証拠隠滅の罪と虚偽告訴の罪
証拠隠滅の罪
刑法第7章 犯人蔵匿及び証拠隠滅の罪
第104条 他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは
変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、
2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
虚偽告訴の罪
刑法第21章 虚偽告訴の罪
第172条 人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的で、虚偽の告訴、
告発その他の申告をした者は、3月以上10年以下の懲役
に処する。
大阪地検特捜部の前田元主任検事のフロッピーデータ改竄についての
該当すると思われる罪を調べてみた。
虚偽告訴の罪は以前は誣告罪と呼ばれていたものである。
新聞、テレビ等の報道では、専ら証拠隠滅罪がとりあげられている。
虚偽告訴の罪は、警察、検察への告訴、告発につき虚偽のものがあった場合
を想定して規定されていることは明らかである。
警察、検察が虚偽の起訴を行なった場合にその罪を問う条文は存在しない。
そんな事態があってはならないし、起こり得ないものとして、法文化されて
いないものであろう。
今回の郵便不正事件の判決は無罪であり、実害はなかったとはいえ、
事件を捏造して起訴が行なわれたと断ぜざるを得ず、これが検察によるもので
なければ当然虚偽告訴の罪も発生していた可能性がある。
裁判で検察側の主張に基づき有罪となる比率は90パーセントをはるかにこえる。
ただ、検察敗訴も当然ながら存在する。しかし、だからといって検察側が犯罪を
犯した結果でないことは当然のものである。
当然のものであった筈と言い換えざるを得ない結果を齎したのが、今回の事件
である。
このままでは法治国家とは毛頭呼べないのであり、最高検が相当の危機意識
を持ち、行動するのは当然である。
虚偽告訴の罪は、告訴、告発のみならず、その他の申告をも含めているので
あるから、証拠を変造してまで起訴しようとした行為をもって、虚偽告訴を問う
べきであろう。
最初に書いたとおり証拠隠滅と虚偽告訴では、法定刑の軽重に差がある。
どちらを適用すべきか、慎重な議論は必要だが、虚偽告訴罪が一切取り上げられ
ないのは報道の責任でもあろう。
大阪地検特捜部捜査資料改ざんの含む疑念。報道されていない観点から。
ここのところ連日大阪地検特捜部の資料改竄が報道されているが、
大事な論点が見落されているように感じる。
データがたとえミスでも変換されるということの問題を指摘する論調が
存在していないのは奇異ではないか。
ミスでフロッピーが書き換えられるとすれば、それは日付だけにとどまらず
その内容についても書き換えが可能と考えるのが自然である。
検察が使用するコンピュータのソフトはフロッピーの読み取りを行なうこと
しか出来ないものではなかったのか。外部と繋がらないないように細心
の注意をもって、あえて2台のコンピュータを使用していた筈ではなかったか。
検察の故意、過失によるデータの変換があれば、裁判への影響は、計り知れない
ものとなるのは自明のことである。
フロッピーの内容にとどまらす゛、他の証拠物一般についても、捜査機関による
故意、過失による変造、偽造がないことを前提として、裁判所により証拠
採用されるものである。
警察、検察の取り調べによる調書については、公判において否定される事例が
増えているが、はたして物証の偽造、変造は本当に存在しないといいきれるのか。
証拠物件のなかには、経年劣化の少ない、例えば、頭髪なども存在する。
犯行現場から採取された毛髪を他の毛髪とすりかえ、それによりDNA鑑定を
行なうことも可能というほかなく、専ら捜査機関の信用を基礎としなければ
真実を知り得ないのである。
警察、検察の捜査全般が疑惑の目でみられるのだということ、物証にすら
疑惑をいだかせることに、今回の事件のもたらす効果がある。
裁判員制度は違憲か。
司法に関する憲法の規定は、「第六章 司法」において定められている。
日頃憲法を読むことはほとんどなく、裁判報道で違憲、合憲があっても、
憲法の条文が記載されていることは、残念ながらほとんどない。
