エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ -17ページ目

エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

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ビジュアルでのブランディングはたいせつです。


そして


シロウト考えでは


簡単ではありませんし


良いと思ってやったことが


ただの自己満足なのではないか


それを見てくださった方が


社交辞令などを抜きにして


どのように感じるのか


検証することを忘れている人も


たくさんいます。


写真、動画など


どんな方々が見てくださって


何を感じてくれたのか。


たとえば


ブログやホームページのトップに


さわやかに


正々堂々と


燦然と


身だしなみも整えて


きりっとした表情をしたり


にこやかだったりしながら


腕組みをしている自分の写真をアップしている方が多いです。


圧倒的に男性の主催するブログやホームページに多いのです。


写真撮影を誰に頼んで、誰にその画像をアップしてもらったのだか


もしかしたら


自分でやったのかもしれませんし


もしかしたら


「腕組みの写真がイイよ。男らしいし、威風堂々と見えるから。」なんてアドバイスしちゃった、なんちゃってコンサルタントさんにすすめられたとか。


せっかく工夫してみたのに残念な状態なのです。


WEB関連のコンサルタントすべてとは言いませんが


集客目的とか何とか言いながらも


最終到達点を、「依頼していただいたお客様に満足していただくこと。」であると勘違いしている人が多いので気を付けなければいけません。


もちろん押しつけがましくてフィーリングが合わない人にはお金を払いたくはないでしょうから


耳触りの良いことを言ってくれる人を選びがちです。


腕を組んだ写真を選んだ理由はなんなのでしょうか。


そういう方のブログやホームページを拝見すると


内容は素晴らしいことのオンパレードです。


「いつでも、なんでも聞いてください。」みたいなことも書いてあったりします。


なのに


なぜその写真をチョイスしたのですか。


「いや~、なんとなく。」


「団体競技のスポーツ選手の集合写真が、こんな感じだったと思うのでカッコいいかなと思って。」


「腕を組む」 という行為には


心理学的にこんな意味合いがあることを理解している上で


それでも看板にあたる


ウェブサイトのトップページの最も目立つ場所の写真をチョイスするのでしょうか。


「腕を組む」 という行為には


拒否や防御、警戒心やいらだち、優越感情や退屈を無意識に表現しています。


人それぞれにはテリトリーがあるといわれていて(対人距離)、無遠慮に踏み込んでこようとする人に対するバリアの役割りとして、腕を組んで前に突き出す姿勢が取られるのです。


