エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ -16ページ目

エキセントリックソリューションズ(株)          代表取締役社長のブログ

NO PASSION NO GLORY     This is HASHIMOTO☆QUALITY                                            

56,894


正確には


エントリー№56,894


一般エントリー受付開始の初日に


あっさりと定員(35,500人)オーバーとなって例年通り


出場の権利が


自らのチカラではどうにもならない


抽選となることが決定した


東京マラソン 2012


35,500人の定員のうち


エリート枠(日本陸上競技連盟が別途定める参加基準に達する男女競技者・招待選手 日本陸上競技連盟が推薦する国内・国外の男女競技者。いわゆるすごく速く走れる人たち)が100人含まれています。


さらに


東京マラソン公式クラブONE TOKYOプレミアムメンバー (年会費4,200円で、別枠で東京マラソンにエントリーできる2011年6月現在で、2万人超の会員登録数)3,000人をも含まれています。


その上

毎年、芸能人的なポジションにいる方々が、大手を振って出場権を得られる「スポンサー枠」(振り当て人数不明。大会運営上ある意味仕方がない)というものも存在します。


しかし、しかし、これだけではなくて


チャリティランナー枠(個人名義で(法人名義は不可)10万円以上のチャリティをした人で、参加希望者先着順。ちなみに昨年は1,000人の枠に700人強(寄付金額7325万3580円))が3,000人ありますから


純粋にエントリーして抽選を通過できる枠は


29,400人(スポンサー枠が不明なのでを含まない)


16万人がエントリーしたら(昨年は15万人超)