議論の前提として裁判員制度に関係する憲法の条文から書いてみる。
第76条 「司法権、裁判所、特別裁判所の禁止、裁判官の独立」
すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところに
より設置する下級裁判所に属する。
② 特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、
終審として裁判を行なふことができない。
③ すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行なひ、
この憲法及び法律のみに拘束される。
第77条 「裁判所の規則制定権」
最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部
規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める
権限を有する。
② 検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。
③ 最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、
下級裁判所に委任することができる。
第78条 「裁判官の身分保障」
(略)
第79条 「最高裁判所の構成等」
(略)
第80条 「下級裁判所の裁判官、任期、定年、報酬」
下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿
によつて、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を
十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢
に達した時には退官する。
② 下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を
受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。
第81条 「法令等の合憲審査権」
(略)
第82条 「裁判の公開」
(略)
司法に関する憲法の規定はこれだけである。国民の権利及び義務に関する
規定のうち、刑事裁判に関係する条文も抜粋しておく。
第31条 「法定手続きの保障」
何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは
自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第32条 「裁判を受ける権利」
何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第37条 「刑事被告人の諸権利」
すべて刑事事件においては、被告人は公平な裁判所の迅速な
裁判を受ける権利を有する。
② 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に
与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を
求める権利を有する。
③ 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を
依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することが
できないときは、国でこれを附する。
憲法は基本的な部分を定めているのみで、解釈の余地が大きいものである。
裁判員制度も合憲か違憲かを、この少ない規定から判断せざるを得ない
ものである。
4月22日に東京高裁は裁判員裁判で懲役18年とされた中国籍の被告の
裁判で「裁判員制度は憲法上の要請に沿うもので、刑事被告人の権利を
侵害しない」として憲法違反の主張を退けた。
判決理由として
① 憲法は裁判官以外を裁判所の構成員とすることを禁じていない。
② 憲法と同時に制定された裁判所法が『陪審制度を設けることを
妨げない』と規定している
としたものである。
憲法上の要請とはいったいどの条文によるのであろうか。あまりに抽象的
にすぎるのではないだろうか。
