皆さまごきげんよう~♪前回記事から随分間が空いてしまいましたが、皆さまご息災(←意味はくぐってね~♪)であらせられましたか?実は今までブログに書きた~いことはいろいろあったのですが、なにぶんかったる? しんどい&忙しい日々でして、健康的な睡眠時間確保のためブログは手放しておりました。そして今月!何と!人生お初な補助開拓奉仕を体験しているエシュルンです~♪おお~偉大です私は(笑)
その時々に応じて( ̄▽ ̄)書きたいなぁ~と思っていたことは異なるのですが、まぁ上手くまとめられる・・・かなぁ?ということで久しぶりのエシュルン姉妹ブログをご高覧くださいませ~(*^▽^*)ちなみに今日も一日中奉仕でしたよ!おお~偉大です私は!(←大事なことなので2回言いました)
1. 理解の調整について
何と言ってもスラックス~♪楽チンです(*^▽^*)発表のあった日から毎回ではありませんが何度か着用させていただきましたよ~(* ̄▽ ̄)フフフッ♪某Twitterでは物議?を醸し出していた??ような気もした「集会に来られた排斥者に対する対応の云々」については素直に良かった~と思いました。組織は精錬されたんですよ、間違いなく。うん(*^▽^*)
と言っても排斥されている人たちに対してバランスの取れた見方をする必要性についてはずっと前に教えられていましたけどね(例えばものみの塔1974年11/1号とか)
ここで「じゃあ今までの対応は間違ってたのだから、組織は謝罪すべき」というのは人の感情としては理解できなくもありません。でも論理的に私は謝罪は無用と考えてます。
論理的風な例えで少し見解を述べます。皆さまは円周率(π)という言葉をご存じだと思います。π=3.141592653589・・・・とずっと続くあれです( ̄▽ ̄)2022年に100兆桁(!)までは算出できたそうですが終わりはありません。私に言わせれば、今回の(とも限りませんが)理解の調整は今まで3.14だった理解が3.1415926までに成長を遂げたのだと思っています。
エホバは組織を構成する人々の理解力に応じて、真理を明らかにされていく方です(ヨハネ16:12&格言4:18など)エホバが良い時とされた時とは、エホバが私たちに教えても大丈夫!つまり私たちの側に成長があったということです。エホバの証人がレベルアップ~!できた証だと思うので私は嬉しいのです。
一部の方々はご納得いただけないかもしれません。もしかしたら地上の組織のトップを統治体だと思い込んでおられるのかもしれませんが、彼らはメッセンジャーです。新しい理解と調整はエホバから任命されたイエスから発信されているもので、それはエホバとイエスの目にちょうど良い時=私たちがその指示についていけると判断してくださったときになされます。早すぎても遅すぎてもダメなのです。だから今までの方針が間違っていたわけではありません。
私が学生の頃の教科書と現在の教科書は絶対に同じではないでしょう。歴史も化学も数学も書かれていることはどんどん変わってきているはずです。でもこのことに謝罪って必要なのでしょうか?むしろ今まで判らなかったことが、さらなる研究の成果によって明らかになったわけですから感謝するところではありませんか(^-^)♪組織の精錬も論理的にはこの例えと似ているかな〜と私は思います。円周率「3」よりも「3.14」よりも、さらにずっときめ細やかな「3.1415926」ケアがこれからなされていきますし私も微力ながらそうできるようでありたいです。
とはいえ知識を並べた教科書の刷新ならともかく組織の理解の調整は今までの人生をどうしてくれるの?ともやもやすることもあるでしょう。例えば今まで強力な反対者だった家族が信者になりました→めでたしめでたしかと言えば、人生はそう単純でもなく、過去に受けた仕打ちとかを全く忘れられるわけではありません。許していたとしても時折辛い記憶がよみがえることもあるでしょう。私は感情的ネグレクトをした両親をスッキリ許してはいます。でもだからといって自己肯定感が修復されたわけではありません。未だに幼少期の辛い経験は人生に暗い影を落としています。でもね、これは私の負うべき荷ですからね(*^▽^*)エホバはよ~く判ってくださっています。
Twitterで元JWさん同士でも理解してもらえないということで諍い(なのかな?よく判りませんけど)が生じているのが流れてくることがあります。内容はともかく人に理解してもらえない、という気持ちの辛さは少しわかるつもりです。でも、そういうお一人お一人の心の痛みを本当に分かってくださっているのが他ならぬ天のエホバとイエスだということを知って欲しい!と私は願っています。辛い体験のために生じたどんな感情も人間と違ってエホバとイエスは決してさげすんだりしません。あなたが悲しんでいるとき、エホバもイエスも涙しています、そして守ってあげたいと思っているのです。だから近づいて欲しいな~(^-^)
2. 初めての補助開拓奉仕中~♪
今よりももっと自尊心がなくて、エホバを愛することができていなかったときの私は奉仕が怖くてたまりませんでした。その頃も開拓奉仕は奨励されていましたが、ある姉妹に言われたことがあります。自尊心を埋め合わせるために開拓をしても幸せにはならない、と。本当にその通りだと今もそう思っています。今月補助開拓を行なっているのは自尊心のためではありません。自分から望んでエホバのためにできることをしたいと思って始めました。だから今とても充実しています。きちんと待って本当によかった(^-^)♪
奉仕の機会が増えたので、仲間の良い点を観察する貴重な機会にも恵まれています。