合格率ならぬ、当選確率は


18%強です。


今回の数値データをベースと仮定して算出される

志願者倍率は


5.4倍。


8月末日に一般のエントリーが締め切られて10月中旬に当落連絡がメールでやってきます。


マラソンは


このレースだけではないのですが


東京都民として


準備をしっかりして


来たるべき日を待ちたいともっています。


今回は準備が万端となっているのであれば


11月末まで受け付けをしている(10月中旬の落選以降で3,000人の枠が埋まっていないということが大前提)チャリティランナー枠を検討するつもりでいます。


準備するというプロセス、大切です。


それが好きで楽しめる方法も知っています。


でもいま欲しいのは


東京マラソンに出場して


目標時間で完走するという目的を達成することです。


「どうしてそんなに盛りだくさんにするのですか。」


「いつ寝ているんですか。」


そんな感想や


適正体重や


スタミナや


体調管理や


タイムマネジメントや


いろいろな要素をトータルしての


バランス配分が


決して切羽詰まることのないリズムが


いまは


やっぱり心地いいのです。


夏休みに突入している娘を誘って


早朝の川沿いの遊歩道を


きびきび動き回っているのが


ありがたく


かけがえのない


ひとときで


いまを生きながら


目的という名の未来に向かって進んでいるという実感が


どうにも


心地イイのです。



出番がいつ来てもイイように


それがもしも突然であったとしても


よろこんで


ステージに上がります。


そうできるように


準備をします。





This is HASHIMOTO☆QUALITY

価値観が同じかどうか。


自分以外の誰かと


つながるときに


そのつながりの深さや濃さを


相互に実感し、共有したいという欲求を満たすための


ものさしのひとつ。


異性とお付き合いをはじめるときだったり


結婚を意識する瞬間だったり


就職のときに行われる採用面接だったり


目標達成のために立ち上げられたプロジェクトチームの人員構成を考えるときだったり


友だちだったり。


なにやら最近は


価値観を価値感と間違えて認識している上に、表記てしまう人も多いらしく


その間違え方が


単なるケアレスミスではなくて


まんまと


その時代に生きる人たちの


内面を浮き彫りにしているのがおもしろかったりします。



こんな風に考えてしまったことはないでしょうか。


人と対話していて考えが対立したり


ただ単なる好みの相違を


「なんか価値感(本当は「観」です)が違いすぎ~。」と表現してやり過ごそうとすること。


「感」は、文字通り「感じる」「感覚」「感性」などを表現します。


どちらかといえば、発信された情報に対して受け身、受動的で


「好き嫌い」のレベルで直感的に受け取っているという意味合いが強いのです。


心理学的切り口で、もう少しだけ掘り下げると


この「感」というのは


自らの価値を主体的、創造的に見出したり選択することを放棄してしまった


受け身的な「マニュアル人間」「指示待ち人間」の姿が映し出されているとも言われているのです。


「いやいや、自分でフィルタリング(選別)しているのだから、主観的じゃないか。」という人がいます。


しかし


その言葉の出所はあくまでも直感をベースにした主観であって


自分なりの見方や考え方(これこそが「価値観」) を表明することを避けていることに他ならないのです。


このようなシチュエーションを経験してきた方は、少なくないのではないでしょうか。意外と多いはずです。


なぜなら


このようなアプローチの「価値観(感)が違う。」は


面倒くさい(この言葉も好きではないですね。)ココロの葛藤を回避して


イヤな思いをしなくて済むませたいというあらわれなのです。


このパターンをチョイスすると当然、それ以上の相互コミュニケーションは成り立ちにくくなります。


これこそが


いまの社会の


コミュニケーションの欠落の根っこです。


一方、本来、使われるべきの「観」には


ただ単に「目に入るものを見る」のではなく、「念を入れて気をつけながら見る」という意味があって、そこには自らが積極的にアクションをする、能動的で主体的な活動が伴います。