「ようこそいらっしゃいました。さあ、どうぞ。」って言いながら


真逆のアピールをしていることになるのです。


ぼくのところに


アクセスしてきてくださった方で、同じような状況の方には、もれなく、大きなお世話になりますが、同様のことを伝えています。


「お金をかけてトップページをリニューアルしたばかりなので、本当に残念です。誰も教えてくれませんでした。もったいなかったです。」


「WEBコンサルで、そういう切り口で説明してくれる人がいるのですね。現在のコンサル契約を見直そうと思います。」


「なるほど、すぐに違う写真と差し替えます。」


目的が何だったのか


どこかの段階から


依頼者である自分が満足するってことにねじ曲がってしまっていないのか。そんな風にミスリードされてしまっていないのか。


客観的なものさしを持っていて


それを使いこなせているのかってことです。


動画に至ってはもっともっと気遣うところが満載です。


編集というお化粧直しの作業の有無に関わらずです。


テレビ番組も


気軽にトークしたり、やり取りしたりしていますが


綿密なリハーサルと


プロフェッショナルな台本が存在していますし


演出家や編集のプロが携わって


完パケになっているわけです。


見様見真似で、フリートークまがいのことを演じられても


おもしろくもなんともないのは言うまでもありません。


なのにチャンス到来とばかりに


「これも一つの経験だから。」などと誰に聞いてほしいのかわからない言い訳をしながら


浮かれ舞い上がって


何の目的なのかどうかよりも


タレントにでもなったかのようにひたすら勘違いしてしまうという残念さ。



こんな経験がありませんか。


洗濯物を干して欲しいと頼まれる。


快く引き受けて、自分なりにいっしょうけんめいに干す。


乾いたものを取り込みながらおかあさんがこんなことを言います。


「しわをちゃんと伸ばして干さないから、シワシワじゃない。」


「あ~、このTシャツも肩線合わせてハンガーにかけないから、ぴょこってなっちゃったじゃないの。」


こんなときに


オイオイ、冗談じゃないぞって思いながら


「も~、うるさいな~、そんなこと言われるんだったら、もうやらない。やらないよりもやったほうがイイんじゃないの。プンプン。」


もちろん洗濯を干すマニュアル的なモノを提示しなかった依頼者にも過失はあるかもしれませんが


日頃、お手伝いをしていないことが露呈したり、いつもはやっつけ仕事でやっていることに気が付かされたりするわけです。


これは、自宅内の事ですから修正も可能ですし、教育とかしつけの可能性が残されています。


インターネットという環境は、アップロードした瞬間に世界に向けて発信されるのです。


やらないよりやったほうがいいのでしょうか。そうなのかもしれませんが


小言を言ってくれるおかあさんはいないのです。



ぼくの知り合いがあるマスメディアの取材を受けました。


編集された映像を入手して、バッチリ二次利用してくださいとアドバイスをしました。


その方は、さすがでした。


二次利用する前にアドバイスを求めてきました。


結果、二次利用に値する内容ではないということに気が付いて使用をやめました。


もったいないようですが


良い選択だと思っています。


内容がお粗末すぎるのです。


ぼくらが小さいころにラジオ番組を真似てDJ役をやったりしたモノの方が百万倍クオリティが高いと思うほどの仕上がりだったからです。


チャンスは何度でもやってきます。


ただし


一度陳腐化したつまらないコンテンツだと認識されてしまうと


誰も興味を示さなくなってしまいます。


セルフブランディングにもならないばかりか


携わった媒体まで陳腐化させてしまいかねませんから。


そうそう


人の話を聞くときには


後ろ手を組んでいては失礼になるのですよ。


なぜかって


武士の時代には闇討ちする時に、後ろ手に脇差しを隠し持っていました。


その名残だと言われています。


後ろに組むのは後ろに隠した武器を出すということから、「あなたに手をあげませんよ。」という態度ではなくなってしまうからなんです。



なんとなく


じゃなくて


すべてのことには


理由があるのです。



いま腕組みしながら


これ読んでませんか。


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杉並区に住んでいます。


ぼくが居るところは、どちらかというと高円寺に近い方の杉並区なのですが


自転車で、ちょっと走ると


阿佐ヶ谷とか


荻窪とか


永福町とか


浜田山とか


久我山とか


すべてを挙げることができませんが


すてきな街に囲まれていることに気がつきます。


杉並区は


東に中野区


北に練馬区


南に世田谷区(ほんのちょっと渋谷区だったような)


西に武蔵野市と三鷹市と隣接しています。


娘が夏休みに突入中なので


妻ともスケジュール調整をして


「自転車で行ける範囲で、今まで行きたかったお店にランチ行く」


というコンセプトを共有したところ


最近、いわゆるママ会で行く予定だったのに都合で行けなくなったお店があると提案がありました。


さっそく検索してみると


自転車で15分以内で


初めていくお店で


予約をしていったほうが良いらしい(おいしさで人気アリ)


ということで


京王井の頭線永福町駅北口より徒歩一分にあるらしい


その名も


「真のナポリピッツァ認定店(ASSOCIAZIONE VERA PIZZA NAPOLETANA)


 薪窯焼きナポリピッツァの店 ラ・ピッコラ・ターヴォラ 」さんをチョイスすることとなりました。


初めて行く場所やお店へ向かうときのワクワク感は新鮮で


期待感が高まります。


自転車で約10分で、お店に到着しました。


店内は、満席。下の写真では、行列用のイスに偶然にも誰も座っていませんが


常に何人かが待っている状況でした。

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店内に入って、予約を伝えると快く迎え入れていただきました。


オレンジ色の薪窯(まきがま)がその存在感をアピールしています。


ピッツァ職人のマッシモさんが、店内にうっすらと流れるイタリアンな音楽を口ずさみながら


楽しそうにピッツァを焼き上げています。


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ナポリのピッツァの大定番「マルゲリータ」がやってきました。


