《 -恥の多い生涯を送って来ました- わたしが藤澤恭平です 》パワーストーンカウンセラー オリジナルリーディングブレスレットも創り、販売してますモニタリング無料で募集中ご興味のある方、是非DMを下さい住み TOKYOblogは自分年代表です元 ホスト運営
昨日は月が綺麗だった。雲1つもない。月は色々なは学びがある。側に居なくても月を見れば、これが愛なんだと勝手ながら思う。
久しぶりに、アメブロにログインした。本格にこっちで、blogを、書こうと思う。でもって、アメブロの方でイメージを形にしようかと。書き始めます。本を。
会議室でマスクないんですよーと話していたのがもう一年前になるんだな。自分も会社を辞めて9ヶ月経ちます。分かっていたが、ほとんどの人から連絡なんて用事ないのもあるがこない。SNSでもほとんど見られてない。やっぱり人望なかったんだなと思う。分かってくれる人を大切にしたらいい。目の前を大切にしよう。と言いながら寂しいですね。ここでちょうど見てないだろうとそして去年辞めるまでの心情を書きたいと思います。書いている自分でもおかしなやつだなと思う。ただこれが俺の核なんだと感じる。これを壊さないと本当の成長はないと。思います。いきなりですが、嫌われる恐怖を僕は24時間考えています。例えば、誰かが会話している。そこの輪に入ったら嫌われるかもなんなら陰口言われている。めちゃくちゃ不安になります。自分のせい。自分きっかけ。自分発信。などなど僕はずっと嫌われるのではと不安になる。会社の中でずっと不安だった事が、昔から先輩といると不思議に咳がでます。後輩やプライベートではでない。18歳の時からありよく、咳するたんびにどつかれていた。会社内でどっかでかけるとまあ咳したくてやばい。その度注意されてしまう。日創研で研修で学んだ事だが、逃避の一種だと思う。言いたい事が言えないストレスだったりで、自分がストレスなくても咳がでてしまう。これは本当に止めたい。何回病院に行ったか。コロナなど特に言われると分かっていた。ましてやコロナに自分がなったら絶対に怒られると自粛中頭によぎっていた。アホやと思われるが、正直自分が辞める本当のきっかけはこれです。正直お金や仕事内など色々探せばストレスになる部分はあるが、自分がやらなきゃいけない事は明確に分かっていた。ただ、いつも外にいてるし、1番コロナになりやすいのは俺だと思ったし、それで迷惑かけたくないと思った。つづく
店内で、掃除などする時、従業員が、好きな音楽を流してモチベーションを上げたりするのだが、気分が逆に凹みました。どうしても、L'Arc~en~Cielを聞くと思い出す事がある。水商売を初めて、仲間が、二人亡なくなっている。その人がL'Arc~en~Cielが大好きだったからだ。思い出します。もうすぐその人の命日になる。もうすぐ10年以上は経つ。亡くなる前の日アルタ前で、いつものようにナンパをしていました。たまたま先輩をアルタ前で会い。色々あってか、出勤をしてなくて、久しぶりでした。「駅の中で用事があるから気晴らしについてくるか?」そう言われて、そのあと。「マック食べようか!」とテリヤキバーガーをご馳走になりました。そうして、寂しそうな顔つきでしたが、そのまま帰られました。自分が見る最後でした。次の日亡くなった事を聞き、頭が、?でした。ただ亡くなった方の同期の先輩が状況を説明をしているときに泣いていたので、状況に理解しました。初めて、仲間が死ぬ事がこんなに辛いんだと知りました。本当に嫌な気持ちでした。何も出来ない自分の不甲斐なさ。その当時、自分自身が迷惑をかけていて当時の会長にお前が死ねと殴られたのを覚えています。なんで、死ねと言われた自分が生きて、必要とされる人が死ぬのか。あのアルタ前で、運命が変わればと当時考えていました。気がつけば歳も自分が年上になりました。何が何でも、自分が生きている以上は先に死んでもらいたくない。大切な人達は絶対に。今は自分を大切だと思っている人もいるので、生きなきゃいけない。
