中村好寿『「作戦」とは何か 戦略・戦術を活かす技術』(中央公論新社、2019年)読了。
戦略や戦術という概念は昔から知っていたが、「作戦」という概念はあまりよく分からなかった。
一体「作戦」とは、戦略や戦術とどう違うのか知りたいと思い、手に取ったのが本書。
…積読状態から読み終えるまでに1年ばかり経過してしまったが(笑)
さて、本書を読んで、戦略と戦術の間にある作戦が、いかに重要なものであるかよく分かった。作戦がしっかりしていればこそ、戦略も戦術も活きてくる。参考になるところも多く、とても勉強になった。
「第二部 冷戦期までの作戦」で取り上げられている3つの作戦の方式
・消耗戦方式(アメリカ軍)
・縦深作戦方式(ソ連)
・士気喪失作戦(フラーやリデル・ハートが提唱)
「第三部 ポスト冷戦時代の作戦」で取り上げられている、将来の軍隊がいかなる作戦を実施すべきかというところでの3つの案(どれがいいとか悪いとかということではない)
・「緊要で、脆弱な『重心』」の追求
・「影響」重視の考え方
・複雑な「問題」と「システミック作戦デザイン」
といったところは、とても参考になった。ここでは一つ一つ説明することはしないが、特に第三部で取り上げられている3つのものは、「戦争に至らない軍事行動(MOOTW)」に対応するためにどうするか、という視点でしっかりと考えておかなければならないものだと思った。
こうしたこと受けて気になったのは、「おわりに」での著者の指摘。
「…しかし日本では、作戦はほとんどの場合、方法としては捉えられないか、あるいは軽視されている。その一方で、戦略と戦術だけがあまりにも重視されているのだ。それは恐らく、われわれが戦略上の狙いを達成するのに⑴戦術的な能力と⑵先進的な技術に大きく依存しすぎ、しかも⑶ポスト戦争期における軍隊能力の開発を怠ってきたことに起因するのであろう。」(p217)
「…わが国、特に自衛隊では、作戦は戦争の場合だけを対象にしていることから、相手軍の撃破ないしはその意図の破砕を目的としている。恐らく、自衛隊は作戦を”大部隊”による部隊運用と定義しているからであろう。」(p219)
「わが国では、戦術目的も作戦と同じで、相手の撃破か、企図の破砕である。これでは、作戦の存在意義を自ら否定しているに等しい。実際、自衛隊のドクトリンでは、作戦と戦術のことを「作戦・戦闘」という用語で、しかも”簡単”に記しているにすぎない。冷戦以前の戦争とは異なり、現在の戦闘等は軍事的な交戦行動だけではない。攻撃や防御といった軍事的な交戦は、「軍隊キャンペーン」目標(最終的には国家安全保障目標)を達成するための一部分にすぎない。
軍事的側面だけに焦点を当てることは、自衛隊に対する誤解を招くだけでなく、戦術指揮官や幕僚をして、”攻撃”または”防御”といった交戦的な解決案だけを模索させることになる。」(p219)
これらの記述からは、自衛隊は「戦争に至らない軍隊行動(MOOTW= Military Operations Other Than War)」(対テロ行動、平和維持活動など)をあまり意識していないのではないか、という疑問が出てくる。勿論、敵が正規軍である場合も想定しておかなければならないが、現代の状況というのは、対処すべき敵が正規軍ではない場合の方が多い。
中国との有事を考えてみても、中国軍が正規軍”だけ”で攻撃してくるとは限らない。例えば首都圏で大規模なテロなど起こされたらどう対処するのか。
繰り返しになるが、作戦をしっかり考えておかないと、折角の戦略・戦術も活かすことができない。敵が正規軍”だけ”という前提でものを考えていては、臨機応変に動かなければならない局面で動けない。作戦を、戦争の場合だけを対象にするのではなく、戦争に至らない軍隊行動の場合もしっかりと考えていかないと、敵に勝てない、すなわち国を守ることができない。
こうしたところからも、自衛隊は軍隊ではない(すごい武器を持った警察)のだな、などと思ってしまう。だから、まともな軍隊になるためにも、戦略・戦術だけではなく、いやそれ以上に作戦の重要性をしっかり認識して、新しいドクトリンを開発するなど、一つ一つできることをやっていかなければならない。これは、憲法典を改正せずともできることなのではないだろうか。
またしても、まとまりのない文章を書いてしまったような気がするが、ざっと所感を書いてみた。
https://www.amazon.co.jp/「作戦」とは何か-戦略・戦術を活かす技術-中村-好寿/dp/4120051609