この「念を入れて」は、「念には念を入れよ。」(江戸いろはかるたが出所)でぼくらが日ごろ使っているもので


最も重要なキーワード「念」の持つ意味は


「手落ちがないように細かなところにもよく気をつけること。」です。


だから


「あなたとは価値観(感)が違う。」と発言したり、ジャッジするときに


直観的な好き嫌いの違いや


考え方の相違による対立関係などを


うやむやにするために


簡単に


安易に


自分の見方や考え方を表明することを放棄してしまうのは


誰のためにもならないばかりか


もっと言うと


自己満足な手抜きってことになっちゃっうのです。


ここで


理解しておかけければならないこととしてもう一つ。


価値観には、自覚しているものと、自覚していないものがあるということです。


自覚している価値観とは、ほとんどの場合、自らの経験を通じて形成されます。


無自覚な価値観は、自分たちが暮らす社会というコミュニティに既に存在している事象に対する価値観であることが多いです。


それは


親の考えだったり


子供の時によく見たテレビや雑誌に描かれていたこと(最近では、その時代に読まれていたマンガやアニメが価値観を形成するともいわれています)だったり


周りの人がよく言っていたこと等々


そういったものが、自分でも気がつかないうちに、あたかも自分の考えのように刻まれているのです。


ぼくも親という役割の一端を担っているのですが


子どもが、価値観を形成していく上で


「親の考え」というのはこの中で、少しだけ異質で、スペシャルなモノを内包していると思います。


生きていくうえにおいて必要不可欠のことという意味で、です。


そこには


しつけ、知恵、教育、道徳、思いやりなどが含まれているからです。


違う例えをすれば


「恋人がいなくてもイイ。」という20歳代の人が増殖していると聞きます。


理由のひとつとして多くに人が挙げているもののが


ココロの葛藤(相手によって自分の心をかき乱されるのがイヤって代物です。)がめんどくさい。


というものがあります。


ぼくらの世代にはこういう考えは圧倒的に少数派でした。


「もっともっとかき乱して。」(笑)ってくらいの勢いというか


こういうドキドキハラハラが


恋愛の醍醐味だと思っています。


この感覚を拒絶するということは


傷つきたくない


イヤな思いをしたくない


というところに


行きつきます。


自己防衛という名の逃避行動。


とにかく調整することや歩み寄りがややこしいような場合は


すぐに「めんどくせえ。」って口にする。


もう一つパターンで


カタチを変えたものの代表が「アイツは残念なヤツ。」などという自己弁護を含んだ酷いセリフ。

そんなこんなだから


人と深く関わろうとしない。


いっしょに働いていても


どこか遠慮というか、イイ意味での「熱(ねつ)」みたいなものを感じない。


そんな風に振る舞っていることが「クールでカッコウいい」みたいに勘違いしている。


これから何度もやってくる「決断のとき」を軽~く先送りにしているようなものです。


だからいつまでもグズグズしている印象が強くなってしまう。


ただし、ここからがまたややこしいほどにリンクしてしまうことになるのですが


経験を積み重ねるほどに


価値観が多様化すればするほどに、


生きていくことが難しくなるとも言えたりします。 


なぜなら


「価値観の多様化」とは、「可能性の多様化」をも生み出しているからです。


可能性が多くなればなるほど、「決断すること」の機会が増えます。


この場面で「めんどくせぇ。」って暮らしてきたツケにアタマを思いっきり殴られることになります。もちろん痛くもかゆくも感じないのですが


そのかわりにアクションを起こせません。


彼女と食事に行って、いつまでも注文の品を決められない、そんな感じです。


その上、さらに勘違いをします。


「選択肢が拡がったじゃん。」


いやいや、可能性が大きくなったのではなくて、可能性が多くなっただけなのに。


ひとつひとつの可能性を実現できる割合は、可能性の多様化とともに小さくなるという理屈も間違いではないでしょう。 


さてここまでくると何に頼るのか


登場するのが


「知識の多さ。」です。


決断に至る過程で知識や理論が必要なことは否定するべくもないのですが


人生の年輪を重ねてきた先達たちは知っています。


決断をするという行動に至るプロセスは、知識からはぐくまれるものではなくて


知恵と経験によってはぐくまれるものだと。


そして基本に帰結していくのです


決断は最終的には自分の価値観と照らし合わせて下すもの


価値観とは知識そのものではなくて、知恵に裏打ちされた知識だと。


まさにいまこのような状況下において


決断のために必要不可欠なのは知恵と経験です。


現職の大臣さんが、感動したわけでもないのに


感極まって、追い詰められて、クラッシュして


泣き出してしまうというのは気の毒ではありますが、異様で、無様です。



価値観


決断


トップの資質


経験


知恵


いろいろなことが目や耳から入ってきて


価値観が揺さぶられています。



「めんどくせえ。」って


言うの


やめてみませんか。






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ほんの数分前に


ケイタイが鳴りました。


「いま、長野駅前の居酒屋で飲んでるから来れば。」


声がほんのり赤いのが見えるようです。


高校の同級生からの迷惑電・、あ、いやいやラブコールです。

三十年ぶりに声を聞く友もいましたが


声というのは変わらないものですね。


やっぱり瞬時にタイムスリップします。


酔った勢いでもなんでも


アイツに電話をかけてみようって思ってもらえたことも


たまになら(爆)うれしいし


ウェルカム感があたたかくて


なんともありがたいのです。


残念ながら「どこでもドアを出してくれる青色の耳なしネズミ」は我が家にはいないので


ジョイントすることはかなわないのですが


電話口から


その空気感は充分にビンビンと伝わってきて


思わず話し声のボリュームがマックスになってしまいます。


しかし


月曜日から


活発な夜の経済活動を繰り広げるとは


なかなか


うらやましいぞ。



「大きなヤツを秋ごろに企画するから。」


万障繰り合わせてってのは、こんな時に使うためにとっておきました。


再会が楽しみです。


今度こそ


「アイツ誰だっけ?」って


言われに行こうと思います。






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商社で


海外の事業に携わって


企画入札などに参加している人、またそのような経験がある人は


今回の


中国の高速鉄道の事故に触れて


思い浮かべるところが


少し違うと思います。


山崎豊子さん原作の「不毛地帯」という本を読んだ人や


最近では、一昨年にCX(フジテレビ)で、唐沢寿明さん主演でドラマ化されたモノを見られた人の中でも


ピンときた人が多いかもしれません。


「不毛地帯」の前半部分で描かれた


航空自衛隊の次期主力戦闘機選定争いのくだりの中に

その「異なる思い」のトリガーがあります。


主人公、壱岐正が所属する近畿商事が担ぐ、ラッキード社の『ラッキードF104』


対する東京商事がプッシュするグラント社の『スーパードラゴンF11』


政治家を巻き込んだ様々な利害関係などが描かれ


根回しから、裏金の使い方、情報戦などの手練手管もリアルでおもしろいです。


そんな中、アメリカの空軍基地でテスト・フライト中だった『ラッキードF104』が墜落事故を起こすという事態が発生します。


原作が書かれた時代背景には、インターネットなど存在しませんので


それが、新聞記事になることを何とか阻止しようとします。


国家として買い上げようとしている対象物が事故を起こす。


これほどのダメージはありません。


これこそが


今回の中国高速鉄道の事故からその後の処理までの一連の中にうごめいている


もう一つの思惑なのです。


中国は、今回大きな事故を起こた、ニュースにはならないところでもトラブルを起こし続けている高速鉄道の技術について


アメリカをはじめとして世界の主要鉄道計画国に対して新幹線の特許を申請しているという話が出ています。


日本、ドイツ、(ちなみに直接的な関与はないですが、今回事故を起こした車両はカナダのボンバルディア社がもろもろを提供。結果的に大変な迷惑をこうむっています。)から新幹線技術を導入後


