萩・松本村サイクリング(お宅訪問) | 京一花日記帳

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先月、2015年NHK大河ドラマ「花燃ゆ」の舞台のひとつ、山口県萩市へ行ってきました。

2015年1月4日「花燃ゆ」放映開始まで、あと数日。関連番組も増えてきましたね!
私も、萩の魅力を、少しでも形に残したいです。やっと続きが書けました。

松本村、松下村塾周辺の地図です。見づらくて、すみません…



黄色の四角でかこった場所が、松下村塾のあった場所です。塾舎は現在も、そのまま残っています。

赤く番号を書いた場所が、幕末、そして明治新政府で活躍された方々のお宅です。
この狭い範囲に… 松本村って…萩って… すごいビックリマーク

お宅にお邪魔してまいりました!

1. 松陰先生のお宅 (杉家跡・松陰先生誕生地)



松陰先生は、ここで、萩藩士・杉百合之助氏の次男としてお生まれになりました。
5歳で、百合之助氏の弟・吉田大助氏の養子となり、吉田家に入られましたが、大助氏が早くに病死されたため、この杉家の実家で育たれました。

すぐ近くに、杉家・吉田家の方々と、松下村塾の門人たち(高杉晋作氏、吉田稔麿氏ら)のお墓もあるので、お参りしました。


2. 玉木文之進(ぶんのしん)さんのお宅

松陰先生のお宅から、坂道を自転車でシャーッと下り切ったところにあります。



松陰先生の父・杉百合之助氏の弟であり、松陰先生の伯父にあたる、玉木文之進氏。
松下村塾を開いたお方です。
大河ドラマ「花燃ゆ」主人公、松陰先生の妹・文(ふみ)さんは、この文之進さんから名前をいただいたそうです。






3. 伊藤博文(俊輔)さんのお宅

言わずと知れた、日本の初代内閣総理大臣・伊藤博文氏は、山口県光市でお生まれになったのち、
萩に移り住み、両親とも伊藤家に入りました。

~旧宅~





隣の広場には、伊藤氏がいらっしゃいました



~別邸~

旧宅のすぐ隣に、現在の東京都品川区に明治40年に建てられたものが、移築されています。





伊藤氏は、文久3年(1863年)、長州五傑(長州ファイブ)の一人として、イギリスに密航留学しています。



パネル展「写真で見る伊藤博文公の生涯」が見られます。百姓の子に生まれながらも、内閣総理大臣にまでなられた伊藤氏の生涯の展示は、とても見応えがありました。




4. 吉田稔麿(栄太郎)さんのお宅




栄太郎氏は、松本村から最初の塾生として、松下村塾へ入門。高杉晋作氏らとともに、村塾の四天王と呼ばれました。
松陰先生が江戸の獄へ送られる際には、この旧宅の北隣の家の生垣から涙ながらに見送ったそうです。
元治元年(1864年)、京都三条の池田屋旅館にて新選組に襲われ、24歳の若さで亡くなられました。


5. 松浦松洞さんのお宅



松浦氏は、松下村塾生のお一人で、画を志してもおられました。
松陰先生が江戸の獄へ送られる際、あの有名な松陰先生の肖像画を描かれました。


6. 松陰先生のお宅その二(松陰先生幽囚ノ旧宅)



松陰先生24歳の時、杉家はこちらに転居してきました。
海外渡航に失敗した際には、こちらの一室に幽囚されました。そこでの講義が発展し、叔父の文之進氏から松下村塾を受け継いで開くことになります。
手狭になったので、近くの小屋を門下生とともに改修して、塾舎としました。


7. 松島剛蔵さんのお宅



松島剛蔵氏は、長州藩医の長男に生まれ、自らも医師でした。弟は、松陰先生の二人の妹(寿さん、文さん)の夫・小田村伊之助(=楫取素彦)氏です。松陰先生や桂小五郎氏とは、友人・攘夷仲間でした。
洋学所・軍艦教授所を創立し、高杉晋作氏らを教えました。
禁門の変ののち、幕府恭順派の藩により野山獄で刑死した十一烈士のお一人です。東光寺にお墓がありました。


8. 品川弥二郎氏のお宅



真っ暗(笑)今は、公園になっていました。

品川弥二郎氏といえば、松下村塾の門下生で、松陰先生に大変期待された人物のお一人。
幕末の戦争において、常に第一線で活躍されました。
明治維新後は、新政府において内務大臣などを歴任。
「勤王の志士を祀る『尊攘堂』を京都に建てたい」という松陰先生の意志を継ぎ、明治20年(1887年)に実現しました。現在、尊攘堂は、京都大学吉田キャンパス内にあります。


9. 小田村伊之助(楫取素彦)さんのお宅

小田村伊之助氏は、松陰先生の二人の妹(寿さん、文さん)の夫になったお方です。松陰先生の死後、松下村塾を託されました。
のちに群馬県令となりました。


10. 山田顕義さんのお宅

山田顕義氏も、松下村塾の門下生。
元治元年(1864年)、禁門の変に敗れた品川弥二郎氏らと「御盾隊」を結成して、高杉晋作氏の功山寺挙兵に呼応して戦いました。
明治になると、司法大臣に就任され、法を研究する学校、のちの日本大学や國學院大学を創設しました。


9と10は、時間がなくて今回は行くことができませんでした。次回の萩入りでは、ぜひ足を運びたいです。

長々とすみませんでした汗