天皇陛下のお言葉を
16日に天皇陛下がビデオでお言葉を発表された。
その日の夜のニュース等で放送されたかどうか全てを
知ってはいないが、私の見たテレビでは全部を放映されては
いなかった。アナウンサーによる要約では、陛下の心配りが
伝わったとは思えない。
私はたまたまラジオで全てを拝聴することができた。
被災地では、テレビ、ラジオが視聴できていない場所も多々あると
思われる。
悲惨な現場の中継も必要ではあろうが、被災者を勇気づけるには
天皇陛下のお言葉を、陛下のお声によって伝えることが最も
効果的だと思う。
何度でも繰り返し放送されることを要望したい。全てを放送しても
5分ほどで済むのであるから、是非放送していただきたい。
震災雑感 3
今まさに枝野官房長官の記者会見が放送されている。
記者との質疑応答がなされているが、記者のレベルの低さ
にあきれざるを得ない。
報道各社には原子力や経済、危機管理の知識を充分そなえた
人材がいるのではないのか。
野に遺賢なさしめて、全ての叡智を結集すべき国難であることの
認識を持つ事が必要であり、報道に携わる記者も、叡智を
集めてほしいものである。
震災雑感 2
今後の原子力発電所
今回の事故の教訓。
今後は原子力発電所の新規設置は当然ながら困難が
予想される。
既設の発電所についてもあらゆる意味での点検が必要になる。
原子力発電所が被害を受けた場合に、冷却用の電気が必要
とのことであれば、一般の電力が停電に陥った場合、自家発電
が必要となる。発電所が電気をつくれなくなり、他の手段による
電気が必要となるのである。
病院等の自家発電よりはるかに長時間、たとえば今回の復旧に
10日前後を要したことにより、2週間程度、自家発電で電気を
まかなうため、原発のために、その近くに火力発電設備を
設置するなどの方法がとられることになるのではと思われる。
CO2削減には逆行することにはなるが、原発の安全確保
には必要な準備といえよう。
過去の大規模自然災害はいわば、そのほとんどが想定外の事象であり、
どんな想定をしようとも、想定外の事故、災害が起こりうることを
認識せざるを得ない。電力の30%が原子力発電によっている現実
から、原発の廃止は現況では非現実的であり、完全に事故が
起こり得ないといった想定は、これも非現実的であろう。
であれば、今回の事故を教訓として、災害発生を前提とした事後処理を
日常的に訓練、シュミレーションし、被害の最小化をはかることも必要
であろう。
震災雑感
震災後のことを少し考えている。
これで電気自動車の普及には影響が出よう。
地方公共団体はCO2削減のため率先して電気自動車の導入を
推進していたが、全ての公用車を緊急用車両と認識する必要が
あることが明白となった。
ガソリン、経由を燃料とする車両は燃料を入れれば即座に
使用することが出来るが、充電に時間を要する電気自動車を
即座に使用できない場合の影響を考えざるをえないからである。
東京電力が推進していたオール電化も見直さざるをえない。
前提としていたクリーンエネルギーの正体が、原子力であり、
想定外とはいえ事故の可能性、点検による稼動停止等により、
電力の供給に限界があることが明示されたあとに、オール電化が
進むとはかんがえられない。
電気自動車により石油会社を追い詰め、オール電化により
ガス会社を追い詰め、エネルギー分野を独占しようとしたとしか思えない
電力会社の責は重いと言わざるを得ない。
今回の地震による燃料不足は、ガソリンスタンドの数の減少も
影響していることは明らかである。なぜガソリンスタンドが減少
したのか、考える必要がある。今後もガソリンスタンドは減り続ける
ことが予想されるが、はたしてそれで良いのだろうか。
食品、日用品の買い溜め
衣食足りて栄辱を知る。
いくら報道で呼びかけても、食品、日用品の買い溜めを防ぐのは
難しいであろう。
ただ、無駄な買い物も含まれていよう。たとえば、水。
東京の水道水は、浄水器をつかわないでペットボトルに入れておけば
最低1カ月は保存可能であり、もちろん飲料用としても使用できる。
こうした情報が水道局から発しられていないのが、不手際である。
米は精米していなければ長期の保存に耐えるが、精米されてものは
時間とともに味が落ちる。せいぜい2週間分が限度と思った方がよい。
地震後1週間、スーパーには米も並んでいる。ただし値段は多少上昇気味。
私は東京世田谷のマンション暮らし。ゴミ置き場にはいつも沢山の
ペットボトルが捨てられていたが、地震後はほとんど捨てられていない。
水をペットボトルに貯めておけば、飲料用としても、トイレ用などにも