自信満々で、100%中国のオリジナルであると主張してきたのです。


それは国家プロジェクトとして、今回の高速鉄道の技術を他国へ販売をすることが最終目的です。


国としての技術力もアピールできますし、何より莫大な利益が生み出されることは言うまでもありません。


そのイケイケ状態の中での今回の出来事です。


事故車両を土に埋めたくもなるでしょう。


安全確保ができなくてもすぐに復旧したように振る舞いたくもなるでしょう。


現在最も大きな高速鉄道のプロジェクトは


アメリカのカリフォルニア州で計画されている高速鉄道への車両供給の入札で


ドイツのシーメンス社


フランスのアルストム社


カナダのボンバルディア社


などが名乗りを上げていますが


圧倒的に低い見積もりと特許取得という看板を引っ提げて中国が参加するといわれていましたが


今回の事故とその後の対応によって


中国の売り込み成功の確率はきわめてゼロになったといわれています。


信頼を回復することが非常に難しいだろうともいわれています。


これによって安全性がプライオリティの上位となることは当然であって


「安かろう悪かろう」では競争のテーブルに乗せてもらえません。


安全性を第一に考えれば


現在日本にある原子力発電所は、ストップするという選択肢が盛り上がることはアリでしょう。


しかし


その一方で


メイド・イン・ジャパンの原子力発電に関する技術、ハードとソフト両面が国にもたらす様々な利益をも放棄することになるという現実が見え隠れしているということもアタマに入れながら


いろいろなところで


いろいろな人が発言している内容を


自分なりに受け止めてみると


一方的に、一つの方向に流されるままにならないかもしれません。


日本の新幹線の技術は


川崎重工業さんが中心となってJRさんとともに築き上げてきた経験と知恵と工夫、技術革新がぎっしりと詰まっています。


今回も350kmでの運行走行を主張する中国側に対して、川崎重工業さんは290kmまでのギャランティしかできない(日本でのテストと知見より)ことを最後まで主張し、それを中国側に認めさせています。さすがです。


