「道の駅 萩往還」の夜 | 京一花日記帳

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*京都や幕末、日々のことを綴っています。ご訪問ありがとうございます*

いよいよ、今年最後の一日となりましたね。皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
私は、外の風の音を聴きながら、たまっていた萩旅行の記事を書いています。

サイクリングを終えた後、萩在住のお友達Mさんに、夕食をご一緒していただきました(*^.^*)

そして、食後… なんと、ご厚意で、
以前からずっと行ってみたかった、「道の駅 萩往還」に車で連れていってくださったのです!

「道の駅 萩往還」は、京都-萩のバスで、いつも通りすぎる場所でした。
自転車で行くには遠い場所にあって、行くのを諦めていた場所なのです。



*萩往還(はぎおうかん)とは*

日本海側の萩の唐樋札場から、瀬戸内海側の三田尻の三田尻御茶屋までを結ぶ、全長約53kmの街道。



(画像はお借りしました)
慶長9年(1604年)、江戸への参勤交代の道「御成道」として開かれたそうです。
幕末には、志士たちが何度もこの険しい山道を行き来しました。大河にも出てくると思います。

「道の駅 萩往還」は、もちろん、この萩往還のほぼ道中に位置しています。(☆のあたり)

念願かなってたどり着いたのですが、営業時間はとっくに終了し…真っ暗
松陰先生と松下村塾の塾生、10名が出迎えてくださるんですが… 夜はちょっと怖い


↑左から、高杉晋作氏、吉田松陰先生、久坂玄瑞氏


↑山縣有朋氏、木戸孝允(桂小五郎)氏、伊藤博文氏


↑品川弥二郎氏、山田顕義氏



天野清三郎(渡辺蒿蔵)氏…塾生の中で最も長生きし、日本近代造船界のパイオニアとなった人物。松下村塾の保存に尽力。
野村和作(靖)氏…松下村塾の四天王の一人・入江九一氏の弟で、伊藤博文氏の最初の妻の兄。遺言により、世田谷の松陰先生の墓域内に眠る。

そして、こちらには、「松陰記念館」もあるのです!入館無料なのが、嬉しいですね。



閉館は17時ですので、ご注意ください(T_T)


「道の駅 萩往還」hp は、とても見やすく素敵です。興味がおありの方、ぜひお訪ねください!



*おまけ*

この後、暗い中、夜の萩ツアーにまでお連れくださいました。本当に、ありがとうございました(ノ_・。)

●桂太郎氏のお宅

桂太郎氏は、松陰先生の友人で松下村塾のお世話をした中谷正亮氏の甥。明治では陸軍大臣や内閣総理大臣を歴任されました。



●萩城址



二の丸土塀(銃眼土塀) 銃を撃つための穴がたくさんありました。



●萩藩御船倉






次は、萩時代まつりについて書きます。