私のブログは、
約9年前に…
風邪すらひかない
超健康なサーファー旦那が
悪性脳腫瘍グレード4
神経膠芽腫を
発症した時からを書いています。
大切な人を亡くし…、
絶望感に襲われ、
「人生終わった」と感じ、
自死まで考えていた絶望未亡人が…
どうやって生きてきたのかを
赤裸々に綴っている…、
『30代絶望未亡人
這い上がり物語』です。
初めから読んでくださる方はこちらから…
↓
33歳旦那の病気、発症!
↓
病名が判明しました
↓
2歳と5歳のワンオペ育児をしながら…
↓
旦那の脳腫瘍が再発しました
↓
そして…
↓
旦那を失う前にも…
↓
これの続きです
⬇︎
その、
地元の主治医のおかげで、
精神障害者保健福祉手帳をいただけて…、
それによって、
訪問看護を受けられるようになりました(お金はかかりましたが…
)
しかも…、
脳神経外科の病院で、
旦那の病気を理解してくれている専門の方に、
リハビリをしてもらえて…
しかもしかも…、
外来の看護師さんが、
本当に優しい方で…
リハビリの為に、
病院に着いても、
旦那の、
車から降りるスイッチが
入らない時には…、
外来の看護師さんが
対応をしてくれて…、
旦那をリハビリ室まで
連れて行ってくれました
さっきまで怖い顔をして、
私のことを完全に無視していた
旦那が…
看護師さんが車まで来てくれて、
かわいい看護師さん
「はい、〇〇く〜ん!
一緒に行きますよ〜」
な〜んて、
優しく声をかけてくださると…
旦那
「あっ、
お願いしま〜す」
と…、
表情も態度も一転笑
まったくこの男は…
と、呆れながらも…笑
いや〜、助かるわ〜
脳腫瘍になっても、
変わらず女の子好きな旦那
看護師さんの言うことだけは、
ちゃんと聞いてくれる
リハビリは週に1回、
1時間弱ではありましたが、
私がほんの少し、
ホッとできる時間ができました
1時間弱なので、
どこかに行かれるほどの余裕は
ありませんでしたが、
病院の駐車場に停めた車の中で
ボーっとしたり…、
近くの薬局に、
オムツなどを買いに行く時間が
出来ました
もう、それだけで…、
本当に身体は楽でした
ただ…
旦那を家の外に、
連れ出すということは…
家に入れないといけない…ということ
病院では、
すんなり言うことを理解してくれても…、
車で私と2人っきりになった途端…
まったく指示が入らなくなってしまうことがしばしば
リハビリを終え、
自宅の駐車場に着いても、
車から降りてくれないことが、
しょっちゅうありました
私
「おりて〜」
旦那
「……。」
こんやりとりを…
1時間繰り返している…
なんてこともありました
本当、根気がいることでした
旦那は脳腫瘍という病気。
しかも、
余命は約1年と言われている人。
1分、1秒も
大切にしないといけない人。
それは重々、
頭ではわかっていても…
やはりこちらの言ったことを
理解してもらえなかったり…
指示が通らない…
当たり前のことが、出来ない…
そんな人の介護は…
綺麗事だけでは
済まないことが沢山ありました
「もう、なんなの」
って、私がイライラしちゃうことだってあったし…
「もう無理かも…」
旦那にそう弱音を吐いてしまったこともありました。
旦那の前で、
号泣してしまったことも…あったなぁ…
はぁ…
大変だなぁ…
リハビリをしてくれる病院が見つかったり…、
訪問看護に来てもらうようになっても…、
それって、
毎日続く介護の内の、
ほんのちょっとの時間でしかない
ありがたいことなんだけれど…
やっぱり私的には、
大変さは変わりありませんでした
そして…
そんな私に追い討ちをかけるように…
あの人の行動が、
ヒートアップしてきたのです
つづきます