一年
大晦日を迎えました。今年はもろもろの事情が重なり、年末年始の実家の帰省はなくなりました。ということで、学生時分を思い出しますが、大晦日も大学で実験です。2018年の始まりに、我が研究室MEMの一年、これからのラボの未来に向けて所信表明を掲載させて頂きました。https://ameblo.jp/lactoyoccus-mem/entry-12342930252.html実際に、2018年のラボ年始のミーティングでも、同様の所信表明を揚げさせていただいたのですが、その文言とこのブログに揚げた内容は、少し異なっていました。このブログの位置づけで語れることも多いだろうと思い、どちらかというと、アングラな私の想いを連ねてきたからです。そんなこんなで、2018年も喰われるように、時間が過ぎていけました。"ジャネの法則"に抗えたかというと、ますますその濁流に呑まれそうですが、前厄でもある子の一年は、私にとっても、特別な一年になったと思います。新居に移ったのが今年とは思えません。台湾、韓国、タイ、そしてマレーシアと、今後の何かに繋がる手ごたえも得ましたし、40年のちょうど折り返しになる20年、このことを予感させる、新たな出会いや再会もありました。アキレスを切ってしまい、ギプス、装具、そしてリハビリを経て、年内にバスケにも復帰できました。人間の体を構築する、その絶妙さにも触れることができました。なんといっても、ビーグル犬「ハナ」が我が家にやってきました。我が家に初めてやってきたときは、ちーーーっこかった、おてんば娘ですが、それなりに大きなって、相変わらずおてんばです。犬を我が家に、40年越しの経験です。さて。このブログは、当初は"ラボ向け"とか、"研究紹介"のスタンスで、書き始めたのですが、それよりもいろいろな想いを込めて書くようになりました。未来の自分自身への手紙として。そして、わが息子チビ太郎が、将来、大きなって目にしてくれたら、と。一年間、それなりに、脈絡のないことを書いてきましたが、振り返ってみて、自分自身で、心に残っている回はどれだったろうか。いろいろな想いでもって、向き合ってきましたが、心に深く残っているのは「コスモス」という回です。https://ameblo.jp/lactoyoccus-mem/entry-12414953874.html人が生まれて、死んでいくことについて。言い換えれば、"人が生まれ出た意味"、このことについて、ずうっと考えているのですが、そんな中で、この「コスモス」のときの自分の感情や風景に、時折、自分の心をトレースしたりするんでよね。今でも。人の人生って、なんだか、からくりだらけのような気がしてたまらない。この感覚はここ数年、強くなっています。大学で教鞭をとっている身ですが、「ダーウィンの進化論」のすっきりさが、むしろ違和感を生んでいる。このつじつま合わせの感覚と、人生のからくりって、どこかオーバーラップしているような気もする。こんなからくりだらけの人生でも、こんなワタクシでも、40年間やってこれました。年末に滲出性中耳炎にかかってしまい、耳の違和感が抜けませんが、これも、人間の体の不思議さを感じながらの年越しか、と思って、想いは既に次年度に、数年後のことに向かっています。習慣となっている神社参りですが、本日大学からの帰り。2018年の最期のお参りに行ってきました。いつもの詞に加えて、「一年間健康で過ごせたことに感謝申し上げます」を添えて。日本の。そして世界の皆さま。良いお年を。新居に移って間もなくのころ。庭でしゃぼん玉を楽しむ、チビ太郎。このころはまだ、愛犬「ハナ」もいませんでした。