エキセントリックに腕を組むということ | エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

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ビジュアルでのブランディングはたいせつです。


そして


シロウト考えでは


簡単ではありませんし


良いと思ってやったことが


ただの自己満足なのではないか


それを見てくださった方が


社交辞令などを抜きにして


どのように感じるのか


検証することを忘れている人も


たくさんいます。


写真、動画など


どんな方々が見てくださって


何を感じてくれたのか。


たとえば


ブログやホームページのトップに


さわやかに


正々堂々と


燦然と


身だしなみも整えて


きりっとした表情をしたり


にこやかだったりしながら


腕組みをしている自分の写真をアップしている方が多いです。


圧倒的に男性の主催するブログやホームページに多いのです。


写真撮影を誰に頼んで、誰にその画像をアップしてもらったのだか


もしかしたら


自分でやったのかもしれませんし


もしかしたら


「腕組みの写真がイイよ。男らしいし、威風堂々と見えるから。」なんてアドバイスしちゃった、なんちゃってコンサルタントさんにすすめられたとか。


せっかく工夫してみたのに残念な状態なのです。


WEB関連のコンサルタントすべてとは言いませんが


集客目的とか何とか言いながらも


最終到達点を、「依頼していただいたお客様に満足していただくこと。」であると勘違いしている人が多いので気を付けなければいけません。


もちろん押しつけがましくてフィーリングが合わない人にはお金を払いたくはないでしょうから


耳触りの良いことを言ってくれる人を選びがちです。


腕を組んだ写真を選んだ理由はなんなのでしょうか。


そういう方のブログやホームページを拝見すると


内容は素晴らしいことのオンパレードです。


「いつでも、なんでも聞いてください。」みたいなことも書いてあったりします。


なのに


なぜその写真をチョイスしたのですか。


「いや~、なんとなく。」


「団体競技のスポーツ選手の集合写真が、こんな感じだったと思うのでカッコいいかなと思って。」


「腕を組む」 という行為には


心理学的にこんな意味合いがあることを理解している上で


それでも看板にあたる


ウェブサイトのトップページの最も目立つ場所の写真をチョイスするのでしょうか。


「腕を組む」 という行為には


拒否や防御、警戒心やいらだち、優越感情や退屈を無意識に表現しています。


人それぞれにはテリトリーがあるといわれていて(対人距離)、無遠慮に踏み込んでこようとする人に対するバリアの役割りとして、腕を組んで前に突き出す姿勢が取られるのです。


「ようこそいらっしゃいました。さあ、どうぞ。」って言いながら


真逆のアピールをしていることになるのです。


ぼくのところに


アクセスしてきてくださった方で、同じような状況の方には、もれなく、大きなお世話になりますが、同様のことを伝えています。


「お金をかけてトップページをリニューアルしたばかりなので、本当に残念です。誰も教えてくれませんでした。もったいなかったです。」


「WEBコンサルで、そういう切り口で説明してくれる人がいるのですね。現在のコンサル契約を見直そうと思います。」


「なるほど、すぐに違う写真と差し替えます。」


目的が何だったのか


どこかの段階から


依頼者である自分が満足するってことにねじ曲がってしまっていないのか。そんな風にミスリードされてしまっていないのか。


客観的なものさしを持っていて


それを使いこなせているのかってことです。


動画に至ってはもっともっと気遣うところが満載です。


編集というお化粧直しの作業の有無に関わらずです。


テレビ番組も


気軽にトークしたり、やり取りしたりしていますが


綿密なリハーサルと


プロフェッショナルな台本が存在していますし


演出家や編集のプロが携わって


完パケになっているわけです。


見様見真似で、フリートークまがいのことを演じられても


おもしろくもなんともないのは言うまでもありません。


なのにチャンス到来とばかりに


「これも一つの経験だから。」などと誰に聞いてほしいのかわからない言い訳をしながら


浮かれ舞い上がって


何の目的なのかどうかよりも


タレントにでもなったかのようにひたすら勘違いしてしまうという残念さ。



こんな経験がありませんか。


洗濯物を干して欲しいと頼まれる。


快く引き受けて、自分なりにいっしょうけんめいに干す。


乾いたものを取り込みながらおかあさんがこんなことを言います。


「しわをちゃんと伸ばして干さないから、シワシワじゃない。」


「あ~、このTシャツも肩線合わせてハンガーにかけないから、ぴょこってなっちゃったじゃないの。」


こんなときに


オイオイ、冗談じゃないぞって思いながら


「も~、うるさいな~、そんなこと言われるんだったら、もうやらない。やらないよりもやったほうがイイんじゃないの。プンプン。」


もちろん洗濯を干すマニュアル的なモノを提示しなかった依頼者にも過失はあるかもしれませんが


日頃、お手伝いをしていないことが露呈したり、いつもはやっつけ仕事でやっていることに気が付かされたりするわけです。


これは、自宅内の事ですから修正も可能ですし、教育とかしつけの可能性が残されています。


インターネットという環境は、アップロードした瞬間に世界に向けて発信されるのです。


やらないよりやったほうがいいのでしょうか。そうなのかもしれませんが


小言を言ってくれるおかあさんはいないのです。



ぼくの知り合いがあるマスメディアの取材を受けました。


編集された映像を入手して、バッチリ二次利用してくださいとアドバイスをしました。


その方は、さすがでした。


二次利用する前にアドバイスを求めてきました。


結果、二次利用に値する内容ではないということに気が付いて使用をやめました。


もったいないようですが


良い選択だと思っています。


内容がお粗末すぎるのです。


ぼくらが小さいころにラジオ番組を真似てDJ役をやったりしたモノの方が百万倍クオリティが高いと思うほどの仕上がりだったからです。


チャンスは何度でもやってきます。


ただし


一度陳腐化したつまらないコンテンツだと認識されてしまうと


誰も興味を示さなくなってしまいます。


セルフブランディングにもならないばかりか


携わった媒体まで陳腐化させてしまいかねませんから。


そうそう


人の話を聞くときには


後ろ手を組んでいては失礼になるのですよ。


なぜかって


武士の時代には闇討ちする時に、後ろ手に脇差しを隠し持っていました。


その名残だと言われています。


後ろに組むのは後ろに隠した武器を出すということから、「あなたに手をあげませんよ。」という態度ではなくなってしまうからなんです。



なんとなく


じゃなくて


すべてのことには


理由があるのです。



いま腕組みしながら


これ読んでませんか。


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