皆さまごきげんよう、エシュルンです(^-^)♪

 

 

 

本題に入る前に、たまには自分のことでも書きましょうか(^-^)♪私は親から実際の鞭は受けていませんが、それでももれなくアダルトチャイルドです。これでもだいぶ良くなりましたが非常に自己肯定感を築くのを難しく感じます。生きづら~く感じることもままあります。昔、暫くの間JWなのに聖書がほとんど読めない、ということもあれば、涙が出なくなるほどの感情鈍麻になってしまったときが何年も続きました。さらに見当識障害や統合失調のような幻視幻聴症状が表れたり、一時的ですけれども認知症のような(記憶が砂のようにこぼれ落ちていくけれど自分ではどうにもできず他の人に説明もできない)というような状況にも陥りました。

 

 

 

当時、かろうじて読めていた出版物の一つに1992年5月22号の「アルコール依存症の親のもとで大人になった人のための助け」という記事があります。何度も読んだのを覚えています。これは現在のアダルトチルドレン(チャイルド)と呼ばれる人たちのための先駆けのような記事でした。AC(=アダルトチルドレン)とは「Adult Children of Alcoholics=ACOA」から来ています。もともとは「アルコール依存症の親を持つ家庭に生まれ、現在大人になった人」という意味でした。 今では解釈が拡大されて「機能不全の家庭に生まれ、大人になった人」を指すようになっています。

 

 

 

もう少し若かった頃の私は精神分析(的心理療法)治療を幾年も受けつつ、医学書・心理学書など、それはもう片っ端から読み漁りました。AC分野に関連した本の執筆で有名なS氏やN氏の書籍はもちろんのこと、認知療法での抑うつ克服ガイドで有名なB博士の本はかなり読み込みました。地元図書館から時には国会図書館に取り寄せもして研修医向けの精神医学書とか、本格的な論文集の「精神科治療学」「精神医療」シリーズなどの定期刊行物を読んだり、時には購入したり(←かなり高価)していました。そうした本や実際の医療は知識を増し加えるうえでサポートにはなってくれました。でも私の場合、心の傷を癒すのに何よりもエホバ神との絆を強めたことが最も大きな回復につながったのです。考えてみますとエホバが一番に!人の造りをよ~くご存じですから、当たり前と言えば当たり前なのですけどね(*^▽^*)

 

 

 

ですので私は医学や心理学・それに携わってこられたたくさんの方々の強力な助けに感謝してはいますが、何よりも誰よりも私を支えて助けてくださったエホバ神に最も感謝の気持ちを抱いています。これを前提に本題に入りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

ご両親あるいは片親がJWの家庭に育ったアダルトチルドレンの方がネット界隈にはたくさんいらっしゃいます。辛いだろうな、と日々思っています。理不尽にむち打たれた記憶はずっとトラウマとして残り、その記憶に苦しめられているのだろうと思うと同情を禁じえません。必ず癒されて欲しいと心から願っています。と同時に、私は組織が「懲らしめのむち」を用いることを教えたことを否定しません。これはエホバ神のご意思だと思いますし、事実、組織は「神のご意思を伝える」機関だからです。

 

 

 

では何が問題なのか、と言うならばそれはむちを使ったこと自体が悪いのではなく、むちを用いる教育の仕方と、教育する側の心の動機の2つに問題があったのではないかと思います。むちをされたおかげで良い教育をして貰えたと感じるJW2世さんも確かにいらっしゃるのですから「用いる仕方」について目を向ける必要があるのではないでしょうか。

 

 

 

前回のブログ記事の中でも書きましたが、エホバは教える立場の人が本当に子どもの永続する益のために基づいてむちを用いていたのか、利他的な愛だったのかその心をよくご覧になっています。「むち」は矯正とはいえ相手に少なからずの痛みを与えるわけですから、慎重なうえにも慎重を期して、褒める以上に注意深く用いていくもののはずです。誰かに助言を与える時はよく熟考してからというのと同じ、或いはそれ以上の熟考が求められる分野でしょう。子どもに対して毅然とした態度は必要不可欠ですが、当然その用い方は首尾一貫していることや、懲らしめが道理にかなっていて公正で何より子どもがエホバと良い関係を持てるように、ある意味親たちが一時的に子どもに嫌われるという自己犠牲を払ってでも子どもがエホバとの永続的な強い絆を築いてエホバを愛することができるようにサポートしたい!という動機はとても大切ではないでしょうか。

 

 

 

エホバ神も組織もそうですが、神の民に何も考えず盲信で従ってほしいとは願っていません。ちなみに今後「よくわからない指示でもすぐに従う」と言うのはある意味で緊急の時で会衆・羊全体が行なう行動です。そしてその指示が出される前に私たちは心からの深い愛情と敬意と信頼を神と組織に抱いている必要があります(当然のことですが組織の指示はすべてが聖書の原則を踏み越えるものではありません)