10年以上振りにお父さんに会ったのは。ホストの副店長していた時、名刺がわりに免許証を出していたら、とうとう無くしました。地元に帰るついでに、免許証を再発行しょうと。大阪から帰る時、不意にお父さんに電話しました。そしたらたまたま出て、「恭平元気かー帰ってくるなら飯行こうか!」何年ぶりに電話したのに、かなり自然でした。大分駅に着き久しぶりにお父さんと会い初めて飯を食いました。思った事が、めちゃめちゃ話します。営業マンなのか、携帯もなりっぱなし、切ったらまた話し出す。よく分かりませんでしたが、新事実が、ありました。 お父さん側に子供が4人居るのにビックリでした。男3人、女1人三兄弟と思っていたのが、7人兄弟の長男と知りました。お父さん側の長男、俺からは次男は、俺の事を知っているらしく、あとは知らないらしいですそんなこんなで、あっという間に時間は経ち帰りました。それからは、もう会ってないですが、あんなお父さんはいいなと思いました。不思議に。やっぱり同じ血なのかと感じました。7人兄弟か~いつかは飲みたいです。親父 ①親父 ②
中3の夏。自分は高校にいけないと感じていた。まず、勉強を聞いてないし、勉強をフルにしてないからだ。自業自得です。ばあちゃんは、行ってもらいたいみたいだが、中学の学費や給食費が遅れてたりするのが、苦痛だったし、迷惑かけたくなかったある時、たまたま臼杵の高校の話を聞いた。2ヶ月、船で過ごし、ハワイに向かう。めちゃめちゃいいなって思った。てっちゃん達の同級生でとも君が居るのもあったからだ。しかも、ラグビーがあるらしく推薦でいけるのじゃあないかと、先生に持ちかけてみた。当日は、180㎝、70㎏にスポーツもそこそこは、出来たし、握力も60㎏ぐらいはあった。陸上の県大会も参加していたのもあるし根拠のない自信がありました。あとは、お父さんの地元でもあったので、どんな場所で過ごしていたか知りたかったのもあった。2学期、三者面談があり、担任のごっちゃんとばあちゃんと自分でありました。そこで、いきなりまたばあちゃんが、「夏喜君来るから」とまたお父さんが来る発言をして、四者面談になりました。内容は忘れましたが、ごっちゃんの目は、嘘だなと分かりました頑張ればいけますよ。と根拠のない発言は覚えていますなんで、お父さんが来たのか分かりませんが、臼杵の高校に行きたい話は、しました。ただ、何日か経ち、ばあちゃんが、ハチに刺されて心臓が悪くなりました。この時、俺は側に居なきゃと思い、臼杵は諦めました。不思議に、この時からか、高校に行くために勉強を初めました。あの時、ばあちゃんが、ハチに刺されなかったら、臼杵の高校に行ってたら今頃どうなってるんでしょう。初めての、2つ道でした。高校も辞めてホストもしてないでしょう。多分。面白い事にお父さんとはこれから10年以上は会わなかったです。 笑彼も何しに来たのでしょう。つづく親父 ①親父 ③
ほとんどのホストはお金が欲しいと来てくれるが、上手くいかない。ホスト以外でもそうだと感じます。しかし考え方を工夫すれば、物事が、道になり仕事が、楽になると思います。ホストの仕事とは。飲み屋ではありません。営業職です。集客と売上を創る仕事です。ここで、大切なのは、順番を知る事です。お客様が欲しいという人。お金が欲しいーという人。ならどうしたら欲しいのが手に入るのかを考えないのです。簡単な流れを参考にして下さい。お金ほしいなら売上を創らないといけない → 売上を創りたいならお客様を創らないといけない → お客様を創りたいならまず予定を組まないといけないお金 → 売上 → お客様 → 予定この流れをしっかり理解しないと、お金は手に入らないと思います。ホストで、売れる人、売れない人は、この流れを知り、行動をするのです。予定がないとお客様が出来ない → お客様が居ないと売上が上がらない → 売上が、上がらないとお金が稼げない予定 → お客様 → 売上 →お金自分がどこで今悩んでいるのかが、分かりやすくなります。最後に、良くある質問ですが、新人から予定の事を聞かれます。どこを見ているのかを考えます。予定は量だとそしてお金になるにつれ質に変わる。量 → 質 最初から質を求めるではなく行動が大切です。