裁判官以外を裁判所の構成員とすることを禁じた明文はたしかに存在しない
が、かといって認めるとする明文も同時に存在していない。むしろ同時に
裁判所法により陪審制度に触れているのは、それ以外を認めない趣旨と
読むのが自然な読み方であろう。
そうすると問題となるのは裁判員制度が裁判所法の予定した陪審に
該当するか否かであろう。
陪審制度では陪審員が事実認定のみを行なうのか、法の適用まて゛
行なうのか、にわかには断定できない。
陪審制は英米法を採用する諸国で主に採用されている。英米法とは
明確に規定された条文を厳密に適用しようとする大陸法と対比して語られる
ことが多く、条文に書かれていない新しい形態の犯罪などに対応するのに
適した方法ではあるが、行為規範としての法律を重視する立場からの批判
も当然存在する。
陪審制度では量刑に関与しないのが一般的な考えでもある。
裁判所法の予定した陪審制度も事実認定に限定していたと考えるほうが
自然である。
だとすれは゛喩え裁判員裁判が一審にのみ適用されるとしても、憲法80条
により職業裁判官が規定されており、第37条とあわせてかんがえれは゛
裁判員制度はなお、違憲の疑いありとせざるを得ない。
もっとも、裁判員制度の普及に熱心であった最高裁判所が違憲判断を
することは考えられないため、予測された判断であったのが今回の判決
ではある。
費用対効果。宇宙実験。
アメリカのスペースシャトルを利用した日本人宇宙飛行士最後の
国際宇宙ステーション(ISS)からの帰還が完了した。
最近の宇宙飛行士のはしゃぎっぷりを見るにつけ、どうにも納得が
いかない。
これまで、シャトル飛行やISS建設に我が国がつぎ込んだのは
7,600億円だそうである。これは全宇宙関係に費やされた金額
ではなく、ロケット開発などを含む金額ではない。
では、7,600億円の巨額を投じた成果は何だったのだろうか。
無重力空間を実験室したバイオテクノロジーや材料開発の研究は
目に見える成果が皆無である。
医学関連では宇宙酔いを防ぐ薬の種類や量などの知識を蓄える
のに役立ったとも言われる。
しかし、いったいその知識が実際に活かされる機会があるのか。
宇宙滞在により弱った骨や筋肉を地球帰還後に鍛えなおす方法
の研究も進んだといわれるが、宇宙に旅立つ人数は飛躍的に
増えるなどということはありえまい。
ほんの数人のためにしかならない知識、技術の開発のために
膨大な金額を掛ける事が許されるほど、日常の生活における
問題の解決がすすんでいるのだろうか。原因も治療方法も見つかって
いない難病がいくらでもあるではないか。
招来、月面など宇宙に日本独自の基地を建設などと、実現負可能
としか言えない構想をもとにするのは如何なものだろうか。
基地を建設して一体何をすると言うのか。地球に無い物質を
捜して地球に持ち帰って利用するとして、基地の建設、運用に
要する物質、費用を考慮しての議論とは思えない。
酸素、空気がなければ人は生きられない。その空気を作り出すか
運ぶか。いずれにしろ地球資源を持ち出すしか方法はないのではないか。
食料を生み出すことができなければ、これも運ぶしかない。
せいぜい10人程度のISSの乗組員のためにかかる費用と量では
有効な基地建設などありえまい。
宇宙飛行士は自らの夢を実現してご機嫌であろうが、その夢のために
投下された税金を認識しているのだろうか。子供たちに夢をと言うが
その子供たちは、親の経済状態により進学をあきらめざるを得なくなって
、更に就職もできずにもがいているのである。
あまりにもお気楽なことを無責任に発信しないでもらいたい。
個人の夢は自分の金で実現してほしい。
麻薬密輸罪、中国で死刑執行をめぐる日本の反応を嗤う
この4月6日に中国国内で麻薬を密輸しようとした日本人に
対して死刑が執行された。
私人として厳しいいと感じるのは自由であるが、それを公的に
堂々と述べるのは筋が違うものである。
日本の法律では、覚せい剤で最も重い営利目的密輸の場合
に最高刑が無期懲役と罰金1千万である。
アジアの薬物犯罪に対する刑罰は死刑を課す国が16カ国
に及ぶと言われ、日本の罰則のほうが、軽すぎるとの指摘も
成り立つ。
しかし、問題は法定刑が軽いか重いかではない。
重大な問題は、主権国家がその国の歴史や現状に照らして
制定している法律に基づき、適正な手続きを経て下された判決
