出張が続いており、遅らせながら

「M1の暴言問題」というのが、

えらく各ネットニュースサイトに掲載されていますね。

 

うーむ。

 

もちろん"記事でしか"話を聞けないのですが、

デマ云々を抜きにして、間違いのないところは、

当該者がSNSにアップした情報の核が

「かたよった審査するな」

ってことなんでしょうか。

 

意訳すると、

「個人の感情で恣意的に評価するな」

というところでしょうか。

 

私は芸人ではないですし、いちお笑いファンなので、その立場でしか言えませんが、

著名な方も、コメントされていたりと、なかなかのようですね。

 

 

ただ、門外漢の私として、この問題を俯瞰して思ったのが、

「かたよった審査するな」

というような、感覚。

 

この「かたよった審査するな」という表現は、私の翻訳ですので、

どこかから資料を引用したというよりは、そういう理解という意味で載せています。

 

面白いのが、スポーツにしろ、芸術にしろ、何にしろ、

皆、

・本当に一定の基準があると思っているのかな、

と思ったんです。

 

 

なんとか映画祭。

 

だれだれが、主演女優賞受賞。

 

喜ばしいことかもしれませんが、

これが数年や10年後だったら、受賞できたかという怪しいでしょう。

怪しいというか、正直、できていない可能性も高い。

要は、評価とかなんとかって、

その時の世相やらで、変わるわけですわ。

今回の話は、審査員ってことでしょう。

審査委員が変われば、基準も変わる。

 

今回の問題は、それを突き付けたわけです。

渦中の方がそこまで考えていたかは別にしてですが。

 

 

これを言うとまずいかもしれませんが、

スポーツにしても、絶対的な基準がありそうでも

実はそうでもない気がする。

だから、カメラなんかで、客観的判断をするわけだけども、

その根っこは、人間はやっぱり、人間だもの。

そこを無理くり固定するための、

・カメラなり、AIを導入して、

効率化を図るわけでしょう。

 

効率化の裏には、非効率化の立ち位置がある。

非効率なものはだめなんでしょうか。

 

古来、文学でも「あやふやなもの」の魅力で、構築されたものも多いでしょう。

 

 

今回の問題は、

そこのところが、

「現代的だなぁ」

と感じました。

 

考え方は、昔から同じ。

落選したり、失敗したら、怒ったり、泣いたり。

でもそれは、自分のエンジンにするための、潤滑油にするしかないんだけど、

それを公に流すわけですよね。

 

そのツールが現代(いま)にはある。

その狭間が人の心の機微や、文学に昇華していたのに、

全て表に出してしまう。

そして、それをなかったことにしようと、消してしまう。

 

 

ハードが充実しても、ソフトを扱う我々が追い付いていない。

 

これは、今回の問題に限らずに、と思うわけです。