仕事と遊びの違いは何ですか?ホストの新人君に伝える事である。ホストのメリットは、世間の人より稼げて、好きな髪型、格好、そして女の子にモテる仕事だ。しかし世の中はそんなに甘くない。むしろ、その状態で大人になったら大変になる。そこで、必ず、ホストは、いつかは辞める仕事。その先のノウハウがあると伝える。話は戻りますが、仕事と遊びの違いは何ですか?仕事は・・・ お金を貰える 生活の為 家族の為 自分の為 などなど遊びは・・・ お金を使う事 彼女と遊ぶ 楽しい事をする などなど正直、人それぞれ沢山あると、思います。しかも、全て正解です。ここからは、自分の美学にもなります。そして、モチベーションが上がらないなど、仕事に不安がある人は、参考にしたらいいと思います。ホストに伝えている事を書くので、営業マンなどは、分かりやすいかもです。仕事と遊びの違いは、やりたくない事が仕事です。仕事だから・・・挨拶が出来る。 受け答えが出来る。 文句がでない。遊びだから・・・挨拶が出来ない。 受け答えが、否定で話す。 文句しか出ない。仕事だから・・・ 女の子をお客様として見る。 お客様にしてほしい事を考える。遊びだから・・・ お客様を女の子として見る。 あいつブス、可愛い、性格がわるいなどなど仕事だから・・・ 上司の話を聞ける。同僚がライバルになる。 素直になれる。 遊びだから・・・ 上司をお兄ちゃんとして見る。同僚を友達として見る。 素直になれない。 と沢山あるが、分かりやすい例で書きました。自分自身が、仕事は嫌いですが、ルールは大切にしています。ルールはみんなを守るものだからです。自分は仕事で大きなことはしていません。ただ、仕事と遊びを区別していました。本当に楽しいのは、目標を達成した、人の成長やお客様の笑顔だと感じるからです。良く居酒屋などで、ウエイターがお喋りしたりしているのを良く見ます。ああ、遊びだなーと感じます。リーダー居ないのだなと思う時があります。当たり前が、今では、当たり前ではない。今、一度、仕事と遊びの違いを知るべきだと感じます。そして、なぜそんな考えになれたのか?ホスト時代同期で、ナンバー1が居ました。どうしても、勝てません。そして、同期は、金がないと言うのです。理由は、実家に仕送りをするからだと。ここで、分かったのは、同期は、仕事をしに、来ているのだな。自分自身、苦手なお客様など居ました。お客様を見て可愛いなど色ボケもありました。この時、自分は、遊びに来ていると気が付きこの時から、仕事と遊びの違いを知りました。結局、勝てませんでしたが、仕事をする中で大切な事だと思います。
自分が中1の時に、久しぶりに、お父さんが、お酒で酔っぱらい、自分に絡んできたのです。殺しあいの喧嘩がしたいと、意味がわからない絡みに、この当時は、怖いものが、ないので、喧嘩になってしまいました。拓也、愛美も大泣きしてしまい。冷静にもなれ、途中で終わりましたが、お母さんがお父さんと喧嘩になり、そこから飛び出すように、家を出て行きました。追いかける、お父さん。包丁を片手に、チャリで追っかける。恐怖もありましたが、呆れていた自分がいます。そして、少しだけ、ばあちゃんの、家に住みだしましたお父さんとお母さんに、自分は、本当に振り回されたと感じます。実際は、お父さんは、お酒を飲まなきゃ、本当にいい人です。ただ、飲まれ過ぎる。自分を見失うのは、いけないと感じます。弱すぎる所は、反省してほしかったです。