使えるということである。
私は偶然地震の当日、米がなくなっていたので翌日何も気にせず
午前中スーパーで米を購入したが、普段は見かけない中年男性が
米のコーナーに沢山見かけられた。その日の夕方には、朝見かけた
麺、米、パンも全て売り切れであった。
パンは消費期限が短く、買い溜めには不向きのはずなのに。
パニック買いは、買い溜めとすら言えない。何が本当に必要か考えて
行動しないと。
これで自分の当座の食料は確保されたであろうから、今後は
被災者のことに、ようやく目が向けられるであろう。
ひとはひとに過大な期待をすることはできない。自らの安全が
何よりも優先されるのは、しかたのないことである。
次は、いよいよ被災者のことを考える時である。
テレビの避難所からの放送についての希望
私のこのブログをTV関係者が見てくれていれば、御願いがあります。
避難所からの放送ではアナウンサーが、避難所の外から放送して
いますが、できる範囲で、避難している方の顔がうつせる工夫をして
ほしいのです。
個人情報保護の問題もあるとは思うのですが、映ることを承諾される方が
いらっしゃれば、できるだけ大きく、できるだけ沢山の方をうつして
いただきたいのです。
連絡を取りたくてもとれない方が、全国にたくさんいます。せめて
無事を確認することができるのではないかと思うのです。
私にも仙台に、透析を受けなければならない友人がいますが、
安否を確認する方法がありません。せめてTV画面ででも無事を
確認したいのです。
私のこのブログを御覧になってTV関係の知り合いがいらっしゃる方が
いらっしゃったら、是非、こういった要望のあることを伝えて下さい。
目的の正当性と手段の相当性
中国漁船衝突事件ビデオ映像の「流出」事件について考えて見る。
まず流出という呼び方自体に奇異を覚える。流出ではなくある意図
を持った持ち出しであり、流出という表現は正確さを欠いていよう。
次に持ち出した海上保安官は国民の知る権利を満たすためであり、
正義の行為である旨述べていると伝えられている。
つまり目的の正当性を主張しているのである。しかしその手段が
相当性を有していたかどうかについては何の説明もなされているとは
伝えられていない。
目的の正当性さえあればどんな手段をとっても構わないという考えは
すくなくとも刑事事件においてはとられていない。
権利行使のために債務者をおどすことは恐喝行為として処罰される
ことになり、貸金業法は深夜の取立、電話などを違法な取立として
処罰することを規定しているはずである。
また、刑法の正当防衛、緊急避難についても手段の相当性が議論
の対象となっている。
守るべき法益のため、やむを得ず行なう行為であり、守るべき法益
の程度により、取り得る手段は限定されるのである。
翻って今回の事件について考える。
確かに国民には知る権利がある。不正行為を働いている事実を告発
するための匿名による漏洩は目的の正当性があり、他に取り得る
方法が無い場合には正当な行為といえる。
しかし、流出した映像は、それまでの海上保安庁、検察庁、政府の
発表した事実を映像によって示した以外に新しい事実はない。
映像を公開するか否かの決定に異議があったとしても、それは
公開を求める政党の行為や、国民運動などによって主張すべきもの
であって、公務員がその機関の決定に逆らって匿名で映像を
こっそりとインターネットに投稿することを正義とすることは間違い
であろう。
自らのひとりよがりの正義により失われるものの大きさに気が付かない
のは問題である。
ビテオの非公開の方が問題だというマスコミ、「有識者」が多く、まるで
流出させた保安官を英雄視するかのようでもある。
流出を奇果としてビデオが繰り返しテレビでも放映されているが、
果たしてそれによりどんな効果があったのであろうか。
芸能人のスキャンダルと同様に単に一過性のものに留まっているのが
現実ではないのか。
中国では漁船の船長の逮捕、釈放について、反日のデモが各地で
行なわれた。
ビデオの放映により、我が国では中国に抗議する運動、デモなど
が、放映を機に行なわれているとは、寡聞にして知らない。
政府のビデオ非公開、機密保持の欠点のみを論うことに何の利益が
あるのであろうか。
ビデオの持ち出しという手段によって失われたものは、国民による、
国家の機密管理への疑惑、失望であり、これは知る権利のため
という目的と対照すると、あまりにも大きな代償である。
国際的にみれは゛、日本は機密保持できない国であり、信頼することが
できないとして、重要な情報を提供することに躊躇する国が続出し