に基づき刑罰を執行するのは国家として当然なすべき事柄で
あって、外国がそれを非難すべきものでは決してない。
たとえそれが自国民が刑罰を課せられる場合でも、執行国を
非難するのは、内政干渉以外のなにものでもない。
まして刑事手続きに疑問を呈するのは傲慢のそしりを免れないもの
である。
法律の専門家であるべき法務大臣が
「日本の制度と比較して刑罰が重く、日本ほど適正な刑事手続きが
担保されているのかなど意見があることは承知している。」
外務大臣は適正な刑事手続きの面から駐日中国大使に疑問を伝えた
ともいわれるが、何と言う法律感覚、外交感覚なのかと失望を禁じ得ない。
こういった問題に国際的な基準などという言葉を安易に使いたがる
風潮にも嫌悪を感じる。
日本国内において、例えば沖縄で在留米軍やその家族などが
犯罪を行なった場合、日本の法律によって裁くのが当然であるからこそ
身柄引き渡しなどを巡って問題とされているのではないか。
囚人が日本人であれば、死刑を執行するなと言うのは、治外法権を
求めることなのだということをしっかりと認識しなければならない。
中国では適正な手続きが行なわれていないというなら、我が国には
冤罪は存在しなかったのか。
近時の足利事件は冤罪ではなかったか。
いたずらに他国を低く見下すような態度は、とるべきものではあるまい。
既に昨年12月には同罪で英国人も死刑となっているが、その時に
これほどのニッユースになったのか。
世界で日本人だけが特別待遇を受けるべきだと考えているなら
思い上がりも甚だしいといわざるを得ない。
今回の報道にひとつだけ利点ありとすれば、外国では薬物事犯
に死刑など重い刑罰が適用されることを広く知らしめたことであろう。
それによって薬物の密輸が減少することを願うのみである。
公訴時効の財政学
殺人などの凶悪犯罪で死刑相当の犯罪の公訴時効を撤廃する動きとなっている。
死刑にあたる公訴時効は平成16年の改正により15年から25年へと延長され、
その適用は平成17年1月1日からとされている。
現在は平成22年であり刑事訴訟法の改正による公訴時効の延長から5年しか
経過していない。時効期間延長が実効性があるのかないのかの検証が行なわれ
る期間をいまだ経過してはいない。
平成17年(2005年)1月1日に行なわれた死刑相当の犯罪の公訴時効完成は、
平成41年(2029年)12月31日である。
それ以前の犯罪は15年で時効完成であるから、最後の時効15年に該当する
のは平成16年12月31日の犯行であり、完成は平成31年(2019年)12月30日
である。
少なくとも検証すべきは、時効15年と25年によって、どれほどの事件の検挙、
解決に差が生ずるかである。
時効を延長しても、検挙ができず、時効完成数、完成率に差がないのであれば、
時効延長の効果を否定せざるを得ないし、大いに検挙率、解決数が増加すれば、
効果大と評価されよう。
現在、公訴時効を廃止しようとするのは、廃止による効果をどう考慮しているのか
甚だ疑問である。現時点で改正するとすれば、渡氏は反対ではあるが、公訴時効
25年のまま、時効完成以前の犯行、つまり犯行時公訴時効15年であったもの
をも時効25年とすることではないか。
そして延長の効果を見極めてから、廃止か否かを議論すべきであろう。
さて、ここからがこのブログのタイトルとした財政上の問題である。
私がこのブログで以前から指摘しているように年間30件以上の公訴時効が完成
している。
この30件を10年期間延長したとして、検挙不能が30件生ずるとすると、
その捜査に要する費用はいかほどであろうか。
専従捜査員を最低限の2名として、その人件費などで年間ひとり1千万円は
必要と思われる。
30件1年分で6億円が必要になる。
これが10年であるから60億円。
そしてこの計算はある年に発生したものであり、そのよく年に発生したもの
を考慮すると、
単年度で12億、さらに延長10年を総合すると、年間600億円の捜査費用が
必要となる。
そして時効が廃止された場合、成人による殺人事件を想定すると、
20歳で殺人事件を犯したとすれは゛、その平均寿命を78歳として、
58年は最低でも捜査の必要があることとなる。もちろん犯人が特定できない
場合にも、この年数程度が実質的な基準となろう。
この期間、専従捜査員2名として1億1千6百万円の捜査費用が必要となる。