この生地の食感と味は大げさではなく


これまで食べたピッツァの中でトップクラスです。

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二品目は、燻製したハムとヨード卵がトッピングされた一品。


燻製されたハムの塩分とヨード卵がミックスされて


これまた素晴らしい仕上がりです。


コストは、グラスワイン1杯とピッツァ2品で5000円程度


十分に満足のできるパフォーマンスです。


お客様は次から次に、それこそ入れ代わり立ち代わりですが


ざわざわしている感じもなく


ゆっくりできる雰囲気も


人気の要因の一つでしょう。


ちなみに店員さんは全員男性でした。


この夏


一度しかない2011年の夏に


いろいろな経験を共有できればイイと思っています。


ナポリのピッツァは


ピザではないのだそうです。


そんなこだわりが


そんなプライドが


明確なコンセプトとなって


訪れる人に


伝わっているのが


なんとも心地良いのです。






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被災地の瓦礫(がれき)の処理がなかなか進まないと聞こえてきます。


この後に及んで


ややこしくて一昔前の百科事典のように分厚くなった申請書の差し戻しが繰り返されているという現場の声も聞こえてきています。


もちろん、一定の基準を持って提出される書類の精査をするというプロセスを割愛すると


ジャパン・クオリティの根っこにある


「平等」


という大切にしているものが


崩壊してしまうという


リスクを冒すことにはいかないという


立場も分からないわけではないです。


瓦礫の処理は、今回の災害により仕事を失った方々にとっては


大変な重労働を伴いながらも


重要な収入源ともなります。


生きていくために


家族を養っていくために


無くてはならない


仕事をしてお金を稼ぐという


とてつもなくピュアな行動です。

被災された方々に限らず、働き口がなくて厳しい思いをしている人も少なくないです。


宣伝広告費をかけて


メディアを使ったり、本を出したり、PR活動している余裕など入り込む余地もない


切羽詰まった状況とも言えます。


このような状況ですから


どれだけスキルやアイディアを持っていたとしても


外部の業者が参入することが難しい上に


リサイクルという呪縛があったり


持ち出したとしても、ただただ場所を変えただけになって、どこかの土地に先送りされているだけになってしまったり


海外からも瓦礫の受け入れのオファーも積極的に来ていますが


これこそ国土の狭い日本で発生してしまったモノを


国土の広い他の国に持って行って埋め立ててしまうというような


なんともモラルに反するようなことになってしまったりします。


そんなこんなで


あの国会で議決された予算の執行が10%にも満たない状況です。


それでもまだ


誰がいつ辞めるのかみたいなことに


国民の税金を使っている上に


本当に使うべきことにパワーを使えない人たちがたくさんいることは


笑えない喜劇です。


これだけ騒いで


ムーブメントが起きないということは


攻撃側の野党の戦略がひたすらダサいか


政権政党として成熟していない守備側である与党が、巧みにドライビングモールでトライに向かっているのかもしれません。


これだけ大規模な仕掛けをしても国民が変化を求めないのは


前回、政権をオセロがパタパタとひっくり返してみたっていう実感が残っているからです。


それも最後の隅にパチッと最後の一つを置いたような感覚が残っているのです。


もう白も黒も


置くところがないのです。


置くところがないのだから


白が黒にかわることも


黒が白にかわることもないのです。


ゲームに参加できない状況といってもイイでしょう。


それなのに


「いや、このマス目は間違っている。もうひとつ置けるはずだ。」とか


「一手前の置き方が怪しいくて、だまされた。」とか


「そもそもこのゲームは白と黒しかないのはおかしいんじゃないのか。」とか


そんなことばっかり叫びあってる印象しか残らない。


もっとも盛り上がってはいけない


政治に対するニヒリズムが


「誰がやっても同じ」という決定的な雰囲気が


この4か月すっかり醸成されてしまっています。


スポーツ選手の活躍や


完全地デジ化や


子供たちの夏休みが始まったりなどで


いろいろなところに意識が飛んで


少しだけ不安や恐怖が薄まったかのように


勘違いをして


勘違いをしたくて


リアルを直視できなくなってきています。


元気が出てくることはとってもイイことです。


いままで知らなかったことやわからなかったことに興味がわいたことも悪くはありません。


そうそう


瓦礫で思い出しましたが


これほど大量の瓦礫の処理に苦労していることを知りながらも


地デジ化対応で


不法投棄されるブラウン管テレビの山。


