皆さまごきげんよう、エシュルンです(^-^)♪

 

 

 

基本私はTwitter(X)にはブログの更新記録しか呟きません(別アカウントは除く)でも最近事情があって長文を入れました。Twitterの文章は後に消去するかもしれないのでとりあえずこちらにも転記をしておきます(微修正有)

 

 

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どなたか?私のブログの一部をコピペ(切り貼りですね)しておられるのかな?

一部分だと例えを書いた真意が歪んで汲まれてしまうので

こちらに思いを記しておきますね。↓

 

 

親御さんにトラウマになるような躾をされたこと、大変気の毒に思っています。

正直私はアダルトチルドレンになってしまわれたjw2世(元・現問わず)さん方は「jw」としては育てられていないと思います。親から虐待を受けながらも生き延びられたサバイバーさんです。今も尚生きづらいのは当然のことと推察します。

 

 

おそらく受け入れ難く思われるかと存じますが、エホバ神は深く同情しています。

本来ならエホバ神が愛の神であることを最もよく教えて貰える立場だったはずなのに間違った教育のせいで最も遠くに引き離され(エホバを嫌いにさせられて)しまったからです。回復は決して容易くない、そう思います。 

 

 

と同時に1世の親御さんもまた気の毒に思います。聖書の言葉を心に置いて古い人格を脱ぎ捨てることができなかった(できてない)からです。聖書の教えに基づいて躾をしているつもりがエホバから子供を遠ざけてしまいました。地上におられたイエスは自分に幼子たちが近づこうとするのを弟子たちが止めたとき憤られました(マルコ10:13-14)おそらくエホバはこのときのイエスと同じお気持ちだったと思います。

親御さんはお子さんとエホバとの絆を愛のうちに強める必要がありました。ご自身の子供ではありますが、エホバからの大切な預かりの宝物だからです。 

 

 

私が組織に責任を取らせる必要がないと言うのは、この組織は神の意志を伝えるための機関であって個人より偉いところでもなんでもないから(コリントの身体の各部の例えと同じでどれが偉いというわけではなくみんな必要)です。組織に属する人は各々が神とそれぞれ関係を築いています。責任はその人個人にあり、他人が代わって謝罪する必要も資格もありません。聖書は対人関係の問題解決はまず当人同士で話し合うマタイの原則を用いることを教えています。

許す、許さない、はともかく私個人の思いとしては最初に聖書を学んだ1世の親はそれまで何世代も渡ってサタンからの悪影響を受け続けてきた人たちの末孫です。学んですぐにキリストの丈に達することができる、と期待するところではないでしょう。

日本の風土がキリスト教と合わないと言われるのであれば尚のことです。

 

 

サタンの世に漬けられてきた1世の方々もその親の悪影響をまともに受けられた2世の方々も広義的には被害者だと私は感じています。 何より「エホバの証人」と呼ばれる人が、そのエホバ神のご意志を正しく理解して当てはめていなかったことはエホバがとても傷ついたはずです。

私たちのエホバの証人としてのエホバのご意志の当てはめ方は、今まで円周率「3」のレベルだったのです。でも訓練を重ねて変化してきました(全体としては)少しずつですが、以前よりもエホバが望まれることを行えるようになってきました。だから、エホバは今の私たちに「3.14…」を教えてくださっています。それを理解できる心を私たちが持てるようになったと判断してくださったからです。 エホバに近づけば近づくほどに、謙遜になればなるほどこの桁数は増えていき、暗記も理解も簡単にできるでしょう。でもエホバを学ぶことに終わりはありません。

 

 

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JW地上の組織に対して、即反対&否定するのでもなく、盲信するのでもなく、本当に得心して信頼するにはエホバ神への揺るぎない愛が欠かせないのだと私は思います。組織を盲信しているだけなら「懲らしめのむち」の用いるとき、単にその場の怒りやいら立ちの感情に任せたり、或いはとにかく場をすぐおさめるためにだけに、むちを簡単に使うかもしれません。本当の本心が子どものために永続的な益のために使っているのか、それとも親のプライドのためなのか、エホバは教える立場の人の心をよくご覧になっています(これは長老も同じですね)

エホバとの絆が本当に強いなら、むちを用いる場合(組織は実際のむちを使うことを禁止していません)エホバから託された子ども一人一人の心の繊細さをきちんと考慮して用いるのではないでしょうか。

エホバは大祭司エリが息子たちをきちんと懲らしめてこなかったことに責任を問われました。ですので子どもに対して毅然とした態度は必要不可欠です。でも同時に首尾一貫していることや、懲らしめが道理にかなっていて公正で何より子どもがエホバと良い関係を持てるよう、ある意味で自分が一時的に子どもにとっての悪者になったとしても、エホバを愛せるようにサポートしたいという利他的な愛の動機を抱いていることが「懲らしめのむち」を用いる場合のエホバへの揺るぎない愛の強さを表すものだと私は思います。

 

 

 

もっと言うなら、天のお父さまエホバへの愛情・信頼・絆を持っているだけでなく、深めていかなければ、地上の組織を本当に信頼することは難しいのかもしれません。

エホバと同じ考え、思い、見方ができて初めてエホバが地上の組織をどれだけ愛して信頼しておられるか、地上の組織がどれだけエホバに見倣おうとしているのかが判るからです。エホバを心から愛すれば愛するほど組織が好きになれる、このことを私は体験させていただいています。個人的にすごくよく判るのですが組織に属する一部の人から辛い目に遭わされる(と感じる)と、組織全体に対して疑いとかネガティブな感情を抱きがちになります。そうなってしまうのは無理もないことですし、エホバはその気持ちをよ~く判ってくださいます。でもだからこそ、エホバはその人が抱いてしまったネガティブ捕囚状態から一人残らず助けたい!と思っておられますし、その方法もよ~くご存じなのです。

 

 

 

聖書に人を許しなさい=怒りや恨みを捨てなさい、と書いてあるのは決してエホバが加害者の行為を甘くみているわけではなく、被害者がきちんと回復するためのケアのためであり、被害者が本当に幸せになるために欠かせない大切なステップなのです。エホバは故意に人を攻撃する人のそばにではなく、いつも心の打ち砕かれた人のすぐそばに寄り添っておられます。あなたを助けたいのです。

 

 

 

ところで、イエス・キリストは目に見えない神が実際にはどんな方なのかを生き方で表してくださいました。それで人々はイエスを通してエホバ神を知ることができたのです。人によってはイエスを心から信頼して大好きになれたので、敬愛するイエスが心から大好きな天のエホバのことも大好きになれたのかもしれません(上手く伝わるかしら?)その方式でまいりますと、エホバが用いておられる神の組織を心から支持するための条件は、エホバ神との絆をしっかり強く持っていること、つまりエホバを心から愛して信頼していることです。そうするならエホバが選んで、信頼して用いている地上の組織との絆もしっかり築けます。

 

 

 

ツッコミの入る例えかもしれませんが(笑)夫が妻を愛し、妻が夫を本当に敬愛して心から信頼しているならそれは二人が強い絆で結ばれているということです。そしてその絆の状態で災害に遭い、緊急避難をしなくてはならなくなったとき、夫の指示に妻があーだこーだと理由をつけて従う(あるいは従わない)ことはしないでしょう。なぜならそれまでに夫がいつも妻を心から愛して妻を大切にしてくれる(してきた)ことを、妻自身がよ~く判っているからです。そういう絆を今のうちに組織(つまり神の家族です)と強めて深めていくなら「いざ!」という時に、よくわからない指示だけれども従うことが簡単にできてしまうでしょう。エホバと組織を深く愛せているからです。