他人づてで、お父さんは、肝臓を壊して仕事も出来ず、内職はしていると聞きます。もう、10年以上は会っていません。愛美もお父さんの顔は知らないで、生きています。愛美もお母さんになり、お父さんはじいちゃんです。拓也は、少し記憶はあるみたいですが、あの時、力があればもしかしたら、拓也、愛美は。お父さん、お母さんと四人で暮らしていたのかなと感じます。今となれば、二人とも、立派です。いい部分は、しっかり受け継いでいます。親子だなと感じます。今どうしてるのですかね?元気で居てくれたら幸いです。夜間飛行 ①夜間飛行 ②夜間飛行 ③夜間飛行 ④
妹の話をします。拓也と留守番は、楽です。当日、エキセントリック少年ボーイの歌がお気に入りで、拓也は、ハマって、その歌をリピートして歌っているだけで、手間がかかりません。ただ、問題は、妹の愛美でした。愛美は、生まれて、肌が弱く、アトピーでした。手首や足首、傷が膿んでいて可哀想です。自分は、そんな妹を見て自分の不幸が、愛美に移ったと、後悔していました。しかも、兄弟の中で、女の子です。痛くてよく泣いて、泣き止まない時もありました。薬を塗り、ベビーパウダーなど、色々試しました。本当に、小さい頃は、拓也は大人しく、愛美は、なついてくれました。お母さん達は、相変わらず、パチンコに行くのですが、自分もお金が貰えないなら行く理由はないので、友達と遊びに行っていました。この頃から、時々、遊びに行く時は、愛美や拓也を連れ出して遊びに行っていました。友達も、本当に可愛がってくれました。自分自身も、いじめられなくなって、自信がついたのか、この頃は、お山の大将です。拓也、愛美は、いじめられてほしくない。自由に好きな事をしてほしいと。この時からか、どんどん道を間違え、世間でいう不良になって悪さばかりして、いったと思います。愛美は、大きくなるたび、暴れん坊でした。後々、大きくなった時、自分とは、タイプの違う問題児になり、まぁ迷惑をかけたと思います。そのお陰様か、お父さん、お母さんの喧嘩も減ったと感じます。ただ、減ったのも良かったのですが、二人の愛が、無くなったのもあります。つづく夜間飛行 ①夜間飛行 ②夜間飛行 ③夜間飛行 ⑤
親父本当の親父と会ったのは、中2の時です。当時、やんちゃをし過ぎ、先輩が、先生に、怒られた時、「分からん」って言えば、すぐ話が終わると言われ、悪い事をするたびに、分からんと、いつもごまかしていました。さすがに、先生も呆れたのか、ばあちゃんが、学校に呼ばれ、心に、問題がある、精神科に連れていく事を話された。ばあちゃんも、渋々でしたが、一緒に精神科に行く事になりました。自分が、適当に、分からんとごまかしたばかり。ただ、どっか行くのは、楽しみでした。この後、ご飯でも食えるのかなと浮かれていました。精神科は、別府にあり、そこから色々検査をしました。木を書く、数字問題など。IQが分かりました。IQ130と知りました。漫画などで、IQ180と見ていたので、低いから、あーやっぱり馬鹿なのだなと凹んでいましたが、実は、結構いいみたいですこのぐらいの数字は、一回聞けば、大体理解して、勉強など苦ではないと。成績が悪いのは、やる気がない。わざと分からない振りをしていると言われました。学校の先生は、驚いていましたが、自分は余計な事言いやがってと思っていました。この時からか、地頭がいいのは、知っていました。やれば出来る。ただただ面倒くさい。馬鹿でいる方が、楽でした。実際も、馬鹿ですけど。ただ、そんなに、イライラするならと安定剤はもらいさぁ帰ろうとした時、ばちゃんから、驚きの発言を言われました。「今から夏喜君来るから」親父でした。いきなり、本当の親父に会うのか。頭が、ハテナでした。生まれて、考える事が無かったので、兄弟の親父も居るし、血は違っていても、今更、何を話したらいいか悩みました。しかも、精神科の駐車場の前で。