被災地の瓦礫(がれき)の処理がなかなか進まないと聞こえてきます。
この後に及んで
ややこしくて一昔前の百科事典のように分厚くなった申請書の差し戻しが繰り返されているという現場の声も聞こえてきています。
もちろん、一定の基準を持って提出される書類の精査をするというプロセスを割愛すると
ジャパン・クオリティの根っこにある
「平等」
という大切にしているものが
崩壊してしまうという
リスクを冒すことにはいかないという
立場も分からないわけではないです。
瓦礫の処理は、今回の災害により仕事を失った方々にとっては
大変な重労働を伴いながらも
重要な収入源ともなります。
生きていくために
家族を養っていくために
無くてはならない
仕事をしてお金を稼ぐという
被災された方々に限らず、働き口がなくて厳しい思いをしている人も少なくないです。
宣伝広告費をかけて
メディアを使ったり、本を出したり、PR活動している余裕など入り込む余地もない
切羽詰まった状況とも言えます。
このような状況ですから
どれだけスキルやアイディアを持っていたとしても
外部の業者が参入することが難しい上に
リサイクルという呪縛があったり
持ち出したとしても、ただただ場所を変えただけになって、どこかの土地に先送りされているだけになってしまったり
海外からも瓦礫の受け入れのオファーも積極的に来ていますが
これこそ国土の狭い日本で発生してしまったモノを
国土の広い他の国に持って行って埋め立ててしまうというような
なんともモラルに反するようなことになってしまったりします。
そんなこんなで
あの国会で議決された予算の執行が10%にも満たない状況です。
それでもまだ
誰がいつ辞めるのかみたいなことに
国民の税金を使っている上に
本当に使うべきことにパワーを使えない人たちがたくさんいることは
笑えない喜劇です。
これだけ騒いで
ムーブメントが起きないということは
攻撃側の野党の戦略がひたすらダサいか
政権政党として成熟していない守備側である与党が、巧みにドライビングモールでトライに向かっているのかもしれません。
これだけ大規模な仕掛けをしても国民が変化を求めないのは
前回、政権をオセロがパタパタとひっくり返してみたっていう実感が残っているからです。
それも最後の隅にパチッと最後の一つを置いたような感覚が残っているのです。
もう白も黒も
置くところがないのです。
置くところがないのだから
白が黒にかわることも
黒が白にかわることもないのです。
ゲームに参加できない状況といってもイイでしょう。
それなのに
「いや、このマス目は間違っている。もうひとつ置けるはずだ。」とか
「一手前の置き方が怪しいくて、だまされた。」とか
「そもそもこのゲームは白と黒しかないのはおかしいんじゃないのか。」とか
そんなことばっかり叫びあってる印象しか残らない。
もっとも盛り上がってはいけない
政治に対するニヒリズムが
「誰がやっても同じ」という決定的な雰囲気が
この4か月すっかり醸成されてしまっています。
スポーツ選手の活躍や
完全地デジ化や
子供たちの夏休みが始まったりなどで
いろいろなところに意識が飛んで
少しだけ不安や恐怖が薄まったかのように
勘違いをして
勘違いをしたくて
リアルを直視できなくなってきています。
元気が出てくることはとってもイイことです。
いままで知らなかったことやわからなかったことに興味がわいたことも悪くはありません。
そうそう
瓦礫で思い出しましたが
これほど大量の瓦礫の処理に苦労していることを知りながらも
地デジ化対応で
不法投棄されるブラウン管テレビの山。
どうしてこれ以上瓦礫を増やすようなことをやって平気なのでしょうか。
とにかく
目的は何なのか
予算が可決されることが目的ではなく
それこそ誰かを辞めさせることが目的でもなく
引き合いに出して申し訳ないのですが、くだらないメンツのために
安全が担保されていない高速鉄道を走らせて
脱線事故を起こしてしまうような
そういうミスリードは
いま
誰も求めていません。
もしかしたら
もうすでに
違う意味で
脱線
してるのでしょうか。
でも
人のせいにしていられません。
ぼくらが
ぼくらの思考までもが
瓦礫になってしまわないように。
This is HASHIMOTO☆QUALITY