そして時効廃止により捜査対象となる事件数は常時1,740件となる。
これに要する捜査費用の総額は2018億ということになる。
財政的に余裕がなければ、捜査専従は困難となり、捜査官の補充も困難となり
検挙、解決がはかれないこととなり、時効延長、廃止は効果なしとなりうる。
これほどの国家財政負担が、被害感情等のみによって生ずるためには、やはり
25年への期間延長の効果を見据える必要がある。
空襲被害者の全国組織結成の動き
全国の空襲被害者が、救済のための立法を目指す全国組織の結成を
図っている。
東京大空襲の遺族らによる2007年の賠償請求は2009年12月
東京地裁によって退けられた。
しかしこの判決で東京地裁が
「戦争被害者救済は立法を通じて解決すべきだ」としたため、
組織作りの端緒となったようである。
原爆を除く全国の空襲による死者は約11万5100人とされる。
上記裁判の提訴額は一人当たり1千100万円。
単純に掛け算すると1兆1620億円。
立法によってこれだけの金額が国家による賠償として支払われる
ことになれば、
その財政的な裏づけ゛どうすることになるのか。
国家の資金は、自ら稼ぎ出すものではなく、税金か国債という名の
借金しかない。
敢えて言えば65年もまえの被害の救済のため、この苦しい経済情勢下
にある国民に、更なる税負担を求めてまで、賠償を求めようというのは、
利己的な主張ではないか。
空襲にあっても生き残り、戦後苦労を重ねて現在に至る多くの国民が、
空襲による死者の遺族のほかにどれほどいるのか。
見方をかえれば、65歳以上の国民は全て戦争による被害を多かれ
少なかれ受けている。
しかし、65年後の現在、立法によってまで救済しなければならない
状況にあるのは、原爆による後遺症で働くこともできず、治療を要する
ひとびとを除いて、ほとんど存在しないのではないか。
現在の経済状況下、就職できない大学生、高校生。卒業するための
学資がはらえない親、健康保険料すら払えず子供が医者に行けない
状態。
国家が手を差し伸べなければならない喫緊の案件はいくらでもる。
1票の格差をゼロにする方法
昨年8月の衆議院議員選挙を巡って、1票の格差により違憲無効とする
訴えが予想通り各地で提起され、高裁段階での判決が出揃いつつある。
特に3月12日の福岡高裁の判決は注目に値する。
「1人別枠方式」を「人口に比例して定数配分する原則から逸脱しており、
制定当時から違憲」としている。
「『誰もが過不足なく1票を有する』理念を実現する上で、定数配分について
の国会の裁量権はおのずから限定される」
「1人別枠方式は制定時から違憲で、国会が率先して区割り見直しを図る
べきなのに、是正する姿勢を見せずに放置したのは裁量権の逸脱」
と結論付けている。
形式的平等を確保するため1票の格差をゼロにする方法はただひとつしか
存在しない。
それは、選挙区制度を廃止し全国をひとつの選出基盤とすること、
すなわち全国区制とすること以外にはありえないのである。
小選挙区、中選挙区制を維持する限り、程度の差はあれ、格差は必ず
生ずることとなる。
人口統計をどう綿密に反映させても、もしそれが可能だとしても、格差ゼロ
とすることは不可能である。
小選挙区制を前提とすれば、「1人別枠方式」でなくとも、最も人口の少ない
選挙区の定数を1人として1票の格差をなくするよう他の選挙区の定数を
定めようとすれば限りなく議員総数を拡大するほかに方法はない。
そして、そうなったとしても格差ゼロとはなり得ない。
2倍以下となれば、また1.5倍あるいは1.2倍を憲法違反として同様の
訴訟が永遠につづけられる事となろう。
格差ゼロにするには全国をひとつの選挙区とする方法しかありえないのである。
しかし、はたしてこの方法は妥当性を持ちうるであろうか。
全国を基盤とする団体、企業の推薦を得られる候補者は容易に当選可能で
あろうが、地方を基盤とする候補者は苦戦を余儀なくされ、もっと言えば落選
を余儀なくされることになりはしないか。
人口の集中する都市を地盤とする候補、全国を基盤とする組織、企業の推薦
する候補ばかりが当選して、国会議員となって、いったいどのような地方対策
が期待できると言うのか。地方切捨てが日常化するであろうことは、想像に難くない。
はたして、我が国の憲法は福岡高裁判決の言うがごとき、「人口に比例して」