先生は、呑気なのか、良かったなと、テンションが高かったです。そして、初めての対面。以外に普通な人でした。人から呼び捨てに、呼ばれるのは、慣れていますが、親父から名前を言われるのが、違和感でしかありませんでした。お母さんから、聞いたことは、あります。どんな親父なのか?自分の話を一方的に話して、自分で解決する。本当に、そうでした。ただ、不思議に、初めて会ったのに、親父と思ったのか、話した内容は、今でも、大切に残っています。この時、やっぱり親父だなと、出会えてやっぱり良かったです。ばあちゃんありがとう。初対面の時、親父 「恭平。 元気しちょったかー 恭平。 友達は大切にしろよ。 絶対に助けてくれるから。 お父さんな、職場で足を怪我して、仕事が出来なくなった時、友達が紹介してくれたんよ。 だから、恭平も友達には大切にしろよ。 母ちゃん元気しちょるんかー?・・・」つづく親父 ②親父 ③
ある程度、拓也が、ハイハイが、出来る頃です。週に一回は、お母さんの所に泊まりに行きました。やっぱり弟は、嬉しくて、毎日面倒をみていました。この時から、お母さんからお手伝いと名目で、拓也とお留守番する事が増えました。一時期、お父さんとお母さんが、パチンコにハマって行く為です。どんな状況でも、勝てば2000円、負けても1000円貰える、子供としては、でかい小遣いです。夏休みなどフルに、留守番で、お金を稼ぎました。玖珠町を出る為です。この気持ちはずっと持っていました拓也と居る時間は、意外に退屈でした。おもつを替えて、ミルクを飲んだら、寝てしまうこの繰り返しでした。比較的、拓也は大人しい子供だったので、助かりました。ただ、ここからは問題です。勝てば、家族円満なような食卓で、楽しい、泊まりだったなと感じるのですが、負けた、両方不機嫌、お父さんが酒飲むと、暴れだしちゃうのです。最悪です。泊まりなので、ばあちゃんも、居なくて喧嘩の度ピンチでした。拓也をおんぶして、公衆電話を探しては、110を呼ぶ。遊びに、行く時も拓也をおんぶして遊びに行ってました。正直、辛かったです。機嫌は良い時は、本当にいいのですけど。大人になったら拓也と一緒に住めればいいなと感じていました。自分の結婚の条件は、兄弟と住んでもいい人。うちのかみさんは、付き合っている時、 「拓也君、心配だし一緒に住みたいね。」 と、自分の悩んでいた事を知らずに言ってくれた人です。感謝です。今では、大阪に居ますが、この気持ちは、変わらない思いです。つづく夜間飛行 ①夜間飛行 ②夜間飛行 ④夜間飛行 ⑤
弟が、生まれて、嫌な環境も、良くなるなと思いました。本当に可愛かったです。名前も拓也になり、お母さん達も家から出る事になりました。この時、両方とも嫌いでしたが、弟が生まれた事に、良くなるのかな?四人で暮らすのかなと妄想していました。ただ、現実は甘くなかったです。役場に行き、住所など、手続きに、みんなで行きました。その時言われたのは、「恭平はいらんから」とお母さんから言われました。さすがにばあちゃんも、怒ってたのを覚えてますし、自分自身の心が何か切れた気がしました最終的に、お父さん、お母さん、拓也。自分は、ばあちゃんが、母親って戸籍的にもなり、ばあちゃんと二人で暮らす事になりました血が繋がってない、お父さんだし、しょうがないなとは、子供の時、思っていましたが、スゲー泣いた記憶があります何の為に、生まれて、何の為に生きている。自分は不幸な人なのだ。受け入れた時でもあります。大人になり、人の幸せを願うのは、この不幸を受け止めて、前を見る自分がいるからだと感じます。あんな思いは、周りにしてほしくない。友達やこの先出会う人と、少しませた考えを持っていたと思います。つづく夜間飛行 ①夜間飛行 ③夜間飛行 ④夜間飛行 ⑤