どうしてこれ以上瓦礫を増やすようなことをやって平気なのでしょうか。


とにかく


目的は何なのか


予算が可決されることが目的ではなく


それこそ誰かを辞めさせることが目的でもなく


引き合いに出して申し訳ないのですが、くだらないメンツのために


安全が担保されていない高速鉄道を走らせて


脱線事故を起こしてしまうような


そういうミスリードは


いま


誰も求めていません。


もしかしたら


もうすでに


違う意味で


脱線


してるのでしょうか。


でも


人のせいにしていられません。


ぼくらが


ぼくらの思考までもが


瓦礫になってしまわないように。






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最近、よく父のことを思い出します。


これももしかしたら震災の影響だったりするのかもしれません。


昨日は、当時68歳で天国に旅立った父の11回目の命日でした。


ぼくは父の死に関して


そのプロセスにおいて


後悔することが多くて


10年以上経ったいまですら


なかなか落としどころがなくて


行き場を失った小さなゴムボールが


小さな箱の中をいつまでもいつまでもバウンドし続けているような


ときに


水あめの中を歩いているような


そんな感覚にギュ~っと


全身を締め付けられるような


冷たくて大きな手で


心臓を握りしめられるような


そんな感覚に襲われることがあります。


それほどシリアスな精神状態が続くということではないのですが


こどものころに


オレンジ色から薄暗さを深めていく夕暮れどきに


初めていった知らない土地で


親にはぐれて独りぼっちになってしまったときのような


あのなんともさびしいくて心細い


そんな感覚に押しつぶされそうになるみたいな。


もちろん


現実という日常は


そんなに意地悪じゃぁないです。


ありがたい環境で、元気いっぱいでいられます。


これも父の生き様を見て


そのやさしさにふれて生きてきたという証拠を


ぼくが生きているということになるのだから。


いっしょに住む、母の部屋のテレビが完全地デジ化を目前にして


まだ長野に住んでいたころから使っているブラウン管テレビでした。


ずっと気にしていて


いつでもだいじょうぶだって


優先順位を下げていました。


父の命日で、ちょっぴりしんみりとしている感じなので


新しいテレビをプレゼントすることで少しでも元気づけることになればなどと


モノに頼らなければうまく伝えられない自分の弱さを


結局は、お父さんに背中を押してもらうというテイタラク。


決して大きなテレビではないのですが


母はとってもよろこんでくれました。



父親と息子という関係は


互いがどのような状況にあろうと


いつまでもつながっていて


越えるとか越えないとか


そんなことはどうでもよくって


でも


やっぱり目標だったりして


懐の深さみたいなものには


いまでもいつまでも


あこがれます。


尊敬できる人。


そして


いま


もう一度


話してみたい


大切な人。






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こんな質問が来ます。

「ブログの更新と仕事の両立が難しいのです。」


質問に質問で返すのは申し訳ないのですが


答えるのは簡単です。


「何を目的にブログを書いているのですか。」


仕事でブログを書いているのなら一切手抜きなど許されません。気を抜くこともできません。


そんなに甘いもので無いです。


副業のためにブログを書いているのなら


本業に余力があるのか、本業では満足できない部分(主に収入)があるのか明確になっているのか。


というかそもそも最初のボタンがズレテルんじゃない?そんな考え方だから本業がうまくいかないんじゃないってツッコミたいくらいです。

本業がうまくいかいないから副業でというのは


「それもアリなのかな。」と納得してしまいそうになる人もいるかもしれませんが


ここに


「仕事」というものの本質が見え隠れしているのです。


勘違いをしてはいけません。


たとえば、35年の住宅ローンを組んでしまった当時と比較すると


世の中の景気が悪くなってしまって、給料は右肩上がりで無くなったばかりか逆の放物線を描き始めたりしている上に


年功序列型の賃金体系も崩壊して、給料に見合うアウトプットができない場合は簡単に退場させられてしまうような状態。


毎日、自分なりには一生懸命でも会社全体が停滞してしまっている。


でも毎月支払期限はやってきます。


この状況を改善するために時間を削ってアルバイトをして補てんしている


という状況の人と


なんとなく出社して、なんとなく一日を過ごして、なんとなくうまくいかない人とは違います。


そして


なんとなくネット環境にある副業的なポジションにあるビジネスモデルに魅力を感じて(厳密には、誘い文句につられて)


