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大全集ドラえもん2巻>ぼくの生まれた日(小学四年生 1972年08月号)
「ぼくの生まれた日」は1972年(昭和47年)の小学館の学年雑誌に掲載され、その時点では、のび太は昭和39年8月7日生まれ、つまり掲載当時から10年前の1962年生まれだった。
これだと小学校入学は1969年4月で、原作開始当時(1969年師走)では1年生の冬休み。卒業は1975年3月であった。
一方、1974年に出た単行本(てんとう虫コミックス)第2巻に収録された「ぼくの生まれた日」では、のび太の生年月日は昭和39年8月7日となっており、1964年生まれになっている。
もしのび太が1964年(昭和39年)8月7日生まれであれば、原作が始まった1969年12月の時点で5歳4箇月。1970年1月の時点でも5歳5箇月である。幼稚園の年中組だ。1971年4月の小学校入学まで1年8箇月の差があった。
連載開始当時の『ドラえもん』の掲載誌は『幼稚園』『小一』~『小四』であり、第1話ののび太が幼稚園児だった可能性もあるが、のび太の小学校入学直前や入学当時を描いた作品ではのび太はまだ眼鏡をかけておらず、ドラえもんもそばにいないことから、ドラえもんの「出現」はのび太が小学校に入った後であろう。
のび太が1962年8月生まれであれば1969年師走の時点で小学1年生である。
原作第1話「未来の国からはるばると」は1970年の『小四』1月号掲載作品で、読者は1959年度生まれで、1970年1月は小4の冬休み~3学期で、高校卒業は1978年3月。雑誌収録時、のび太は1978年に大学を受けて落ちる予定だった。これが単行本収録時に1979年大学受験になったので、単行本の「はるばると」におけるのび太は1960年生まれに「若返った」ことになり、てんコミ版第1巻第1話ののび太は1970年1月の時点で小3の冬休み~3学期だったことになる。
一方、「ぼくの生まれた日」の雑誌初出における1962年8月生まれだと「はるばると」における大学受験の時期がおかしくなってくる。1962年8月生まれだとのび太の高校卒業は1981年3月になり、1979年は高1から高2に進級した時。大学受験は2年早い。1978年だと中3から高1に進学した時期で大学どころか高校受験の時期である。
また「生まれた日」の単行本2巻収録で1964年8月生まれに変更された設定だと、のび太の高校卒業は1983年3月になり、1979年は中2から中3になった時。1978年は中1から中2になった時期。大学どころか高校受験もまだ早すぎた時期だ。落第しても当然であろう。
のび太が1964年8月生まれだと小学校卒業は1977年(昭和52年)3月。『コロコロコミック』創刊当時は中学生である。
てんコミ21「恐竜が出た!?」で のび太がドラえもんに見せた新聞は昭和54年のもので、
つまり1979年で のび太はまだ小学生。
「竜宮城の八日間」でのび太たちが竜宮城から帰還したのは1982年。1964年生まれの人は当時18歳。
「あとからアルバム」では劇中の時代は1983年。1964年生まれの人は21歳。
「ハリーのしっぽ」でのび太が浮き輪を掘り出したのは1985年。1964年生まれの人は当時21歳。
これらの話でのび太が小学生である以上、この時点でのび太の生まれた年は変更されていたことは明らかである。
2007年(平成19年)のアニメ版「ママのダイヤを盗み出せ」ではのび太の母が7歳の夏に既に松田聖子が歌手をやっていて、1982年1月に出た「赤いスイートピー」が流れていた。のび太の母が1975年以降に生まれた設定で、息子ののび太は推定1997年生まれ。
1999年(平成11年)、『BSマンガ夜話』で『ドラえもん』が取り上げられた際、いしかわじゅん氏は「のび太は生年月日が決まっている。昭和三十何年生まれらしい」と言って、藤子・F・不二雄が、その世代の小学生時代を延々と描いていたと推測していた。しかし実際はこの「1964年度生まれ」に該当しない話も多く、「ハリーのしっぽ」の時代設定は1985年である。
補足
「ドラえもん大予言」原作版でのび太がドラえもんの助けて交通事故を回避して源家の玄関先で額にミニカーの直撃を食らったのは昭和45年(1970年)2月6日。のび太が1959年生まれ名が小4の3学期、1960年生まれなら小3の3学期であった。
