エキセントリックにやるやらない | エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

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やるのか


やらないのか。


やってみないとわからないことのほうが


圧倒的に多いです。


ギャンブル的な要素が強いけど、感覚的になんとなくだけど勝算があってイケイケだったり


考えられる範囲で、準備万端、満を持しての船出だったり


リスクヘッジをどれだけしようと


結果はなるようにしかならないし


どれが正解ということもなかったりします。


それぞれの属性や内的要因、外的要因が異なっているのですから当然といえば当然のことです。


だからこそ


やりっぱなしがもったいないのです。


このブログでも


ずっと前から


何のためにアクションを起こそうとしているのか


このアクションの目的はなんだったのかってことが明確になっているのかって部分にフォーカスして


さまざまな切り口から、さまざまな視点から


さまざまな書き方で


試行錯誤、効果測定を繰り返しています。


「やるかやらないか」というキーワードを投げかけると


いろいろな反応をいただきます。ありがたいことです。


もちろん個人個人のバックボーンやこれまで歩いてきた人生が異なりますから


強烈なインパクトになることもあるかもしれませんし


ソフトな、でもどうにも気になる問題提起になることもあったりします。


何かを始めるときに


自分で設定した「100のこと」すべてを満たしてから動く人と


最低限必要だと仮定した「10のこと」だけで動き出して、動きながら11個目を考えていく人がいます。


どちらも「動いて設定したゴールを目指す」ということを目的にしているのですが


動き出しの速さに違いが出ます。


でも、設定した到達地点にどちらが早くたどり着くのかはわかりません。


ここで、予算の規模やプロジェクトのステータスなどによって違うんじゃないかな、と心に浮かんだ人は慎重派を装った、腰の重い人かもしれません。


もちろんそれが良くないと決めつけているのではなくて


動けない理由を


できない理由を


羅列するクセがついているのかもしれません。


現在行われている水泳の世界選手権でもスタートダッシュをして逃げ切る人もいれば


最後の50mで追い上げて栄冠をつかむ人がいます。


50mのプールという共通のフレームの中で


ひたすら誰よりも早く泳ぎたいと考えれば


自由形が早いはずだからとそれを突き詰めていく人もいますし


せっかくそれぞれの泳法に分けられているのだから


そのカテゴリーのトップを目指す人もいます。


体格や指導者や資金力によっても状況は変わります。


自分が好きなことが得意種目になる人もいれば


実は適性が違うところにある人もいます。気づけるか気づけないかということも含んでのことです。


平泳ぎでも


焦って多くアクションを起こすと


かえってタイムが悪くなったりもします。



被災された地域で


「心のケア」の大切さが浮き彫りになっています。


老若男女を問わず


いつもの生活とは想像を絶するほどにかけ離れた恐怖体験をされたのですから


そのような方面からのアプローチは重要ですし


それぞれの方々が受けた精神的なダメージは


まったくもってそれぞれに違っていて


一括りのフレームに無理やり押し込めるて解決しようとすることは難しいでしょう。


6月に行った南三陸町のボランティアセンターにも


「心のケア」のブースが設置されていました。


利用することはもちろんのこと


そこを訪れるのかどうなのか、利用をするかしないかとは別の部分で


これが存在するということが何人もの方々の救いになっていました。


そしてこの施設がそこに存在することで


問題点が見えてきたりもするのです。


もちろん理屈とかって話じゃなくって、ぼく自身が現地に行って、直接お話を聞いたりすることによってわかったことでもあります。


ぼくも地方の出身(長野の片田舎)ですから


この話を聞いた時には「ハッと」するわけです。


「心のケア」と表現はやさしいのですが


現地にいる方々のリアルは、こんな感じでした。


「私たちは、精神病患者じゃないからそんなところに行けって言われたってねえ。」


田舎町


小さくてどちらかといえば閉鎖的ともいえる土地柄


辛抱強いといわれる気質


世間体


これ以上人様に迷惑をかけられないという気持ち


みんなで集まって酒盛りしたり、お茶を飲んだりすることは日常茶飯事だけど


ネガティブな話題での「分かち合い」という経験があまりない。

「腹を割って話す。」って言葉は


オープンなイメージではなかったりします。


都市部に住んでいたら気がつけないようなこともあります。


阪神淡路大震災の経験がすべて横展開できない部分もあるかもしれません。


さぁ、じゃあ何にも考えないでこんなブースを設置しても意味がないのでしょうか。


専門家の知恵をなぜ借りて、用意周到にしなかったことを批判できるのでしょうか。


いまの日本に渦巻いている不安感や不信感や批判的な発言は


すべてがこんな状況で生みだされています。


評論家もどきがわさわさと登場して


もしかしたら直接現場を見もしないで「あ~だ、こ~だ」


あれにも気づけ、これにも気づけ


後だしジャンケン連発状態。


そんな人とは別次元で


文句を言っているだけじゃなくて


具体的に試行錯誤というアクションを起こしている人もたくさんいます。


口だけじゃぁない人たちです。


お寺のご住職さんが茶房という感じのお茶のみ場を開設して、お茶でも飲みながらゆっくり話でもしましょう、ってこともやられていますし


ぼくがお世話になった志津川高校にある避難所にも


クリスチャン(主にカトリック教会)の方々が喫茶店を設置されていて

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被災者の方々の心が安らぐ空間を試行錯誤しながら築き上げていました。


もちろんボランティアセンターにある「心のケア」のブースもしっかりと機能しています。


大混乱の中で


気がついた人たちが


その時点で自分たちのできる範囲のことを具現化しました。


外から見れば


充分に見えないようなこともあるかもしれません。


でも


やった


そして


そこにある


それがひとつのものさしになります。


そこから


われわれ日本人の大得意とする


工夫や改善がはじまるのです。


スピードも含めて


政府の対応にもやもやして


身動きが取れなくなっているよりも


できない理由を羅列して


評論家ぶっても


被害者ぶっていても


現状は、何も変わらないのです。


選択肢の中には


動かないほうがイイという判断もアリます。


撤退も早いほうがイイ場合がほとんどです。



やるのか


やらないのか

どうやって判断をするのか



その根っこにあるのは


やっぱり


何のためにやり始めたのかってことです。



いま


何のために


何をしていますか。






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