なんとなく手を出してしまう。


こういう人が、情報商材とかにとって非常に都合のイイお客様となります。


わかりやすくいうと「カモ」ってことです。


当然、オンラインショップにしてもアフィリエイト系のビジネスモデルにしても


何の努力もせずに対価のお金が手に入るわけがないのです。


その結果、時間ばかり浪費して


ひたすら疲れて


それこそ本業に良くない影響を及ぼしていることにも気が付かずに


その疲労感に満足していて


自分のコストすら把握できずに


情報収集のための検索するという行為を自分なりに正当化しようとして


時間をひたすら垂れ流しているだけ。


気持ちが、あっち行ったり、こっち行ったり。


さてブログを書く時間すら無くなって


最初の質問にたどり着くことになるわけです。



だから


「目的は?」


セルフブランディングをしたいの?


商品やお店のブランディングをしたいの?


自分の得意なビジネスを紹介したいの?


ビジネスにつながるポータル(玄関)みたいな入り口を作りたいの?


ただひたすら知識をひけらかしたいの?


たまに


おまえは、ウィキペディアにでもなろうと思っているのかって。


みんなが知っているであろうニュースを「自分だけがいち早く入手した」みたいなものもありますが、内容はひたすらニュースをトレースしているだけ


何をしたいのかさっぱりわからない。

そんな薄っぺらな評論もどきは


当然、説得力にも欠けています。


その「わからない」の根っこは


わからないというか


つまらないと感じる違和感の源泉は


「自分の言葉」が、まったく無いってことです。


そう言うと


「それができないから苦労するんじゃん。」って言う。


だから上手な文章の書き方のマニュアルがあったらを提供してくださいみたいな流れになります。


みんなどれほどマニュアルが好きなのでしょう。


定型文があって、みんなそれに倣ってたら


それこそおもしろくもなんともない文章になることなど言うまでもないです。


数多くの方にブログの書きぶりについてアドバイスをさせていただいているので


ぼくといっしょに取り組んだ方々は


それぞれの作文能力に合わせて特長を生かした表現を使い、試行錯誤を繰り返しています。


アドバイスの方法はオープンにしていませんが


だいたい2~3週間、ブログにアップしたいと思う文章をメールで書いてきてもらいます。


もちろん


ブログのコンセプトメイキングも同時進行です。


何を目的に書くのか


どんな流れで


どんなノリで


どんなメリハリで


などなど。


そして


どんなテーストの文章なのかを教えてもらうところからスタートします。


これが最も重要です。


マンガの「巨人の星」で子供のころ、の星飛雄馬が身に着けていた大リーグ養成ギブスや


女性が寄せて上げてする矯正ランジェリーみたいなものを


無理やり装着させるようなことはしないということです。(笑)


上手いとか上手くないとかの概念にはめ込むこともしません。


その人が書く文章が


その人の素の言葉が


共感を生むからです。


いわゆる「刺さる」ってことです。


ただし


目的によって極力使わないほうがイイ表現やNGワードはインターネットという世界には確実に存在しますから


その部分は丁寧に、徹底的にお教えします。


いまでもお手伝いした方々の文章は、毎日チェックさせていただいていますし


油断をしているのが感じられれば、それこそ遠慮することなくツッコミを入れています。




ブログでも直筆の日記でもアタマの整理やガス抜きができると思います。


新しい出会いのきっかけにも十分なりえると思います。




何を目的にして


それに向かってどれだけの時間を費やすのか


起こしたアクションによって


何かが変化したり、何かが生まれたり、何かが動き出すきっかけになっていたり


それに見合うリアクション(コメントやお金、評価など)をいただいて


感謝したり、納得したりしなかったりする。




こんな質問が来ます。


「ブログの更新と仕事の両立が難しいのです。」



「だったら、ブログを書くことをやめなさい。」



生きていくために


どんな風に


どんなつもりで


時間を使っていますか。







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