小学校1年の三学期、お母さんからお父さんが出来る、そして兄弟が出来る事を言われた。正直喜べなかった。自分は、この時から、幸せだなと思えてないからだ。学校では、いじめられている。家は、貧乏。気にくわなかったら、お母さんから殴られる。家では、テンションで、ご飯ある時、ない時があり。鉛筆を食っていた記憶があります。そして、新しいお父さんは、いい人でした。大人しい人でしたが、問題がありました。お酒を飲むと180度性格が変わるのです。さすが、親子、弟、妹に、似てるなと感じます、ストレスが溜めやすく、お酒の勢いで、暴走してしまうのです。一時期毎日、喧嘩がありました。家のものは壊れる、窓ガラスは割れる。バイオレンスな家庭です。発狂したお母さんは、いきなり腹を殴るなど、意味が分かりませんでした。大きな声で叫ぶ。近所迷惑。子供にして、恥ずかしい、止めてくれ、親としてみる事が、二人とも出来ませんでした。子供ながら、110に電話して、警察に来てもらい大人しくなり、警察が帰るとお母さんからチクったなと、怒られる。最悪です。それからは、逃げるしかなかったです。自分の家なのに、何故、逃げなきゃいけない。力のなさに、悔しい思いをしました。必ず玖珠は、出ると決めていたのは、この時からだと、感じます。ばあちゃんは,夜はスナックをしてるので、帰ってまだ喧嘩してる時は、タクシーに乗り、深夜ラーメン屋に連れていってくれました。そして、お店で寝る。あのラーメンは唯一、癒しだったと感じます。ばあちゃんも、きっと嫌な思いしていたんだろうなと感じますつづく夜間飛行 ②夜間飛行 ③夜間飛行 ④夜間飛行 ⑤
中2の時、大人は汚いなと感じた時があった。この時から、疑問が出る。休み時間、職員室で、優等生が先生に呼ばれていた。何の話をするのだろうと、こっそり聞いてみた「ホームルームで学級委員を決めるから、手をあげてほしい。高校にも評価にもなるし、君達二人が手をあげてくれ。」この時、ありえないと感じた。ヤらせか!自分のクラスの評価を上げたくて、大人は、真面目な二人にわざわざ呼んでまでこんな事を伝えているのだ。じゃあ俺みたいな男は、ほったらかしか!いい顔して、全部が、嘘臭いと感じた。中には、いい先生もいた。進先生は、水商売を始めるきっかけの人だ。「恭平君は、女の子に優しいからホストやったら良いのに」あの言葉が大人になっても、感謝をしています。新人教育している時、必ず名前を出す先生だ。ただ、やりたい人にやったら、いいのにヤらせをして、作るとは、本当に頭にきた。未だに、恩師とも思わない。中学3年の時も同じ事があった。陸上の県大会のリーダー決め。あからさま、おとなしいく、目立ちたくないって人が、リーダーをやりたい人と挙手を求めた時、そいつが、先生の顔を伺っている。頭にきて、自分が挙手した。「俺なりたいからいいやろ?」はい!ってすぐに下ろした。そして、先生もがっかりしていた。あの時、意気がっていたのもあるかもしれない。ただ、大人が、決めた事を素直に、聞く子供に押し付けるなと感じる。今の社会もそうだ。学歴、実績、そんなに必要なのか?俺は、やりたいと熱く思える人を応援したいし。協力したい。あの時の、ヤらせ、みたいな人生を創りたくない。見ていて、苦しかった。勝ち負けがあるなら、絶対に負けない。そんな大人には。
16歳の時また入院しました。しかも1ヶ月で4回も。若いのか、遊びたかったのか、あの時は、病院の先生、ばあちゃんに迷惑をかけたのを自覚してます。高校を無期停学で、そのまま夏休みがきました。停学中ですが、当時の彼女が泊まりに来て、朝方、ムラムラして、営みをしている時、事件が起こりました。プチっと音がなり何だろうと、思いましたが、事が終わった時、自分のせがれから、溢れんばかりの血が飛び出しました。非常にやばいと感じ、せがれを抑えながら、ばあちゃんを,起こして、何を思ったのか、「昨日の御神輿を担いだ時、ふんどしが、くいこんだ。」と言い訳をしました。ばあちゃんも、不安だったのか、お母さんまで呼んで、病院に行きました。