簡単に流されない。
これは、ネット社会が生み出してしまった
良くない習慣にくさびを打ち込む
重要なキーワードです。
ツイッターなどのSNSの環境で事故的な出来事が起こった時に
情報のリテラシーという言葉を見聞きしますが
この情報の取り扱い方、処理の仕方がよろしくないのです。
たとえば
何か興味のある事柄に気付いたときに
いまは、とにかくネットを検索するという行動を最優先にチョイスします。
その行為自体は、現代社会においては間違ってはいないでしょう。
ネット上にウヨウヨと漂っている情報そのものの真偽のほどが明確になっていないとしても
調べたい、もっと知りたいっていう欲求を満たそうとすることが
一つのアクションを起こすこととなったことは悪くはないでしょう。
ただし
ほとんどの場合は
検索することがゴールになっていて、それで満足してしまう。
ゲットした情報について考えるわけでもなく、さほど掘り下げるわけでもなくわかったっような顔をしている。
そんな話をすると
さらに検索をしようとして
パソコンの前で、腕組みしたり、しかめっ面して何やら考えている。
「何を調べてるの?」と聞くと
「はい、この件について信ぴょう性を確認したいので、誰がどんな発言をしているのかもう少し調べてみようと思っています。」
悪くはないのですが
ちょっとズレているのです。
「もしも」に「もしも」を重ね合わせて
混沌を生み出しているみたいな状況。
「反原発」とか「脱原発」という論議が活発化することはとっても良いことだと思っています。
地球上で、日本が立地している場所は、地震の起きやすい場所であるということは逃れられない現実です。
その大前提に蓋をして、我が国の技術を前面に押し出して
いわゆる「安全神話」的なロジックを組み立てて
その上
エコロジー、地球温暖化防止というお化粧をして
これまで原子力発電所は政策として推し進められてきました。
一部の方々以外は、疑うこともなく、さほど興味も示すこともなく
その流れに、その流れのままに身を任せてきました。
そんな状況で未曾有の大震災が起きました。
その被災地に福島第一原子力発電所が存在して
現在、被ばくという言葉を聞かないことがない毎日です。
この情報の上澄みだけをすくって
なんとなく醸成されつつあるムードに流されてはいけない部分もあることを意識し続けなければなりません。
もちろんその反面、不安や被害で苦しんでいる方もたくさんいるというリアルも存在します。
ところで
日本のエネルギー事情をどれくらい理解した上で
意見を述べているのでしょうか。
2009年のデータでは
化石燃料(主に石油由来のもので、地球温暖化の一つの指標とされている二酸化炭素を発生するもの)での発電比率が82.2%
原子力発電が11.5%
自然エネルギーなどが6.3%となっています。
さらに2020年までに1990年との比較で二酸化炭素の排出量を25%削減することを世界に約束しています。
仮に現在の化石燃料での発電を太陽光発電や風力発電に置き換えるとすると
日本の国土面積の10%への設備設置が必要であると試算されています。
「脱原発」をいち早く宣言したドイツは
自然エネルギーで発電した電力の売買システムが確立している上に
足りなくなったらフランスから電力を買うことができます。
日本の産業は製造部門に技術やパワー、ポテンシャルを秘めていて、現在の唯一の国際的な強みが
製造部門の強さです。
節電で、この製造部門のパワーダウンを余儀なくされています。
もちろん同時に日本が得意な効率化や新技術が加速度的に検討され現実化します。
さて
比較的わかりやすモノだけを羅列してもこれだけの判断基準が存在します。
ここまでの情報を加味しても
いま、原子力発電所をすべてストップさせたほうが良いのでしょうか。
何が消費者保護になって
何が国民みんなのためになるのでしょうか。
原子力発電は、いろいろなものが整備されるまでのつなぎ的なポジションと認識をして
もちろん安全(何が安全なのかということも重要ですが)を国が担保をして
稼働させていかないと
大きな負荷が
国民生活にも
国際的な影響などさまざまなことを巻き起こしかねないと思います。
それから
くれぐれも気を付けなければいけません。
この「脱原発」の議論が
劇場型選挙に利用されないことを。
現政権政党が内部分裂をしているかのように演出されはじめてきているのは
郵政民営化を論点にした
あの時の状況に酷似しているからです。
自分が所属する党を「ぶっ壊す。」と言って大勝利したあの戦法です。
反対勢力を悪役と位置付けて、自分は庶民の味方ですってパターン。
「反原発」っていうわかりやすキャッチフレーズも既に世論では定着しつつあります。
構造改革という文言も毎日のように聞こえてきたことを思い出さなければなりません。
もちろんその結果もです。
情報を検索すること自体は悪いことではないです。
でも
それがゴールではないのです。
自分のものさしの
目盛にする
工夫が必要なのです。
それが
判断基準
になっていくのだと思っています。
いま、何を信じていますか。
いま、何が信じられますか。
いま
なんだかわからないムードに流されそうになっていませんか。
This is HASHIMOTO☆QUALITY