あらすてき~尊敬しちゃう♪な~んていうのは日常茶飯事、見倣いたいと思う姿勢がたくさん心に入ってきます。自分のための開拓奉仕ではなかったのに明らかに自分のためになっているのを実感しています。ありがたいですね~♪
観察しながら新たに発見したことがあります。それは神の言葉を温かい愛情をもって教えられた2世の兄弟姉妹は心から奉仕を楽しんでいます。もちろん葛藤や緊張はしているでしょうけれどそれでも無理をしてフリで行なっている人は誰もいません。人に会おうとしています。また謙遜な姿勢をお持ちの1世の姉妹たちはごく自然に利他的な行動をされます。自然に対する愛情たっぷりで幼子のように素直に感動もされます。改めて私はエホバがご自分が選ばれた=引き寄せられた方々、幼子のような謙遜な心を持っている方々を深く愛されていることがよく判りました。後半もがんばろ~っと(^O^)/
3. お父さんやお母さんに見放されていたとしても、あなたにはエホバがいます
先週の集会聖書通読の範囲に詩編27:10がありました。宝石を探し出すのプログラムではこの聖句がピックアップされていましたね。私はこのようにコメントしました。
『エホバはつらい境遇にある人を深く気遣ってくださいます。でもイエスはエホバに倣うことで、自分が愛されていると感じ辛い人にエホバの愛の大きさが伝わるよう、全力で助けられました。それで私も家族や親しい人から文字通り見放されたり霊的な保護やお世話を受けることができなかった、かなわなかった方々にエホバの愛が少しでも感じられるようその大きさが少しでも理解できるようサポートすることに精一杯努めたいと思います。』
そういうわけもあり、今回このブログ記事を作成しました(^-^)♪時折JW2世さん方々のことを「真理の内に育てられた」という表現をすることがあります。でも私は思うのです、そこで育てられたはずの子供たち(現在大人な人たち)が人の顔色をびくびく窺うアダルトチルドレンになっていたりするのなら、果たしてその人は「真理の内に育てられた」なんて言えるのでしょうか?極端な言い方かもしれませんが、そういう人たちはむしろ父と母に霊的に正しく保護されなかった(捨てられた)子供たちではないのでしょうか。正確なところ、その人はJW2世とは呼べないのでは??と思うのです。
エホバが特に助けたい!と思っておられるのは、そんな辛い過去を持った方々すべてです。父母(あるいは片方の親)が教えてこられた、厳しく鞭をふるうだけのエホバ神は「本当の」エホバでは断じてありません!本当のエホバは宇宙で一番善良で親切で思いやりがあっていつも温かい愛情に満ちておられる方なのです。あなたの痛みを一番判ってくれるのは”元JW”の仲間ではなく、実はエホバなのです。どうか少しずつで良いので時々エホバ神に話しかけてみてください。そして傷が癒されていくことを私は心から願っています。
4. 遅ればせテーマながら「記念式」は宣伝なの?について
以下は昔の別ブログにUPしていた記事のコピペになります「記念式」とは一体?私的な思いを綴っています↓↓↓
ところで、記念式の時期になると、わりと?よ~~~く言われる事柄です。
①そもそも記念式は最初にイエスがなさったように、信仰のある油注がれた人たちだけですれば良い。
②なので、ほかの羊の出席はいらない(小命令違反)
③ということはお決まりの年一度の出席者とか、ましてや排斥者とか呼ぶのはちゃんちゃらおかしい、そもそも神に対して失礼である(大命令違反)
④なぜ宣伝をして一見さんを招待する必要があるのか理解不能。
ということを異口同音にネット上では見聞きしております。
で、私の答えです↓↓↓
説明しよう!
この日はエホバから全ての人への救出招待宣伝集会 なのです(←何?)
統治体がこの形式の集会でOK通達出しているなら、これがエホバのご意志です。
信じたくなければ信じなくてよろしいですが。
記念式は大事、でも今の時代は人をすなどることも大事。
何とかして一人でも助けたい(排斥者であろうと例外なく)のです。
これは救出目的のための手段集会なのです。ある意味伝道&同時集会ですね。そもそも油注がれた人たちだけでOKなら、記念式の話なんて不要です。さっさとパンとぶどう酒をまわせばそれで式はすむはずですから。
でもそうせずにわざわざ、信者からすると薄っぺらい??まとめ話を作るのは、一見さんを始め、さほど信仰のない方々がどこの部分に心惹かれるか判らないからです。話のどこでも良いから、何か一つでも良い、心の琴線に届いてほしい、そうした強い願いがあります。
普段の集会はハードル高くても、記念式はやや初心向けです。
私のようなほかの羊もイエスに対する思いを新たにできる機会だったりもします。
ニサン14日はエホバとイエスが全人類を助けるため特に行動された日です。
だからこそ今も全ての人を招待して気遣うのです(同時に人類がお二方に特に感謝する日です)このエホバのご意志は一貫していませんか?
もう少し踏み込むと本来はシンプルでも最も厳粛のある契約締結の記念の日であり、エホバとイエスを愛して信仰を持つ契約対象者に限定というのは間違ってはいないと思います(例:極めて格調高い結婚式とか〇〇賞とかに呼ばれた、中に入れる招待状を持つことのできる関係者ですね)でもホストのエホバとイエスは極めて深い愛を持っておられるので、ご自分たちのほうから身をかがめてすべての人を招待してくださった(この契約の影響はすべての人の命に及ぶので)というほうがより正確に近いだろうと推察します。
ということで、私としては記念式の宣伝は大いに結構と思っています。それで誰かの命が救われるのなら、それこそがまさにお二方の1番の望みであり、体裁の優先順位はそれよりも低くて良いのだと思います。