これこそジャパン・クオリティそのものでしょう。


高速鉄道を導入する理由はなんでしょうか。


「その鉄道を利用する人やモノを早く安全に目的地に運ぶこと。」でしょう。


駅ができて、その周りに人が集まって、地域が活性化してそこに利権が発生するとか


建設工事によって、モノが動き、お金が動き、雇用が発生するとかは


より速く、より安全に、より低コストでと技術革新が進むといのも


真の目的の前には


オマケみたいなものでしょう。


「まさか日本が」と


「やっぱり中国だから」の違いを


いまこそ


よく噛みしめなければなりません。


「なんで、一番じゃなきゃダメなんですか。」って言ってその後の方向性の選択肢を自ら狭くしてしまった人もいました。


その言葉ばかりクローズアップされましたが


誰か正解らしきものを提示しましたか。




これを単なる時事ネタととらえるのか


自分の周りに置き換えられるのか




目的は


真の目的は


なんだったっけ



必死に口をふさいでも


ジロジロと目で見て


アタマが記憶しています。





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やるのか


やらないのか。


やってみないとわからないことのほうが


圧倒的に多いです。


ギャンブル的な要素が強いけど、感覚的になんとなくだけど勝算があってイケイケだったり


考えられる範囲で、準備万端、満を持しての船出だったり


リスクヘッジをどれだけしようと


結果はなるようにしかならないし


どれが正解ということもなかったりします。


それぞれの属性や内的要因、外的要因が異なっているのですから当然といえば当然のことです。


だからこそ


やりっぱなしがもったいないのです。


このブログでも


ずっと前から


何のためにアクションを起こそうとしているのか


このアクションの目的はなんだったのかってことが明確になっているのかって部分にフォーカスして


さまざまな切り口から、さまざまな視点から


さまざまな書き方で


試行錯誤、効果測定を繰り返しています。


「やるかやらないか」というキーワードを投げかけると


いろいろな反応をいただきます。ありがたいことです。


もちろん個人個人のバックボーンやこれまで歩いてきた人生が異なりますから


強烈なインパクトになることもあるかもしれませんし


ソフトな、でもどうにも気になる問題提起になることもあったりします。


何かを始めるときに


自分で設定した「100のこと」すべてを満たしてから動く人と


最低限必要だと仮定した「10のこと」だけで動き出して、動きながら11個目を考えていく人がいます。


どちらも「動いて設定したゴールを目指す」ということを目的にしているのですが


動き出しの速さに違いが出ます。


でも、設定した到達地点にどちらが早くたどり着くのかはわかりません。


ここで、予算の規模やプロジェクトのステータスなどによって違うんじゃないかな、と心に浮かんだ人は慎重派を装った、腰の重い人かもしれません。


もちろんそれが良くないと決めつけているのではなくて


動けない理由を


できない理由を


羅列するクセがついているのかもしれません。


現在行われている水泳の世界選手権でもスタートダッシュをして逃げ切る人もいれば


最後の50mで追い上げて栄冠をつかむ人がいます。


50mのプールという共通のフレームの中で


ひたすら誰よりも早く泳ぎたいと考えれば


自由形が早いはずだからとそれを突き詰めていく人もいますし


せっかくそれぞれの泳法に分けられているのだから


そのカテゴリーのトップを目指す人もいます。


体格や指導者や資金力によっても状況は変わります。


自分が好きなことが得意種目になる人もいれば


実は適性が違うところにある人もいます。気づけるか気づけないかということも含んでのことです。


平泳ぎでも


焦って多くアクションを起こすと


かえってタイムが悪くなったりもします。



被災された地域で


「心のケア」の大切さが浮き彫りになっています。


老若男女を問わず


いつもの生活とは想像を絶するほどにかけ離れた恐怖体験をされたのですから


そのような方面からのアプローチは重要ですし


それぞれの方々が受けた精神的なダメージは


まったくもってそれぞれに違っていて


一括りのフレームに無理やり押し込めるて解決しようとすることは難しいでしょう。


6月に行った南三陸町のボランティアセンターにも


「心のケア」のブースが設置されていました。


利用することはもちろんのこと


そこを訪れるのかどうなのか、利用をするかしないかとは別の部分で


これが存在するということが何人もの方々の救いになっていました。


そしてこの施設がそこに存在することで


問題点が見えてきたりもするのです。


もちろん理屈とかって話じゃなくって、ぼく自身が現地に行って、直接お話を聞いたりすることによってわかったことでもあります。


ぼくも地方の出身(長野の片田舎)ですから


この話を聞いた時には「ハッと」するわけです。


「心のケア」と表現はやさしいのですが


現地にいる方々のリアルは、こんな感じでした。


「私たちは、精神病患者じゃないからそんなところに行けって言われたってねえ。」


田舎町


小さくてどちらかといえば閉鎖的ともいえる土地柄


辛抱強いといわれる気質


世間体


これ以上人様に迷惑をかけられないという気持ち


みんなで集まって酒盛りしたり、お茶を飲んだりすることは日常茶飯事だけど


ネガティブな話題での「分かち合い」という経験があまりない。

「腹を割って話す。」って言葉は


オープンなイメージではなかったりします。


都市部に住んでいたら気がつけないようなこともあります。


阪神淡路大震災の経験がすべて横展開できない部分もあるかもしれません。


さぁ、じゃあ何にも考えないでこんなブースを設置しても意味がないのでしょうか。


専門家の知恵をなぜ借りて、用意周到にしなかったことを批判できるのでしょうか。


いまの日本に渦巻いている不安感や不信感や批判的な発言は


すべてがこんな状況で生みだされています。


評論家もどきがわさわさと登場して


もしかしたら直接現場を見もしないで「あ~だ、こ~だ」


あれにも気づけ、これにも気づけ


後だしジャンケン連発状態。


そんな人とは別次元で


文句を言っているだけじゃなくて


具体的に試行錯誤というアクションを起こしている人もたくさんいます。


口だけじゃぁない人たちです。


お寺のご住職さんが茶房という感じのお茶のみ場を開設して、お茶でも飲みながらゆっくり話でもしましょう、ってこともやられていますし


ぼくがお世話になった志津川高校にある避難所にも


クリスチャン(主にカトリック教会)の方々が喫茶店を設置されていて

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被災者の方々の心が安らぐ空間を試行錯誤しながら築き上げていました。


もちろんボランティアセンターにある「心のケア」のブースもしっかりと機能しています。


大混乱の中で


気がついた人たちが


その時点で自分たちのできる範囲のことを具現化しました。


外から見れば


充分に見えないようなこともあるかもしれません。


でも


やった


そして


そこにある


それがひとつのものさしになります。


そこから


われわれ日本人の大得意とする


工夫や改善がはじまるのです。


スピードも含めて


政府の対応にもやもやして


身動きが取れなくなっているよりも


できない理由を羅列して


評論家ぶっても


被害者ぶっていても


現状は、何も変わらないのです。


選択肢の中には


動かないほうがイイという判断もアリます。


撤退も早いほうがイイ場合がほとんどです。



やるのか


やらないのか

どうやって判断をするのか



その根っこにあるのは


やっぱり


何のためにやり始めたのかってことです。



いま


何のために


何をしていますか。






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