恥ずかし話、せがれと裏側にくっついている皮が切れてしまったのです。先生から、ピンセットで持たれながら説明され、ばあちゃんとお母さんに見られてしまい。あの時本当に恥ずかしかった出来事でした。それから、一カ月、せがれが、包帯で巻かれる事になりました。ばあちゃんも、理解し、当時の彼女にマジ切れしていました。「恭ちゃんの皮切れてしまったでしょうが!!!」あれほど恥ずかしい思いはありません。その夕方、友達が、来て、お祭りに行きました。あの時、二部屋、四畳と自分の部屋六畳ほど合わせて20人ほど内に遊びに来ました。ボロボロのアパートで、家が揺れていたのを思い出します。あの時、ばちゃんも、呆れていました。そして、彼女も次の日の朝に帰り、昼頃、風邪ひいたなと思い、病院に行くとまた白血球が少ないと入院する事になりました。夜には、40度の熱が出て、せがれも痛い。喉にバイ菌が入り、パンパンに喉が腫れて声が出せなくなりました。自業自得です。2週間声がでなかったですが、やっと話せるようになり退院してすぐに、遊ぼうとその日から泊まりに行き、次の日、風邪を引き、また入院。これを4回繰り返したのが、馬鹿すぎると感じます。勝手に家に帰る。100円のテレビがもったいないから、夜は、みんなが見るテレビで、ゲームをする。屋上でタバコは吸うなど。やりたい放題でした。先生からも、もう病院に来るなとめちゃめちゃ怒られました。あの時は、本当に迷惑をかけたと感じます。不思議に、話が聞けました。わがままで、周りの事を考えない人でした。それからは、病院に行く時は、大人しくしています。悪ガキでも、馬鹿な行動でした。入院 ①
小学6年の時、風邪を引いた。病院に行き、白血球が少ないとの事で、入院。1週間で退院出来ると言われたその日から高熱で苦しかった。毛布を何枚も重ねても寒い。苦しかった事は、今でも忘れないです。次の日、少し楽になったので、トイレに行くと驚きました。尿が、真っ赤な血。俺の体はどうなったのか?1週間経っても血尿で、結局、退院が、出来ませんでした。病院も、家から5分ほどで着く。こんなにも、近いのに帰れない自分に苛立ちました。1ヶ月が過ぎ、色々な人がお見舞いに来ましたが、飽きたのか誰も来なくなりました。そして、田舎の病院なので、泌尿器科がある、日田へ行いき。色々と検査して、腎臓が悪いと分かった。このままだと、20歳ぐらいで死ぬと言われました。マジか、ここで終わるのかと、めちゃめちゃ泣いた、記憶があります。思いっきり、矢印をばあちゃんにしてしまった。貧乏だから、生活環境が悪いからなど。退院しても、食事制限、運動は駄目。悔し思いをした。この時、感じたのは、悪い事、学校や、色々悪かった分が、回ってきたな。自業自得だと諦めました。何より、ばあちゃんに迷惑かけた事が、申し訳ないと感じる。実際に謝っていない。後悔の1つである。ただ、制限される、生き方するなら好きな事して死ぬと決めました。それからか、あれは何だったのかと思うほど、めちゃめちゃ元気で生きています。腎臓、調べていませんが、元気です。病院は行きたくない場所です。あの時の-が今の+の考えを創っていると感じます入院は、暗くなります。あれで、楽しめは無理があります。心配して、入院している外では、大変な人達がいるのも分かりました。感謝です。そして、申し訳ないです。貴重な経験です。つづく入院 ②