国際情報に関する無知を我が国にもたらすものであろう。
軍事的脅威が皆無であれば、それもよいかも知れないが、現実は
如何なものであろうか。
失ったものの大きさを考えれば今回の流出事件は犯罪であると
結論づけざるを得ない。
それにしても何と独りよがりの行動と、大上段に知る権利を振りかざす
ひとの増えたことか。何だか国の崩壊を見るようでやるせない。
代理処罰と国外犯
ペルーのリマ高裁で、日本政府の国外犯処罰規定による訴追を受けて、
2001年群馬県太田市での殺人事件の判決がでたことが、報道されている。
マスコミでは代理処罰という言い方が使われるケースがみられるが、正確さを欠く。
日本の刑法では総則第1章で国外犯を規定している。条文番号だけを表示する。
第2条 すべての者の国外犯
第3条 国民の国外犯
第3条の2 国民以外の国外犯
第4条 公務員の国外犯
第4条の2 条約による国外犯
これらの国外犯に規定する罪を犯した者を各条文に規定する各犯罪の条文に
したがって裁くものである。
世界の各国は、独自に刑罰法規を定め、何を犯罪とし、どのような刑罰を
科すかを規定している。
当然ながらその内容は各国が独自に定めるものであり、必ずしも世界共通
、同一内容とは限らない。
例えば日本では殺人罪につき死刑を科すことができるが、死刑廃止国では
当然、死刑が科されることはない。
裁判を行なう国の刑罰法規、刑事手続きに従って有罪、無罪の判断、量刑が
行なわれる。
代理処罰という表現では、例えば今回のケースで言えばペルーの裁判所が
日本の裁判所の代理として、日本の刑法に従って裁判を行なったかのような
誤解を生じさせるおそれがある。
あくまで、ペルーは自国の国民の国外犯、日本の場合なら刑法第3条、
の規定により裁判を行なったにすぎない。
これは、日本側の要請の有無を問わず、独自の判断で行なわれるのが
原則である。
但し、犯罪に該当するかもしれない事実の有無を日本の通知によらなければ
知り得ないばあいに、知らせ、処罰を要請し、あるいは、条約により身柄の
引き渡しを求めるのは国際共助として行なわれるものである。
誤解を生む、代理処罰といった表現ではなく、国外犯処罰として日本で実行
された犯罪の処罰と説明すべきである。
七歩の詩
北朝鮮の金正恩のニュースを聞いて、ふと七歩の詩を思い出した。
七歩の詩は、三国志、魏の曹操の後継を巡る物語として有名である。
【 ここでは漢字が正確に使え無いのでやむを得ず一部カナ表記にします。】
兄ソウヒが弟曹植に命じて七歩歩く間に詩を作ることを命じ、
これに答えて作られたのが、七歩の詩である。
父、曹操に愛され豊かな詩才を謳われた弟を亡き者にしようとした兄が、
母の嘆きもあって、むやみに粛清できずに生み出した方法とされている。
なぜ金正恩で、これを連想したのか。
絶対君主を必要とする社会では、その地位を保持するため、肉親で
あっても、いや、肉親ほどその地位を脅かすものとして粛清の対象となる。
親の生存中は平穏でも、その死去後に粛清が行なわれる。
金正日の過去の行跡からも想像に難くはあるまい。
豆を煮て持ってあつものを作り、
豆支(とうし=味噌)を漉してもって汁となす。
豆殻は釜下に在りて燃え
豆は釜中に在りて泣く。
本、同根より生ず、
何ぞ相い煮ることはなはだ急なる。
語るに落つ
大阪地検特捜部捜査資料改竄についての話である。
前特捜部副部長の取り調べ録画要請が認められなかった。
遡って、何故録画を要請したのかを考えてみた。
今回の事件が特異、特殊であるからというのは、理由にはなるまい。
なぜなら、従来特捜部の取り扱う事件はある意味では全て特異な
事件と言えるからである。
では、何故か。それは検察官としての自分の経験によるものと言うしかなかろう。
全面録画されると都合の悪い方法により取り調べ、供述の強要をしていたからこそ
検察のストーリにはのらないとか、全面録画を求める発言がうまれるのではないか。
郵便不正事件の取り調べを全面録画していたのならば、自らの容疑についての録画
を要求することにも一理はあろう。しかし、取り調べのメモも廃棄するような行為を
とったことからも、取り調べの公正さは担保されていなかったのである。
自らが行なっていた捜査方法を他の捜査官も使うことを危惧したからこそ、録画
要請を行なったとかんがえることが自然であろう。
問うに落ちず、語るに落ちる。自らの捜査方法の違法性を告白したと断じても
よかろう。
それにしても、この検事たちは、これまで幾つの事件を捜査し、幾つの犯罪を
捏造し、何件の冤罪を産み続けていたのか。考えるとおそろしい。
