@kyojitsurekishi 1967年秋、飛雄馬(16歳)が巨人の入団テストを受けた時、テストに参加していた速水譲次は1968年メキシコ五輪の陸上候補だった。これはアニメでは1972年のミュンヘン五輪候補になっている。

posted at 03:52:02

 

/(1) 劇画王梶原一騎BOT(@kajiwara_bot)さん / X/

「花形の特訓を知りながら口をつぐみ、むざむざ巨人に不利益をもたらすとは…すぐクビ…処分しますか?」「しなくてよかろう。ふふふ…なぜなら速水は今初めて大巨人の一員になったのだからな。そら感激に泣いとるわ。まあとうぶん二軍で絞るさ」【牧野茂,川上哲治『巨人の星』 #kajiwara

 

@kajiwara_bot

メキシコ(アニメでミュンヘン五輪)陸上候補だった速水譲次が巨人に入ったのは「五輪選手より野球選手の方が人気者だから」。その後、野球はサッカーの後を追いかけて五輪の競技に入れてもらおうと懸命。番場蛮など今なら野球以外のスポーツで五輪に出場していただろう。

 

@kyojitsurekishi

1967年(星飛雄馬のプロ入団以降) 

1968年・オールスター前後 

 

@kyojitsurekishi

「野球離れ」について - Yahoo!ブログ

 

2018年12月18日(火)

ミュンヘン五輪は1972年(昭和47年)に行われた。同年に札幌冬季五輪も行われた。葛西紀明はその年に生まれた。
ミュンヘン五輪柔道で金、関根忍さん死去〕(読売新聞) - Y!ニュース

@YahooNewsTopics

posted at 18:06:19

 

/アニメ『巨人の星』配信、入団テスト | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

X→BLOG(20)

//

 

速水譲次は1967年秋ごろ、巨人の入団テストに参加し、星飛雄馬が正式合格者、伴宙太と速水が補缺合格であった。

/巨人の星(青雲編)第49話「燃え上がる入団テスト①」 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/

//

 

速水譲次は1967年秋ごろ、巨人の入団テストに参加し、星飛雄馬が正式合格者、伴宙太と速水が補欠(補缺)合格であった。

巨人の星(青雲編)第49話「燃え上がる入団テスト①」 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)

/巨人の星(青雲編)第51話「二度目の魔送球②」 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/

 

1年後、1968年の秋、花形が星飛雄馬の大リーグボール1号を打ったときまで速水は登場していたが、その後、登場していない。川上監督は速水を二軍でしぼると言っていた。

/巨人の星(雄飛編)第83話「傷だらけのホームイン②-2 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/

 

1969年の宮崎キャンプで星飛雄馬が二軍落ちを言い渡され、都城の二軍紅白戦で投げていたとき、速水はそこにいなかった。

巨人の星(雄飛編)第102話「落日の悲しみ①-1」 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)

/巨人の星(雄飛編)第102話「落日の悲しみ①-2」 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/

 

梶原一騎は速水の存在を忘れていたのか?

1969年の秋、花形が大リーグボール2号の正体は「魔送球」だと見抜き、甲子園の食堂で星飛雄馬と伴に語ったとき、速水に言及したくらいであった。

/巨人の星(不死鳥編)第131話 「消える魔球の推理」②-2 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/

/巨人の星(再放送)[第131~132回]|消える魔球の推理&天才・花形の敗北 | テレビドラマに夢中! (ameblo.jp)/

 

さらに半年たって1970年春のキャンプ(日高美奈の死から1年)、伴がトレードされた代わりに黒松という投手が巨人に入ってきた。黒松は高校時代、中京(愛知)の予選で敗退したらしい。三河高校(原作で尾張高校)の太刀川が飛雄馬と対戦した年(推定1967年)の夏だった。

補足

1970年春のキャンプ、伴がトレードされた代わりに黒松という投手が巨人に入ってきた。星飛雄馬が東京代表の青雲高校の投手といて出場した1967年夏の甲子園大会で、中京地区予選で太刀川投手率いる三河高校(原作で尾張高校)が出場。黒松はその愛知予選で味方のエラーで甲子園出場を逃したらしい。
黒松が中日に入って太刀川が入らなかったのはおかしい(可笑でなく奇怪の意味)。

/巨人の星(青雲編)第35話「魔球対豪速球」 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/

/巨人の星(栄光の星編)第147話 「伴の替りにきた投手」1-② | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/

