龍馬さんとお龍さんの大切な場所…武信稲荷神社 | 京一花日記帳

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*京都や幕末、日々のことを綴っています。ご訪問ありがとうございます*

暑い… 京都は、暑いです。
まだ5月だというのに、この暑さ…… これから来る夏が怖いです。

全国的に夏日となった今日ですが、明日も引き続き、気温が上がるみたいです…(´□`。)
熱中症など、お気を付けください。

昨晩は、ブログで仲良くさせていただいている、Tこさんと、Kこさんとともに、池田屋を襲撃!してまいりました。
四国屋跡から、急ぎ駆けつけ合流するお二人(笑) これはまさしく、援軍!
おかげ様で無事に襲撃を終え、楽しすぎる時間を過ごしました。

女性3人、丸腰でも襲撃?できるようになった池田屋…この平和もまた、幕末をはじめ、先を生きた人々の努力と犠牲があってこそのものですね…。
先人の方々に感謝と尊敬の念をもって、これからも勉強に励みたいと思います。
お二人とも、昨日は本当に、ありがとうございました。次の上洛を、楽しみにお待ちしています♪

ヒヨコ

日曜日、三条会商店街を歩いておりましたところ、天井にぶら下がるこちらに、目が行きました。




お二人のお姿が目に入り…

龍馬さんとおりょう(お龍)さんだあああ!!!
っと、私の足は、自動的に矢印の方向へ進んでいきます。

その先にあったのが、こちらでした。




*武信稲荷(たけのぶいなり)神社*
●平安時代初期、859年(貞観元年)、
右大臣左近衛大将 藤原良相(ふじわらのよしすけ)公によってつくられた神社。
●平安時代の古地図によると、三条より南の、この神社付近一帯は、「延命院」の地だった。
「延命院」とは、上の藤原右大臣さまが、人々の健康長寿を願ってつくった医療施設。
藤原右大臣さまは、この「延命院」と、もう少し東の方にあった学問所「勧学院」の守護神として、この神社を創祀された。
のちに、藤原武信さまとおっしゃる方が、この御社を厚く信仰し、御神威を人々に広めたので、「武信稲荷」と呼ばれるようになった。
●この神社は、名付けに縁のある神社としても知られている。創祀者であられる藤原良相さまが、長として一族の名付けをされていたことから、来ているのだそう。
また、古くから「勝駒」という駒形の守護札が伝わり、スポーツや、選挙の勝利を祈願する参拝者も多いのだとか。
●あの平安京の大内裏は、まさにこのすぐ北の千本丸太町あたりに位置していた。
この神社付近は、貴族の邸宅や平安京の中央諸官庁があった、何とも畏れ多い場所。


というわけで、さっそく、中をのぞいてみます。





鳥居がふたつ、並んでいる… どうして、二つあるのでしょうか。
どちらから入ろうか… しばし悩みます。神社は左まわりで参拝、という思いから、左の鳥居から失礼しました。
狐さまにご挨拶をして、参道を抜けると…



静かな、空間がひろがっていました。聞こえるのは、近所の方と思われる家族連れの、子どもたちが犬とじゃれ合う笑い声だけ。先ほどの商店街から歩いてすぐの場所なのに、喧噪は届きません。
夕方近い時間の、静かに流れる空気。なんだか、ぼーっとしていると、不思議な力に誘われて、どこかへ紛れ込んでしまいそうです。

さて…
この武信稲荷神社は、龍馬さん・おりょうさんの大切な場所でありました。
そのおふたりの物語に、深くかかわるのが、こちらの榎(えのき)の大木と、



この神社のすぐ南にある、幕府直轄の「六角獄舎」でした。

*六角獄舎*
幕末、勤王の志士を多数収容していた牢獄。
正式名称は、三条新地牢屋敷といい、平安時代につくられた。
宝永5年(1708年)、京都大火によってここ六角通りに移転してから、六角獄舎と呼ばれるようになった。

幕末、おりょうさんの父、楢崎将作氏は、勤王志士を支援した医師でした。
安政5年(1858年)から始まった安政の大獄で、この獄舎に捕えられました。
おりょうさんは父が心配で仕方なく、恋人の龍馬さんとともに、獄舎へ来てはみますが、女性であるおりょうさんと、お尋ね者の龍馬さんは、父と面会がかなうはずはありません。
そこで、度々この神社へ来ては、この榎の大木にふたりで登り(!)、獄中の父の様子をうかがったのだそうです。

やがて、龍馬さんを狙う幕府の追手が厳しくなり、おりょうさんと龍馬さんはなかなか会えなくなってしまいました。
愛しい龍馬さんとの思い出を求めて、おりょうさんは一人、この神社へやってきます。そして、二人で登った榎の木をふと見ると、そこには、二人の名前に共通する漢字、「龍」の文字が彫られていました。

龍馬さんが、「おりょうはきっと二人の思い出の地であるここへ来る」と考え、自分は京都で生きている、と伝えるために、榎の木に龍の字を彫ったのです。
おりょうさんは、癖のあるその字を見てすぐに、龍馬さんが京都にいることを知り、二人の共通の知人を訪ねました。
そうして、晴れて二人は再会を果たしたのだそうです…!




もちろん、諸説あり、真偽は不明なのですが、
この榎の木の幹に触れて、二人の姿を思い浮かべると…きっと、本当やったんじゃないかなと、感じずにはいられませんでした。

この榎の木は、樹齢約850年…!!
平安末期、かの平重盛公が、安芸の宮島・厳島神社から苗木を移し植えたとされ、御神木とされています。
市街地にあることが貴重とされ、京都市の天然記念物に指定されています。
また、その生命力から、健康長寿の御利益があるとされます。

榎は「えんのき(縁の木)」とも言われます。御神木に宿る弁財天さまを祀る、末社「宮姫社」は、縁結び、恋愛の神様として有名です。
龍馬さんとおりょうさんから始まった縁結びの力だと思っていたら、このおふたりもまた、この榎の縁結びの力を授かったカップル、だったのですね…♡
この神社で購入できるお守りがまた、とってもかわいいんです。




龍馬さんとおりょうさんの物語は、神社のhpでご覧になれます。

武信稲荷神社


ちなみに…ちょうどこの日は、 御例祭(さつきまつり)というおまつりの日であったようでした。



私が訪れた時間には、すでにすべてが終了…書道の展示や、筝曲・仕舞の奉納があったようです。


*おまけ*
この御神木から、去年の2013年8月、突如、龍が現れました…!!!



先ほどの御神木に、枝が折れた跡があったのに、気づかれましたか?
御神木から、折れて落ちてしまった大きな枝。これを、チェンソーアート世界チャンピオンの、城所ケイジ氏が、できるだけ元の状態を残したまま、龍の姿に生まれ変わらせたのだそうです。

お腹にある、炎のような印… これは、武信稲荷神社の神紋ですが、彫ったわけではなく、なんと、もともとこの枝にあったのだそうです。
やっぱり、この木には、「龍」が住んでいたのですね…!!