1979年に始まったテレ朝のアニメ版で「ドラえもんの大予言」がアニメ化された時、のび太の交通事故は昭和55年(1980年)2月に変更されていた。この時期、のび太が小5の3学期であれば1968年生まれで、小4の3学期であれば1969年生まれ。原作開始当時0歳か1歳だったことになる。
2007年(平成19年)のアニメ『ドラえもん』では松田聖子が1982年夏にサイン会を開いてそこに「赤いスイートピー」が流れていた。のび太の母・玉子が当時7歳で、のび太誕生は15年後の1997年だったがタイムマシンで2007年の時代から来訪したのだろう。「竜宮城の八日間」ののび太は1982年当時、小学生だったはずであるし、1982年には『映画ドラえもん のび太の大魔境』が公開されている。
アニメの松田聖子の髪型は聖子ちゃんカットであったがこれは少し無理がある。
レコードジャケットを再確認すると松田聖子の髪型が聖子ちゃんカットだったのは、1981年秋の「風立ちぬ」までで、1982年から髪型が普通のショートヘアに移って行った。また1982年には1月の「赤いスイートピー」の後、春には「渚のバルコニー」、夏には「小麦色のマーメイド」が出ていた。『ドラえもん』の劇中のサイン会では「小麦色のマーメイド」のプロモーションの時期に、サービスで半年前に出たヒット曲「赤いスイートピー」を流していたことになる。
『ドカベン プロ野球編』の山田太郎は1976年(昭和51年)5月5日生まれ。
原作『ドカベン』の連載が始まったのは1972年で、劇中で太郎は中学生だったが、『プロ野球編』の山田太郎はまだ生まれていなかった。
『ドカベン プロ野球編』の土井垣は山田太郎より2歳年上なので1974年生まれ。原作で山田太郎が明訓高校に入った時、土井垣は高校3年生で17~18歳だったが、『プロ編』の土井垣は当時0歳だったことになる。
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【令和5年8月】
参照
平成27年BLOG
〔44~50年代目のび太(「初代」は1959年生まれ、「2代目」は1960年生まれ〕
平成30年BLOG
【『ドラえもん』、1960年代生まれの「のび太世代」(2013年2月tw) - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史】
2018-10-20 03:13:00
『ドラえもん』、のび太世代、1959~1969年生まれ、関連tw(2013年2月17日以降)
【のび太世代、1970年代前半生まれ、関連tw(2013年2月20日以降)】
【のび太世代、1970年代後半生まれ、関連tw(平成25年2月20日以降)】
【のび太世代、1980年代前半生まれ、関連tw(2013年2月21日以降)】
【のび太世代、1980年代後半生まれ、関連tw(2013年2月21日以降)、福原愛】
【のび太世代、1990年代前半生まれ、関連tw(2013年2月21日以降)】
【のび太世代、1990年代後半生まれ、関連tw(2013年2月17日以降)】
のび太世代、2000年代生まれ(2013年2月19日以降tw)】
【のび太世代、1959~1969年生まれ、関連tw(2013年2月20日以降)】
のび太世代、42代目(2000年度生まれ)~50代目のび太(2008年度生まれ)】
令和2年BLOG
【のび太世代(初代~51代目) - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史】
2020-02-26 19:44:00
【2000年~2001年生まれ、のび太世代 - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史】
2020-02-28 21:05:00
令和3年BBS
〔初代~52代目 のび太世代(2021年2月) | ものがたりの歴史・掲示板 | 590 (teacup.com)〕
投稿日:2021年 2月24日(水)23時15分46秒
令和4年BLOG
【のび太世代(初代~53代目) - gooブログ ものがたりの歴史 虚実歴史】
2022-07-24 04:48:16
【画像】のび太世代年齢推移、年齢変遷
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【画像】
のび太世代1960年代生まれ
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