目的の正当性と手段の相当性
中国漁船衝突事件ビデオ映像の「流出」事件について考えて見る。
まず流出という呼び方自体に奇異を覚える。流出ではなくある意図
を持った持ち出しであり、流出という表現は正確さを欠いていよう。
次に持ち出した海上保安官は国民の知る権利を満たすためであり、
正義の行為である旨述べていると伝えられている。
つまり目的の正当性を主張しているのである。しかしその手段が
相当性を有していたかどうかについては何の説明もなされているとは
伝えられていない。
目的の正当性さえあればどんな手段をとっても構わないという考えは
すくなくとも刑事事件においてはとられていない。
権利行使のために債務者をおどすことは恐喝行為として処罰される
ことになり、貸金業法は深夜の取立、電話などを違法な取立として
処罰することを規定しているはずである。
また、刑法の正当防衛、緊急避難についても手段の相当性が議論
の対象となっている。
守るべき法益のため、やむを得ず行なう行為であり、守るべき法益
の程度により、取り得る手段は限定されるのである。
翻って今回の事件について考える。
確かに国民には知る権利がある。不正行為を働いている事実を告発
するための匿名による漏洩は目的の正当性があり、他に取り得る
方法が無い場合には正当な行為といえる。
しかし、流出した映像は、それまでの海上保安庁、検察庁、政府の
発表した事実を映像によって示した以外に新しい事実はない。
映像を公開するか否かの決定に異議があったとしても、それは
公開を求める政党の行為や、国民運動などによって主張すべきもの
であって、公務員がその機関の決定に逆らって匿名で映像を
こっそりとインターネットに投稿することを正義とすることは間違い
であろう。
自らのひとりよがりの正義により失われるものの大きさに気が付かない
のは問題である。
ビテオの非公開の方が問題だというマスコミ、「有識者」が多く、まるで
流出させた保安官を英雄視するかのようでもある。
流出を奇果としてビデオが繰り返しテレビでも放映されているが、
果たしてそれによりどんな効果があったのであろうか。
芸能人のスキャンダルと同様に単に一過性のものに留まっているのが
現実ではないのか。
中国では漁船の船長の逮捕、釈放について、反日のデモが各地で
行なわれた。
ビデオの放映により、我が国では中国に抗議する運動、デモなど
が、放映を機に行なわれているとは、寡聞にして知らない。
政府のビデオ非公開、機密保持の欠点のみを論うことに何の利益が
あるのであろうか。
ビデオの持ち出しという手段によって失われたものは、国民による、
国家の機密管理への疑惑、失望であり、これは知る権利のため
という目的と対照すると、あまりにも大きな代償である。
国際的にみれは゛、日本は機密保持できない国であり、信頼することが
できないとして、重要な情報を提供することに躊躇する国が続出し
国際情報に関する無知を我が国にもたらすものであろう。
軍事的脅威が皆無であれば、それもよいかも知れないが、現実は
如何なものであろうか。
失ったものの大きさを考えれば今回の流出事件は犯罪であると
結論づけざるを得ない。
それにしても何と独りよがりの行動と、大上段に知る権利を振りかざす
ひとの増えたことか。何だか国の崩壊を見るようでやるせない。