おたがいが相手のもつ

異質さを受け容れる」

 

では、そのためには、

 

相手の「異質さ」を受け容れるためには、

どうすればよいのか?

 

私は、まずは、

自分の中にある「異質さ」を

受け容れることだと思います。

 

「異質さ」というのは、

コスパとは対極にあるような、

マイナス的なこと、

 

非効率なものや、

醜いもの、

おもしろくないものを、

含むと考えますが、

 

遠藤周作さんの、

「私のイエス」

という本に、

 

(この本、過去ブログで紹介しました。

よかったらご参照ください)

 

フランスの小説家、

フローベルの短編が、

紹介されています。

 

引用します。

 

 

冬の寒い日に

聖人が道を歩いていた。

 

すると、そこに

らい病を患った乞食がいた。

 

寒いので、

その乞食は聖人に、

あなたのマントをくれと言った。

 

聖人がマントを与えると、

その乞食は服もくれと言う。

 

服をやると、

今度は下着もくれというわけで、

聖人はとうとう

裸になってしまったのです。

 

ところが、

そのらい病を患った乞食は、

それでも寒いと言って、

おまえの体で温めてくれと

要求する。

 

そこで、

聖人が抱きしめてやると、

 

もっと強く抱きしめい、

もっと強く抱きしめい、

と言い出した。

 

聖人が強く強く抱きしめていると、

その乞食が、

いつの間にか変じて、

 

(光り輝く)

イエスになった、

というのです。

 

 

私はこの話を読んで、

 

「いい話だなあ~」

と思いましたが、

 

たんなる、

いい話ではないんですね。

 

遠藤周作さんいわく、

深い意味がありまして、

 

この「らい病」というのは、

じつは、

 

「私たちの人生そのもの」

 

を指すのです。

 

 

人生というのは、

膿が出たり汚らしいことが多く、

もともと

らい病みたいなものなのです。

 

その汚いものを

棄てずに抱きしめておけ、

 

そうすれば、

それが光を放つもの、

イエスというもの、

 

イエスというのは

愛ということですから、

愛というものになりますよ、

 

とこの短編は

教えているのです。

 

 

私たちは、

人生における、

ネガティブなことを、

つい否定したり、

抑圧したりします。

 

そして、

自分の中にあるそれらを、

ないものとして、

他人に投影したりします。

 

それが、

対立や分断を生み出す一因に

なったりもする。

 

そうではなく、

 

まずは、

自分の中にある、

醜いものや、

おもしろくないものも、

拒絶することなく、

 

抱きしめる。

 

受け容れる。

 

それが、

「異質な他者」

を受け容れることにもつながり、

 

ひいては、

「人それぞれ」という社会の、

冷たい側面を照らす、

あたたかい光になるのではないか。

 

そんなことを考えました(^^;

 

 

 

***********************************

 

 

以上、

4回にわたって、

石田光規先生の新書本、

 

「人それぞれ」がさみしい

 

 

から、

私の印象に残った箇所を、

紹介・解説してきました。

 

やさしいようで、

どこか冷たい、

現代の「人間関係」について、

 

見つめ直してみるには、

とても示唆に富んだ本だと思います。

 

おすすめします😊

 

 

 

************************************

 

 

今回も最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)

 

次回は別の本を、紹介します。

 

 

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おまけ写真集(^^;

 

ちょっと前ですが、

神奈川県の、

高取山・仏果山にいきました。

 

先日、雪が降ったので、

まだ残っているかな~

と思ったら・・・

 

 

 

中腹付近から、

ばっちり残ってました(^^;

 

 

 

うおっ~。

アイゼン買っておいてよかった(^^;

 

 

 

着いた!高取山山頂。

 

 

 

山頂の塔から、

宮ケ瀬湖を見下ろす。

 

 

 

東京?方面。

(遥か彼方に高層ビル群が)

 

 

 

続いて、

仏果山山頂!

 

仏さまが、

雪に埋もれてました(^^;

 

 

 

関東平野は広い!

 

冬は空気が澄みきっていて、

遠くまで見えます!

 

 

 

丹沢の山並み。

 

おかげさまで、

大自然の雄大さを味わえました!

 

 

 

 

気が向いたときに、

ぶらっと出かけることのできる相棒、

有り難う!

 

 

 

相棒?

 

オイラも忘れんなよ😸

 

(冬の定位置、エアコンの下)