子どもの教育について与えられた指針は各々の家庭ごとに、家庭の状況に応じて適用していくものであって、単に一律どんな子どもにもむちを使えば良い、というものではありません。ですが私たちは国民性もあって「とりあえずお上には従っておくのが無難」という精神が江戸時代くらいから結構受け継がれている?のではないかな~と思います。同調圧力もよくありますしね。海外ですとその辺はまた異なるのかもしれませんが、いずれにしてもしそういう精神のままで上辺だけで表面的に組織に従っておられた(=つまり、これさえしておけば安泰大丈夫!な程度くらいの)後に齟齬が生じてもおかしくないでしょう。それは当事者双方ともとても気の毒なことです。

 

 

 

これも前回のブログに書いたことですが(許す、許さないはともかく)最初に聖書を学んだ1世の親たちはそれまで何世代も渡ってサタンからの悪影響を受け続けてきた人たちの末孫です。1世が真理を学んですぐに完璧になってキリストの丈に達することができる、というのは現実的な見方ではありません。日本の風土がキリスト教と合わないと言われるのであれば尚のことです。・・・ですので、サタンの世に漬けられてきた1世の方々もその親の悪影響をまともに受けられた2世の方々も広義的には被害者だと私は感じています。

 

 

 

 

 

 

私も含めて皆さんは様々な理不尽さを人生のうちに味わってきました。それを残りの数十年でもし修復出来たら(としたら)満足のうちに死ねますか?実のところエホバ神は誰よりも満足しません。なぜなら私たちの受けてきた理不尽な経験のほとんどは私たちの最初の二親(+サタン)に端を発しているからです。私たちのせいではないことをエホバ神はよ~くよ~くご存じなのです。エホバはそんな状況に置かれてしまった私たちを深く同情してくださっています。それでエホバは贖いの犠牲という別の理不尽さ?を持って解決してくださいました。

 

 

 

皆さんは誰かの失敗の悪影響を道づれで受けるのって嫌ではありませんか?アダムとエバはこの最たる出来事です。彼らが失敗したから、私たちは様々なことに苦しめられているのです。理にかなわないことが起きているのです。

でも誰かの成功の良い影響を道づれで受けるのはどうでしょうか?感情的には良かった~ラッキー♪と思うかもしれません。でもこれもホントは理にかなわないことですよね。エホバに従うことにおいて完璧に成功できたのはイエスだけです。でもほかの人もイエスの成功の恩恵を受けられるのです。

 

 

 

無論エホバ神はルールを全部変えてしまうこともできます。その権利もお持ちです。ですがエホバは首尾一貫して聖書の原則にご自身を合わせてくださっているのです。そのおかげで私たちはエホバは変わらない方だ、エホバはこういう方だ、といつでも思えて言えて安心することができるのです。これって超!感謝ですよね(*^▽^*)♪

 

 

 

 

 

 

私たちが、私がバプテスマを受けたいと思ったのは少なくとも神の基準に従いたいと思ったからです。最近学べましたが、エホバに献身するということはこれからの人生すべて、エホバだけを崇拝することを決意し、どんなときも神を第一に、自分のことよりも優って愛し、エホバの望まれることを行ない、嫌われることを憎み続ける、ということを神に誓約することです。皆さんはきっとこんな気持ちを抱いたからこそ、バプテスマをお受けになったのではありませんか?そしてエホバはその誓約に対して揺るぎない愛を以って応えてくださいます。エホバも責任を果たされます。

 

 

 

エホバはイエスの変ぼうの幻のとき、イエスの弟子たちに「彼(イエス)の言うこと聞きなさい」とお命じになりました。そのイエスは私たちに適宜霊的な食物を与えるため「忠実で思慮深い奴隷」を神の民の上に任命しています。そうであるなら組織の指示に従うのはエホバが望まれていることではありませんか。組織が本当にエホバに従っているのかどうか、熟考すれば必ず判るはずです。

 

 

 

仮にもし、組織がエホバに従っていない、と思われるのでしたら、サウル王に対してダビデがどのように接したかをぜひ思い出してください。それがエホバ神の望まれていることです。

 

 

神の望まれることを行なってきたダビデはソロモンにこんな忠告を与えました。

 

 

「あなたが神を探し求めるなら、神を見つけられるが、

神を捨てるなら、神からいつまでも退けられる。」

 

 

人によってはもしかすると、自分からエホバ神を組織を捨ててやった!と思っているかもしれません。ですが実際には神から退けられているのです。

それでも・・・エホバは筆者ヤコブを通してこうも言っておられます。

「神に近づいてください。そうすれば神は近づいてくださいます。」