/巨人の星(栄光の星編)第147話 「伴の替りにきた投手」2-① | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/

 

回想シーンを除く速水の最後の登場は1968年秋。直後のメキシコ夏季五輪が開催されているが、速水が出場できたかどうか分からない。 メキシコ五輪の日本代表は川崎のぼるのレスリング漫画「アニマル1」と同じ選手団になる。

//

 

速水が仮に1968年秋で野球を引退し、陸上競技に戻ったとすると、アニメと同じく1972年ミュンヘン(München、Munich)五輪を目指せた可能性がある。

//

 

河崎実は『「巨人の星」の謎』で速水譲次のその後を推理。速水は二軍落ち即引退。前から親交のあったヘンリー滝と組んで芸能界入り。芸能事務所の社長になり、早見優の芸名やデビュー曲「急いで!初恋」のタイトル、星飛雄馬たちのCM出演も、みな速水のお陰という説。

Amazon.co.jp: 「巨人の星」の謎 : 実, 河崎, 重いコンダラ友の会: Japanese Books

 

補足

さて、速水の「その後」に関して河崎実は『「巨人の星」の謎』で独自の推理を展開、河崎実は「速水は1968年秋の二軍落ちの直後に引退した」と推理した。河崎実の推理によると、引退後の速水は入団当時から「売り出し中同士」で親交があった「ヘンリー滝」と組んで藝能界に入り、藝能プロダクションの社長に就任、1982年にデビューした早見優の藝名やデビュー曲「急いで!初恋」のタイトルも速水の仕業で、飛雄馬や花形や左門のCM出演も速水の工作によると推理している。
それなら1983年の倉田まり子の「真夏のランナー」や88年の爆風スランプの「Runner」も速水譲次が関係していそうなものだ。

速水は原作では1968年のメキシコ五輪に陸上選手として出ることが期待されていた。アニメでは1972年のミュンヘン五輪の候補になっている。

 

/【再掲】太刀川、速水、黒松、ロメオ・南条、消えたライバルたち | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/

X→BLOG(1)

//

 

アニメでは伴宙太は巨人軍入団テストのとき、速水譲次を「ドブネズミ」と呼んでいた。 のちに花形が速水を「ちょろちょろしたネズミ」と言ったのと似ている。

X→BLOG(2)

/【再掲】太刀川、速水、黒松、ロメオ・南条、消えたライバルたち | 虚実歴史のブログ (ameblo.jp)/


同じように快足だけで陸上から野球に転向した選手に飯島秀雄がいて、『巨人の星』では新聞記事で名前だけ書かれた。この飯島については『「巨人の星」の謎』(河崎実、平成5年)で書かれてある。

飯島は快速で野球界に入ったものの、野球のランニングのコツがつかめず、目立った成績を残せなかった。その後、阪急の福本豊という怪物が現れ、飯島は引退したらしい。

巨人の星(青雲編)第49話「燃え上がる入団テスト②」 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)

 

ロメオ・南条は1977年春に“ビッグ”ビル・サンダーが帰国したときに、日本に送り込んだ選手。彼が阪神に入ったので花形は古巣・阪神への復帰を断念し、眉月光がいたヤクルトに入った。

ロメオは「オープン戦は給料(ペイ)にひびかない」という理由で吉田監督に交代を申し出ていた。
また、1978年に星飛雄馬が大リーグボール右1号(蜃気楼の魔球)を編み出したとき、ロメオは最初は空振り三振していたが、次の打席では魔球を見ても「こんな手品の相手にはならん」と打席を離れて見送った。

1969年後半戦と70年前半戦に田淵が飛雄馬の速球を打って2安打を記録している。田淵は飛雄馬の魔球を打てなかったが、合間の速球を打ったわけだ。それを考えるとロメオの判断は阪神の傳統か。

/巨人の星(不死鳥編)第132話 「天才・花形の敗北」②-2 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/

/巨人の星(栄光の星編)第155話 「花形の奇策」前編 | 野球侍SAKIのブログ (ameblo.jp)/

 

X→BLOG

 

前後一覧

令和5年師走

/令和6年文月/

 

参照

平成22年BLOG

🏃速水譲次、黒松、ロメオ・南条

テーマ:👤

 

令和4年BLOG

/速水譲次、黒松、ロメオ・南条(テーマ:SPORTS

テーマ:

 

令和5年BLOG

新巨人の星」の鷹ノ羽圭子とロメオ・南条、原作とアニメの違い、補足