正直死ぬ程痛く血がなかったのかフラフラでした。ビデオ屋に行き、辺りを見渡したら、居なく、携帯もなくて途方にくれていたら、ビデオ屋の彼女の同僚が、話しかけて、電話しようか?と連絡を取ってくれました。30分後、彼女が来て車に乗り、誰もいない場所に行き、着いた瞬間、子供が泣くぐらいの大泣きされました。「めちゃめちゃ心配した」この時、顔の痛みより、心に響きました。彼女の愛を触れた瞬間でした。その時、自分は、彼女を泣かせた事に対して、幸せに出来ないと、大きな嘘を言いました。自分の事でここまで泣いてくれる彼女が、俺には勿体ない。本当に、幸せになってもらいたい。「お前、遊びやけん、もう会わでいいけんね」嫌だ、嫌だ、言われましたが、カッコつけて車から降りました。そこで終わりました。バイト先に向かいそのままバイトを始めました。その夜は、顔の痛みと心が痛くてずっと泣いていました。不思議な事に、次の日、スッキリしました。本当に幸せになってもらいたかったからです。何年かして地元に戻った時、彼女と子供、男と三人で歩いているとこを見かけました。心は痛かったですが、幸せでいてほしいです。10年以上経ち、子供も大きくなって成人を超えたかなと思います。君のお母さんは、本当に愛情深い人です。どんな時でも君の話をしていました。自分の事のように。あの顔は、大切な思い出です。お母さんを、大切にして下さい。本当にありがとう。こんなに人を愛せたのは初めてです。深愛 ①
青春の甘い、初恋ではなく初愛の話です。17歳の時、当時、地元にビデオ屋がなく、スーパーの二階にビデオ屋が出来て、友達と行った時、そこで働いている女性に一目惚れをした。地元に居ないギャルの女性だ。夜はナンパなどしていたが、あの時は声を掛けるのが恥ずかしく、友達にメモを渡してくれと、頼み渡してもらった。その夜、連絡が来て、色々と話して、その時から、その子が仕事を終わると毎日会いました。自分の8歳年上子持ちのバツイチ。自分自身、その子のお父さんになりたい、この二人を幸せにしたいと初めて思いました。お互いに、将来は考えていたと感じます。この時に初めて人の為に働く、喜びを教えてもらいました。しかし、事件があり、家に遊びに来る事になったので、気持ちが高ぶって大掃除して、ファブリーズを買いにスーパーに向かう途中、車が急停車して、そのまま後ろのガラスに突っ込みました。「イテ―」と立ち上がり、車の人を怒ろうとしたら、君、大丈夫かと逆に言われました。その時、鼻と上唇の間が貫通して、歯茎が丸見え、歯も欠けていて驚くほど流血していました。近くのおじさんがバケツを持ってきてくれ、流れる血をバケツに入れ救急車が来るのを待っていました。鼻と上唇の間14針縫い。口の裏も4針縫う。頬も二か所3針、3針縫う。 ぐちゃぐちゃです。ばあちゃんが、来て顔は戻らないと先生に言われ、泣いていましたが、その時、約束を思い出して周りを押し切って病院を出て、彼女に会いに行きました。つづく深愛 ②
てっちゃんて、言う小学校6年の番長が居ました。てっちゃんとの出会いは自分の人生でかなり大きな存在です。二個上の先輩で、身長は小さくて、喧嘩が強い。リーダーシップもありあの当時憧れでした。今も尊敬できる方です。当時テレビで花おじさんが流行り、玖珠町に来ているとの情報があり一緒に帰ろうと誘ってくれました。色々話したのを思い出します。ジャンバーの事。馬鹿にされた事。悔しいかった事。友達のお母さんに言われた事。ある一言で、スッキリしました。「殴れ」負けたら俺が行く。暴力は駄目ですが、この当時、心から楽になれました。今、思うと、あの自信はどこからなのか、地元の同年代もみんなこの言葉が、心強くて、自由を創ってくれて、先輩関係ではなく、地元で、仲間としてお互いに仲良くなれているのは、てっちゃんが、創ったと思います。自分もこの時から、ホストを始めるまでは、金魚のフンのように追っかけていました。そのお蔭か、怖い人とも思われ、度が過ぎたら先輩に、殴られる時はありましたが、かなり住みやすく中学に上がる時は、中一番長とも言われたりありました。親関係なしに、楽しくなれる仲間。有り難いほど、地元に帰れば連絡もあり嬉しいです。てっちゃんは、忘れてると思いますが、感謝です。てっちゃんの、お蔭で今があります。花おじさんを見た時の、てっちゃん。「あいつ小便、くせーな!」おわり花おじさん ①花おじさん ②