のみ議席を配分することを要求しているのであろうか。
区割り見直しを毎年行なうとすると、人口の動向を知るためには毎年国勢調査を
行なう必要が生ずる。国勢調査の結果がどれほどの時間経過後にまとめられて
いるのかといった事情にも着目する必要も出てくる。毎年の定数配分是正は不可能
であろう。
定数配分は出来る限り、選挙実施後に速やかに行なわれる必要があることは事実
であるが、形式的平等のみに拘泥することなく、地方を代表する議員に道を開く
「1人別枠方式」を維持することにより、国土の総合的な発展を目指す必要が
ありはしないだろうか。
衆院選定数配分についての大阪高裁判決が出た。
すでにこのブログの8月31日の 「衆議院議員選挙終了」で、後日定数配分
を巡る訴訟があるであろうと考えてみたが、1票の格差2倍超を原則違憲と
する基準を示すとまでは考えられなかった。
今回の判決は大阪9区と高知3区との格差で争われ、最も格差の大きい
千葉4区と高知3区を巡るものではなかった。
この大阪高裁判決をそのまま類推すれば千葉4区と高知3区との格差も
同様に違憲とされることになるとも考えられるが、管轄裁判所が異なる
ため必ずしも同じ結論になるとは断定できない。
大阪高裁は全都道府県に1議席を無条件に配分する 「1人別枠方式」を
「現時点では憲法の趣旨に反する」としている。
たしかに国会議員は専ら全国の、全国民の代表として国家の立法、行政
にたずさわるものであるから、地方代表色を完全に脱却することが可能で
あれば、ただしい指摘と評価できよう。
しかし、単純に有権者数を基に定数を配分すれば、現在の近隣選挙区と
合併して、広域の小選挙区を創設せざるを得なくなるのではないか。
都市部と地方との格差は厳然として存在しており、その調整を計ることも
政治の大きな役割のひとつであることは異論があるまい。
立法の不作為を言うが、ではどんな方法であれば、全国民が納得できる
定数配分が可能なのかの提言は、裁判所としてはその司法という立場から
不可能としても、マスコミ、政治学者等からの提言があったとは思われない。
単純に議員定数を増加させて1票の格差を低下させようという、愚かな議論
が出て来ないことだけが目下の救いではあるが。
いっそ全てを全国区として、小選挙区制度を捨て去るべきか。そうすれば
少なくとも選挙区ごとの格差を論ずる前提がなくなろう。
但し、全てを全国区とした場合の欠点は、いくつも考えられる。地方からの
立候補者と都市部からの立候補者の知名度の如何、後援会等の組織に
よる選挙支配のおそれなど、小選挙区を維持し、定数配分に苦慮する現状
より、良い制度が創設できるとは思われない。
やはり1人別枠を維持しながら、人口動向を織り込んで行くしか方法は
なさそうにも思える。
いずれこの裁判は最高裁への上告がなされるであろう。高裁段階の判決
に一喜一憂しても、最高裁の判決がでるまでは一件落着とは行くまい。
死亡ひき逃げの時効
いささか旧聞に属するかもしれないが、9月27日の毎日新聞
1面に死亡ひき逃げ事件の時効についての記事が登載されていた。
記事によると容疑者が逮捕されず公訴時効が成立したのは04(平成
16)年から08(平成20)年に151件だそうである。
死亡ひき逃げは業務上過失致死(自動車運転過失致死)と道路交通法
の救護義務違反の罪に問われ、公訴時効は5年(道交法改正により
07年9月からは7年)。
死亡ひき逃げは法的に過失に分類され、故意の殺人罪とは、時効や
罪の軽重に大きな違いがある。
警察庁によると、全国で99(平成11)~03(平成15)年に起きた
死亡引き逃げ事件は計1516件、うち約10%の151件が時効成立。
一方で殺人事件の時効成立は約4%で、死亡ひき逃げ事件の時効
成立割合は殺人の2.5倍となる。
ひき逃げは、車のガラスや塗膜片など現場に物証が残っている場合
が多い。その反面、被害者との接点がないことが殆どで、容疑者が
把握困難な事が多い。
またこの記事の解説として、全国交通事故遺族の会、常盤大学大学院
の諸澤英道教授の意見を載せている。
この解説に述べられている点にはおおいに疑問がある。
まずその解説に触れて見る。
「全国交通事故遺族の会などは法務省に対し、死亡ひき逃げ事件の
時効撤廃を求めている。過失でも逃げた時点で故意があると考え
『死亡ひき逃げは殺人』とみるからだ。
常盤大学大学院の諸沢英道教授(刑事法)は『逃げたことを認識して
いる明らかな故意犯。刑法に「ひき逃げ罪」を新設して刑を重くすべきだ』
と、新たな罪種を作ることを提案、時効に関しても長くすべきだと考えている。
現在、法務省は殺人などとともに死亡ひき逃げについても時効の見直しを
進めているが、過失事故と『逃げる』罪の違いを明確にするのも議論を深め
る一つの方策だろう。そして、警察当局は、殺人より時効成立の割合が
倍以上あるという実態を直視志、捜査体制の強化や事故を減らすために知恵
を絞ることも求められる。【山本浩資】 」
以上、記事については一部要約し解説については全文を再現した。
それは、この解説には、刑法体系をゆるがせにする重大な問題があるからである。
まず記事については、事実の指摘であってこれに異論をさしはさむ余地はない。
しかし解説には大きな疑問がある。大きく分類すると以下の2点である。
① 死亡ひき逃げは殺人か。
② 逃げたことを認識すれば何の罪の故意犯か。
刑法では、犯罪行為の実行段階で、刑罰法規にかかれた犯罪の結果を意図して
実行におよぶものを故意犯、結果の回避可能姓があり、その発生を予見できたにも
かかわらず、法に触れる結果をもたらしたものを過失犯として規定している。
それが罪刑法定主義の根幹をなすものである。
刑法はいかなる行為がどういう罪名の罪に該当し、それに対していかなる刑罰が
科されるかを予め、行為規範、裁判規範としての刑法に定めることを
要請されている。
具体的な行為の瞬間に意図しなかったものを、結果の重大性のみを基準として、
重い罪に問うことを無限に認めるわけにはいかないのである。
最も基本的には故意犯があり、過失犯は犯意を超えて、あるいは犯意なくして
重大な結果を招来させた場合に例外的に科されるのを基本としている。
ひき逃げに絞って検討してみよう。
ひき逃げの場合には、まず過失によって交通事故を起こした場合と、自動車を
凶器として人の死、傷害を図る場合とに分類されよう。
凶器として自動車を使用する場合、過失ではなく殺人または傷害の罪にあたるのは
いうまでもない。
前方不注意等の過失によって他人を転倒させ救護することなく、その現場を立ち去る
行為が所謂ひき逃げである。ひき逃げの結果被害者が死亡するか、あるいは重傷か
軽傷かは事例毎に異なることである。
重大な結果に対して結果加重犯として、致傷、致死の罪が設けられている。
事故当時殺人を意図していない場合には、過失致傷、過失致死が問題とされても
死亡の結果だけから死亡ひき逃げを殺人とするには、殺人罪の成立要件を
無限に拡大し、刑法の故意過失の概念を根底から覆すあらたな概念の成立を
必要とするものである。
逃げることを認識していても、事故被害者が必ず死亡するという認識があるとは
言いきれない。故意犯とするには故意、過失の定義の変更が必要である。
議論のなかで置き去りにされている条文もある。それは保護責任者遺棄の罪である。
刑法第218条は老者、幼者、不具者又は病者を保護すべき責任ある者これを遺棄
し又はその生存に必要なる保護を為さざるときは3月以上5年以下の懲役に処すと
定めている。
自動車運転者が過失により通行人に重傷を負わせたときに、運転者は怪我人を
保護する責任があることは、昭和34年の最高裁判決等により認められている。
事故をおこしたという先行行為により保護責任が発生し、これを遂行しない場合
には保護責任者遺棄の罪を運転者に問うことがてぎるのである。
そして続く第219条は保護責任者遺棄の結果的加重を定めている。
保護責任者遺棄の結果、人を死傷に致したる者は傷害の罪に比較し重きに従って
処断す、としているのである。
死亡ひき逃げを議論する場合には、この保護責任者遺棄、同結果加重の適用
と、その罰状を他の刑法犯との比較で論ずべきものであろう。
ひき逃げの捜査は確かに証拠物が残されるが、ほとんどの物が大量生産品であり、
破損状態、形状に頼らざるを得ない部分が多い。目撃情報、防犯カメラの映像等
の証拠がない限り、犯人検挙は容易ではない。
殺人事件を起こすのと事故をおこすのとでは、要する時間に大きな差があろう。
まして動機などというものが考えられなければ、その捜査が結実しない可能性は
殺人の比ではなく、例え公訴時効を延長しても全ての死亡ひき逃げ犯の検挙は
不可能であろう。